本日は同級生が亡くなり、葬儀に出席のため朝から郷里まで・・、同級会もさびしくなります。
本ブログに何度か投稿している明末の呉須赤絵の作品ですが、「なんでも鑑定団」に何点か出品されています。
今週の「なんでも鑑定団」にも同類の「天下一」銘の皿が出品されていました。この作品と同じ部類の作品は本ブログにも投稿されています。
なんでも鑑定団の評には「約400年前の中国明王朝後期に、南方の漳州市一帯で作られた呉須赤絵の皿。当時の日本から東南アジア一帯に広く使われた。筆が走っており、赤の草花文に緑で描いた魚がぴょんぴょん跳ねている。依頼品は見込みが擦れてしまっているが、よく見ると中心に「天下一」と書いてあったことがわかる。その周囲に十干十二支の二十四文字がぐるりと書いてあり、大変おめでたい図。ただし縁がぶちぶちと欠けてしまっている。それがなければ50万円。」とあります。
本作品は「天下一」の銘が残っていますが、その周囲も「十干十二支の二十四文字」は省略化されています。虫喰部分は金繕いされておりますが、縁が欠けているものではなく、もともと焼成時に釉薬が胎土と収縮率が違うことから釉薬がはがれ跡で、景色として評価されているものです。
本ブログの作品がいかほどの評価は知りませんが、50万円では小生にとっては高値(高嶺)の華です。
流布される金額・・50万(鑑定団の価格)
実際に売る金額・・20万~30万万ほど(値引きということで安く売ったように客に思わせる)
骨董商の利益・・・15万~20万
仕入れ価格・・・・5万~10万(実際に骨董商が引き取る最高の価格)
これが現在の価格設定と推察されます。利益が暴利か否かは別として、骨董商はそういうものです。購入側は大幅な損ということです。これではいくらなんでも現在の流通価格からはかけ離れており、こういう価格ではそのうち骨董商は売れなくなるでしょうね。インターネットなどの普及により小生は店としての骨董商は無くなると思っています。
本日もまた明末呉須赤絵の作品ですが、前にも記述したようにこの作品群は絵の出来如何で良し悪しが決まります。それと古趣ですね。明末以降の清の時代のなると古趣が大きく劣る作品となりますので、このあたりを理解して評価していく必要があります。
明末呉須赤絵花鳥文尺皿
杉古箱入
全体サイズ:口径338*高台径*高さ71
現在の市場では明末の完品で出来の良い作品が10万程度、清初だと2万程度? 否、値段がつかない状況でしょう。本作品のように補修跡があると基本的には評価には影響しないという御仁もいますが、評価は半分程度になるかもしれません。
一時期はかなり高い評価を受けていたのでしょうが、現在は古趣ということを理解する人が少なくなったのでしょう、評価は思いのほか低いものです。
茶道においても使う機会は少なく、鉢などを水指に見立てて使う程度でしょう。綺麗なもの、完品を好む方が多くなり、煎茶も愛好家が少なくなり、とくに女性が茶道に多いことから、このような重い器は敬遠される傾向にあるようです。この器で重いといのが小生には理解できないのですが・・。
数も多くあり、最近はインターネットオークションへの出品が多くなり、その落札価格は上記のとおりです。
ちょっと贅沢な普段使いにはぴったりです。本来の古趣には赤絵を模倣した京焼、犬山焼、作家作品などは足元にも及びません。
尺皿などの飾り皿や普段使いの七寸皿、鉢などひとつとしてまったく同じ図柄はなく実に多彩な作品群です。清初になる作品群も多くありますが、まずは虫喰いのない一見して綺麗な作品は評価は蒐集対称とはなりません。赤絵ではく染付のものを古染付と称し居るようですが、それは議論のあるところです。
中国にはまったく作品が遺っていないというのも痛快です。
とにもかくにもこのような洒脱な絵が描かれた作品群は大切にしたいものですね。
明末赤絵は市場に溢れています。ただ面白きもの、時代のあるものは非常に少ないので前述のようになんでもいいというのは禁物です。補修跡があっても面白いものを選ぶのが得策です。
ひとつの目安として、「虫喰い」の無いもの、高台周りが綺麗なもの(本作品でも綺麗なほうです)は絵も面白くなく、作品としてもとるにたらないものと思って相違ないようです。
