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熊川手水指 

小生の蒐集作品の中には下手物食いのところがあり、人があまり見向きもしない作品、もしくは見向きもされなかった作品が多々あります。そのひとつが「楠瓊州」の作品ですが、本ブログでも一作品を紹介しています。その「楠瓊州」ですが、9月には加島美術で展覧されるという案内の葉書がきました。興味の有る方はどうぞ・・。

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本日の作品も通常なら、見向きもされない作品かもしれません。無骨なフォルムに惹かれて購入した作品ですが、本来は水指として作られたものではなく、ただの壷であったように思います。

熊川手水指 
満岡忠成鑑定箱
サイズ:口径*最大胴径154*高さ174

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箱に記載されている「満岡忠成氏」は著名な陶磁器研究者です。来歴については下記に記しておきます。

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満岡 忠成(みつおか ただなり):1907年(明治40年)1月3日 ~1994年(平成6年)8月22日。陶磁器研究者。三重県生まれ。
1930(昭和5)年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業し、大和文華館に勤務した後、
1968(昭和43)年から京都市立芸術大学教授に就任しました。
1970(昭和45)年、ニューギニア・セピック美術を調査しました。
1972(昭和47)年、滴翠美術館館長に就任しました。
1974(昭和49)年、韓国の慶尚南道窯を訪れました。
1974(昭和49)年から1986(昭和61)年まで大手前女子大学教授を務めました。
1987(昭和62)年、小山冨士夫記念賞功績褒賞を受賞しました。
東洋陶磁史を中心に研究し、 著書に『茶の古窯』、『信楽・伊賀』等が知られています。

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「満岡忠成」氏は加藤唐九郎で有名な「永仁の壷贋作事件」に関わっています。真作とした「小山富士夫」氏が知られていますが、真作と推薦した一人に「満岡忠成」氏が挙げられます。もっともこの事件についてはいろんな意見があって、個々の鑑識力についてどうのこうのという次元のものかどうかも小生には良くわかりません。

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*昭和18年春 小山冨士夫、奥田誠一・佐藤進三・満岡忠成らとともに東京の根津美術館で『永仁銘瓶子』を初めて見る。

*昭和21年5月 日本陶磁協会で瀬戸古窯の小長曽窯をの発掘調査を実施。佐藤進三、小山富士夫、三上次男、加藤唐九郎、満岡忠成、本田静雄などが参加。

*昭和32年 『世界陶磁全集 2』に『永仁銘瓶子』が掲載され、満岡忠成が解説を行う。

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熊川(こもがい)については一般的に下記のように紹介されています。

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熊川手:熊川の名前は、室町時代以来の対日貿易港のあった慶尚(けいしょう)南道の洛東江(らくとうこう)に臨む港、熊川の地名に由来する。陶磁器では一般的にこの港から送られてくる李朝前期の16 世紀ころに焼造された高麗茶碗の一種をいいます。

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一般的には茶碗が有名でその説明は下記のとおりです。

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熊川茶碗:「熊川なり」という形に特徴があり、深めで、口べりが端反り、胴は丸く張り、高台は竹の節で比較的大きめ、高台内は丸削りで、すそから下に釉薬がかからない土見せが多く、見込みの中心には「鏡」「鏡落ち」または「輪(わ)」と呼ぶ小さな茶溜りがつくのが一般的です。また釉肌に「雨漏り」が出たものもあります。熊川茶碗には、「真熊川(まこもがい)」、「鬼熊川(おにこもがい)」、「紫熊川(むらさきこもがい)」などがあります。

「真熊川」:作風は端正で、やや深め、高台も高く、素地が白めのこまかい土で、釉は薄い枇杷色、柔らかく滑らかで細かい貫入があります。古人は、咸鏡道(かんきょうどう)の熊川の産と伝えて、真熊川のなかで特に上手のものを、その和音を訛って「かがんどう(河澗道・咸鏡道)」とか「かがんと手」と呼びました。
「鬼熊川」:真熊川にくらべ下手で、荒い感じがあるのでこの名があります。形は、やや浅めで、高台が低く、見込みは広いものが多く、鏡が無いものもあります。時代は真熊川より下るとされています。
「紫熊川」:素地が赤土で釉肌が紫がかって見えるものです。

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茶碗が作られていたということで、水指も作られていたというのは疑問で、壷の形状のものを水指に見立てたというのが正解のように思います。

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時代が李朝前期ということは当方の浅学では特定できません。高麗李朝に詳しい方の助言を待つしかありませんが、鑑定も「熊川手」とありますので、「熊川風」という意図なのかもしれません。

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水指よりも花入などに面白うそうな作品です。

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小生の下手好きは骨董だけにしておきたい。

福女図 柴田是真筆 その12

明治時代の日本を代表する画家に河鍋暁斎と柴田是真が挙げられます。この二人は仲が悪かったと言われていますが、実際には合作の作品も見れるので本当のところは解りません。小生も合作の扇面を所有していたのですが、資金不足の時に、若気の至りで売却してしまいました。今では後悔していますが、意外に高額で売れました・・。

文献資料によると河鍋暁斎は年初めには子息らと恵比寿・大黒図を毎年描いたそうです。本ブログにもその真作が紹介しておりますし、「なんでも鑑定団」にも同様の作品が出品されたことがあります。

一方で柴田是真一門は「福娘」を描いていたのではないかと私は推察しています。門下の綾岡有真の作品二点を本ブログでも紹介しています。さらには五月の節句には「鐘馗様」を描いていたと思われ、柴田是真門下には数多くの鐘馗図の作品が存在します。

本日はそのような推察のもと、柴田是真が描いたと思われる「福娘図」を紹介します。

福女図 伝柴田是真筆 その12
絹本水墨着色軸装 軸先象牙 共箱?
全体サイズ:縦1663*横365 画サイズ:縦883*横266

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この作品の面白いのは箱書です。どうも柴田是真実直筆のように思えるのですが・・・。「福女 對柳居是真筆」とあります。参考資料の落款と比較してみました。

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柴田是真の絵画の作品での共箱は非常に少ないですが、実は幾つか実在しています。上記写真の右資料も共箱のものです。

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落款と箱の貼紙は下記のとおりです。

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こういう落款などの資料は普段から見慣れておくことが必要です。本作品のように売られている時点での作品の説明に共箱という記載のないこともあるからです。

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本ブログでは柴田是真実の「福女」の作品は二作品目となります。

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最近はすらりとした女性を美人と称するようですが、やはり女性はふくよかで、優しい女性がいいですね。

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掛け軸の縁起物にはかなりの種類があります。本ブログでもときおり投稿している「鐘馗様」、「登鯉」など。

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「ふくむすめ」もひとつは欲しい画題の作品だと思いませんか?

