最近海外において日本酒がブームのようです。日本の酒文化の代表格はなんといっても日本酒でしょう。焼酎もありますが、本ブログで取り上げる骨董においては、酒器も数多くある日本酒に軍配が上がります。
本ブログでは酒器はあまり取り上げていませんが、小生があまり日本酒を嗜めないからではありません。いい酒器は非常に入手が難しいのが理由で、あまり特筆するような酒器は所有しておりません。
酒器はなんといっても徳利と盃ですね。古来からの徳利の一番人気は李朝の雨漏徳利でしょうね。あとは古唐津、古備前、この3種でしょうね。織部、志野とありますが、この3種には敵いません。
では盃はというと、やはり古唐津、志野でしょうか。
いつかは李朝の徳利で、そして古唐津の盃で一献といきたいのが酒好き、骨董好きの夢でもあります。
本日は最近購入したばかりの伊万里の素朴な染付作品の紹介です。伊万里の盃は骨董ではマイナーな方かもしれません。本作品は伊万里の初期であろうか、古伊万里であろうか?・・・いずれ酒好きにはどちらでもいいことです。
伊万里蘭草紋盃
口径58〜64*高台径26*高さ45
この歪んだ形が手の中にすっぽりと入り、しっくりきます。これほどのものは今までにありませんでした。これは窯の中で歪んだもので、隣で焼かれたものとひっついたりして変形した自然の造形です。
このような蘭を紋様とした伊万里の盃は数多く存在します。揃いもので大量生産されたのでしょう。このように歪んだ作品も多くあります。ただ、手に持ってしっくりくるもの、見込みがある程度きれいなものは数が少ないようです。
本作品のように発掘品も多く、金継した状態で使えるものはまだいい方で、ひっつきや歪みでとても使いものにならないものまで売りに出されています。いずれ基本的には雑器の部類です。
表と裏ではまったく違う表情を見せる盃で、手にすっきりくること、紋様が面白いこと、金継がきちんとされていることが魅力となっています。
改めてよくみると、本作品の歪みと金繕いが景色となっています。逆にこの歪みと金繕いがなければ、いくら古い伊万里とはいえ、なんら魅力のないただの雑器と言えましょう。
初期の伊万里はその図柄と素朴さゆえ愛されるものですが、伊万里のような磁器の盃は端正すぎると魅力に乏しく、使っていても飽きがくるものです。唐津や志野に劣る点といえましょう。
人の美と同じで、歩んできた道のりが滲み出た作品に魅力があるのです。歪んでも、高くなくても、素朴でも、酒器の盃はその滲み出た味や形、紋様に魅力があります。小さな割には良いものは高価なのはそういう理由のような気がします。あるようでない、そんな器です。
本日の器は生まれながらに、周囲に邪魔をされながら美貌には人一倍恵まれなかったのですが、その後、発掘と金繕いという周りの人のお世話で人並みになったものです。関わった人々に感謝、感謝の器です。
冷たい感じのする伊万里の酒器の中で本作品はとてもよい部類に入る作品であろうと思います。
小さな器に、己の人生を思い浮かべて、美味しい酒を飲む・・、いいね〜。
本ブログでは酒器はあまり取り上げていませんが、小生があまり日本酒を嗜めないからではありません。いい酒器は非常に入手が難しいのが理由で、あまり特筆するような酒器は所有しておりません。
酒器はなんといっても徳利と盃ですね。古来からの徳利の一番人気は李朝の雨漏徳利でしょうね。あとは古唐津、古備前、この3種でしょうね。織部、志野とありますが、この3種には敵いません。
では盃はというと、やはり古唐津、志野でしょうか。
いつかは李朝の徳利で、そして古唐津の盃で一献といきたいのが酒好き、骨董好きの夢でもあります。
本日は最近購入したばかりの伊万里の素朴な染付作品の紹介です。伊万里の盃は骨董ではマイナーな方かもしれません。本作品は伊万里の初期であろうか、古伊万里であろうか?・・・いずれ酒好きにはどちらでもいいことです。
伊万里蘭草紋盃
口径58〜64*高台径26*高さ45
この歪んだ形が手の中にすっぽりと入り、しっくりきます。これほどのものは今までにありませんでした。これは窯の中で歪んだもので、隣で焼かれたものとひっついたりして変形した自然の造形です。
このような蘭を紋様とした伊万里の盃は数多く存在します。揃いもので大量生産されたのでしょう。このように歪んだ作品も多くあります。ただ、手に持ってしっくりくるもの、見込みがある程度きれいなものは数が少ないようです。
本作品のように発掘品も多く、金継した状態で使えるものはまだいい方で、ひっつきや歪みでとても使いものにならないものまで売りに出されています。いずれ基本的には雑器の部類です。
表と裏ではまったく違う表情を見せる盃で、手にすっきりくること、紋様が面白いこと、金継がきちんとされていることが魅力となっています。
改めてよくみると、本作品の歪みと金繕いが景色となっています。逆にこの歪みと金繕いがなければ、いくら古い伊万里とはいえ、なんら魅力のないただの雑器と言えましょう。
初期の伊万里はその図柄と素朴さゆえ愛されるものですが、伊万里のような磁器の盃は端正すぎると魅力に乏しく、使っていても飽きがくるものです。唐津や志野に劣る点といえましょう。
人の美と同じで、歩んできた道のりが滲み出た作品に魅力があるのです。歪んでも、高くなくても、素朴でも、酒器の盃はその滲み出た味や形、紋様に魅力があります。小さな割には良いものは高価なのはそういう理由のような気がします。あるようでない、そんな器です。
本日の器は生まれながらに、周囲に邪魔をされながら美貌には人一倍恵まれなかったのですが、その後、発掘と金繕いという周りの人のお世話で人並みになったものです。関わった人々に感謝、感謝の器です。
冷たい感じのする伊万里の酒器の中で本作品はとてもよい部類に入る作品であろうと思います。
小さな器に、己の人生を思い浮かべて、美味しい酒を飲む・・、いいね〜。