忘れ去られた画家と称してよいかっも知れませが、根強い人気はある画家のようです。ただ多作であったようで、きちんと出来不出来を見極めて蒐集する必要がありそうです。
梢上双禽図 渡辺省亭筆 その8
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1795*横545 画サイズ:縦1022*横418
「渡辺省亭は非常にモダンで洒脱な画を描く花鳥画家で、日本のみならず海外でも人気がある。ただ、今は省亭のような非常に巧い作家よりも味わい深い画を描く作家の方が評価される時代。」という「なんでも鑑定団」に出品された作品での渡辺省亭に対する評価です。
生存当時から省亭の作品は来日外国人に好まれ、多くが海外へ流出したそうです。メトロポリタン美術館、ボストン美術館、大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、ライデン国立民族学博物館、ベルリン東洋美術館、ウィーン工芸美術館など、多くの国外美術館・博物館に省亭の作品が所蔵されています。
省亭は菊池容斎から学んでいますが、菊池容斎が得意とした歴史人物画ではなく、柴田是真に私淑し、花鳥画に新機軸を開いています。一説には、元々省亭は是真に弟子入りしようとしたのですが、菊池容斎の方がいいだろうという是真の紹介で、容斎に入門することになったとあります。
2年強から3年間と正確には不明だそうですがパリに滞在していた期間があり、省亭は印象派のサークルに参加しており、1878年10月末から11月末頃にエドガー・ドガに鳥の絵をあげたと逸話があります。また、省亭がこの頃の万博に出品した絵を、エドゥアール・マネの弟子のイタリア人画家が描法の研究のため購入したと伝えられています。いずれにしても渡辺省亭の花鳥画が日本の特有のものとして高く評価されてのことでしょう。
帰国後の明治14年(1881年)第二回勧業博覧会では「過雨秋叢図」で妙技三等賞を受賞。明治17年(1885年)からはフェノロサらが主催した鑑画会に参加、明治19年(1887年)の第二回鑑画会大会に出品した「月夜の杉」で二等褒状。ただしこれらの作品は所在不明で、図様すら分からないそうです。
「月夜に杉」を想像させるような画題の作品は当ブログでも紹介しています。
しかし、明治26年(1893年)のシカゴ万博博覧会に出品した代表作「雪中群鶏図」を最後に、殆どの展覧会へ出品しなくなります。
その理由として、博覧会・共進会の審査のあり方に不満をもったためと資料では説明されています。ただし、明治37年のセントルイス万国博覧会には出品し、金牌を受賞したとする資料もあります。
いずれにしろ作品の詳細が不明で、しかも多くの作品が海外にあるため、日本での知る人が少ない「忘れ去られた画家」となっています。
本作品と同図に近い作品がインターネット上にありました。
弟子は1年か2年ほど入門した水野年方以外はとらず、親友と呼べる画家は平福穂庵(平福百穂の父)と菅原白龍くらいで、一匹狼の立場を貫いたそうですが、本人の性格からもあるようで、言いたいことは歯に衣着せず、大正2年(1913年)第7回文展に出品された竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂らの作品を、技法・技術面から画家の不勉強と指摘しています。
息子で俳人の渡辺水巴は父譲りの達者な筆で絵を描きますが、父から「扇子は折目が大切なのである。その折目の高低に乗ってすらすらと筆を運べなければ、扇面に書く資格は無い。」と指導されたと追憶しています。
省亭は悠々自適な作画制作を楽しんだ後、日本橋浜町の自宅で68歳で亡くなっており、省亭の忌日を、親しい人々は花鳥忌と呼んだといいます。
ご存知のように平成20年の特殊切手「切手趣味週間」の図案は渡辺省亭の作品です。
林原美術館所蔵の花鳥十二ヶ月図から四作、山種美術館所蔵から一作が選ばれた作品です。林原美術館所蔵の作品は六曲一双の押絵張屏風ですが、日本に遺っている大作の少ない省亭にとっては、一つのまとまった作品として貴重な存在です。
海外で評価されている渡辺省亭、神坂雪佳など日本人よりも海外の人のほうが徐々に日本人よりも日本美術に目利きになってきているようです。明治維新などのように日本人が美術の鑑賞どころではない時勢には、海外のほうが日本のいいものを評価してくれるようです。今の日本もどうも美術の鑑賞には眼が向いていない、とくに古いものを大切にしていないようですね。
ただ、渡辺省亭の作品には海外に媚びたような、日本的感覚を全面に出しすぎたようなひ弱さが絵にあります。そこが出来不出来の差になっている面もありますので、蒐集にはそのところをわきまえて評価したほうがいいように思います。蒐集は盲目的になってはいけない面もまたあるようです。ブログなどで作品を整理したり、調べていくと徐々に解ることが真贋以外のことがたくさんありますね。真贋のことなど些少なことのように思えます。