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表具は上々・・。

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少しくたびれていますが、掛け軸にはこういう時代感も味わいのひとつです。

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掛け軸は「かび臭い」と表現される方がおられますが、それはかび臭くなる保管方法をしているからだと思います。押入れ、天袋などは厳禁であり、とくに押入れ、天袋は北向きになっていることが多いので、そのような場所は



リメイク 松に冨士 田崎草雲筆 その1

金曜日にテレビで放映された浅田次郎原作のドラマ「琥珀」を録画しておき、週末に観ましたがなかなかのいい味のドラマでした。寺尾聡と西田敏行、そして鈴木京香が出演していますが、還暦を過ぎようとする男の思いがうまく表現されています。人生は決して思うようには過ぎていかないもの、罪と悔恨などにさいなまれる部分も多々あるもの・・・。粋な音楽と名優の演技で久方ぶりに人生を味わえる作品でした。

さて男の隠れ家にある蒐集を始めたばかりの頃の作品・・。未整理な部分も多いので少し?持ち帰って整理を始めました。これらも小生の人生の歴史。

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本日紹介する作品は以前に投稿された作品ですが、写真が不鮮明なために撮り直したことと資料の追加があるので再整理した作品です。

草雲の作品で思い出があるのは、かれこれ20年以上前に亡くなった義父が、義父の友人の経営する郷里の飲食店を訪れ、二階の宴会場に案内されて掛け軸を見せて頂いたことです。

その郷里の収集家から見せて頂いたのは、草雲の「韓信の股くぐり図」であり、くすんでいたのを洗い直して、綺麗な状態にしていたそうです。ある方に鑑定していただき真作と評価されたと自慢そうにしておりました。その時初めて「草雲」という画家を知ることとなりました。

今では誰も振り返ることの無くなった「田崎草雲」。「姿三四郎」における柔道とボクシングの格闘場面のモデルとされ、近代日本における異種格闘技戦の第1号とされる人物でもあり、また「国定忠治」と会ったことのある人物による唯一の肖像画は、田崎草雲によるものです。   

松に冨士 田崎草雲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 箱入 
全体サイズ:横636*縦1963 画サイズ;横500*縦1275

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本作品は田崎草雲が81歳(明治28年)の最晩年の作品です。

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富岳図は草雲の最も得意とする画題であり、海外からの評価も高く人気がありました。賛には「草雲匠叟 当年八十一写白石山房中」とあります。

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入手時に表具が痛んでおり、上記の郷里の収集家と同じように本作品も改装しております。

田崎草雲の作品は現在、下記の作品が所蔵されていますが、本作品は2011年7月にすでに投稿されています。

*興味のある方は「田崎草雲」にて本ブログ内で検索してみてください。

その1
松に冨士 田崎草雲筆 
絹装軸絹本水墨淡彩箱入 
画サイズ:横500*縦1275

その2
*松渓悲居 田崎草雲筆(*未投稿)
絹装軸絹本着色箱入 470*1195

その3
春塘楽事 浅絳山水図 田崎草雲筆
紙本淡彩軸装 軸先牙軸 
全体サイズ:縦2110*横450 画サイズ:縦1385*横335

その4
山水画双幅 田崎草雲筆
紙本着色軸装 軸先木製 鳥谷幡山鑑定箱入
全体サイズ:縦1965*横505 画サイズ:縦1230*横363

その5
雪景山水図 伝田崎草雲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦1800*横640 画サイズ:縦1280*横510

今回は男の隠れ家からの再整理での資料となりますので、「田崎草雲」についての来歴などの詳細は上記の作品の説明を参考にして下さい。


この作品を入手した頃には、パソコンなど自宅にはなく、ワープロで自分で作品の説明資料を作り、自作の栞として記録を残していたものです。もちろんデジカメなどもなく・・・。ただむしろこの頃のほうが丹念に調べたし、資料も手作りの感じがあります。

*インターネットの普及で調べることは格段に早くなりましたが・・・・Image may be NSFW.
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今では誰も振り返ることの無くなった「田崎草雲」と記しましたが、このレベルの作品は買おうとすると数万円、売ろうとすると1万円になればいいほうです。改装代金にもならないのが現状です。金銭的にみたら蒐集する意味のないものです。

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*田崎草雲は他のブログにも記述しているように司馬遼太郎の短編「喧嘩草雲」のモデルとなっています。その内容についての記述を下記に他の短編で取り上げられている絵師の短編と共に投稿します。

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司馬遼太郎全集31所載の短編の内、その分野では有名な人物について記した短編を取り上げる。「喧嘩草雲」「天明の絵師」「蘆雪を殺す」は、おもしろいことに江戸後期に活躍した絵師についてである。

「喧嘩草雲」の主人公だけは、あまり有名ではなく田崎草雲(梅渓)という人物である。下野足利藩の足軽の子であるが、父と同様に内職で絵を描いていた。絵は富家のふすま絵や屏風などでそれなりに需要はある。この人物、絵も上手だが剣もなかなかの腕である。江戸で絵師の修業し、谷文晁にも学ぶ。自信家でもある。江戸で絵師仲間と交流する内に、このような性格だから刃傷沙汰を起こし、足利に帰る。時世が幕末動乱になり、人材がいない足利藩の舵取りを任せられるようになる。勤王の旗印を鮮明にして、商人・豪農に武士登用を持ちかけ、新式銃を購入させるという奇策で武備を充実させ、小藩ながら官軍として認知させ功績を上げる。この後、絵がいい意味で枯れてきて評価されるという話で面白い。


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「天明の絵師」は、後に日本絵画において後に四条派という大河を造った松村呉春の話である。呉春は非常に器用な男で、商人としても成功はするし、横笛も上手いという者だ。もちろん絵も上手い。当初は与謝野蕪村に絵を習う。蕪村の絵は心が出るが、呉春は形だけというところだ。蕪村の娘との感情の綾も小説らしく折り込みながら筋は進む。師匠:蕪村の死後も器用な絵師として師家の生計を助けている。そこに天明の大火である。ここで円山応挙を知る。応挙は呉春の絵を認めていて、「あなたの絵は写実が向く」と助言する。呉春は応挙に師事するが客分として遇される。ここで応挙風の写実画を描き、多いに繁昌するという話だ。

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「蘆雪を殺す」は応挙門人で、不羈奔放な長沢蘆雪の話である。蘆雪も剣技を学んだことがある。丹波亀山候の家来が藩公の指名ということで蘆雪に絵を頼む。この家来はなまじに絵が好きなものだから、蘆雪に応挙同様の絵を求める。蘆雪は自分らしい絵を描き、この家来に恥をかかせる。蘆雪があるときに、辻斬りに狙われる。この家来の縁者の恨みかとも気をまわす。その後、その家来の縁者でやはり絵を学ぶ者がいたが、この者に狙われると思い込みながら、変死するという変わった話であるが、蘆雪の性格、画風が想像できるような短編になっている。

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山邨風雪 山元春挙筆 その2

週末は台風もあり在宅が多かったのですが、敬老の日ということもあり義父と義母と連れだって昼食に出かけました。息子は食いすぎで帰宅途中にトイレへ・・。丈夫かなと思ったらまともらしい・・。

さて陶磁器の整理では箱がないと保存が難しくなります。現在、箱を作るために待機している作品はだいぶ少なくなりまいした。展示室には未整理の作品のコーナーがあり、残りはこれだけとなります。整理残の作品ですのでたいしたものはないと思います。

