雛祭りの片づけを息子が手伝ったようですが、興味は刀・・
男の隠れ家の刀剣は息子にはしばらく見せられないと実感・・・。
きちがいに刃物、無知・眼力なしに骨董、金の亡者に遺産の世界・・・・、すべてを失くすという意味。
さて本日の作品紹介は「まくり」(表具していない)の作品ですが、良さそうなので購入しました。梶原緋佐子の作品は二作品目ですが、一作品目は資金調達に際して手放しています。
納涼美人図(仮題) 梶原緋佐子筆
絹本水墨着色 まくり
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦1350*横403
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梶原緋佐子:日本画家。京都生。名は久。菊池契月に師事し、木谷千種・和気春光とともに契月塾の三閨秀と称される。官展を中心に活躍。宇田荻邨の白申社結成に参加した。初期には哀感こもる女性像を描き、のち舞妓などをモティーフに独自の美人画を追求した。日展特選・日展白寿賞受賞。京都市文化功労者。昭和63年(1988)歿、91才。
大正から昭和を代表する日本画家。大正デモクラシーや大正ロマンといった当時の何気ない女性たちの哀愁漂う画風や戦後は京都祇園の舞妓や芸妓などの気品あふれる作品を描いた。このように特徴ある美人画の名手として才能がうかがえ、日本画家として本格的に活動するために京都府立第二高等女学校在学中にその女学校の美術教師であって日本画家でもあった千種掃雲に学ぶ。そして卒業後には本格的に菊池契月の門に入り、画技を習得したとても努力家の画家です。画家として創作活動を本格化してから、戦前は帝展や新文展などで活躍を示して戦後は日展に出品し、1947年第3回の日展にて特選・白寿賞を受賞し、それ以降は入選・出品を重ね審査員・評議員を務め、76年には京都市文化功労章を受賞。
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彼女の作品の特徴はとても繊細でリアルさがうかがえる画風。彼女の作品はひとりの女性を描いた美人画というジャンルですが、戦前に描いていた作品の多くは社会のどん底で苦しみもがきながら生きる女性をリアルに描いてます。華やかな感じの美人画が多く描かれていた大正時代では彼女の描くような絵はとても異色だったので強烈なインパクトを周囲に与えた画家です。これらの作品の大半は色遣いは暗く、全体的に薄暗い印象が多く感じられます。
しかし戦後になると彼女の絵は一変し正統的な美人画を描くようになります。もともと彼女は菊池契月に美人画を描く教養を十分に指導されていたことからかなりの完成度の高い美人画を描いています。
それまで彼女が戦前に描いていたとても美人画とはいえない絵を描いた彼女の心理は絵が売れない頃の自分との葛藤や戦争前の不安感を照り合わせていたものと推測されます。
本作品は戦後の作品だと推測されます。
なぜ「まくり」の状態なのかは不明であり、表具された跡が一切ありません。「まくり」の状態の作品は模写である可能性が高いのですが、本作品は真作と判断しています。
巻かれた保存されていたためか胡粉に剥落が出始めています。
表具するなら太巻きが望ましいでしょう。
表具するのが望ましい作品がずいぶんと増えてきましたが、刀剣の研ぎ、漆器の修理が優先してる状況です。
表具代金との兼ね合いで逡巡している状況です。
初夏にはいい軸ですので、それまでじっくり考えようと思っています。
骨董に資金をかけすぎると当方もすべてを失くしかねない
ところでWBCは準決勝で敗退。大会前にブログで述べた当初の予想よりは健闘したが、やはり予想通り髯面では勝てない。日本の特性は組織力。その組織力の根源は規律であろう。規律をおろそかにする組織はミスが出る、一瞬のミスがすべてを台無しにする、勝負にはミスは禁物である。
エラー、ミス、大振り、思い上がりが髯面に良く出ている。ミスした選手の多くが髯面の選手だったのは偶然だろうか? 繰り返すが規律を重んじない組織は決定的なミスを犯す、これは万国共通、肝に銘じよう。
