昨日は元同僚らと10年近く続いている「フグの会」、退職後、みなさん各々の道を歩んでいますが集まると昔のままですね。
さて、麦藁手という器をご存知でしょうか?陶磁器にはいろんな用語が使われます。私もすべてを知っている訳ではなく、その都度新しい用語を知ることとなります。本日は「麦藁手」という作品群のひとつの紹介です。
瀬戸麦藁手盃
合箱
口径60〜80*高台径45*高さ50
麦藁手という器は、本作品のように縦にいくつかの色彩で描いた縦縞紋様を麦藁と呼ぶことからこの紋様のある器を麦藁手と称し、古来より珍重されてきた器で、現代まで瀬戸で引き継がれています。
基本的に端正に作られた作品が多く、織部のごとく歪んだ造形は見られず、高台もきっちりと削られるもので、本作品のように茶碗のような高台の作は珍しいです。
本作品は趣のある造形で大き目の盃としてちょうどよい。古瀬として入手した作品ですが、一般的な瀬戸のものとは違うように思われ、製作年代、時代は不詳です。
沓茶碗のような形ですが、盃の大きさなので手に持ちやすい器です。
おそらく産地が近い織部の徳利にて一献・・。
盃というのを作ったことのある人は解ると思いますが、非常に失敗作の少ないものです。
我ながらうまくできたものだと思い、これを大きくするといいお茶碗ができるとお茶碗に挑戦すると、そうは問屋が卸さないものでうまくできません。
同じように口まで持っていく器ですが基本的な違いは大きさです。口まで持っていく器ほど難しいと言われますが、その理由は、形のバランス、手持ちの感覚、熱伝導率、唇の感触など評価するポイントが多くなることです。器が大きくなることで、それらがかなりの難しさとなり、そこに趣という厄介なものがクローズアップされてくるのです。
盃とお茶碗の製作の難しさは雲泥の差です。盃は窯元で余った土で余技のように我々のような素人でも製作できるものですが、お茶碗は何度作っても納得のいくものはできませんでした。
それではいくつかの名工の茶碗のような形の盃を見てみましょう。ますは浜田庄司の盃と比べてみましょう。
次は鈴木蔵の志野焼です。
赤と白のペアです。お茶のサイズだとすると名碗のような形ですがこれがなかなか・・・。名工はこれができるのです。彼らのお茶碗と比べてみると面白いでしょう。
盃も集めだすと際限がありません。酒の量が少なくなった酒のみの御仁ほど、器に凝ってくるようです。ブログをご覧の皆様はいかがですか?
李朝雨漏手の徳利に古唐津の盃、古黄瀬戸向付の料理を肴に秋田の銘酒を一献・・、そうお盆は根来・・、夢のような至福の時です。飲むなら今の季節・・、縁側の雪景色を眺めながら・・。
この文章の器がすべて思い浮かぶ方はかなりの骨董マニアです。日本酒の酒器・・、ワインや中国酒のものよりずっと奥の深いもののように思います。ワインはきっとワインそのものが奥が深いのでしょうが・・。
さて、麦藁手という器をご存知でしょうか?陶磁器にはいろんな用語が使われます。私もすべてを知っている訳ではなく、その都度新しい用語を知ることとなります。本日は「麦藁手」という作品群のひとつの紹介です。
瀬戸麦藁手盃
合箱
口径60〜80*高台径45*高さ50
麦藁手という器は、本作品のように縦にいくつかの色彩で描いた縦縞紋様を麦藁と呼ぶことからこの紋様のある器を麦藁手と称し、古来より珍重されてきた器で、現代まで瀬戸で引き継がれています。
基本的に端正に作られた作品が多く、織部のごとく歪んだ造形は見られず、高台もきっちりと削られるもので、本作品のように茶碗のような高台の作は珍しいです。
本作品は趣のある造形で大き目の盃としてちょうどよい。古瀬として入手した作品ですが、一般的な瀬戸のものとは違うように思われ、製作年代、時代は不詳です。
沓茶碗のような形ですが、盃の大きさなので手に持ちやすい器です。
おそらく産地が近い織部の徳利にて一献・・。
盃というのを作ったことのある人は解ると思いますが、非常に失敗作の少ないものです。
我ながらうまくできたものだと思い、これを大きくするといいお茶碗ができるとお茶碗に挑戦すると、そうは問屋が卸さないものでうまくできません。
同じように口まで持っていく器ですが基本的な違いは大きさです。口まで持っていく器ほど難しいと言われますが、その理由は、形のバランス、手持ちの感覚、熱伝導率、唇の感触など評価するポイントが多くなることです。器が大きくなることで、それらがかなりの難しさとなり、そこに趣という厄介なものがクローズアップされてくるのです。
盃とお茶碗の製作の難しさは雲泥の差です。盃は窯元で余った土で余技のように我々のような素人でも製作できるものですが、お茶碗は何度作っても納得のいくものはできませんでした。
それではいくつかの名工の茶碗のような形の盃を見てみましょう。ますは浜田庄司の盃と比べてみましょう。
次は鈴木蔵の志野焼です。
赤と白のペアです。お茶のサイズだとすると名碗のような形ですがこれがなかなか・・・。名工はこれができるのです。彼らのお茶碗と比べてみると面白いでしょう。
盃も集めだすと際限がありません。酒の量が少なくなった酒のみの御仁ほど、器に凝ってくるようです。ブログをご覧の皆様はいかがですか?
李朝雨漏手の徳利に古唐津の盃、古黄瀬戸向付の料理を肴に秋田の銘酒を一献・・、そうお盆は根来・・、夢のような至福の時です。飲むなら今の季節・・、縁側の雪景色を眺めながら・・。
この文章の器がすべて思い浮かぶ方はかなりの骨董マニアです。日本酒の酒器・・、ワインや中国酒のものよりずっと奥の深いもののように思います。ワインはきっとワインそのものが奥が深いのでしょうが・・。