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箱と作ってしまうと作品を振り返らない蒐集家が多いのですが、当方は何度でも展示しています。

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展示コーナーから幾つかのスナップ写真を投稿します。

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最近の展示作品の紹介ですが、どうも大きなものは一度展示すると仕舞いこむのがたいへんで長く展示してしまうようです。

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大きな作品はなかなか箱を作るまでは至らないのも原因のひとつ・・。箱を作るほどの価値があるかどうかが焦点かもしれません。

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ところで本日紹介する作品はもしかしたら本ブログで未公開の作品かもしれません。

山邨風雪 山元春挙筆 その2
紙本水墨淡彩軸装 川村曼舟鑑定箱二重箱
山邨風雪 山元春挙筆
紙本水墨淡彩軸装 川村曼舟鑑定箱二重箱
全体サイズ:横432*縦2182 画サイズ:横303*縦1318

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本作品は山本春挙の代表的な作品のひとつで、この画風は山本春挙のなかで人気が高い。長条幅に杉を描き狭い画面に雪景色を描いています。

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「先師春挙一徹居士□山邨風雪」と門下生であった川村曼舟の箱書きがあり、裏には「門下生川村曼舟識」とあります。

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この当時も手作り感のある整理の仕方ですね。書を教えている友人に題名などは書いてもらっています。

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本ブログで何度か紹介している山元春挙の作品ですので、「山元春挙」の来歴については省略させていただきます。

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水墨で描いた雪の景色は日本画の真骨頂のように思います。掛け軸も整理残の作品となってきましたので大したものはない?

夏秋山水図 奥谷秋石筆 その3&その4

最近は夜寝るときには窓を開けて寝れる様になりました。秋風と虫の音を聞くと季節の移り変わりを堪能できます。夏には蛙の鳴く声、冬には雪の降る音、そんな季節感が都会では高層マンションなどに住むと失われてきています。掛け軸にもそのような季節を愉しむ感性が欲しいものです。本日は季節感漂う作品の紹介です。

「奥谷秋石」は今ではすっかり忘れ去られた画家と言えますが、当方ではその画力を高く評価しています。本ブログでも記載のとおり著名な画家の作品は贋作が非常に多いですから、著名な画家ばかり蒐集するよりもこのように画力がある画家の作品を入手していくほうが、いいコレクションが出来上がると思います。

奥谷秋石の画風は、そのひと世代前の画家、川端玉章などとも共通点が多いですが、その一方で、同世代の竹内栖鳳とは、正反対といってもいいような画風です。栖鳳を「柔」の香りの強い画家とすれば、秋石は「剛」のにおいのする画家と表現されています。

本日紹介する作品は別々にあった作品ですが、双幅にしたら魅力が倍増するだろうと思い、二作品を同時に入手下作品です。

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魚住之瀧図 奥谷秋石筆 その4
絹本水墨着色軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1910*横610 画サイズ:縦1270*横490

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奥谷秋石:日本画家。大阪生。本名は常次郎(常治郎・恒一郎)、秋石・洗耳洞・曲水園と号す。

はじめ重春塘、のち森寛斎に師事し円山派を学ぶ。早くから橋本雅邦・川端玉章を主領とした青年絵画協会や日本絵画協会等に出品し受賞を重ねた。

明治44年日月会展で日月賞を受賞。昭和5年第2回聖徳太子奉讃美術展に『白雲紅樹』で入選。また家塾を開いて門弟の養成に尽くし、明治・大正・昭和初期の京都画壇に重きをなした。昭和11年(1936)歿、65才。

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*「魚住の滝(うおずみのたき)」は、大分県竹田市の大野川にある滝。落差約5m、幅約15m。

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古くから知られた名瀑で、昭和初期に選定された日本百景のひとつにも数えられているが、1955年(昭和30年)にすぐ上流に竹田調整池堰が建設されたことなどにより、往時の景観は損なわれている。

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本作品が果たして「魚住の滝(うおずみのたき)」を描いた作品かどうかは不明です。画題の根拠は合箱に書かれた題名からですが、滝の落差に違いがあるように思われますので、確証はありません。ただ「魚住の滝」なら、調整池堰ができる前の貴重な作品となります。

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高雄之図 奥谷秋石筆 その3
絹本水墨着色軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1960*横620 画サイズ:縦1270*横490

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このらの作品も画題の根拠は箱書からですが、「高雄」が八王子の「高尾山」なのか、はたまたまったく違う地を描いたのかは不明です。

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表具の大きさに若干の違いはあるものの、本紙の大きさは同じですし、ひとつは右に落款、もうひとつは左に落款・・・、双幅の条件が揃っています。題名は「夏秋山水図」が当たり障りのない題名かな?

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*奥谷秋石は今の裏千家家元の先々代、淡々斎に絵を教えおり、待合などの茶掛け作家としても著名であった。また本ブログでもお馴染みの山元春挙は森寛斎の同門の画家です。

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箱の大きさは同じです。表具寸法を同じにすると違和感の少ない双幅の作品となります。どちらともに水の描きが抜群の出来の作品です。

鐘馗図 森徹山筆 その2 ・菅茶山賛

最近の「なんでも鑑定団」で小村大雲の作品が紹介されていたようです。本ブログでもなんどか紹介されている画家ですが、それほど著名でもない画家を取り上げたのには驚きました。また本ブログで最近改めて投稿されている山元春挙の作品も小村大雲の師として紹介されていました。それにしても評価額の現実離れした金額には改めてびっくりしますね。

さて本日は「森徹山」の作品の「その2」の紹介です。小生が好きな「鐘馗」を描いた作品であることと賛が著名な儒学者「菅茶山」であることが購入した大きな動機です。

鐘馗図 森徹山筆 その2・菅茶山賛
紙本水墨軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2400*横792 画サイズ:縦1370*横583

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大幅いっぱいに描かれた「鐘馗図」です。なんともとぼけた鐘馗様ですね。「鐘馗図」は魔よけ、吉祥の図柄として好まれています。

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何度も記載していますが、改めて鐘馗様の謂れをきしておきます。

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鐘馗:中国で広く信仰された厄除けの神。唐の玄宗皇帝が病床に伏せっていたとき、夢のなかに小さな鬼の虚耗(きょこう)が現れた。

玄宗が兵士をよんで追い払おうとすると、突然大きな鬼が現れて、その小鬼を退治した。そしてその大きな鬼は、「自分は「鍾馗」といって役人の採用試験に落弟して自殺した終南の者だが、もし自分を手厚く葬ってくれるならば、天下の害悪を除いてやろう」といった。

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目が覚めるとすっかり病気が治っていたので、玄宗は画士に命じて鍾馗の姿を描かせ、以来、鍾馗の図を門にはり出して邪鬼悪病除けにするようになったという。

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初めは年の暮れの習俗であったが、のちに5月5日に移り、図柄としては鍾馗が刀を振るってコウモリ(蝙蝠)を打ち落としているものが好まれた。これは蝠の字が福に通じることから、これによって福を得たいという気持ちを表現したものである。

この鍾馗の信仰は、日本にも伝わって室町時代ごろから行われ、端午の節供を通してなじみが深い。

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森徹山の作品はすでに下記の作品が本ブログで紹介されています。興味のある方は本ブログで検索してみて下さい。

瀧ニ猿公図 森徹山筆
絹本水墨着色軸装 軸先象牙 添状付二重箱
全体サイズ:縦1960*横510 画サイズ:縦110*横345

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上記の作品についてですが、古来日本では、猿は神の使者と信じられています。そして、「サル」と「去る」の語呂合わせから、災いを取り去るという縁起物として知られていますし、また「落ちない」という意味からの縁起ものともされています。森徹山は縁起物の作品を多く描いた?

