先週末は家族全員で花見。
近くの桜並木ばかりではと、山へ分け入りました。ついでに太陽光発電も見学。
桜はやはり自然に咲く山の桜です。
貝母の花を見つけました。
紫だいこんの花も・・。
後日、所有者に了解を得て貝母の花を分けてもらいに採りにいきました。息子は大はしゃぎ・・。
お手伝いのご褒美にレストランで食事。
相変わらず「うめ~」と・・。
本日は明治新政府の技官としての半生の上に、植物学の深い造詣を基礎とし、南画に写生の技法を加えた清新な山岳風景画を描いた高島北海の作品です。今回で四作品目の投稿となります。ヨーロッパ視察に際してはフランスのナンシーに3年間在学しており、アールヌーボーと日本の関係を結びつけた人としても評価されています。詳細は他の作品紹介を参考にしてください。
終南山之図 高島北海筆
絹本水墨軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横659*縦2181 画サイズ:横506*縦1265
賛には「興来毎独往 勝事空自知 行到水窮処 坐看雲起時 北海漁叟寫并山緑□□詩 押印」とあり、「北海」の朱文白方印が押印されています。賛は王維の漢詩「終南別業」の一節。
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漢詩本文
終南別業
(入山寄城中故人)王維
中歳頗好道、晩家南山陲。
興来毎独往、勝事空自知。
行到水窮処、坐看雲起時。
偶然値林叟、談笑無還期。
概略
終南山の別荘で
(城内の友人に届ける)
中年になってから頗(少しばかり)仏教の教えにしたがってきましたし、歳をとってきたので終南山の陲(麓)に家を構えました。
物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。
修行は水が湧き出るところ見つけ出すように励んでいるし、座禅をして半眼で、雲が湧き出るところを見ている。
時に出会った木こりのおじいさんと話をはじめたら帰る時を忘れました。
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解説
初句の「中歳頗好道」は中歳+頗好道で、次の句は晩家+南山陲で、中歳は中年、歳は動詞で、中ほどに年を取るで中年です。
晩家は家は動詞、これも家を建てるとか構えることになります。晩の意味は前句は中年に対しですから晩年となります。
頗好道は、よい教え仏教の道をさし、南山陲は長安の南東にある終南山の麓ということですが、前句の好道に対しては、悟りを開くところという意味になります。
この詩は、詩人の仲間に、朝廷に行かないで引きこもっていることを告白していることも意味しています。
次の聯、興来+毎独往、勝事+空自知で、興来は興味があるときはであり、勝事は素敵なこと、素晴らしいこと、何事にも勝ること、毎独往は、毎はそのたびごと、独は一人で、往は行く、空はくう、何にもない仏教用語。
自は自分、知は知る。これらから、「物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。」という意味になります
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この詩で王維が終南山に向かって座禅の毎日であることを連想させます。
実際このころ、朝廷内の宦官から起こった前皇帝玄宗派と粛宗皇帝派の醜悪な争いが官僚、文人すべてにわたり、朝廷の威信が落ち、反乱軍を倒すため一致すべきところが逆のことをします。
粛宗皇帝は、玄宗派を徹底的に、排除し、左遷します。唐朝廷、唐国軍はガタガタになります。そのため、反乱軍を平定するのに10年近くもかかってしまう。王維はこの中に入りたくなかったのです。この聯は、とくに有名です。
日本では、この句、聯のみを取り出して、一人歩きをさせて、勝手な解釈をしてきました。有名な句がたくさんあり、中には詩人が詠んだ意味とは全く逆の意味の場合もありました。
昔から、この聯は、「行きては水の窮(きわ)まる処に到り、坐りて雲の起こる時を看る」と読まれてきました。修行は到達する。水がわき出るところが最初であるようにと読むのであり、座ってみる。座禅をして半眼で見る。雲が沸き起こってくるのを。沸き起こるところが見えるわけでもないものを見るといっているのです。ここでも『空』であるといっています。
余談ですが、中国では、雲は、谷の奥まった岩の割れ目、洞窟から湧き出てくるといわれていました。王維は水の湧き出るところ、と雲の湧き出るところを極めるといっているつまり、仏教の修行に励むのでしょう。
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最後の聯は偶然は偶然、値は会うこと、林叟は山の仕事で生計を立てている老人、談笑は談笑、無還期は話が弾んで、帰る時を忘れるほどだということです。
中国では、漁夫、漁師、猟師、木こり、炭焼き、日本では柴刈り爺さんでしょうか、誰ということではなく、山の中で過ごすことを指します。宮廷では、めったなことが言えませんし、書き残すことができません。ましてや長い立話でもしようものなら、謀反の話し合いをしていることになります。
中国では、酒を飲んでべろべろになること、こうした木こりなどと長く話すということは暗に朝廷批判をしていること示すことなのです。
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「南画に写生の技法を加えた清新な山岳風景画を描いた高島北海の作品です。」という評がしっくりくる高島北海の山水画です。
橋本雅邦の描いた山水画の影響がみられるように感じるのは小生だけではないと思います。
マンネリ化した狩野派や南画から抜け出し、雪舟に戻れと提唱した山水画の機運を感じ取ることができます。詩書画一体となった近代の山水画を味わえる数少ない作品であろうと思います。
詩書画一体を味わうには自然での体験と知識とが大切ですね。
山中の空き家に立派な蔵を発見しました。「いいね~」と息子と小生・・・
自は自分、知は知る。これらから、「物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。」という意味・・・・
