古い絵となると「雪舟」、鯉や寅の絵だと「応挙」、色絵陶磁器だと「古九谷」と思い込みという妄想が激しいのが骨董の趣味の方・・・、ま~ほとんど宝くじがあたったという妄想に等しい。しかしこの愉しい妄想が健康には実にいいというのも理にかなっているようです。
さて本作品は妄想に駆られずじっくりと拝見・・。瑠璃釉の作品は先週の「なんでも鑑定団」に出品されていましたね。
瑠璃釉捻り紋瓢型徳利
時代箱入
口径20*胴径75*底径*高さ200
基本的に残念ながら当方では製作年代、産地は不明とせざる得ません。首に直しの跡があります。
この形は「祥瑞捻文瓢形徳利」によく見られる形で、17世紀の中国明の作品が古九谷や初期伊万里に影響を与えており、同型の作品が古九谷や伊万里に数多く存在します。
古九谷などでは瑠璃釉に金彩による絵付けがある作品が著名です。本作品が金彩で絵付する意図で製作されてものというのも100%否定はできず、焼成途中で金彩が流れた可能性、焼成が良くなく金彩を止めた作品とも推察できます。
**************************************
瑠璃:釉薬は高価で、原則として良品にしか使われない。陶器に用いられることはほとんどなく、磁器によく使われる。染付が作られている窯場は、同じ呉須を使うため基本的には瑠璃釉が用いられた可能性がある。
有田では17世紀前半の、いわゆる初期伊万里の時代から瑠璃釉が用いられている。初期の瑠璃釉は比較的淡い色調であり、17世紀後半以降には紺色の色調のものに移行する。ただし1650から60年代には淡い色調の瑠璃釉が多く見られる。この場合、薄く濃みをした染付と淡い色調の瑠璃を区別しにくい。
染付によって薄く塗られたものを薄瑠璃と呼んでいるが、これは瑠璃釉の薄いものと混同されている。瑠璃と薄瑠璃の区別は、釉薬そのものが瑠璃色であるものが瑠璃であり、染付で薄く濃みをしたあと透明釉を掛けたものを薄瑠璃と見なすことが出来る。断面を見れば、素地の上に藍色の釉薬があるのが瑠璃であり、素地の上に藍色の呉須がありさらにその上に透明の釉薬があるのが薄瑠璃である。薄瑠璃は染付の一種であり、瑠璃は色釉であるところに違いがある。しかし1650から60年代の有田磁器においては、淡い瑠璃釉を施したあとからさらに透明釉を掛けることが多いので難しいのである。藍色の瑠璃釉に赤や金の上絵付けをする作品も多い。
**************************************
「カセ」があるのは薬品によるものではなさそうです(薬品古く見せる手法)。近代の瑠璃釉よりも薄めの発色ですが、呉須による薄瑠璃ではなく釉薬のようです。
参考作品
瑠璃地色絵金銀彩桐丸文瓢形捻徳利
島田市博物館蔵 17世紀後半
瓢箪形の器面に6本の筋目をつけ、これを捻って刻んで作られています。この技法は、中国の明朝末期(17世紀中葉~後半)に景徳鎮窯が造った「祥瑞」とよばれる日本の茶人むけの染付や瑠璃釉磁を手本としています。釉はやや薄めで、透明度があり、そのさわやかな風韻は17世紀中葉から後半にかけての伊万里焼瑠璃釉磁の特色といわれています。その後、赤絵具で丸文を描き、そのなかに金箔で桐の紋章を表わしています。紺色の地釉との融和を考慮し、品位のある紋様に仕上がっています。
参考作品
下左:古九谷(江戸時代_17c・高19.5_口径1.8_底径5.5)
下右:祥瑞景徳鎮窯(明時代_17c・高19.3_口径2.3_底径5.4)
もともと「古九谷 瑠璃徳利」と題されていましたが、この手の古九谷があるかどうかは疑問です。
底の高台周りが真新しく時代の下がった伊万里というのが無難かな? なんといっても三千円也の作品・・、宝くじ10枚分の値段・・、妄想に駆られてはいけません。これだけ調べる資料になるのなら資料代金くらいの価値はすでにあった。
収納箱は小さくてかわいい手提げ箱・・、家内曰く「この箱いいわね~」・・「小生も同感」この箱もなにかに使える。書付を剥がそう・・・。
「トク、トク、トク」という酒を注ぐときの音が実にいい。なにかいいときがあったときに使うといい。宝くじに当たった、いい人に会えた、謎が解けた・・「得、徳、解く」なんてね。だからトックリ・・(この説は正しくありませんよ、「徳利」の語源は基本的に不詳ですが、音に由来する説は正解ではないようです。)
またまた親爺駄洒落・・ とはいえ本ブログは勉強になると思いませんか???