森徹山は応挙門下で応挙十哲の一人。また猿の絵で著名な森祖仙は叔父にあたり、森祖仙の養子になっている画家です。

*応挙十哲:応挙の門人のうち、下記の最も優れた10人をいう。
駒井源琦・長沢蘆雪・山跡鶴嶺・森徹山・吉村孝敬・山口素絢・奥文鳴・月僊・西村楠亭・渡辺南岳

本ブログではあくまでも真贋を別として、駒井源琦・長沢蘆雪・森徹山・吉村孝敬・山口素絢・渡辺南岳の六人の画家の作品を紹介しています。

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森徹山:生年: 安永4 (1775)~没年: 天保12.5.6 (1841.6.24)。 江戸後期の四条派の画家。大坂の人。大坂生。名は守真、字は子玄・子真、徹山は号。

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森狙仙の兄周峰の子、森狙仙の兄の周峯の子で,狙仙の養子となった。父及び円山応挙に学び、応挙門下十哲の一人。

狙仙の勧めで、晩年の円山応挙について画を学んだ。狸などを飼って、その写生に励み、動物画家として名をなした。また好んで獅子,虎などを描いた。

狙仙の跡継ぎではあったが、狙仙の画風とは異なり、完全に円山派の画風によった。大坂に住んで京都と行き来し、円山派を大坂にひろめた。また江戸へ下り、京風の画を江戸に伝えた。のち大坂に帰り、熊本藩主細川氏の藩臣となる。

謹直、子ぼんのうで、子供の着物の模様の下絵を自ら描いたりしたという。門人の森一鳳、森寛斎は義子。67歳で没し、京都の帰命院に葬られた。

代表作に「双牛図屏風」(東京国立博物館蔵),「千羽鶴図屏風」(プライス・コレクション)などがある。

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補足

大坂船町(現在の大阪市大正区)で、森周峰の子として生まれる。寛政2年(1790年)徹山16歳時の『浪華郷友録』では、森周峰、森狙仙の次に徹山の名も記載されており、既に狙仙の養子となり、名の知られた絵師だったことがわかる。

狙仙の勧めで、晩年の円山応挙について画を学び、寛政7年(1795年)の大乗寺障壁画制作では、わずか21歳で小画面ながら『山雀図』を描いている。

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徹山の妻はゑんといって京都の仏師・田中弘教利常の娘だったが、ゑんの姉・幸は応挙のあとを継いだ円山応瑞の妻であり、徹山と応瑞は義兄弟といえる。

大坂に住み、しばしば画家としても著名な木村蒹葭堂宅を訪ねている。また、大坂と京都と行き来し、円山派を大坂にひろめた。67歳で病没。墓は京都の帰命院と、大阪の西福寺にある。

画風は実父・周峰から学んだ狩野派と、養父・狙仙ゆずりの動物写生に円山派の写実を加味し、情緒性に富むのが特色である。

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特に動物画を得意とし、狙仙のように猿だけでなく、あまり描かれない動物も巧みに描いている。応挙と応瑞の指導も受け、天保3年(1832)から9年間、京都御所の御用絵師を勤めるほど、有名になりました。本当に周峰と狙仙を合わせたような画風で、禁裏(きんり=皇居)のふすま絵や屏風等も描いています。

徹山には二子がいたが、共に妻の実家・田中家の養子となり、仏師となったため森派を継がなかった。

弟子に婿養子となった森一鳳、養子となった森寛斎、他に森雄山、和田呉山などがいます。

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森祖(狙)仙から森徹山、森一鳳へと続く森派は、繊細な毛描きによる動物画を得意とし、近世大坂画壇における写生画派の代表として、重要な位置を占めていた。徹山は森派を継承した写生的で抒情性に富んだ作風といえる。

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円山派の二代円山応端と義兄弟、また弟子の「森一鳳」は「もうかるいっぽう」として人気のあった画家です。この画家も本ブログで紹介されています。

「菅茶山」についてはおそらく本ブログでは初めての紹介となります。文人画家らと交流があり、その関連から画家らとも交流があったと推察されます。

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菅 茶山(かん ちゃざん(さざん)):延享5年2月2日(1748年2月29日)~文政10年8月13日(1827年10月3日))。江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。

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備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。農業・菅波久助の長子として生まれる。茶山が生まれ育った神辺は、山陽道の宿場町として栄えていたが、賭け事や飲酒などで荒れていた。

学問を広めることで町を良くしようと考えた茶山は、京都の那波魯堂に朱子学を学び、和田東郭に古医方を学んだ。

京都遊学中には高葛陂の私塾にも通い、与謝蕪村や大典顕常などと邂逅した。故郷に帰り、1781年(天明元年)頃、神辺(現在の福山市)に私塾黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)を開いた。皆が平等に教育を受けることで、貧富によって差別されない社会を作ろうとした。塾は1796年(寛政8年)には福山藩の郷学として認可され廉塾と名が改められた。

茶山は1801年(享和元年)から福山藩の儒官としての知遇を受け、藩校弘道館にも出講した。化政文化期の代表的な詩人として全国的にも知られ、山陽道を往来する文人の多くは廉塾を訪ねたという。

詩集『黄葉夕陽村舎詩』が刷られている。(復刻版は葦陽文化研究会編、児島書店、1981年(昭和56年))

廉塾の門人には、頼山陽・北条霞亭など多数。墓所は神辺網付谷にある。「廉塾ならびに菅茶山旧宅」は1953年(昭和28年)に国の特別史跡に指定された。

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賛の読み(一部当方では判読不能です)

遊印
終南進士姓□鐘 長剣峩□称鬼□
千戴於□□霊銎 家々□上突□瞳 
百助 押印(「晋帥」朱文白累印)


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賛には上部に遊印、下部には晋帥(ときのり)の累印が押印されています。落款は「百助?」・・。

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*終南進士:鐘馗は唐の終南山に住む進士

日本では、江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになりました。京都市内の民家(京町家)など近畿〜中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10〜20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができます。

これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされています。

平成25年(2013年)12月、京都市東山区にある若宮八幡宮社の境内に日本初となる鍾馗を祭った鍾馗神社が創建されたそうです。

本作品は表具がなかなか立派な表具で、軸先も象牙が使われています。

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天地の布地には龍の文様があしらわれています。

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本作品は特大の鐘馗の作品で、菅茶山の賛・・・、ひとつは欲しいと思っていた鐘馗の作品ですが、当方ではずいぶんと作品数が多くなりました。

