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滝観音 仲安筆

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今週は週末に帰省していたこともあって原稿が未整理段階ですので、拙文をご容赦願います。

本日の作品は伝来のきちんとしたものですが、詳細はよく解っていません。以前に一度依頼されて調べたのですが、当方に縁がまたできたので再度調査中の作品です。本日の投稿もまた調査段階での投稿となります。

滝観音 伝仲安筆
紙本水墨古画 古箱入 
画サイズ:横331*縦1045



仲安については詳細不明ですが、「仲安真康」と思われ15世紀中ごろに活躍した鎌倉建長寺の僧のことのようです。祥啓初期の鎌倉における画事の師とも言われていますが、それを示す資料はないそうですが、さらには鎌倉派の始祖と目される人物とも称せられています。



箱内の書によると名は「梵師字仲安松屋」と号すとか・・、別号竹天叟。明應(1492年~)年中の人で、室町時代の作者となります。



「仲安真康」との関連性についても後学によるものとします。



調べてみると、仲安真康筆とされる「布袋図」という根津美術館所蔵の作品(紙本墨画 縦70.6㎝ 横30.5㎝)があり、その記事には

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「仲庵真康は、鎌倉建長寺西来庵の住僧で、諸山住持の経歴によるものか康西堂の名で尊称された。法諱を真康、道号を仲安といい、ほかに九華山人、意足道人と称したと伝える。

『古画備考』に宝徳4年(1452)の年紀をもつ「東光眞康」署名の古文書が収録されており、これが仲安の活躍時期をうかがう唯一の資料となっている。

鎌倉諸大寺の蔵する元代の道釈画や羅漢図、あるいは東福寺明兆系に学んで、その水墨的要素を積極的に摂取しようと努めた画風は、十五世紀の鎌倉派水墨画におけるいわば祖的な存在と解され、賢江祥啓はその門下といわれる。

本図(布袋図)にみられるように、肥痩のある筆致の多用と墨色の濃い画面はやや古拙で、明澄さの乏しいものながら、屈託のないその表現は、よく主題の性格をあらわしている。図中に「仲安」(朱文重郭方印)と「眞康」(朱文鼎印)の二印を捺す。」

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とあります。

これは実に興味深い内容です。上部には毘沙門天が描かれておりますが、下部に残念ながら欠損があります。ただしそのことを割り引いても「仲庵真康」の作とされている作品の中でも非常に出来の良い作品です。



本作品には3種の累印が押印されています。「意足道人」、「仲安」(朱文重郭方印)、「眞康」(朱文鼎印)と推察されます。よって本作品は「仲庵真康」と推察される作品となります。

欠損や虫喰の跡があることから、改装されていることが解ります。



この画家について外国の方ですが、研究している方もおられます。

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・リオ・アーロンの記事より 
(Aaron M. Rio / コロンビア大学院美術史考古学部 日本美術史 博士候補生)

仲安眞康については実はあまりよく知られておらず、かなり謎の人物ですが、鎌倉の建長寺で15世紀に活躍していた画僧だと言われています。間違ったアトリビューション(帰属、属性)を含めて、仲安眞康のものと言われる作品は多くて20点もあります。

大雑把に言って、仲安真康の絵はやや暗くて、少し古風にも見えて、あまりにも独特なスタイルですけど、私は鎌倉の「ローカルスタイル」の「元」として考えています。要は、ある場所(鎌倉)、ある時間(大体15世紀)だけに存在する様式だと。しかし、正直言うと、彼は雪舟や雪村といった有名な画家のような素晴らしい才能を持った画家ではありませんでした。それでも興味深くて重要な研究対象だと思います。



私はこれらの絵画を日本のものというより、漢字文化圏の絵画の中の一部であるとして捉えています。そのため、15世紀の鎌倉で、仲安真康のような画家はどんな絵を見ていたか、鎌倉でどんな絵が好まれていたか、というような問題は私の研究にとってとても重要です。

例えば、「仏日庵公物目録」という日本で一番古い、言わば中国美術のコレクションについての資料があります。因みに、仏日庵とは鎌倉にある円覚寺という寺院の塔頭です。その目録には牧谿(もっけい:南宋の画家)の作品も記録されています。牧谿は、私が思うに、鎌倉の絵画にとって最も重要な人物で、仲安眞康も牧谿の影響を強く受けています。でも、日本では牧谿があまりにも愛好されて、彼の作品ではなくても牧谿という名前が付けられていくという現象が生じました。だから彼は実際に牧谿の絵を見ていたのか、牧谿のものだと思われていた絵を見ていたのかよく分からない。とりあえず牧谿という画家のスタイルに基づいた「牧谿様」というスタイルが作られていったんです。場所と時間によってそのスタイルは異なっていますけどね。



15世紀の鎌倉にはユニークな「牧谿様」も存在しました。私は13〜15世紀の鎌倉における「牧谿様」とは何か、それが仲安眞康以降の関東画壇にどのような影響を与えたかを再現しようとしています。その際、仲安眞康を日本人の画家と捉えるより、漢字文化圏のひとりとして捉えた方がいいと私は思います。また、仲安眞康のものだと伝えられてきた絵をリアトリビューション(再鑑定による作家名の変更)することも私の論文の重要な部分だと思います。今まで充分に調べられてはいない。

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現代段階では「仲庵真康」と断定されますが、むろんリアトリビューションもありえますが、「仲庵真康」の作と思われるのは20点ほど、確実なものは数点しかないと思われますので、新たな発見というべき作品でしょう。

なお箱裏のある花押とともに記されている「夢關」という人物についても詳細は不明です。

  

室町期以前の古画については、主に仏画が多いのですが、記録も少なく一般に知られていない画家が多いようです。このような古い作品が舞い込んでくるのまたなにかの縁であり、後世に伝えていくべきものでしょう。



前の所有者も同じように後世に伝えたかったのでしょう。ところで本作品の魅力は写真ではちょっと伝えがたいところがありますので、ご了解願います。








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