週末はなにかと気忙しく相変わらず展示作品は代わり映えしない状態ですが、本日紹介する作品を1階の展示室に置いてみました。
本作品は唐津焼に分類されています。ご存知の方はご存知、知らない方はまったく知らない焼き物群ですね。本ブログでは二度目の投稿となります。一回目の投稿作品は「氏素性の解らぬ作品」・・・。氏素性が知れてきたようです。
松絵紋二彩唐津水甕 古弓野焼
漆蓋 合箱
口径320*胴径355*高台径130*高さ295
絵の力強さ、刷毛目も充分で、大きさ・造形美の魅力を備えています。一作品目は水指に使用されているおとなしい作品(松絵紋二彩唐津水指 伝古弓野焼 漆蓋 合箱(所蔵印在) 口径96*胴径175*底径*高さ145)でしたが、本作品は実にのびのびとちしています。
下部の刷毛目の文様は波のようにも見え、弓野焼や二川窯などの松絵甕の作品群の中でも優品といえます。
弓野焼との双方の判別は非常に難しく、時代の特定も難しい作品群でありますが、出来の良さなどから江戸期の弓野焼と思われます。
「弓野焼」、「二川焼」、「二彩唐津」、「武雄唐津」を総称して「古武雄(コダケオ)」と称しています。
江戸時代前期に作られた古武雄の水甕などは、かつては民藝陶器の分野に入れられていたものですが、当地の陶芸家で人間国宝の中島宏氏がこれを収集・研究して肥前陶磁史上に古武雄として確立ました。
鉄分を含んだ赤い土をろくろの上で立ち上げ、回して形を作る。そして回しながら水に溶かした白泥を刷毛目で塗っていくため、白い部分に濃淡が出て、絵が浮き上がります。
鉄絵具で一気呵成に松を描き、裏には岩を描いています。
この力強さに棟方志功も感動して半日口をきかなかったといい、またピカソはこれこそ本物の芸術だとうなったといわれています。
水を入れていたなどの日常雑器です。当然、使用されていたもので痛みもあります。胎土が柔らかく焼成も甘い(低温で長時間焼いているからヒビが入りやすい)ことから、殆どの残っている品に破損やひび割れが見られるのも特徴です。
購入時は中にはごみが溜まっていました、今もそのまま??
本ブログでも紹介されている人間国宝の青磁陶芸家・中島宏氏の紹介が無ければ、今でもきっとただの民藝品であったかもしれません。
*佐賀県西部の武雄市に住み、弓野に窯を築いている人間国宝の青磁陶芸家・中島宏氏が最大のコレクターである。2002年に根津美術館が、「知られざる唐津」と銘打ち、中島さんのコレクションを中心に、大きな展覧会を開いている。
ただ弓野焼の作品は棟方志巧によって見出され、民芸ブランドとして認知されています。柳宗悦らの民藝運動にて紹介されたことによって注目されたようですが、すでに戦前の山中商会の古民藝売立目録などにも紹介されています。その美しさに気が付いて昔から収集された方も多くいたと思われます。
口縁には大きな補修跡があります。このように丁寧な補修があるということ自体が価値を認めていた人が所蔵していたことが窺われます。ただ、現在はまた忘れ去れている陶磁器群のようで、廉価にて市場に出回っていることがあります。廉価で購入した作品ですが、よく観ると実に味わいが深い作品のように思います。
あまり馴染みがない作品でしょうから、下記に参考作品を列記しました。
参考作品
(日本民藝館所蔵)
唐津 武雄南部系弓野
江戸時代 17世紀後半
31.2 x 32.8cm
なんでも鑑定団にも数週間前に出品されていましたが、その前にも出品されています。
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弓野焼:佐賀県武雄市弓野弓野焼(肥前国杵島郡西川登村大字小田志字弓野:佐賀県武雄市西川登町小田志字弓野)で焼かれた陶磁器。江戸の中期頃(寛永年間)から焼かれたと言われ、陶器は1532年(天文2年)より淵小七が企業したと伝えられます。1694年(元禄7年)になり江口林平が初めて磁器製造を開始し、その子福田林平が有田焼に倣って改良、さらに1839年(天保10年)頃再び改良して日用諸種の器を製造しました。明治の中期になり朝鮮向けの磁器または博多大形の模造をなす者がありました。この窯は1897年(明治30年)頃まで松の絵の水飯洞・提鉢をつくっていました。
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参考作品
松絵紋壷 古弓野焼 江戸前期
なんでも鑑定団出品
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二川窯:筑後国(現、福岡県)三池郡二川で焼かれた陶磁器。江戸時代末期頃に陶土の原料が発見され、弓野焼の職人を招いて製作された。刷毛目地に、鉄、銅で松などの絵付けをしたものが多い。
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参考作品
愛知県陶磁美術館蔵
これらの作品もまた、力強く器面に踊る老松の幹は、濃い鉄釉で縁取りされており、さらにこれを引き立たせています。前面に薄く透明釉がかけられていますが、幹の部分など馴染みの悪い部分も認められるようです。
上記の参考作品より本作品は出来が格段に良い。平べったい感じのする形や松の絵の色が濃いものなどよりは小生好みの作品です。
購入価格は2万円しなかったお買い得作品です。 これが目利きの骨董の相場です