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小生も縁起物好き・・・、それにしてもこの大きさ、長さ2.4メートルは本展示室でもぎりぎりの大きさです。

嬌羞 島崎柳塢筆

畑で採れた芋を会社でおすそ分け・・・。

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さて祖父は美人画好きなようで、展示室で他の作品には目もくれず、この作品がいいと・・・Image may be NSFW.
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嬌羞 島崎柳塢筆
絹本水墨着色軸装 軸先塗 共箱
全体サイズ:縦1917*横393 画サイズ:縦1100*横363

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共箱に「甲辰夏日」とあり、明治37年(1904年)頃、40歳頃に描かれた作品であると推察されます。印章には「湘々亭」という号が使われています。

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共箱部分の拡大は下記のとおりです。思うにこのような落款と印章の資料はインターネット上では非常に少ないですね。

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題名の「嬌羞(きょうしゅう)」は「女性のなまめかしい恥じらい」という意味で、「嬌羞を含んだまなざし」などとして使われる。

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島崎 柳塢(しまざき りゅうう)については本ブログでは初めての紹介となりますので、来歴を下記の記します。

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島崎 柳塢(しまざき りゅうう):慶応元年5月4日(1865年5月28日)~昭和12年(1938年)1月21日)。日本の明治時代から昭和時代の日本画家。特に美人画を能くした。川端画学校教授。

江戸牛込で生まれる。本名は友輔、字は子文、別号に黒水漁史、湘々亭、栩々山人、春岡外史など。曽祖父は大田南畝の実弟・多田人成。父は酔山と号する清水赤城門下の漢学者で、東京では名門の一つとして知られていたという。

幼少から父より漢学を学び、書は高田忠周に、詩を植村蘆洲に学び、小学生時代は夏目漱石と親しかった。明治12年(1879年)桜井謙吉に洋画を、竹本石亭に南画を学んだあと、松本楓湖に師事する。しかし、明治14年(1881年)第2回内国勧業博覧会で川端玉章の「浜離宮秋景図」を見て感動し、その門人となる。

玉章主催の天真画塾で学ぶ傍ら、明治18年(1885年)から同25年(1892年)まで大蔵省印刷局に勤務し、製版印刷技術を身につける。この時紋様図案を熱心に研究したことが、後の風俗美人画でも活されることになる。

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明治24年(1891年)村田直景・丹陵親子と、同塾の若手・福井江亭らと日本青年絵画共進会の創立に尽力する。翌年の同会主催の第1回青年絵画共進会では審査員に推挙され、その後も同会の指導者的存在だった。

明治29年(1896年)三井呉服店から委嘱を受け、染色の意匠図案を手がける。同年発足した日本絵画協会にも参加し、有職故実に則した近世風俗画を発表するようになる。

明治30年(1897年)の第3回絵画共進会では、「春園」で二等褒状を受ける。しかし、日本絵画協会が次第に東京美術学校の若手で占められるようになり、翌31年(1898年)望月金鳳らの呼びかけに応じて日本画会の設立に参加し、その幹部となる。以後、日本美術院には参加せず、むしろ旧派の日本美術協会へ移る。

日本美術院の観念的理想主義に対し、自然主義を唱えた无声会に参加し、ここで力作を発表した。明治40年(1907年)東京勧業博覧会では「美音」で二等賞を受賞。

*下記の作品の「美音」は東京国立博物館所蔵です。

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明治45年(1912年)『柳塢半切畫集』を画報社から出版。文展には毎回出品したが、帝展改組後は関わりを持たなかった。

昭和12年(1938年)日暮里の自宅で没した。享年71。

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島崎柳塢は今では「忘れ去られた画家」と言っていいほど知っている人は少ないと思います。

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小樽の鰊御殿、貴賓館には「八仙の間」の屏風を島崎柳塢が描いています。また三越(当時の三井呉服店)が、新橋の名妓(めいぎ)小ふみをモデルにして島崎柳塢に描かせた作品があり、東京新橋駅待合室に飾られていたことがあります。

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なお上記の記事には記載されていませんが、島崎柳塢は本ブログでお馴染みの平福百穂、結城素明らと手を組み、旡声会を結成しています。

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明治、大正、昭和へ連綿と続く美人画の世界は源流は浮世絵にあったと思いますが、幕末の浮世絵美人画が退廃したことに比して、品格というのを求めたのが近代日本美人画でしょう。

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着物の柄に描かれた鳥は鶯?

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梅が描かれていますので、描かれたのは夏ですが飾るのは初春でしょうか。

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人気の高い近代美人画の作品ですが、今では知られていないちょっと粋な作品を入手するのも一興かと思います。

小生は美人よりも旨みのある「芋」がいい・・。

花之図 藤井達吉筆 その17

藤井達吉は、当時の分業と技術偏重を特徴とする旧来の職人主義的な工芸観を排し、自然の観察に基づいて作家が自ら模様を生み出し、制作までを一貫して行うべきことを主張しました。それは、工芸が「芸術」として自立する道を模索した、この時代の新進の工芸家たちに共通する思いを代弁したものでもあったと言えます。

花之図 藤井達吉筆 その17
紙本水墨淡彩染付和紙軸装 軸先陶器 合箱
全体サイズ:縦1265*横595 画サイズ:縦310*横470

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上記の工芸に対する思いを藤井達吉の言葉で引用しますと次のようになります。

•「工芸とは本来、絵画・彫刻・及び工芸全般を包合し、総合的に作られてこそ一つの作品となるもので、その内一つでも欠けることは許されない。」

•「工芸においては、絵画も一義、図案も一義、素材も一義、枝術も一義であり、全てが整って初めて一つの作品となる。 つまり、工芸は全ての芸術的要素を含んだ総合芸術である。」

•「旧来、工芸品は数人の分割された職人の手仕事によって作られており、作り手の作意は表に出さなかったが、これでは本当の芸術とは言えない。一つの作品の、図案から制作までを一人でおこない、作者の人間性を表現して初めて芸術作品と言える。」

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和紙を自分で考案し、絵を自分で描き、表具の素材も自ら作り、表装のデザインを行い、軸先も陶器で製作してひとつの掛け軸を作り出しています。

絵の下手な漆器、表具を知らない日本画家、ものづくりに大切な何かを置き去りにした工芸品が市場を占めている現代へのアンチテーゼかも・・。

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また藤井は、従来はほとんど見向きもされなかった薊(あざみ)や羊歯(しだ)、鶏頭などの身近な植物を模様のモチーフとして取り上げながら、七宝、象嵌、刺繍、染色、金工など、あらゆる技法を用いて、手箱や盆、帯や着物といった身の回りの品々から、図案集、装幀、さらには日本画まで、多様な作品を手がけることとなります。

このような藤井の制作態度にはまた、「生活の芸術化」を志す、一貫した信念がありました。『主婦之友』に「手芸」についての連載を行うなど、家庭生活を豊かにするために、広く素人である主婦の啓蒙に尽力したことも、藤井の大きな功績の一つと言えるでしょう。

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この作品の題名は仮題として「花」にしましたが、躑躅でしょうか?