玉?石混合、魑魅魍魎、解説解読不能とはいえ・・。
さて本作品は妄想に駆られずじっくりと拝見・・。瑠璃釉の作品は先週の「なんでも鑑定団」に出品されていましたね。
瑠璃釉捻り紋瓢型徳利
時代箱入
口径20*胴径75*底径*高さ200
基本的に残念ながら当方では製作年代、産地は不明とせざる得ません。首に直しの跡があります。
この形は「祥瑞捻文瓢形徳利」によく見られる形で、17世紀の中国明の作品が古九谷や初期伊万里に影響を与えており、同型の作品が古九谷や伊万里に数多く存在します。
古九谷などでは瑠璃釉に金彩による絵付けがある作品が著名です。本作品が金彩で絵付する意図で製作されてものというのも100%否定はできず、焼成途中で金彩が流れた可能性、焼成が良くなく金彩を止めた作品とも推察できます。
**************************************
瑠璃:釉薬は高価で、原則として良品にしか使われない。陶器に用いられることはほとんどなく、磁器によく使われる。染付が作られている窯場は、同じ呉須を使うため基本的には瑠璃釉が用いられた可能性がある。
有田では17世紀前半の、いわゆる初期伊万里の時代から瑠璃釉が用いられている。初期の瑠璃釉は比較的淡い色調であり、17世紀後半以降には紺色の色調のものに移行する。ただし1650から60年代には淡い色調の瑠璃釉が多く見られる。この場合、薄く濃みをした染付と淡い色調の瑠璃を区別しにくい。
染付によって薄く塗られたものを薄瑠璃と呼んでいるが、これは瑠璃釉の薄いものと混同されている。瑠璃と薄瑠璃の区別は、釉薬そのものが瑠璃色であるものが瑠璃であり、染付で薄く濃みをしたあと透明釉を掛けたものを薄瑠璃と見なすことが出来る。断面を見れば、素地の上に藍色の釉薬があるのが瑠璃であり、素地の上に藍色の呉須がありさらにその上に透明の釉薬があるのが薄瑠璃である。薄瑠璃は染付の一種であり、瑠璃は色釉であるところに違いがある。しかし1650から60年代の有田磁器においては、淡い瑠璃釉を施したあとからさらに透明釉を掛けることが多いので難しいのである。藍色の瑠璃釉に赤や金の上絵付けをする作品も多い。
**************************************
「カセ」があるのは薬品によるものではなさそうです(薬品古く見せる手法)。近代の瑠璃釉よりも薄めの発色ですが、呉須による薄瑠璃ではなく釉薬のようです。
参考作品
瑠璃地色絵金銀彩桐丸文瓢形捻徳利
島田市博物館蔵 17世紀後半
瓢箪形の器面に6本の筋目をつけ、これを捻って刻んで作られています。この技法は、中国の明朝末期(17世紀中葉~後半)に景徳鎮窯が造った「祥瑞」とよばれる日本の茶人むけの染付や瑠璃釉磁を手本としています。釉はやや薄めで、透明度があり、そのさわやかな風韻は17世紀中葉から後半にかけての伊万里焼瑠璃釉磁の特色といわれています。その後、赤絵具で丸文を描き、そのなかに金箔で桐の紋章を表わしています。紺色の地釉との融和を考慮し、品位のある紋様に仕上がっています。
参考作品
下左:古九谷(江戸時代_17c・高19.5_口径1.8_底径5.5)
下右:祥瑞景徳鎮窯(明時代_17c・高19.3_口径2.3_底径5.4)
もともと「古九谷 瑠璃徳利」と題されていましたが、この手の古九谷があるかどうかは疑問です。
底の高台周りが真新しく時代の下がった伊万里というのが無難かな? なんといっても三千円也の作品・・、宝くじ10枚分の値段・・、妄想に駆られてはいけません。これだけ調べる資料になるのなら資料代金くらいの価値はすでにあった。
収納箱は小さくてかわいい手提げ箱・・、家内曰く「この箱いいわね~」・・「小生も同感」この箱もなにかに使える。書付を剥がそう・・・。
「トク、トク、トク」という酒を注ぐときの音が実にいい。なにかいいときがあったときに使うといい。宝くじに当たった、いい人に会えた、謎が解けた・・「得、徳、解く」なんてね。だからトックリ・・(この説は正しくありませんよ、「徳利」の語源は基本的に不詳ですが、音に由来する説は正解ではないようです。)
またまた親爺駄洒落・・ とはいえ本ブログは勉強になると思いませんか???
玉?石混合、魑魅魍魎、解説解読不能とはいえ・・。