食事をあまり食べないで小生に叱られた息子は大泣。それでもいつもどおり小生と風呂に入って、添い寝で熟睡。ところが珍しく夜中に起きて眠そうにしながら、パソコンに向かっている小生らの書斎の前の廊下まで歩いてきて「パパ」・・。
しばらく寝付かないまま、小生の布団にもぐりこみ、ようやく再び寝付きました。このような可愛い時期はもうすぐ終わるらしい
近年のネットオークション上に数多くの「明末呉須赤絵」の作品が出品されています。「なんでも鑑定団」にて高値で評価された影響もあるのでしょうが、実際は2万~3万程度で落札されています。むろん真贋とともに時代の見極めが大切で清朝を下った作品は非常に評価が低いものとなり、虫喰の有無や状態・絵付の勢い・面白味、高台の砂付状態で評価は一変します。いくらいいものでも10万円はしないのが相場でしょう。なにしろもともと下手物の作品ですし、中国本国では相手にされない作品群です。
下記の説明のように日本だけの評価ですが、現代の日本人もこの器の面白さが理解できる御仁はそうはいますまい。
そういえば最近の「なんでも鑑定団」に同時期にて同じ窯で焼かれた染付の作品が出品されていました。染付は評価が低いのですが、なんと40万の評価額でした。このような染付の作品は当ブログでも何度か登場しています。なんでも鑑定団に出品された作品より絵付の面白さは数段上ですが、いくらなんでも40万円では買う人は誰もいません。
本作品と近似した明末赤絵の作品群もまた前に投稿したように「なんでも鑑定団」に出品されていますが、これも高値すぎます。当方でのブログにもこの作品群を投稿していますがこれもまた通常の価格の10倍の高値です。
「なんでも鑑定団」では鑑定を間違えることは時折しかありませんが、常に評価金額は通常の価格の5倍から10倍の高値の高値ということを心得ておく必要があります。この値段で引取りなら小生はすべて売却します。骨董に価格の妄想は禁物です。
さて本日の作品はこれらの作品群を産出した漳州窯の作品のひとつです。「天下一」と記された作品は数多く存在し、こちらもむろんそれほどの高値ではありません。
明末呉須赤絵 天下一大皿
合箱入
口径350*高台径180*高さ75
別称として「五彩天下一魚文盤」と称される作品で、製作時代は明時代 17世紀、窯は漳州窯で呉州赤絵の作品に属します。いかにもえらそうな名称ですが、これらは下手物には相違ありません。
本ブログになんども登場してる「呉須赤絵」の作品ですが、改めて説明しますと
「呉須赤絵は日本との関わりが深く日本では、呉須赤絵と呼ばれていますが、欧米では広東省北部の汕頭付近で作られたと考え、「スワトウウエア」(汕頭磁器)と呼んでいます。製作年代は,明末~清初(16世紀後半~17世紀)頃で、製作地は今まで福建省南部から広東省北部とされていましたが、近来、明時代の漳州窯(漳州地域 福建省南端部)に、分布する事が明らかになってきました。今後は益々、窯址研究が進んで行くと思われます。
又、呉州手の磁器は、ヨーロッパのみならず世界各地に輸出され(東南アジアから西アジア、アフリカに広がるイスラム圏)東西交流の焼物史資料として貴重なものです。日本との関わりは古伊万里や古九谷、吉田屋は勿論のこと、江戸時代の多くの陶工(尾形乾山、奥田頴川)等が、この呉須赤絵を模写しています。しかし私見では日本で製作されたものとは根本的に味という点では違いがあるように思います。
なかでも、呉須赤絵写しの窯として愛知県の犬山焼は特筆すべきで、呉須赤絵の生産に関して群を抜いて居り、そしてそこから、雲錦手と言う独自の素晴しい作品が生まれました。近代では、北大路魯山人や荒川豊蔵等、昭和を代表する陶芸家達が、この呉須赤絵を忠実に写し、作品を残しています。
砂高台の粗雑な作りの磁器では有りますが、民窯の豪放な絵付等、江戸時代より日本人の感覚にマッチし珍重された事もうなずけます。この手の作品と同様な作品が「平凡社陶磁大系45 P45」に所載されていますが、天下一とは明らかに和語(安土桃山時代の流行した)で有り、日本向けに制作された事は疑いがありません。なお作品の多くは「天下一」が擦れて消えていることがあります。(本作品のように「天下一」が読み取れる作品は貴重です。)」
「天下一」は当時日本での流行語らしい?です。
釉薬が青味がかっていますので、安南手や犬山焼の疑いもありましたが、一応明末赤絵に相違ないように思われます。
虫喰は残念ながら?金繕いされています。
びっくりしたのは保存箱・・。これは立派ですが、大きさからもともと本作品の専用の保存箱とは思われません。さて、別の箱に転用するかな?
