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福禄寿星像 鈴木百年・松年合作 その7

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本ブログの内容が難しいとか説明文が多すぎるという方がおられるかもしれませんが、これは骨董の整理上、やむをえないことで、とくだんブログ用に書いているものではありませんのでご了解願います。あくまでも本ブログの主目的は作品については作品整理の資料です。

さて本日の作品は福禄寿について・・、福禄寿について知っているつもりでも意外に知らないことが多いものです。

福禄寿は道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものです。

福禄寿星像 鈴木百年・松年合作
絹本水墨淡彩軸装 軸先 時代箱
全体サイズ:縦2090*横530 画サイズ:縦1250*横500



鈴木百年と松年父子の合作であることから明治24年以前の作品であると推察されます。福禄寿はもともと前述のように福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神であり、「寿星」を百年が描き、「福・禄星」を松年が描いた作品です。

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鈴木百年:文政8年(1825年)~明治24年(1891年)。名は世寿、俗称は図書。字は子孝、百年・大年・大椿翁と号した。通称は図書。天文・易学の大家であった鈴木星海の子で、円山派の大西椿年(ちんねん)に就いて画を学び、与謝蕪村の風を慕い諸派を折衷して一家を成し、鈴木派と称される新興流派を作り出し、幕末から明治にかけて急速に台頭した四条派の画家である。

山水人物画に巧みであった。北宗科の教師として京都府画学校教諭となり、後進に指導に当たった。天文学に精通、陰陽寮に出仕。岸岱、岸連山、狩野永岳、小田海僊らと親交があった。鈴木松年はその子で、弟子に今尾景年久保田米僊、がいる。門人がおおく鈴木派と称された。明治24年12月26日死去。享年67歳。最晩年には田淵家に滞在していたという記録が残る。通称図書。「競馬図屏風」(稲荷神社蔵)の遺作がある。

 

鈴木松年(すずき-しょうねん):(1848~1918)明治-大正時代の日本画家。嘉永元年6月14日生まれ。鈴木百年の長男。幼少のころより父にまなぶ。

明治14年京都府画学校の教員となる。人物画を得意とし,いま(曾我)蕭白(しょうはく)といわれた。内国勧業博覧会などで受賞。上村松園の最初の師。大正7年1月29日死去。71歳。京都出身。名は賢。初号は百僊(ひゃくせん)。

上村松園の最初の師であり、上村松篁は子息。印名は「世賢」 「鈴木世賢」 「百僊」(「百仙」) 「松年」 「松年僊史」(「松年仙史」)「梥年」 「源僊」 「老龍館主」 「老龍館松年」 「天龍叟鈴木賢松年印」 「芭蕉雨梅花雪」「東錦楼」 「一日席画千枚之一」 「楊柳風悟桐月」 「粟畏雨雙霜擢」「菅公千年祭梅松千畫一鈴木世賢筆」 など

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福禄寿(ふくろくじゅ):七福神の一つ。道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものである。

宋の道士・天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。 福禄人(ふくろくじん)とも言われる。

福禄寿はもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神である。中国において明代以降広く民間で信仰され、春節には福・禄・寿を描いた「三星図」を飾る風習がある。福星は木星(十二次では歳星)とされ、多くは裕福な官服を着た黒髪の姿で三者の中心に描かれる。禄星は「禄」 lù が「緑」 lù と同音のため緑色の服装で、豊かさを表す金銭や嬰児を抱いた姿で描かれることが多い。寿星は南極老人星(カノープス)とされ、容貌は時期によって諸説あるが近代以降は禿げた長大な頭に白ひげをたくわえた老人とされることが多く、また厳密にはもともとこの寿星(南極老人)が単独で日本に伝わったのが寿老人である。

三星図は実にさまざまな形態で描かれるが、三者それぞれを人の姿ではなく意味や音韻に関連性がある象徴物として描くものも多く、そのバリエーションは多岐にわたる。中には、寿星だけを老人の姿で描き、その左右に福星を蝙蝠として(「福」 fú と「蝠」 fú が中国では同音のため)、禄星を鹿として(「禄」 lù と「鹿」 lù がやはり同音のため)描いたものなどもあり、こういった伝来物が日本人には二物を伴った一人の神に見えたため、日本においては福禄寿を三人ではなく一人の神格とする認識が流布したと考えられる。中国では、鶴・鹿・桃を伴うことによって、福・禄・寿を象徴する三体一組の神像や、コウモリ・鶴・松によって福・禄・寿を具現化した一幅の絵などが作られ広く用いられた。また、背が低く、長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴っている像とされる。 真言は「オン マカシリ ソワカ」。

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小生は日頃より七福神が好きで、骨董書画でも七福神について気に入ったものについて懐が許す範囲であれば購入しております。

その恩恵があってか還暦を過ぎてから、初めての子宝に恵まれました

「希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)」のようですが、あとの二つは??? 欲を持ちすぎてはいけません

上村松園は鈴木松年とのあいだに上村松篁という画家を生み、鈴木松年の長男は大成せず、鈴木松年が亡くなった7年後に亡くなっています。

とにもかくにも骨董というもの、古いもの、縁起物は大切にしないとご利益がないどころか、運から見放されることすらあるものです。

本ブログに投稿される作品の出来としてはそれほどでもなく、本ブログの内容も拙い資料ですが、作品を整理していくと意外に知識は深まるものらしい???









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