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美術学校にも行けず、独学で芸術の道を歩んだ達吉に美を教えたものは、「自然」であったそうです。草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだそうです。

路傍の雑草一本にも心を使い、庭は手入れをせず、自由奔放に育った雑草と四季の移り変りの美を大切にしたそうです。このことは、達吉の多くの作品の基となっているデザインを見れば一目瞭然ですね。

上記を藤井達吉の言葉で表現すると下記のようになるのでしょう。

•「自然を見つめる。言い換えれぱ自然を愛すること。そして自然に教えられることが芸術の第一歩ではなかろうか。」

•「写生から出発し、写生を超越して創造に行くのが芸術である。」

•「自然を観察せよ。」

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さらには達吉の言う「人間らしさ」とは、常に向上することであると言っています。つまり、咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづけるという意味でしょう。それは、人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと言えるのでしょう。

藤井達吉は下記の言葉を遺しています。

•「芸術作品は、作者の人間性、全人格が優劣を決めるのであって、技術ではない。」

•「最後は『人格』に帰する。何をしてもこの『人格』の表現だ。」

•「より人間らしく生き、人間らしく生きるために芸術をおこなうのである。」

•「咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづける」

•「人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと」

藤井達吉が友人に当てた書簡に有名な次の言葉があります。

•「芸術とは何ぞや宗教なり 宗教とは何ぞや真実なり 真実とは何ぞや愛なり 愛とは何ぞや芸術なり」

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絵に合った和紙を自分で考案し、掛け軸に仕立てた作品は数多くあります。

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ただ野菜などを戴いた方にお礼に描いた作品も数多く存在し、共箱の作品は意外に少なく、表具が凡庸なものも多くあります。本作品も共箱ではなく作品に押印された印章のみです。

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写真では解りにくいのですが、この絵にこの表具はよく似合っています。

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布のように見えるかもしれませんが、表具はすべて紙で作られています。

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奇抜なデザインの作品も多々ある藤井達吉の作品ですが、基本的には渋いデザインを真骨頂にしているように思います。

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今では知る人も少ない藤井達吉ですが、今こそ「旧来、工芸品は数人の分割された職人の手仕事によって作られており、作り手の作意は表に出さなかったが、これでは本当の芸術とは言えない。一つの作品の、図案から制作までを一人でおこない、作者の人間性を表現して初めて芸術作品と言える。」という思想を考え直す時のように思えます。

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何からなにまで人任せの風潮のある中で、現代人は高齢化の時代を迎えていますが、なによりも大切なのは「咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづける」姿勢である思うのは小生だけでではないように思います。



倉田松涛 特集 その1

週末には特老の施設を見学。

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母が今後、特老に入所するための段取りです。

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さて本日はは地元出身の画家、倉田松涛の特集です。地元の作品は地元に帰す・・、そういう趣旨で今まで蒐集してあった作品を整理していますが、その手始めが「倉田松涛」の作品です。

*今回は作品の一部を紹介しています。全体はブログ掲載の作品を検索してみてください。

表具が痛んだ状態で購入したため、改装した作品。家内のお気に入りの作品でもあります。

鍾馗図 倉田松涛筆 その2
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 箱入 
全体サイズ:横480*縦2110 画サイズ:横345*縦1365

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逃げ惑う鬼・・・。松に木に潜んでいます。

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下記の作品は1908年(明治41年)、倉田松涛が41歳の作です。

羅漢図 倉田松涛筆 その7
紙本水墨淡彩軸装 軸先練 箱入 
全体サイズ:横592*縦2020 画サイズ:横465*縦1220

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次の作品は1918年(大正7年)の作であり、倉田松濤が51歳の時の作品です。張果老を描かず瓢箪と駒を描いています。

瓢箪駒図 倉田松涛筆 その9
絖本水墨淡彩軸装 軸先骨 合杉箱入 
全体サイズ:横515*縦1970 画サイズ:横335*縦1320

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倉田松涛(濤)の作品はテレビで放映されている「なんでも鑑定団」に「鴨図」が出品されていますが、「四条派の手法で輪郭線を用いず立体的に描き、それに対して岸辺の描き方は、長崎派の手法で牧歌的に描いている。」と解説され、「平福穂庵に師事、主に花鳥画を得意とした。」と記されています。この倉田松涛への説明は少し的が外れているように思います。仏画を中心としてもっとあくの強い画家です。

達磨図 倉田松涛筆 その11
紙本水墨紙軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横460*縦1730 画サイズ:横340*縦1090

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「なんでも鑑定団」のなんとも普通の作品への評価金額が20万! いくらなんでも高すぎますね。普通はその10分の1が相場です。

羅漢図 倉田松涛筆 その14
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横370*縦2050 画サイズ:横330*縦1260

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下記の作品は他の所蔵品に同一印章で製作時期が著されており、本作品もまた同じく大正14年(1925年)頃、同時期作と推察されます。

*描かれているのは海老の他に「橙」と「瓜?」の吉祥画題と思われます。

海老之図 倉田松涛筆
絹本水墨着色紙軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横528*縦1842 画サイズ:横394*縦1044

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下記の作品は大正年代の頃?

達磨画賛 倉田松涛筆 その18
紙本水墨紙軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横465*縦2020 画サイズ:横335*縦1310

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虎之図 倉田松涛筆 その23
紙本水墨着色軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1800*横630 画サイズ:縦1080*横425

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この画家の作品はデイテールの描き方が実にユニークで面白いですね。

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今回の最後の作品なまだ未投稿の作品かもしれません、

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これは「鍾馗」を描いた作品のようです。

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最初と最後は「鍾馗」・・・。倉田松涛(濤)の作品、再評価されるべき画家だと小生は思うのですが・・。

リメイク 贋作考 鯉 伝徳岡神泉筆

掛け軸の紐の巻き方には種々ありますが、いろいろとやってみると下記の写真のやり方が一番美しいように思います。

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ただ紐の長さ、紐の痛み具合、撚れの癖、ほどけやすさによっては通常の単純な巻き方のほうが便利かと思います。

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この結び方を知っている人は少ないと思いますし、慣れていないと紐を痛ませないとも限りませんが、紐の結び方を乱暴に行なう人もいるので、単純な基本的に結び方くらいは知っておいたほうがいいでしょう。この状態で必ず和紙で掛け軸は包んでください。この和紙が湿気対策には非常に有効なようです。

本日は小生が蒐集を始めたばかりの頃に入手した作品です。むろん「伝:」ですが・・。なんどかブログには「鯉」の作品の一部として投稿されていますが、きちんとした投稿としては未投稿の作品です。むろん大家の作品ゆえ、真作とは考えていませんが、真作でなくてもいろんな意味で所蔵してもためになる作品があるものです。

鯉 伝徳岡神泉筆
絹本着色絹装軸供箱二重箱 
画サイズ:横435*縦352

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徳岡神泉の「鯉」はこのような淡白な作品ではないと思います。ただ蒐集を始めたばかりの頃には良いものも悪いものの思い出がたくさん詰まっています。まったく意味の無い贋作は処分しましたが、飾って愉しめるものは少し遺しておきたいもののあります。