お気に入りの絵の前に飾ってみました。敷板は庭にあったという欅の根をスライスしたそのままのもの。
本作品は唐津焼に分類されています。ご存知の方はご存知、知らない方はまったく知らない焼き物群ですね。本ブログでは二度目の投稿となります。一回目の投稿作品は「氏素性の解らぬ作品」・・・。氏素性が知れてきたようです。
松絵紋二彩唐津水甕 古弓野焼
漆蓋 合箱
口径320*胴径355*高台径130*高さ295
絵の力強さ、刷毛目も充分で、大きさ・造形美の魅力を備えています。一作品目は水指に使用されているおとなしい作品(松絵紋二彩唐津水指 伝古弓野焼 漆蓋 合箱(所蔵印在) 口径96*胴径175*底径*高さ145)でしたが、本作品は実にのびのびとちしています。
下部の刷毛目の文様は波のようにも見え、弓野焼や二川窯などの松絵甕の作品群の中でも優品といえます。
弓野焼との双方の判別は非常に難しく、時代の特定も難しい作品群でありますが、出来の良さなどから江戸期の弓野焼と思われます。
「弓野焼」、「二川焼」、「二彩唐津」、「武雄唐津」を総称して「古武雄(コダケオ)」と称しています。
江戸時代前期に作られた古武雄の水甕などは、かつては民藝陶器の分野に入れられていたものですが、当地の陶芸家で人間国宝の中島宏氏がこれを収集・研究して肥前陶磁史上に古武雄として確立ました。
鉄分を含んだ赤い土をろくろの上で立ち上げ、回して形を作る。そして回しながら水に溶かした白泥を刷毛目で塗っていくため、白い部分に濃淡が出て、絵が浮き上がります。
鉄絵具で一気呵成に松を描き、裏には岩を描いています。
この力強さに棟方志功も感動して半日口をきかなかったといい、またピカソはこれこそ本物の芸術だとうなったといわれています。
水を入れていたなどの日常雑器です。当然、使用されていたもので痛みもあります。胎土が柔らかく焼成も甘い(低温で長時間焼いているからヒビが入りやすい)ことから、殆どの残っている品に破損やひび割れが見られるのも特徴です。
購入時は中にはごみが溜まっていました、今もそのまま??
本ブログでも紹介されている人間国宝の青磁陶芸家・中島宏氏の紹介が無ければ、今でもきっとただの民藝品であったかもしれません。
*佐賀県西部の武雄市に住み、弓野に窯を築いている人間国宝の青磁陶芸家・中島宏氏が最大のコレクターである。2002年に根津美術館が、「知られざる唐津」と銘打ち、中島さんのコレクションを中心に、大きな展覧会を開いている。
ただ弓野焼の作品は棟方志巧によって見出され、民芸ブランドとして認知されています。柳宗悦らの民藝運動にて紹介されたことによって注目されたようですが、すでに戦前の山中商会の古民藝売立目録などにも紹介されています。その美しさに気が付いて昔から収集された方も多くいたと思われます。
口縁には大きな補修跡があります。このように丁寧な補修があるということ自体が価値を認めていた人が所蔵していたことが窺われます。ただ、現在はまた忘れ去れている陶磁器群のようで、廉価にて市場に出回っていることがあります。廉価で購入した作品ですが、よく観ると実に味わいが深い作品のように思います。
あまり馴染みがない作品でしょうから、下記に参考作品を列記しました。
参考作品
(日本民藝館所蔵)
唐津 武雄南部系弓野
江戸時代 17世紀後半
31.2 x 32.8cm
なんでも鑑定団にも数週間前に出品されていましたが、その前にも出品されています。
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弓野焼:佐賀県武雄市弓野弓野焼(肥前国杵島郡西川登村大字小田志字弓野:佐賀県武雄市西川登町小田志字弓野)で焼かれた陶磁器。江戸の中期頃(寛永年間)から焼かれたと言われ、陶器は1532年(天文2年)より淵小七が企業したと伝えられます。1694年(元禄7年)になり江口林平が初めて磁器製造を開始し、その子福田林平が有田焼に倣って改良、さらに1839年(天保10年)頃再び改良して日用諸種の器を製造しました。明治の中期になり朝鮮向けの磁器または博多大形の模造をなす者がありました。この窯は1897年(明治30年)頃まで松の絵の水飯洞・提鉢をつくっていました。
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参考作品
松絵紋壷 古弓野焼 江戸前期
なんでも鑑定団出品
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二川窯:筑後国(現、福岡県)三池郡二川で焼かれた陶磁器。江戸時代末期頃に陶土の原料が発見され、弓野焼の職人を招いて製作された。刷毛目地に、鉄、銅で松などの絵付けをしたものが多い。
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参考作品
愛知県陶磁美術館蔵
これらの作品もまた、力強く器面に踊る老松の幹は、濃い鉄釉で縁取りされており、さらにこれを引き立たせています。前面に薄く透明釉がかけられていますが、幹の部分など馴染みの悪い部分も認められるようです。
上記の参考作品より本作品は出来が格段に良い。平べったい感じのする形や松の絵の色が濃いものなどよりは小生好みの作品です。
購入価格は2万円しなかったお買い得作品です。 これが目利きの骨董の相場です
お気に入りの絵の前に飾ってみました。敷板は庭にあったという欅の根をスライスしたそのままのもの。