帰宅して着替えていると家内が寝室の扉にクリスマス飾りをしてありました。子供と小生は大はしゃぎ・・。
部屋の照明を消すとうっすらと見えるという畜光をするステッカーらしいです。子供は照明のスイッチを指さして「ママ、ピ!」と何度も点けたり消したりさせてじっくり見ていました。
100円ショップで買ったらしくふたつで200円也。
本日は南画の山水画の中で素人受する冬の景色を描いた山水図です。水墨は冬の情景を描くのに適した画材のように思われます。
この作品は中林竹洞の作品であり、中林竹洞のその6となり、詳細な説明は他の投稿作品を参考としていただくことでご了解願いたいと思います。
落款には描かれた年号が記されており、作品の題名は「天保浅絳冬景山水図」としております。
天保浅絳冬景山水図 中林竹洞筆 その6
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 田中柏陰鑑定箱
全体サイズ:縦1930*横560 画サイズ:縦1260*横410
「天保癸巳(みずのとみ、きし)清和月写 竹洞山人」とあり、1833年(天保3年)、55歳の時の作品であると解ります。清和月は旧暦の4月のことのようです。保存状態もよく、大幅で竹洞の作品中でも傑作の部類に入るかと思います。印章は「成昌之印」と「竹洞自□」の白文朱方印が押印されています。
鑑定箱には「大正十一年壬戌(みずのえいぬ、じんじゅつ)之秋日題画於□禅壷中 柏陰主人鑑 押印」とあります。
鑑定箱の「柏陰主人」は画家であり、竹田系統鑑定家の田中柏陰のことでしょう。
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田中柏陰:日本画家。静岡県生。本名は啓三郎、字を叔明。別号に静麓・孤立・柏舎主人・空相居士。京都に出て田能村直入に南画を学び、竹田・直入の画風を継ぐ青緑山水を能くした。京都と山口県右田に画塾を設け、多くの後進を育成し、関西南画壇の重鎮として活躍した。竹田系統鑑定家の第一人者でもある。昭和9年(1934)歿、69才。
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中林竹洞は南宋画的な絵よりも、色彩画の上品な味わいのある絵が竹洞の真骨頂といえます。他の本ブログでの紹介作品「汀蓮白鷺之図」がそれに相当する作品といえるでしょう。
竹洞の作品は特に印象が強いわけではなく、現在は画家としてそれほどの注目を集めていないのが現状です。しかし竹洞は『芥子園画伝』や『佩文斎書画譜』などの画論に精通していたのに加え、中国絵画を多く臨模して作画に活かしたことで、生存当時は日本文人画の第一人者と称された画家です。
日本の文人画家を論じる上で竹洞に注目すべきであり、さらに伝存作品、著作ともに多く、比較的容易にその精神に触れることができ、19世紀の文人画を理解するためには最も適当な画家であることには相違ないでしょう。そして何よりも真理を探求し、軽佻浮薄に流れない竹洞のストイックな生き方は共感をよぶものがあります。
その画風は清代文人画正統派の繊細な表現スタイルを踏襲。幕末日本文人画の定型です。長男・中林竹渓、三女・中林清淑も南画家です。
南画は明治以降はその魅力を失い、富岡鉄斎や松林桂月などの実力のある一部の画家を除いて優秀な画家が輩出されることもなく廃れいき、今ではまったく評価されていませんが、その魅力は作品の中で生き続けています。
サンタのステッカーに雪景山水図・・、今年の我が家のクリスマスは暖冬での雪不足にはならないようです。新しきもの、古きもの・・、どちらも愉しむのが現在を生きる我々の賢い暮らし方です。
部屋の照明を消すとうっすらと見えるという畜光をするステッカーらしいです。子供は照明のスイッチを指さして「ママ、ピ!」と何度も点けたり消したりさせてじっくり見ていました。
100円ショップで買ったらしくふたつで200円也。
本日は南画の山水画の中で素人受する冬の景色を描いた山水図です。水墨は冬の情景を描くのに適した画材のように思われます。
この作品は中林竹洞の作品であり、中林竹洞のその6となり、詳細な説明は他の投稿作品を参考としていただくことでご了解願いたいと思います。
落款には描かれた年号が記されており、作品の題名は「天保浅絳冬景山水図」としております。
天保浅絳冬景山水図 中林竹洞筆 その6
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 田中柏陰鑑定箱
全体サイズ:縦1930*横560 画サイズ:縦1260*横410
「天保癸巳(みずのとみ、きし)清和月写 竹洞山人」とあり、1833年(天保3年)、55歳の時の作品であると解ります。清和月は旧暦の4月のことのようです。保存状態もよく、大幅で竹洞の作品中でも傑作の部類に入るかと思います。印章は「成昌之印」と「竹洞自□」の白文朱方印が押印されています。
鑑定箱には「大正十一年壬戌(みずのえいぬ、じんじゅつ)之秋日題画於□禅壷中 柏陰主人鑑 押印」とあります。
鑑定箱の「柏陰主人」は画家であり、竹田系統鑑定家の田中柏陰のことでしょう。
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田中柏陰:日本画家。静岡県生。本名は啓三郎、字を叔明。別号に静麓・孤立・柏舎主人・空相居士。京都に出て田能村直入に南画を学び、竹田・直入の画風を継ぐ青緑山水を能くした。京都と山口県右田に画塾を設け、多くの後進を育成し、関西南画壇の重鎮として活躍した。竹田系統鑑定家の第一人者でもある。昭和9年(1934)歿、69才。
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中林竹洞は南宋画的な絵よりも、色彩画の上品な味わいのある絵が竹洞の真骨頂といえます。他の本ブログでの紹介作品「汀蓮白鷺之図」がそれに相当する作品といえるでしょう。
竹洞の作品は特に印象が強いわけではなく、現在は画家としてそれほどの注目を集めていないのが現状です。しかし竹洞は『芥子園画伝』や『佩文斎書画譜』などの画論に精通していたのに加え、中国絵画を多く臨模して作画に活かしたことで、生存当時は日本文人画の第一人者と称された画家です。
日本の文人画家を論じる上で竹洞に注目すべきであり、さらに伝存作品、著作ともに多く、比較的容易にその精神に触れることができ、19世紀の文人画を理解するためには最も適当な画家であることには相違ないでしょう。そして何よりも真理を探求し、軽佻浮薄に流れない竹洞のストイックな生き方は共感をよぶものがあります。
その画風は清代文人画正統派の繊細な表現スタイルを踏襲。幕末日本文人画の定型です。長男・中林竹渓、三女・中林清淑も南画家です。
南画は明治以降はその魅力を失い、富岡鉄斎や松林桂月などの実力のある一部の画家を除いて優秀な画家が輩出されることもなく廃れいき、今ではまったく評価されていませんが、その魅力は作品の中で生き続けています。
サンタのステッカーに雪景山水図・・、今年の我が家のクリスマスは暖冬での雪不足にはならないようです。新しきもの、古きもの・・、どちらも愉しむのが現在を生きる我々の賢い暮らし方です。