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徳岡神泉:(とくおか しんせん 1896年2月14日 ~1972年6月9日)明治29年生まれ、昭和47年没。享年77歳。名は時次郎。京都に生まれ、

京都絵画専門学校を卒業後、竹内栖鳳塾に遊び、「菖蒲」、「鯉」等の作が著名であり、京都写生派の流れに立った写実を発展させ、自らの鋭利な感覚を包み、模糊としたやわらかい雰囲気を描出する神泉様式とも表現される幽玄かつ象徴的な独自の日本画は、戦後の日本画に大きな影響を与えた。

作品全体に深い印象を与える繊細な地塗りも有名。

日展委員を務め、1966年(昭和41年)文化勲章受章。

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背景の地塗りがもっとたしかに繊細で深みのあるのが徳岡神泉の作品の特徴ですね。この作品にはそのへんが乏しい。

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補足

1896年(明治29年)2月14日、京都市上京区に生まれる。

1909年(明治42年)に土田麦僊の紹介で竹内栖鳳の画塾竹杖会に入り、本格的に画を学ぶ。翌年には京都市立美術工芸学校絵画科に入学。卒業までの4年間に、金牌、銀牌を獲得するなど優秀な成績を修め、卒業制作の『寒汀』は学校買い上げの栄誉を受けた。その後、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)へ進学する。しかし、ここまで順調であった神泉だが、思わぬ挫折を味わうことになる。当時の京都画壇では、官展に入選することが画家としての第一歩と考えられていた為、当然神泉も学校在籍時から文展へ出品するが、ことごとく落選。

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1917年(大正6年)京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)別科修了。

1918年(大正7年)、自身会心の作として『魚市場』を出品するが、これも落選してしまい、大きな衝撃を受ける。同級生などが次々と入選し画家としての人生の第一歩を歩むなか、神泉は芸術に対する煩悶から孤独になり、人に会うことすら嫌いになってしまう。この頃妙心寺などの寺を転々とした。

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1919年(大正8年)第1回日本無名展に『雲の流れ』を出品。見事に褒章を受けるも、自信の回復には至らなかった。その後、京都を離れ富士山麓の岩淵に逃避。この頃、俊成の号を用いる。

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1920年(大正9年)に結婚。この頃、号を神泉と改める。号の由来は名園として知られる神泉苑によっている。その後現在の静岡県富士市に移り住むも、初めからやり直すことを決心し、京都に戻る。そして、再び竹杖会に入塾する。

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1925年(大正14年)第6回帝展に『罌粟(けし)』が初入選。初出品から約12年も経ってのことだった。その後、第7回、第8回とそれぞれ『蓮池』、『鯉』が帝展特選を受賞。1930年(昭和5年)には帝国美術院無鑑査の資格を得るなど、自信を取り戻した。しかし、本人は「展覧会に入選してから絵らしい絵を描くようになってしまった」と、この頃の画と自分を省みている。

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1938年(昭和13年)新文展審査委員。 1939年(昭和14年)第3回新文展に『菖蒲』を出品。絶賛され文部省買い上げとなった。また、この頃の作品から神泉様式とも呼ばれる独自の画風の確立が見え出し、戦後の飛躍へとつながる。

1947年(昭和22年)に『赤松』を出品。当時は、その日本画の花鳥諷詠さが省略され、赤松の幹が二本描かれているだけの作品に、「これが本当に日本画なのか」と疑問の声も挙がった。しかし、この作品は神泉様式を決定づける戦後初期の傑作であり、また、この頃の作品から神泉の代名詞とも言える繊細な地塗りの効果が現れ始めた。その後、日展を中心に作品を出品。対象の内観まで入り込んだ写生とも言われる、独自の画風を確立させた。

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1951年(昭和26年)『鯉』で日本芸術院賞を受賞。1957年(昭和32年)には日本芸術院会員となる。

1961年(昭和36年)代表作『仔鹿』を出品。その極力単純化されたフォルムと、重厚かつ幽玄な雰囲気は、神泉様式の一つの到達点を示した。1963年(昭和38年)には東京、大阪で初の自薦展を開催する。

1966年(昭和41年)文化勲章を受章。この頃から体調の不安を訴えるようになるも、画業を続ける。しかし、1971年(昭和46年)には体調がすぐれず、画業がまったく捗らなくなってしまう。

1972年(昭和47年)6月9日、腎不全よる尿毒症により死去。76歳。従三位銀杯を賜った。

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手前の大きな硝子の瓶は岩田藤七の作品です。こちらは真作・・。

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マンション住まいの頃、窓辺に飾っておいた家内との思い出の作品です。

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「真作とは思えない作品」の掛け軸の作品の紹介でしたので、ちょっと口直し。

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現代の硝子工芸は格段の技術の進歩でいろんな作品が出回っていますが、近代硝子工芸の作品のほうが魅力的だと思うのは小生だけではなかろうと思います。




秋草図 中林竹洞筆 その1

我が展示室の鎮座する澤田政廣の観音像、金属製ゆえ地震にも大丈夫・・。

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本日の作品もまた男の隠れ家に保管していた作品ですが、蒐集を始めて間もない頃の入手で、鑑識の知識も資料も未熟な段階での購入でしたが、嬉々として作品を愉しんだ記憶が懐かしいです。

秋草図 中林竹洞筆 その1
絹本着色絹装軸 軸先箱入 
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦230*横358

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竹洞は晩年には、京都西陣の織工に命じて自ら好む絵絹を織らせ、これを竹洞裂と呼んでいます。この絵絹は独自のもので、目が粗く、光沢があり、竹洞はその絵絹に上品に色彩画を描いたそうです。

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本作品はその条件を備えているかどうかは小生のほうでは詳しくは知りませんので後学とさせていただきます。

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印章は「成晶之印」の朱方印と「竹洞山人」の白方印が押印されています。

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秋の夜長に虫の声を聞きながら愉しむにはもってこいにの作品のように思います。

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作品の栞をワープロのキーを叩きながら、色紙を選んで作っていた頃が懐かしい。

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桐の箪笥を分解して収納箱を作ったりもしました。

さて先週末は幼児も聞ける本格的なコンサートがあるというので、家内と三人で新百合まで出かけてきました。

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三曲あったのですが、二曲で「帰ろう」と言い出したので、ほかの観客への迷惑を考えて退出してきました。メンデルスゾーン作曲の「真夏の夜の夢」・・、結婚式などで聴いたら思い出すかな?

