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Channel: 夜噺骨董談義
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柿本人麻呂像 伝高橋道八造

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今年の夏前には郊外に引っ越す予定ですが、結婚してから、仙台から山形、盛岡、秋田、八戸、青森、水沢、仙台、東京、大宮と転居し、とうとう今回で10回目の引越しとなります。単身赴任は一度もしていないので新築した自宅に住んだことがありません。設計して建てたり、改修した家には住んだことがなく、別荘のごとく「男の隠れ家」になっています。

そもそもマイホーム至上主義のような考え方は嫌いで、ミサワホームやセキスイハウスのコマーシャルをテレビで見ると嫌悪感を覚えます。苦労が多くてもいろんな地域で仕事をしたり、生活をしてみるのはいいことだと思います。でき得れば海外でも・・。

そういう苦労の経験のない人がものづくりの現場で監督しているから、地方からきた作業員へのやさしさが欠落しているのでしょう。上からの物言い、人の話は聞かない、さらには自己弁護、懲罰主義の横行には目を覆うばかりです。

さて、本日はいろんな地方でものづくりを教えた陶工の作品です。

息子と遊びならが今週のなんでも鑑定団を観ていたら仁阿弥道八の作品が出品されていました。どうせ偽者だろうと思っていたら本物らしい。評価金額は70万・・。どこかで観たことのある作風だな~と思って所蔵を検索すると、下記の作品がヒット・。

柿本人麻呂像 伝高橋道八造
幅230*高さ250*奥行き135



この作品は「柿本人麻呂像」のようです。本作品はインターネットからの購入したもので、古い箱に入って売っていました。補修されいましたので意外に廉価であったと思います。

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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ、660年頃~720年頃):飛鳥時代の歌人。三十六歌仙の一人。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ称えられている。彼の経歴は定かではないところが多く、史書にも書かれていないため万葉集が唯一の資料である。草壁皇子の舎人として仕え、石見国の官人となって各地転々とし最後に石見国でなくなったとされている。

彼は万葉集第一の歌人といわれ、長歌19首・短歌75首が掲載されている。その歌風は枕詞、序詞、押韻などを駆使して格調高い歌風である。長歌では複雑で多様な対句を用い、長歌の完成者とまで呼ばれるほどであった。また短歌では140種あまりの枕詞を使ったが、そのうち半数は人麻呂以前には見られないものである点が彼の独創性を表している。人麻呂について史書に記載がなく、その生涯については謎とされていた。

古くは『古今和歌集』の真名序に五位以上を示す「柿本大夫」、仮名序に正三位である「おほきみつのくらゐ」と書かれており、また、皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うという仕事の内容や重要性からみても、高官であったと受け取られていた。江戸時代、契沖、賀茂真淵らが、史料に基づき、人麻呂は六位以下の下級官吏で生涯を終えたとされ、以降現在に至るまで歴史学上の通説となっている。

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奥田頴川青木木米紀州藩御庭焼(偕楽園焼)野々村仁清など本ブログに投稿されている作品との関係が道八を調べてくると浮き上がってきます。



陶磁器を知る上で幕末の京都を中心とした日本の陶工達の関連性は基本的なことは理解しておく必要がありますね。本ブログをじっくり読んでいただけると、だいたいのことはお分かりいただけると思います。

幕末の陶工達・・、名工と呼ばれる人はことごくあちこちで活躍しています。ものづくりの人はいろんな地域でいろんなことを学び、技術的に磨くことが必要だったし、また本人もいろんな地域を知ることが面白かったのでしょう。

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仁阿弥 道八(にんあみ どうはち、天明3年(1783年) - 安政2年5月26日(1855年7月9日)):江戸時代後期の陶芸家。二代高橋道八なのだが、一般的に「仁阿弥道八」の名前で有名である。隠居名「道翁」。初代・高橋道八の次男として生まれ、兄の早世により29歳で家督相続、京・五条坂に開窯。奥田頴川、宝山文蔵らのもとで修行を積み、青木木米らと共に京焼の名手として知られる。

仁和寺宮より「仁」、醍醐寺三宝院宮より「阿弥」の号を賜り、出家名「仁阿弥」を称する。45歳の時に紀州藩御庭焼(偕楽園焼)立ち上げに参画、以後、高松藩御庭焼(賛窯)、薩摩藩御庭焼(磯御庭焼)、角倉家御庭焼(一方堂焼)、西本願寺御庭焼(露山焼)などの立ち上げに参画、京焼技法の全国頒布に助力。天保13年(1842年)、伏見に隠居するも、以後も「桃山窯」を開窯、作陶を続けた。

同時代の同じ京焼の名手である青木木米とは全く対照的な作風で、多種多彩で癖がない作品を大量に製作した。作品の中には全く対照的な焼き物である楽焼も色絵もある。特に色絵は「尾形乾山、野々村仁清の再来」とまで称された名手であった。また茶碗などの食器や容器ばかりではなく、人物や動物などの陶像や磁器像の製作も行い、名品が多いと言われる。更に李朝磁器や青華磁器の製作も行っている。それらの作品に共通する特徴を挙げると品の良い「高貴性」が感じられる点である。それ故に日本各地の名家から招かれ、御庭焼の師として仰がれたと考えられる。

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無論、高橋道八の作品かどうかは不明としておきます。何代目かも不明ですね。「道八」の銘は京都焼に限らずいろいろな窯で使われていますので注意を要します。道八を模倣しましたという意味程度に使われており、香炉など量産品の粗悪品をよく見かけます。煎茶道具、茶碗などありとあらゆるものにこの銘が新旧関係なくこの銘があります。「木米」の銘もまた同じですね。

本作品は京焼の雰囲気を充分持ち、顔の表情も豊かで出来のよい作品と思いますが、一部に割れた部分を古くに補修した跡があります。

さ~て、本作品もまた「データはあるがどこに収納したのかな?」という曖昧な記憶の中の作品です。仙台に勤務していた頃の借家の玄関に飾っていました。まだ売却していないと思うのですが・・・。引っ越すたびにどこに何を飾ろうかと楽しみですが、マンションが一番つまらないものです。ただマンションは生活そのものは実に便利です。冬に暖かい、必要なものはすぐ近くにあるなど・・・。便利さだけを追求すると人間が自堕落になるし、新たなことへのチャレンジ精神がなくなる

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