梢上双禽図 渡辺省亭筆 その8
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1795*横545 画サイズ:縦1022*横418
「渡辺省亭は非常にモダンで洒脱な画を描く花鳥画家で、日本のみならず海外でも人気がある。ただ、今は省亭のような非常に巧い作家よりも味わい深い画を描く作家の方が評価される時代。」という「なんでも鑑定団」に出品された作品での渡辺省亭に対する評価です。
生存当時から省亭の作品は来日外国人に好まれ、多くが海外へ流出したそうです。メトロポリタン美術館、ボストン美術館、大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、ライデン国立民族学博物館、ベルリン東洋美術館、ウィーン工芸美術館など、多くの国外美術館・博物館に省亭の作品が所蔵されています。
省亭は菊池容斎から学んでいますが、菊池容斎が得意とした歴史人物画ではなく、柴田是真に私淑し、花鳥画に新機軸を開いています。一説には、元々省亭は是真に弟子入りしようとしたのですが、菊池容斎の方がいいだろうという是真の紹介で、容斎に入門することになったとあります。
2年強から3年間と正確には不明だそうですがパリに滞在していた期間があり、省亭は印象派のサークルに参加しており、1878年10月末から11月末頃にエドガー・ドガに鳥の絵をあげたと逸話があります。また、省亭がこの頃の万博に出品した絵を、エドゥアール・マネの弟子のイタリア人画家が描法の研究のため購入したと伝えられています。いずれにしても渡辺省亭の花鳥画が日本の特有のものとして高く評価されてのことでしょう。
帰国後の明治14年(1881年)第二回勧業博覧会では「過雨秋叢図」で妙技三等賞を受賞。明治17年(1885年)からはフェノロサらが主催した鑑画会に参加、明治19年(1887年)の第二回鑑画会大会に出品した「月夜の杉」で二等褒状。ただしこれらの作品は所在不明で、図様すら分からないそうです。
「月夜に杉」を想像させるような画題の作品は当ブログでも紹介しています。
しかし、明治26年(1893年)のシカゴ万博博覧会に出品した代表作「雪中群鶏図」を最後に、殆どの展覧会へ出品しなくなります。
その理由として、博覧会・共進会の審査のあり方に不満をもったためと資料では説明されています。ただし、明治37年のセントルイス万国博覧会には出品し、金牌を受賞したとする資料もあります。
いずれにしろ作品の詳細が不明で、しかも多くの作品が海外にあるため、日本での知る人が少ない「忘れ去られた画家」となっています。
本作品と同図に近い作品がインターネット上にありました。
弟子は1年か2年ほど入門した水野年方以外はとらず、親友と呼べる画家は平福穂庵(平福百穂の父)と菅原白龍くらいで、一匹狼の立場を貫いたそうですが、本人の性格からもあるようで、言いたいことは歯に衣着せず、大正2年(1913年)第7回文展に出品された竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂らの作品を、技法・技術面から画家の不勉強と指摘しています。
息子で俳人の渡辺水巴は父譲りの達者な筆で絵を描きますが、父から「扇子は折目が大切なのである。その折目の高低に乗ってすらすらと筆を運べなければ、扇面に書く資格は無い。」と指導されたと追憶しています。
省亭は悠々自適な作画制作を楽しんだ後、日本橋浜町の自宅で68歳で亡くなっており、省亭の忌日を、親しい人々は花鳥忌と呼んだといいます。
ご存知のように平成20年の特殊切手「切手趣味週間」の図案は渡辺省亭の作品です。
林原美術館所蔵の花鳥十二ヶ月図から四作、山種美術館所蔵から一作が選ばれた作品です。林原美術館所蔵の作品は六曲一双の押絵張屏風ですが、日本に遺っている大作の少ない省亭にとっては、一つのまとまった作品として貴重な存在です。
海外で評価されている渡辺省亭、神坂雪佳など日本人よりも海外の人のほうが徐々に日本人よりも日本美術に目利きになってきているようです。明治維新などのように日本人が美術の鑑賞どころではない時勢には、海外のほうが日本のいいものを評価してくれるようです。今の日本もどうも美術の鑑賞には眼が向いていない、とくに古いものを大切にしていないようですね。
ただ、渡辺省亭の作品には海外に媚びたような、日本的感覚を全面に出しすぎたようなひ弱さが絵にあります。そこが出来不出来の差になっている面もありますので、蒐集にはそのところをわきまえて評価したほうがいいように思います。蒐集は盲目的になってはいけない面もまたあるようです。ブログなどで作品を整理したり、調べていくと徐々に解ることが真贋以外のことがたくさんありますね。真贋のことなど些少なことのように思えます。