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Channel: 夜噺骨董談義
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椿之図 大谷句仏画賛

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名古屋に出張に際して泊まったホテルのロビーで壁に飾られた作品はアイズピリ。



残念ながらアイズピリの作品とわかる人は非常に少ないと思います。日本人は絵や陶磁器に対する知識や関心度は思いのほか低いと思います。



本作品は20号くらいの大きさの大作です。

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Paul aizpiri:1919年パリに生まれる。初めは彫刻家の父のすすめでブール象眼学校家具科に入学するが、絵画への情熱が強く1936年パリ芸術大学に再入学して3年間学ぶ。 1939年第二次世界大戦に招集され独軍の捕虜となったものの、脱走。解放後は「青年絵画展」の創立会員となり、1946年同展で三等賞受賞。

1943年のパリのギャルリーパルヴィレで初個展を開催。独自の様式による色彩世界を創造し、パリ画壇を代表する具象画家として知られている。パリ画壇の具象系派ポピュラー作家の一人。

パリを中心に、欧州、米国、日本などで個展を開催。作品は、ルーマン美術館、アルビ美術館、キャストゥル美術館、ヒアレン美術館などに収蔵されている。軽快なタッチと、鮮やかな色彩を好み、静物、風景、人物などのリトグラフで親しまれている。



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日本代表のアジアサッカーは相変わらず煮え切らない試合となりましたね。4試合ともに同じメンバーでの体力消耗、現在では高校生クラスの香川の起用、守備力のないGkの起用、決定力のな無さなどから監督の采配ミス、その監督を起用し続ける日本サッカー協会の無策などが解る人には見えるものがありました。そう、無策はなにもしないということ。

経営も同じ。なにも新たなことをしない、同じ過ちを懲罰人事や精神論で終える経営は無策・・。チームワークを向上させ、新たな人事や対策をとるというのが進化です。

さて本日は大谷句仏こと大谷光演の作品です。


椿之図 大谷句仏画賛
絹本水墨着色軸装 軸先練 合箱
全体サイズ:縦2000*横300 画サイズ:縦1182*横270


幸野楳嶺や竹内栖鳳に日本画を学び、さらに正岡子規の影響を受け、『ホトトギス』誌にて河東碧梧桐、高浜虚子らに選評してもらい、彼らに傾倒して師としたそうです。



む~、なんと読むのだろう。「鶯や 禅□□□□□ □□□」

『ホトトギス』誌の影響から脱し独自の道を歩むこととなります。生涯に多くの俳句(約2万句)を残し、文化人としての才能を発揮、日本俳壇界に独自の境地を開いた人です。



赤い椿が印象的な作品です。「句仏上人」と呼ばれ、それは「句を以って仏徳を讃嘆す」の意とされ親しまれています。



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大谷句仏:(1875~1943)大谷光演(おおたに こうえん)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「彰如」(しょうにょ)。東本願寺第二十三代法主 。真宗大谷派管長。俳人。伯爵。

1900年まで南条文雄・村上専精・井上円了らについて修学。1901年に札幌で宗教系の学校が北星女子学校しか無い事を知り仏教系の女子学校を思い立つが、資金調達に難航し1902年(明治35年)に北海道庁立札幌高等女学校を開設するには至らなかったが、4年後の1906年4月に北海女学校を開校に漕ぎつけた。昭和18年(1943)寂、68才。

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同じく花を描きながらこうまで感性の違う二作品・・。お値段は10倍以上違いますよ。比較するほうが間違いかな?? 欧米には絵に歌を添えるという文化はないというのを改めて思いますね。


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