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Channel: 夜噺骨董談義
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不動明王 木村武山筆 その2 再投稿

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ものづくりの現場における安全管理の小生の鉄則は

1.現場を事前に見て、的確な責任ある指示を出すこと
 (具体的な指示ができるのは現場を見てきた者のみ)

2.現場を見て危険を感じ取る感性をもつこと
 (災害はすべて繰り返し、過去の事例を徹底して学ぶこと)

3.コミュニケーションを徹底すること
 (利害の違う立場の人が集まるのがものづくりの現場、互いの意思疎通を図らないと事故は防げない 部下と上司も同じで懲罰が優先する  と隠蔽される傾向となる。)

そもそも最初に述べた「現場をみないとはじまらない」のだが、はてさて、どれだけの人が現場第一としているのだろうか?

最近はITの悪さ、魔力もある。パソコンの席から離れない、人と話をしていてもパソコンから目を離さない・・。電車の乗客を見ても同じ。たいしたこともない内容をスマホやPCを見てばかり・・。もっと幹部も現場の社員も目の前の現場を見ることからはじめないといけません。

さて骨董も同じ。現物を手で見て、自腹で買って、実際に使って、売却して、感性を磨いて、意見の違う人の話を聞いて、さらにグレードを上げていかないと身につかないものです。PCや美術館を見た情報だけで身につくほど世の中は甘くない。

さて地元の骨董商によると、祖父は木村武山の極彩色の「観音図」の作品を所蔵し、また同じく木村武山の「旭日波」という作品を正月に床の間に飾っていたそうです。その「観音図」は散逸し、「旭日波」は今は小生に伝来しています。

不動明王 木村武山筆 あおの2
絹本銀彩絹装軸装 所定鑑定人横山陽子鑑定 共箱二重箱 
全体サイズ:縦*横 画サイズ:径330



本作品は不動明王を、円窓を黒地として銀彩で描いた作品ですが、以前にも投稿したことのある作品です。このたび倉庫改修にあたり、作品整理の一部として、郷里から持ち帰った作品のひとつです。倉庫改修を契機に在京の前に集めた未整理の作品の整理も行ない始めました。そのため、しばし新規購入は見合わせ、不要な作品は処分していきます。

金彩で描いた作品はなんどか見たことはあります。下記の作品は、友人が売却したいというので、思文閣に仲介した作品です。売却金額は○○万でしたが、思文閣からの評価は「弘法大師」の作品は珍しいとのことでした。リーマンショック前のことです。むろん、仲介料金などは戴いておりません(笑)

弘法大師 木村武山筆
絹本金彩色軸装共箱
画サイズ:横350*縦1210

 

不動明王は大日如来が一切の悪魔を降伏するために変化し、忿怒身を現したもの。常に大火焔の中にあって内外の諸難や穢を梵焼し、一切の冤敵を擢滅して衆生を擁護するものです。



その姿を簡潔に描いた木村武山の佳作。「代」は所定鑑定人の「横山陽子」女史によるものです。絵そのものは脳溢血の前の作品か? 箱書きは以後と推察されます。



軸を改装のために箱に収まらなくなったか、箱の傷みがひどいためかによって、箱を細工し箱を変えていますが、これはよくあることです。



左手に衆生の煩悩や因縁を断ち切る三鈷剣、右手に悪を縛り人々を煩悩から救うための羂索という儀軌通りの不動明王の姿が簡潔に描かれています。

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不動明王:仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王と祀られる。

不動明王は大日如来が一切の悪魔を降伏するために変化し、忿怒身を現したもの。常に大火焔の中にあって内外の諸難や穢を梵焼し、一切の冤敵を擢滅して衆生を擁護するものです。 
  
手に衆生の煩悩や因縁を断ち切る三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)、悪を縛り人々を煩悩から救うための羂索(悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)という儀軌通りの不動明王の姿が簡潔に描かれています。

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木村武山の紺(黒)地金銀泥画:主に平安時代に貴族の発願によって制作された紺紙金泥経などの装飾経は、通常の白い紙に墨書された経典とは異なり、どこか異次元的な気配を漂わせているもので、いわばその画面自体が彼岸の様相を表しているようにも感じられる。

観世音菩薩をはじめ多くの仏画を描いた武山であるが、大体は極彩色の作例が多く、紺紙金泥経に通じる味わいを持つ作例はさほど多くはみられない。

通常の絹紙に岩絵具で描く場合と異なり、筆のすべりや金泥のノリなど、技術的にも独特の困難があるのだろうが、実に自在な筆致で見事に描いている。このような作例には金泥の作品が多いが、本作品は「不動明王」という画題もあるのだろうと推察されるが、すべて銀泥で描かれた稀有な作品である。

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ところで本図と左右対称のまったく同じ図柄の金泥で描かれた木村武山の作品が存在します。このようなことも調べていくと解ることです。



二幅一対の作品かも? 両作品が揃ったら面白いでしょうね。私は銀泥の作品のほうが好みですが・・。



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木村武山:明治9年生まれ、昭和17年没(1876年~1942年)、享年67歳。茨城県笠原藩士の家に生まれる。名は信太郎。初め川端玉章について学び、後に東京美術学校卒業後、岡倉天心の率いる新興画壇の第一線に立ち、前期日本美術院、再興美術院の功労者の一人となる。横山大観、下村観山、菱田春草らと共に、岡倉覚三(天心)のもとで日本画の近代化に努めた。



前半は花鳥画を、後半は仏画を描き、ことに彩色画を得意とした。作品初期は歴史画が多く、25歳頃から主に花鳥画を描く。大正初期は琳派の手法を用いた壮麗な作風が特徴的である。1916年(大正5年)、笹川臨風と共に大和巡りをした際、観心寺の如意輪観音坐像に驚嘆したのを契機に、後年は仏画を多く描いた。優れた色彩感覚を持ち、日本美術院きってのカラリストと評された。



昭和12年(1937年)、脳内出血で倒れ郷里・笠間で静養、病で右手の自由が利かなくなったため左手で絵筆を執り、「左武山」の異名をとる。昭和17年(1942年)、喘息のため死去。法名は泰霊院映誉広彩武山居士。日本美術院同人となる。「阿房却火」、「孔雀明王」が代表作。

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木村武山の仏画については「極彩色の仏画」がいいいのか「金泥・銀泥の仏画」がいいのか賛否があるでしょうが、少なくてもこの「不動明王」は銀泥で描かれていることが見事にマッチしている作品です。

不動明王の如き毅然とした振る舞いが、ものづくりの管理には必要です。



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