男の隠れ家の刀剣は息子にはしばらく見せられないと実感・・・。
きちがいに刃物、無知・眼力なしに骨董、金の亡者に遺産の世界・・・・、すべてを失くすという意味。
さて本日の作品紹介は「まくり」(表具していない)の作品ですが、良さそうなので購入しました。梶原緋佐子の作品は二作品目ですが、一作品目は資金調達に際して手放しています。
納涼美人図(仮題) 梶原緋佐子筆
絹本水墨着色 まくり
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦1350*横403
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梶原緋佐子:日本画家。京都生。名は久。菊池契月に師事し、木谷千種・和気春光とともに契月塾の三閨秀と称される。官展を中心に活躍。宇田荻邨の白申社結成に参加した。初期には哀感こもる女性像を描き、のち舞妓などをモティーフに独自の美人画を追求した。日展特選・日展白寿賞受賞。京都市文化功労者。昭和63年(1988)歿、91才。
大正から昭和を代表する日本画家。大正デモクラシーや大正ロマンといった当時の何気ない女性たちの哀愁漂う画風や戦後は京都祇園の舞妓や芸妓などの気品あふれる作品を描いた。このように特徴ある美人画の名手として才能がうかがえ、日本画家として本格的に活動するために京都府立第二高等女学校在学中にその女学校の美術教師であって日本画家でもあった千種掃雲に学ぶ。そして卒業後には本格的に菊池契月の門に入り、画技を習得したとても努力家の画家です。画家として創作活動を本格化してから、戦前は帝展や新文展などで活躍を示して戦後は日展に出品し、1947年第3回の日展にて特選・白寿賞を受賞し、それ以降は入選・出品を重ね審査員・評議員を務め、76年には京都市文化功労章を受賞。
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彼女の作品の特徴はとても繊細でリアルさがうかがえる画風。彼女の作品はひとりの女性を描いた美人画というジャンルですが、戦前に描いていた作品の多くは社会のどん底で苦しみもがきながら生きる女性をリアルに描いてます。華やかな感じの美人画が多く描かれていた大正時代では彼女の描くような絵はとても異色だったので強烈なインパクトを周囲に与えた画家です。これらの作品の大半は色遣いは暗く、全体的に薄暗い印象が多く感じられます。
しかし戦後になると彼女の絵は一変し正統的な美人画を描くようになります。もともと彼女は菊池契月に美人画を描く教養を十分に指導されていたことからかなりの完成度の高い美人画を描いています。
それまで彼女が戦前に描いていたとても美人画とはいえない絵を描いた彼女の心理は絵が売れない頃の自分との葛藤や戦争前の不安感を照り合わせていたものと推測されます。
本作品は戦後の作品だと推測されます。
なぜ「まくり」の状態なのかは不明であり、表具された跡が一切ありません。「まくり」の状態の作品は模写である可能性が高いのですが、本作品は真作と判断しています。
巻かれた保存されていたためか胡粉に剥落が出始めています。
表具するなら太巻きが望ましいでしょう。
表具するのが望ましい作品がずいぶんと増えてきましたが、刀剣の研ぎ、漆器の修理が優先してる状況です。
表具代金との兼ね合いで逡巡している状況です。
初夏にはいい軸ですので、それまでじっくり考えようと思っています。
骨董に資金をかけすぎると当方もすべてを失くしかねない
ところでWBCは準決勝で敗退。大会前にブログで述べた当初の予想よりは健闘したが、やはり予想通り髯面では勝てない。日本の特性は組織力。その組織力の根源は規律であろう。規律をおろそかにする組織はミスが出る、一瞬のミスがすべてを台無しにする、勝負にはミスは禁物である。
エラー、ミス、大振り、思い上がりが髯面に良く出ている。ミスした選手の多くが髯面の選手だったのは偶然だろうか? 繰り返すが規律を重んじない組織は決定的なミスを犯す、これは万国共通、肝に銘じよう。