え~い、買ってしまえと購入した作品ですが、理由は二重箱の口が黒柿だということ。むろんそれだけではないのですが・・。なんでも鑑定団に出品された川合玉堂は贋作でしたが、通常はひと目で川合玉堂の真贋は解るものです。
林和靖 川合玉堂筆 その3
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱二重箱 旧作題
全体サイズ:縦2070*横522 画サイズ:縦1180*横415
熟年の作品ではないにしろ掛けてみると展示室の空気が一変します。このような雰囲気を出せる画家の作品は上村松園、横山大観など数人の作品くらいでしょう。
作品を描いたのが落款から明治40年頃と推察され、箱書は昭和20年頃と推察されます。
印章・落款とも資料と一致します。作品の印章や落款、共箱の落款は容易に資料から確認できますが、共箱の印章は共箱にしか押印がないようで確認に苦労しますが、たとえば思文閣墨蹟資料目録 第439号 作品NO59 「芙蓉」の共箱の印章と一致していますので間違いありません。
資料に埋没して真贋ばかり気にするのはどうかと思いますが、最低限の資料は頭に叩き込んでおかないと確認に時間ばかりかかります。購入時にはこのような資料はむろん手元にありませんから、直感での購入です。贋作をつかむことも当然ありますし、自分の得意な分野だけでは蒐集の幅も広がりません。人生は挑戦の連続です。
画題の「林和靖」については他の作品でも紹介しました。
林和靖図 倉田松涛筆紙本水墨淡彩軸装軸先 箱入
全体サイズ:横514*縦1985 画サイズ:横390*縦1346
改めてその記事を下記にきします。
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林和靖:林逋(りん ぽ、967年 ~1028年)は中国・宋代の詩人。字は君復。没後に仁宗により和靖先生の謚を贈られたため、林和靖とも呼ばれてる。杭州銭塘(浙江省)の出身。
若くして父を失い、刻苦して独学する。恬淡な性格で衣食の不足もいっこうに気にとめず、西湖の孤山に盧を結び杭州の街に足を踏み入れぬこと20年におよんだ。真宗はその名を聞いて粟帛を賜い、役人に時折見回るよう命じた。薛映・李及が杭州にいたときは彼らと終日政談し、妻子をもたず、庭に梅を植え鶴を飼い、「梅が妻、鶴が子」といって笑っていた。
行書が巧みで画も描いたが、詩を最も得意とした。一生仕えず盧のそばに墓を造り、「司馬相如のように封禪の書を遺稿として用意してはいない」と詠み、国事に関心がないことを自認していた。その詩が都に伝わると仁宗は和靖先生と諡した。
林逋の詩には奇句が多く、「疎影横斜水清浅。 暗香浮動月黄昏。」の二句は梅を詠んだ名吟として広く知られている。平生は詩ができてもそのたびに棄てていたので、残存の持は少ない。日本でも林逋の詩は愛好され、貞享3年(1686年)の和刻本その他がある。
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川合玉堂の説明は改めて記載する必要も無いでしょうが下記のとおりです。
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川合玉堂:明治6年生まれ、昭和32年に没(1873年~1957年)、享年85歳愛知県出身、本名は芳三郎。初め京都で幸野楳嶺、望月玉泉に岡山派を学び、上京して橋本雅邦に狩野派を教わり、次第に両様式を統合して自己の画風を作りあげたが、深く伝統的な画体を把握して明治・大正の新時代的な形式と感情とをそれにもって、東京画壇におけるアカデミックな一代表様式を創造した。帝国美術院会員、東京美術学校教授を経て、帝室技芸員、芸術院会員となり、文化勲章を受ける。
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著名な画家の作品のついでに下記の作品は横山大観。
連峰 横山大観筆
絹本水墨 色紙3号 共箱
色紙ですが共箱入りです。「本物?」・・、野暮な質問はするものじゃない。
林和靖 川合玉堂筆 その3
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱二重箱 旧作題
全体サイズ:縦2070*横522 画サイズ:縦1180*横415
熟年の作品ではないにしろ掛けてみると展示室の空気が一変します。このような雰囲気を出せる画家の作品は上村松園、横山大観など数人の作品くらいでしょう。
作品を描いたのが落款から明治40年頃と推察され、箱書は昭和20年頃と推察されます。
印章・落款とも資料と一致します。作品の印章や落款、共箱の落款は容易に資料から確認できますが、共箱の印章は共箱にしか押印がないようで確認に苦労しますが、たとえば思文閣墨蹟資料目録 第439号 作品NO59 「芙蓉」の共箱の印章と一致していますので間違いありません。
資料に埋没して真贋ばかり気にするのはどうかと思いますが、最低限の資料は頭に叩き込んでおかないと確認に時間ばかりかかります。購入時にはこのような資料はむろん手元にありませんから、直感での購入です。贋作をつかむことも当然ありますし、自分の得意な分野だけでは蒐集の幅も広がりません。人生は挑戦の連続です。
画題の「林和靖」については他の作品でも紹介しました。
林和靖図 倉田松涛筆紙本水墨淡彩軸装軸先 箱入
全体サイズ:横514*縦1985 画サイズ:横390*縦1346
改めてその記事を下記にきします。
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林和靖:林逋(りん ぽ、967年 ~1028年)は中国・宋代の詩人。字は君復。没後に仁宗により和靖先生の謚を贈られたため、林和靖とも呼ばれてる。杭州銭塘(浙江省)の出身。
若くして父を失い、刻苦して独学する。恬淡な性格で衣食の不足もいっこうに気にとめず、西湖の孤山に盧を結び杭州の街に足を踏み入れぬこと20年におよんだ。真宗はその名を聞いて粟帛を賜い、役人に時折見回るよう命じた。薛映・李及が杭州にいたときは彼らと終日政談し、妻子をもたず、庭に梅を植え鶴を飼い、「梅が妻、鶴が子」といって笑っていた。
行書が巧みで画も描いたが、詩を最も得意とした。一生仕えず盧のそばに墓を造り、「司馬相如のように封禪の書を遺稿として用意してはいない」と詠み、国事に関心がないことを自認していた。その詩が都に伝わると仁宗は和靖先生と諡した。
林逋の詩には奇句が多く、「疎影横斜水清浅。 暗香浮動月黄昏。」の二句は梅を詠んだ名吟として広く知られている。平生は詩ができてもそのたびに棄てていたので、残存の持は少ない。日本でも林逋の詩は愛好され、貞享3年(1686年)の和刻本その他がある。
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川合玉堂の説明は改めて記載する必要も無いでしょうが下記のとおりです。
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川合玉堂:明治6年生まれ、昭和32年に没(1873年~1957年)、享年85歳愛知県出身、本名は芳三郎。初め京都で幸野楳嶺、望月玉泉に岡山派を学び、上京して橋本雅邦に狩野派を教わり、次第に両様式を統合して自己の画風を作りあげたが、深く伝統的な画体を把握して明治・大正の新時代的な形式と感情とをそれにもって、東京画壇におけるアカデミックな一代表様式を創造した。帝国美術院会員、東京美術学校教授を経て、帝室技芸員、芸術院会員となり、文化勲章を受ける。
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著名な画家の作品のついでに下記の作品は横山大観。
連峰 横山大観筆
絹本水墨 色紙3号 共箱
色紙ですが共箱入りです。「本物?」・・、野暮な質問はするものじゃない。