呉須赤絵の真骨頂はなんといっても絵の味ですね。それと古いこと・・。清初から下ると虫喰もなくなり、高台や釉薬も綺麗になり、絵付から筆の勢いも消え、ほとんど見るに値しない作品となります。
下手物には下手物の味というものがあります。綺麗になっては味が落ちるというものでしょう。この世にはそういう御仁や作品がたくさんあるものです。下手物を軽んじていると世の中はつまらないものです。かくいう小生もまた下手物の内らしい。
骨董と一緒に風呂に入ったり、布団の中で抱いて寝る輩が本当にいるようですが、それはちょっと異常です。骨董蒐集の本当のお宝は「いいものはいい」と感じることであり、真贋ばかりをどうのこうのとの事象では無いように思われます。むろん売買される骨董の評価額などは問題外。
しばらく寝付かないまま、小生の布団にもぐりこみ、ようやく再び寝付きました。このような可愛い時期はもうすぐ終わるらしい
近年のネットオークション上に数多くの「明末呉須赤絵」の作品が出品されています。「なんでも鑑定団」にて高値で評価された影響もあるのでしょうが、実際は2万~3万程度で落札されています。むろん真贋とともに時代の見極めが大切で清朝を下った作品は非常に評価が低いものとなり、虫喰の有無や状態・絵付の勢い・面白味、高台の砂付状態で評価は一変します。いくらいいものでも10万円はしないのが相場でしょう。なにしろもともと下手物の作品ですし、中国本国では相手にされない作品群です。
下記の説明のように日本だけの評価ですが、現代の日本人もこの器の面白さが理解できる御仁はそうはいますまい。
そういえば最近の「なんでも鑑定団」に同時期にて同じ窯で焼かれた染付の作品が出品されていました。染付は評価が低いのですが、なんと40万の評価額でした。このような染付の作品は当ブログでも何度か登場しています。なんでも鑑定団に出品された作品より絵付の面白さは数段上ですが、いくらなんでも40万円では買う人は誰もいません。
本作品と近似した明末赤絵の作品群もまた前に投稿したように「なんでも鑑定団」に出品されていますが、これも高値すぎます。当方でのブログにもこの作品群を投稿していますがこれもまた通常の価格の10倍の高値です。
「なんでも鑑定団」では鑑定を間違えることは時折しかありませんが、常に評価金額は通常の価格の5倍から10倍の高値の高値ということを心得ておく必要があります。この値段で引取りなら小生はすべて売却します。骨董に価格の妄想は禁物です。
さて本日の作品はこれらの作品群を産出した漳州窯の作品のひとつです。「天下一」と記された作品は数多く存在し、こちらもむろんそれほどの高値ではありません。
明末呉須赤絵 天下一大皿
合箱入
口径350*高台径180*高さ75
別称として「五彩天下一魚文盤」と称される作品で、製作時代は明時代 17世紀、窯は漳州窯で呉州赤絵の作品に属します。いかにもえらそうな名称ですが、これらは下手物には相違ありません。
本ブログになんども登場してる「呉須赤絵」の作品ですが、改めて説明しますと
「呉須赤絵は日本との関わりが深く日本では、呉須赤絵と呼ばれていますが、欧米では広東省北部の汕頭付近で作られたと考え、「スワトウウエア」(汕頭磁器)と呼んでいます。製作年代は,明末~清初(16世紀後半~17世紀)頃で、製作地は今まで福建省南部から広東省北部とされていましたが、近来、明時代の漳州窯(漳州地域 福建省南端部)に、分布する事が明らかになってきました。今後は益々、窯址研究が進んで行くと思われます。
又、呉州手の磁器は、ヨーロッパのみならず世界各地に輸出され(東南アジアから西アジア、アフリカに広がるイスラム圏)東西交流の焼物史資料として貴重なものです。日本との関わりは古伊万里や古九谷、吉田屋は勿論のこと、江戸時代の多くの陶工(尾形乾山、奥田頴川)等が、この呉須赤絵を模写しています。しかし私見では日本で製作されたものとは根本的に味という点では違いがあるように思います。
なかでも、呉須赤絵写しの窯として愛知県の犬山焼は特筆すべきで、呉須赤絵の生産に関して群を抜いて居り、そしてそこから、雲錦手と言う独自の素晴しい作品が生まれました。近代では、北大路魯山人や荒川豊蔵等、昭和を代表する陶芸家達が、この呉須赤絵を忠実に写し、作品を残しています。
砂高台の粗雑な作りの磁器では有りますが、民窯の豪放な絵付等、江戸時代より日本人の感覚にマッチし珍重された事もうなずけます。この手の作品と同様な作品が「平凡社陶磁大系45 P45」に所載されていますが、天下一とは明らかに和語(安土桃山時代の流行した)で有り、日本向けに制作された事は疑いがありません。なお作品の多くは「天下一」が擦れて消えていることがあります。(本作品のように「天下一」が読み取れる作品は貴重です。)」
「天下一」は当時日本での流行語らしい?です。
釉薬が青味がかっていますので、安南手や犬山焼の疑いもありましたが、一応明末赤絵に相違ないように思われます。
虫喰は残念ながら?金繕いされています。
びっくりしたのは保存箱・・。これは立派ですが、大きさからもともと本作品の専用の保存箱とは思われません。さて、別の箱に転用するかな?
呉須赤絵の真骨頂はなんといっても絵の味ですね。それと古いこと・・。清初から下ると虫喰もなくなり、高台や釉薬も綺麗になり、絵付から筆の勢いも消え、ほとんど見るに値しない作品となります。
下手物には下手物の味というものがあります。綺麗になっては味が落ちるというものでしょう。この世にはそういう御仁や作品がたくさんあるものです。下手物を軽んじていると世の中はつまらないものです。かくいう小生もまた下手物の内らしい。
骨董と一緒に風呂に入ったり、布団の中で抱いて寝る輩が本当にいるようですが、それはちょっと異常です。骨董蒐集の本当のお宝は「いいものはいい」と感じることであり、真贋ばかりをどうのこうのとの事象では無いように思われます。むろん売買される骨董の評価額などは問題外。