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Channel: 夜噺骨董談義
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贋作考 牡丹ニ番雉之図 伝桑山玉洲筆

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引越しの手伝いを手伝う一歳半の息子?? 荷物運びで父子共々が足の裏が真っ黒・・。



息抜きに家内がピアノを弾き始めると、息子もピアノへ・・。ともかくなんでも大人のマネをしたがるようで・・。



ところで骨董蒐集には贋作は避けて通れないもののようですが、なるべく避けて蒐集するのにこしたことはありません。目利きでも贋作の数と真作の数はある一定の割合で混入してくるものようですが、目利きの人は贋作を打ち捨てながら蒐集し、次第に真作の割合が高くなっていくそうで、目利きでない御仁はいくら蒐集してもその割合が同じで贋作の割合が非常に高いそうです。もっとも多いのは贋作は嫌だという理由でほとんど自費で購入しない御仁で、知識と理屈ばかりが優先する人だそうです。

さて本日は「贋作考」シリーズの投稿です。

その中でも本ブログで再三投稿している画家で、真作の入手が非常に難しいと小生が感じている画家に桑山玉洲と釧雲泉がいます。本日の投稿は桑山玉洲の作品です。

釧雲泉は他の投稿記事を参考にしていただきたいのですが、桑山玉洲は未だに真作は入手できていません。失礼ながらたいした画家ではない?と思っているのですが、やたら贋作が多いのには閉口するのと同時に嫌気すらもよおしてきている画家です。

牡丹ニ番雉之図 伝桑山玉洲筆
紙本水墨着色軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2100*横720 画サイズ:縦1280*横580



落款には「嗣燐写」と記されており、印章は「嗣粲」と「明夫」の白文朱方印の累印が押印さています。和歌山県立美術館発刊の「桑山玉洲」に記載の資料などの小生の知識からでは桑山玉洲の作品とは断定できず、「伝」としておきます。



印章と落款に対する考察ですが「嗣粲」の号を用いたのは31歳頃からと推察され、火偏を加えた「嗣燦」を記されたのは30代後半以降からです。作風が南蘋系の彩色の花鳥画ですが、彩色の花鳥画主に30歳代前半に多く描いていました。



印章の「嗣粲」は落款が「嗣燦」の時にも使用しており、40歳代後半の作品に押印が見られます。



本作品が山水画を多く描いていたこの時期に描いたがどうかというのも焦点になりそうです。やはり桑山玉洲は山水画とみるべきかという意見もありますし、「印章が微妙に違う」という意見もあるでしょうが、杓子定規な意見よりも作品そのものが自分の感性にあうかどうかが大切かと・・。

読書の皆さんの感想や如何。



桑山玉洲が「南蘋系の彩色の花鳥画を描いていた」ということから製作した贋作という可能性もありますが、最終判断は後学とします。一番避けなくてはならないのは真作を贋作と判断すること・・。

いずれ真贋については徐々に感性が知らせてくれるものと・・・、いっぱしの目利きの真似ごと・・。

「マネ」と「真似」の親子・・。

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