近くの桜並木ばかりではと、山へ分け入りました。ついでに太陽光発電も見学。
桜はやはり自然に咲く山の桜です。
貝母の花を見つけました。
紫だいこんの花も・・。
後日、所有者に了解を得て貝母の花を分けてもらいに採りにいきました。息子は大はしゃぎ・・。
お手伝いのご褒美にレストランで食事。
相変わらず「うめ~」と・・。
本日は明治新政府の技官としての半生の上に、植物学の深い造詣を基礎とし、南画に写生の技法を加えた清新な山岳風景画を描いた高島北海の作品です。今回で四作品目の投稿となります。ヨーロッパ視察に際してはフランスのナンシーに3年間在学しており、アールヌーボーと日本の関係を結びつけた人としても評価されています。詳細は他の作品紹介を参考にしてください。
終南山之図 高島北海筆
絹本水墨軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横659*縦2181 画サイズ:横506*縦1265
賛には「興来毎独往 勝事空自知 行到水窮処 坐看雲起時 北海漁叟寫并山緑□□詩 押印」とあり、「北海」の朱文白方印が押印されています。賛は王維の漢詩「終南別業」の一節。
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漢詩本文
終南別業
(入山寄城中故人)王維
中歳頗好道、晩家南山陲。
興来毎独往、勝事空自知。
行到水窮処、坐看雲起時。
偶然値林叟、談笑無還期。
概略
終南山の別荘で
(城内の友人に届ける)
中年になってから頗(少しばかり)仏教の教えにしたがってきましたし、歳をとってきたので終南山の陲(麓)に家を構えました。
物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。
修行は水が湧き出るところ見つけ出すように励んでいるし、座禅をして半眼で、雲が湧き出るところを見ている。
時に出会った木こりのおじいさんと話をはじめたら帰る時を忘れました。
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解説
初句の「中歳頗好道」は中歳+頗好道で、次の句は晩家+南山陲で、中歳は中年、歳は動詞で、中ほどに年を取るで中年です。
晩家は家は動詞、これも家を建てるとか構えることになります。晩の意味は前句は中年に対しですから晩年となります。
頗好道は、よい教え仏教の道をさし、南山陲は長安の南東にある終南山の麓ということですが、前句の好道に対しては、悟りを開くところという意味になります。
この詩は、詩人の仲間に、朝廷に行かないで引きこもっていることを告白していることも意味しています。
次の聯、興来+毎独往、勝事+空自知で、興来は興味があるときはであり、勝事は素敵なこと、素晴らしいこと、何事にも勝ること、毎独往は、毎はそのたびごと、独は一人で、往は行く、空はくう、何にもない仏教用語。
自は自分、知は知る。これらから、「物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。」という意味になります
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この詩で王維が終南山に向かって座禅の毎日であることを連想させます。
実際このころ、朝廷内の宦官から起こった前皇帝玄宗派と粛宗皇帝派の醜悪な争いが官僚、文人すべてにわたり、朝廷の威信が落ち、反乱軍を倒すため一致すべきところが逆のことをします。
粛宗皇帝は、玄宗派を徹底的に、排除し、左遷します。唐朝廷、唐国軍はガタガタになります。そのため、反乱軍を平定するのに10年近くもかかってしまう。王維はこの中に入りたくなかったのです。この聯は、とくに有名です。
日本では、この句、聯のみを取り出して、一人歩きをさせて、勝手な解釈をしてきました。有名な句がたくさんあり、中には詩人が詠んだ意味とは全く逆の意味の場合もありました。
昔から、この聯は、「行きては水の窮(きわ)まる処に到り、坐りて雲の起こる時を看る」と読まれてきました。修行は到達する。水がわき出るところが最初であるようにと読むのであり、座ってみる。座禅をして半眼で見る。雲が沸き起こってくるのを。沸き起こるところが見えるわけでもないものを見るといっているのです。ここでも『空』であるといっています。
余談ですが、中国では、雲は、谷の奥まった岩の割れ目、洞窟から湧き出てくるといわれていました。王維は水の湧き出るところ、と雲の湧き出るところを極めるといっているつまり、仏教の修行に励むのでしょう。
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最後の聯は偶然は偶然、値は会うこと、林叟は山の仕事で生計を立てている老人、談笑は談笑、無還期は話が弾んで、帰る時を忘れるほどだということです。
中国では、漁夫、漁師、猟師、木こり、炭焼き、日本では柴刈り爺さんでしょうか、誰ということではなく、山の中で過ごすことを指します。宮廷では、めったなことが言えませんし、書き残すことができません。ましてや長い立話でもしようものなら、謀反の話し合いをしていることになります。
中国では、酒を飲んでべろべろになること、こうした木こりなどと長く話すということは暗に朝廷批判をしていること示すことなのです。
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「南画に写生の技法を加えた清新な山岳風景画を描いた高島北海の作品です。」という評がしっくりくる高島北海の山水画です。
橋本雅邦の描いた山水画の影響がみられるように感じるのは小生だけではないと思います。
マンネリ化した狩野派や南画から抜け出し、雪舟に戻れと提唱した山水画の機運を感じ取ることができます。詩書画一体となった近代の山水画を味わえる数少ない作品であろうと思います。
詩書画一体を味わうには自然での体験と知識とが大切ですね。
山中の空き家に立派な蔵を発見しました。「いいね~」と息子と小生・・・
自は自分、知は知る。これらから、「物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。」という意味・・・・