後世に伝えられるものを残すことに費やす時間が少しずつ着実に少なくなっていきます。
本ブログに何度か投稿している明末の呉須赤絵の作品ですが、「なんでも鑑定団」に何点か出品されています。
今週の「なんでも鑑定団」にも同類の「天下一」銘の皿が出品されていました。この作品と同じ部類の作品は本ブログにも投稿されています。
なんでも鑑定団の評には「約400年前の中国明王朝後期に、南方の漳州市一帯で作られた呉須赤絵の皿。当時の日本から東南アジア一帯に広く使われた。筆が走っており、赤の草花文に緑で描いた魚がぴょんぴょん跳ねている。依頼品は見込みが擦れてしまっているが、よく見ると中心に「天下一」と書いてあったことがわかる。その周囲に十干十二支の二十四文字がぐるりと書いてあり、大変おめでたい図。ただし縁がぶちぶちと欠けてしまっている。それがなければ50万円。」とあります。
本作品は「天下一」の銘が残っていますが、その周囲も「十干十二支の二十四文字」は省略化されています。虫喰部分は金繕いされておりますが、縁が欠けているものではなく、もともと焼成時に釉薬が胎土と収縮率が違うことから釉薬がはがれ跡で、景色として評価されているものです。
本ブログの作品がいかほどの評価は知りませんが、50万円では小生にとっては高値(高嶺)の華です。
流布される金額・・50万(鑑定団の価格)
実際に売る金額・・20万~30万万ほど(値引きということで安く売ったように客に思わせる)
骨董商の利益・・・15万~20万
仕入れ価格・・・・5万~10万(実際に骨董商が引き取る最高の価格)
これが現在の価格設定と推察されます。利益が暴利か否かは別として、骨董商はそういうものです。購入側は大幅な損ということです。これではいくらなんでも現在の流通価格からはかけ離れており、こういう価格ではそのうち骨董商は売れなくなるでしょうね。インターネットなどの普及により小生は店としての骨董商は無くなると思っています。
本日もまた明末呉須赤絵の作品ですが、前にも記述したようにこの作品群は絵の出来如何で良し悪しが決まります。それと古趣ですね。明末以降の清の時代のなると古趣が大きく劣る作品となりますので、このあたりを理解して評価していく必要があります。
明末呉須赤絵花鳥文尺皿
杉古箱入
全体サイズ:口径338*高台径*高さ71
現在の市場では明末の完品で出来の良い作品が10万程度、清初だと2万程度? 否、値段がつかない状況でしょう。本作品のように補修跡があると基本的には評価には影響しないという御仁もいますが、評価は半分程度になるかもしれません。
一時期はかなり高い評価を受けていたのでしょうが、現在は古趣ということを理解する人が少なくなったのでしょう、評価は思いのほか低いものです。
茶道においても使う機会は少なく、鉢などを水指に見立てて使う程度でしょう。綺麗なもの、完品を好む方が多くなり、煎茶も愛好家が少なくなり、とくに女性が茶道に多いことから、このような重い器は敬遠される傾向にあるようです。この器で重いといのが小生には理解できないのですが・・。
数も多くあり、最近はインターネットオークションへの出品が多くなり、その落札価格は上記のとおりです。
ちょっと贅沢な普段使いにはぴったりです。本来の古趣には赤絵を模倣した京焼、犬山焼、作家作品などは足元にも及びません。
尺皿などの飾り皿や普段使いの七寸皿、鉢などひとつとしてまったく同じ図柄はなく実に多彩な作品群です。清初になる作品群も多くありますが、まずは虫喰いのない一見して綺麗な作品は評価は蒐集対称とはなりません。赤絵ではく染付のものを古染付と称し居るようですが、それは議論のあるところです。
中国にはまったく作品が遺っていないというのも痛快です。
とにもかくにもこのような洒脱な絵が描かれた作品群は大切にしたいものですね。
明末赤絵は市場に溢れています。ただ面白きもの、時代のあるものは非常に少ないので前述のようになんでもいいというのは禁物です。補修跡があっても面白いものを選ぶのが得策です。
ひとつの目安として、「虫喰い」の無いもの、高台周りが綺麗なもの(本作品でも綺麗なほうです)は絵も面白くなく、作品としてもとるにたらないものと思って相違ないようです。
後世に伝えられるものを残すことに費やす時間が少しずつ着実に少なくなっていきます。