帰省した翌日は昨夜の到着が遅かったこともあり、遠出はやめて近所の公園に出かけてきました。車で3分、それから徒歩で10分程度の貯水池ですが・・。
以前は車で入れた道路ですが、現在はメンテナンスが難しく、駐車場から徒歩で上り坂を10分ほど歩きます。突然目の前の視界が広がり、この景色です。
手入れがほとんどされずに自然のまま・・。桜はもっとたくさんあったのですが、生き延びた桜のみ自生しているそうです。
貯水池を一回り歩くのに約30分程度かかりますが、地元の人以外はあまりお目にかからない隠れスポットです。
小生も子供の頃は洞窟で遊んだり、あけびを採りに入ったり、奥の山頂まで登山し夜遅くなり大騒ぎになって、皆さんに迷惑をかけた記憶もあります。
学生の頃はデート・・・ 本日は息子とデート。
これほどの景観を持ちながら、連休でも人がいないのがいい。
多彩な景観は一見に値します。
本日は息子を抱っこしなくていけないので、貯水池を一周できずにほんの少しの間の眺めでしたが、近所の方々はウォーキングやマラソンのコースにしているようです。
貯水池以外にも遊歩道があり、見所満点です。
枝垂桜・・。
自宅に戻り、枝垂桜の作品があったはずと倉庫を探すと、ずいぶんと前に入手した作品ですがありました。
描いた画家は金島桂華で、現在でも人気の高さを保っている画家の一人です。むろん真贋はわかりませんが・・。よって「伝」です。
垂桜 伝金島桂華筆
絹本着色額装タトウ入共シール
額縦585*横585 画サイズ:縦391*横390 画径380
丸額用として描かれたものではなく、掛軸に描かれたものを額装とした意図が推察されます。
額装が見事に絵に合っていますが・・・。
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金島桂華は、明治25年(1892)広島県深安郡神辺町に生まれた。名は政太。14歳のとき大阪に出て西家桂州に絵の手ほどきを受け、18歳のときにはすでに大阪、東京で行われた展覧会でその優れた素質を見ることができた。
この頃桂華は、人生をまじめに生きることや教養を身につけること、心の修行を行うことの大切さを教えられ実行し、このことは、桂華の人生・画業に影響を与え生涯貫かれることになる。
19歳のとき知人の紹介で、京都の竹内栖鳳の画塾「竹杖会(ちくじょうかい)」に入った。栖鳳の下で写生の勉強からやり直しはじめたが、直後兵役をつとめ画業は空白期間をもつ。
大正に入り、花鳥画を基本に修業し、展覧会でその成果が現れるようになる。昭和になってからは、ますます装飾性を加えた明快な画面へと作風が変化し、花鳥画の巨匠として歩む。
明朗な画境を持ち、「芥子」、「鳴于九皐」、「牡丹」を帝展に出品、凡て特選となった。その後研鑚を積み、数度審査員を務め、近代的画風を展開した。芸術院会員。
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いずれにしても、桜は実物が一番ですね。午前中に雨が上がって、青空の下、貯水池の蒼さと相俟って素晴らしい景色でした。骨董蒐集の基本は外へ出なくては学べないように思います。
以前は車で入れた道路ですが、現在はメンテナンスが難しく、駐車場から徒歩で上り坂を10分ほど歩きます。突然目の前の視界が広がり、この景色です。
手入れがほとんどされずに自然のまま・・。桜はもっとたくさんあったのですが、生き延びた桜のみ自生しているそうです。
貯水池を一回り歩くのに約30分程度かかりますが、地元の人以外はあまりお目にかからない隠れスポットです。
小生も子供の頃は洞窟で遊んだり、あけびを採りに入ったり、奥の山頂まで登山し夜遅くなり大騒ぎになって、皆さんに迷惑をかけた記憶もあります。
学生の頃はデート・・・ 本日は息子とデート。
これほどの景観を持ちながら、連休でも人がいないのがいい。
多彩な景観は一見に値します。
本日は息子を抱っこしなくていけないので、貯水池を一周できずにほんの少しの間の眺めでしたが、近所の方々はウォーキングやマラソンのコースにしているようです。
貯水池以外にも遊歩道があり、見所満点です。
枝垂桜・・。
自宅に戻り、枝垂桜の作品があったはずと倉庫を探すと、ずいぶんと前に入手した作品ですがありました。
描いた画家は金島桂華で、現在でも人気の高さを保っている画家の一人です。むろん真贋はわかりませんが・・。よって「伝」です。
垂桜 伝金島桂華筆
絹本着色額装タトウ入共シール
額縦585*横585 画サイズ:縦391*横390 画径380
丸額用として描かれたものではなく、掛軸に描かれたものを額装とした意図が推察されます。
額装が見事に絵に合っていますが・・・。
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金島桂華は、明治25年(1892)広島県深安郡神辺町に生まれた。名は政太。14歳のとき大阪に出て西家桂州に絵の手ほどきを受け、18歳のときにはすでに大阪、東京で行われた展覧会でその優れた素質を見ることができた。
この頃桂華は、人生をまじめに生きることや教養を身につけること、心の修行を行うことの大切さを教えられ実行し、このことは、桂華の人生・画業に影響を与え生涯貫かれることになる。
19歳のとき知人の紹介で、京都の竹内栖鳳の画塾「竹杖会(ちくじょうかい)」に入った。栖鳳の下で写生の勉強からやり直しはじめたが、直後兵役をつとめ画業は空白期間をもつ。
大正に入り、花鳥画を基本に修業し、展覧会でその成果が現れるようになる。昭和になってからは、ますます装飾性を加えた明快な画面へと作風が変化し、花鳥画の巨匠として歩む。
明朗な画境を持ち、「芥子」、「鳴于九皐」、「牡丹」を帝展に出品、凡て特選となった。その後研鑚を積み、数度審査員を務め、近代的画風を展開した。芸術院会員。
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いずれにしても、桜は実物が一番ですね。午前中に雨が上がって、青空の下、貯水池の蒼さと相俟って素晴らしい景色でした。骨董蒐集の基本は外へ出なくては学べないように思います。