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唐美人図 伝長澤芦雪筆 その1

休日は子育ての合間を縫って、各人各々の作業に没頭・・。義父は物件の確認に、義母は小生から頼まれた刀剣の保護袋の製作・・。

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小生は残っている端材に塗装・・、まずは洗いから。

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昔から庭にあったケヤキなどの残り物ですが、作品の敷台や表札などに使う予定です。

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さてと塗料を買いに・・・。

本日は長沢芦雪の印章についてなどです。

唐美人図 伝長澤芦雪筆
絹本水墨淡彩絹装軸 軸先 伊藤小坡所蔵印箱入 
全体サイズ:横620*縦1930 画サイズ:横500*横1120

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真作なら、印章は「魚」の朱文氷形印で、右上の輪郭部分が欠けていないからすると30代頃の作品と推察されます。この作品の面白いのは箱書が伊藤小坡の箱書とされている点です。真贋は別としてですが・・・。伊藤小坡は本ブログで二作品を投稿してます

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他の所蔵作品「獅子懸崖投児図(伝長沢芦雪)」に押印されている印章は銅製で、朱肉との相性は良くないらしいです。

本作品に押印されている印章は使用しているうちに右上が欠損して、自由に泳ぎまわれるとされ長らく愛用している、こだわりの朱文氷形印です。氷の形とも、亀甲や花にも、綿菓子にも見える愛らしい落款で、芦雪のお気に入り度が想像できます。現在も長沢芦雪に使用した印章は実在します。

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一般には応挙に入門してから長沢芦雪と名乗られたようです。この芦雪という号は、「芦花両岸の雪、煙水一江の秋」という芦も雪も白一色という意味合いである禅語からとった考えられています。

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芦雪と号してからは「魚」印を用いており、氷型の枠に入った「魚」字大印は芦雪のシンボルマークともいえる代表的な印章です。

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この印章についてはこのような説があります。応挙の元、修業中のある冬の朝、芦雪は寒さで張られた氷の中に閉じ込められている魚を見かけます。その帰り道、氷が溶け先の魚が自由に泳いでいる姿に目を奪われます。その話を応挙にしたところ、「苦しい修業時代も段々と氷が溶けるが如く画の自由を得るものである。」と諭されて以来、この印章を生涯使い続けたといわれています。この印を「氷形印」と称する理由は前述のとおりです。一説には前記述は作り話ではという説、芦雪自ら欠いたのではという説もあるようです。

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この印は、芦雪40歳を迎える頃の作品からは右肩部分を欠失しています(寛政4年5月以降寛政6年冬の間)が、果たして自由を得たとの意味合いがあるのでしょうか。

なお本作品の印影は下部が丸みを帯びすぎており、輪郭が薄く、また輪郭が完全な状態では落款の書体が違うなどから、真印とは断定できませんね。

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ところで本作品の美人画は右の女性を左の女性が支えていることから、右の女性は「纏足」であろうというのが家内の見解です。「纏足」?・・ご存知の方は少なかろうと思います。

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纏足(てんそく):幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習。具体的には、足の親指以外の指を足の裏側へ折り曲げ、布で強く縛ることで足の整形(変形)を行うことを指す。纏足の習慣は唐の末期に始まった。清の時代には不健康かつ不衛生でもあることから皇帝がたびたび禁止令を発したが、既に浸透した文化であったために効果はなかった。辛亥革命以降急速に行われなくなった。台湾でも纏足は行われていたが、日本統治時代初期に台湾総督府が辮髪・アヘンとならぶ台湾の悪習であると位置づけ、追放運動を行ったため廃れた。なお、客家人の女性は働くことが奨励されていたため纏足をせず、「大足女」と揶揄されていた。

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無理やり足を小さくする風習ですが、これは男のエゴが生み出しています。

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中国の美人である代表格、世界三大美人と称されている楊貴妃もそうであったらしく、歩く姿が美しいというのを下記の理由によるようです。

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纏足文化ができた原因は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからである。当時の文化人は纏足を「金のハス」とも呼称し、セクシャリティーの象徴として高められていた。小さく美しく施された靴を纏足の女性に履かせ、その美しさや歩き方などの仕草を楽しんだようである。纏足の女性はうまく歩けないことから、女性支配の手段にもなっていたと考えられる。また、バランスをとるために、内股の筋肉が発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられていた。纏足は男性の性欲を駆り立てるものであり、女性は夫や恋人以外の男性には纏足を決して見せることはなかった。男性は纏足女性の足の指の間にアーモンドをはさんで食べたり、足の指の間にはさんだ器の酒を飲んだりした。このようなことから、蒙昧な時代には纏足を施していない女性には嫁の貰い手がなかったという。中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命で反革命的行為と見なされたこともある。

女の子が3歳から4歳になると木綿の布で足を縛り、発達を抑えるようになる。発熱するため、施術は秋に行われるのが多かった。親指を除く4本の指は内側に曲がり夜も寝られないほどの苦痛を伴いながらも、縛りなおすときを除き、ほとんど縛りっぱなしで決して親はそれを緩めようとはせず、足のサイズは10cm前後が金蓮と呼ばれた。第1段階では親指以外の4本の指を内側に曲げ、第2段階で足の甲を前に伸ばさず縦に曲げていく。約2年かけるので、足のやわらかい幼少の頃に変形させるのである。その後も縛り続け、3日に1度消毒することなどが生涯にわたって行われ、その形状はハイヒールによく似た形となった。

纏足の流行の理由には、足の小さいのが女性の魅力、女性美、との考えがあったことは間違いない。足が小さければ走ることは困難となり、そこに女性の弱々しさが求められたこと、それにより貴族階級では女性を外に出られない状況を作り貞節を維持しやすくしたこと、足が小さいがために踏ん張らなければならず、そこに足の魅力を性的に感じさせやすくした、など多くのことが考えられる。しかし、いずれも決定的にこれと言えるほどの理由ではなく、やはり習慣の一つとして続けられていたと言えよう。

纏足ほど極端なものではないが、ヨーロッパでも、大きな足は労働者階級のものという認識があり、貴族階級では小さな足が好まれた。特に17世紀、ヨーロッパでバレエが流行・定着して以降は、きついバレエシューズによって小さくなった足は、貴族の証となっていく。人によっては、冷水に足を浸けて小さい靴に無理矢理足を入れていた。


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中国という文化は恐ろしいというひとつの側面です。足を不自由にし、色気と貞操の証か・・。完全な男のエゴですね。

本作品は良く描けておりますが、骨董というものは出来や真贋だけではないなにかを学ぶものです。趣味とはそういうもの・・・・。

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