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なにはともあれ、週末は施設見学やらコンサートやらで忙しかったImage may be NSFW.
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 今週末には仕事がらみで帰郷Image may be NSFW.
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「秋の夜長に虫の声を聞きながら愉しむ」のは息子が寝付いた後の作品整理をしながらの深夜・・・・。



秋景浅絳山水図 伝青木木米筆

本日は陶芸家として名高い青木木米の掛け軸の作品の紹介ですが、青木木米は陶芸家と思っている方も多いでしょうが、実際は青木木米は画家としてのほうが評価が高いのです。本作品については「伝」とさせていただきます。

贋作と思われる方のあるでしょうから、興味ある方は鑑賞して下さい。なお小生の好きな作品のひとつです。

秋景浅絳山水図 伝青木木米筆
絖本淡彩軸装 軸先 三重箱伝世品 
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横295*縦700

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仙台の骨董店より購入した作品ですが、店主(今では亡くなっている方ですが・・)に「おいくらですか?」と恐る恐ると尋ねると、「八十八万。」とのこと。むろん洒落で青木木米の「米」をもじった値段です。売るほうも買うほうも真作とは思っていないが、そう安くはない値段です。

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「ともかく愉しみなさい。」と譲っていただきました。

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久方ぶりに茶室に飾り鑑賞しました。手前は「志野織部獅子香炉」です。この真贋はまた別の機会に・・。これもまた小生と家内が好きな作品のひとつです。

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品の良い表装です。

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印章は「木米」と「米来」の白方印が押印されています。

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絖本に淡彩で品良く描かれています。

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青木木米が画の傑作を生み出した期間は化政年間と言われています。化政年間は文化年間(1803~)と文政年間(1817-1830)の下の二文字をとり、合わせた造語です。

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この絵の面白いのは逆さまにして見ても絵になっている点です。印章も逆さま?

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最終の外箱は当方で栞と共に製作しました。手前の「志野織部」の獅子香炉は桃山時代の作品として入手しております。

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初代京都美術倶楽部の児島嘉助は当時の目利きとして有名な美術商「米山居」店主?であり、吉兆の建物は児島嘉助の高麗橋三丁目の本宅と嵯峨の別荘をもらいうけたものだそうです。

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いろんな署名がなされている箱です。ただこういうものがあるから本物ということにはなりません。

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添書が同封されていますが、記されている「山添蠖軒」は明治頃の呉服商。京都室町の人。名は謙。歿年未詳で詳細は当方では資料不足で判明していません。

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今となっては元手はとった作品です。どういう意味かって? それは読めれた方のご想像にお任せします。

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最後は作品を逆さまにした写真です。ちなみに青木木米の山水画を化(け)物山水と称する作品、もしくは一部をそう称します。これは青木木米が画の傑作を生み出した期間は化政年間の「化」の字とごつごつした岩などの描き方からの呼称のように思いますが、小生はその画面構成からもあり得ると思っています。

とにもかくにも愉しめる作品、骨董の真髄、ここにありかImage may be NSFW.
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リメイク 業平東下り之図 平福穂庵筆

義父が天井裏に仕舞っておいた箱の中にあった作品。しかも見せてくれた理由は、りんご台風で屋根が飛ばされて天井裏を片付けるためでした。箱には幾つもの掛け軸があり、その中からめぼしい作品は今も表具を改修したりして、男の隠れ家に飾っています。

業平東下り之図 平福穂庵筆
紙本淡彩軸装二重箱 
画サイズ:横538*縦843

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本作品は「穂庵」の印章を用いていますが、落款は初号の「文池」とされていることから平福穂庵の初期の頃の作品です。

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「□庵丙寅仲秋 文池謹画」とあることから、慶応2年の秋の作品であり、穂庵が23歳の作と推察されます。京都へ修業に行き、秋田へ帰郷して間もない頃の作品と思います。「文池」の落款の作品は非常に珍しいもので、地元には何点かあったのを見たことがあります。ただ平福穂庵の作品として愚作の部類でした。

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穂庵の作品は、水墨淡彩で筆に勢いのある作風と、晩年の四条派の影響を多大に受けた着色画に大別されますが、前者の代表作「乞食図」や「乳虎図」のように前期の水墨淡彩で筆力のある作品が穂庵の真骨頂だと思います。

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上記のように本作品はりんご台風で屋根が飛ばされた時には天井裏に保管されていた作品です。ちなみに台風で屋根が飛ばされたことが男の隠れ家を改修する契機となっています。

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義父が天井裏に保管していたこともあってか、義父から見せられた当時は痛みがひどいため後日、表具を改装しています。当初は誰も平福穂庵の作品とは気がつかず、小生が「文池」が平福穂庵の初号であることを文献で知り、作者が平福穂庵であると断定できました。

骨董には感性も必要ですが、なんといっても基本知識が必須であり、いつでも解るように記憶にとどめておく能力が必要のようです。

感性で只ならぬ作品と感じ、調べ尽くすと著名な画家の作品であったということはよくあることです。

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今は表具を改装し、保管箱を製作し、栞を作って保管しています。

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資金も少なく、屋根裏から出てきた作品については少しずつ保管の手配をしましたし、男の隠れ家では今も改修が続いています。

入江孤舟図(仮題) 平福穂庵筆 その17(再整理番号)

昨日に引き続き、郷里の画家である平福穂庵の作品の紹介です。つまらぬ作品と見るか、良き作品とみるか、感性の差ですね。このような山水画を味わえる御仁が少なくなりました・・・Image may be NSFW.
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入江孤舟図(仮題) 平福穂庵筆 その17(再整理番号)
紙本水墨軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦215*横500 画サイズ:縦1100*横310

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落款には「羽後?穂庵芸」とあり、「羽後」ということから幕末期~明治初期の作と推察していますが、どうも資料では明治20年頃の作品にも「羽後?」という落款を記しているというものもありそうですので、描いた時期は当方の判断は後学とならざるえません。

*遊印は判読できていません。「□湖南」? 題名は「湖上弧舟」が適切?

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白描山水画のような余白の白が印象的な作品。

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印章は白文朱方印「芸耕之印」、朱文白方印「穂庵」、そして右下に遊印が押印されています。箱書など作品以外の資料は一切ありませんが、真作と判断しました。

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羽後国(うごのくに):東北戦争終結直後に出羽国を分割し制定された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は羽前国とあわせて、または単独で羽州(うしゅう)。領域は秋田県のうち鹿角市と小坂町を除いた大部分と、山形県の飽海郡、同じく山形県の酒田市の最上川以北部分にあたる。幕末から明治初期の地方の呼称。

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平福穂庵は渡辺省亭と親交があったようで、偏屈な渡辺省亭は一流の腕前のある人物としか付き合わないと公言していたことからも平福穂庵を高く評価していたことがうかがえます。

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四条派のような作品をイメージする人も多い平福穂庵ですが、こうような水墨画の力量は並々ならぬものがあると小生は評価しています。この山水画もまた歴代の南画家を凌ぐ作品だと思います。

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荒い筆遣いに最低限の絵の構成、見事としかいいようがありません。表具には一寸ほどの象牙が使われており、所蔵者が大切にしていたことも解ります。

ちなみに象牙の軸先を軽く見てはいけません。象牙の軸先はいまや貴重品で、小生が入手した値段はこの象牙の軸先の値段よりもきっと安いと思います。ちょっと良いものになると数万円はする・・???

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このような作品は照明を暗くして鑑賞すると雰囲気が出ますね。

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とはいえ息子は脇でマジックを片手に遊んでいますImage may be NSFW.
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息子がいたずらしないか油断はなりませんが、一度もまだ蒐集作品に悪さをしたことがありません。父子の信頼関係・・・??

説色山水精品双幅 伝龔賢筆

展示室の近況の写真です。

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浜田庄司の蠟抜の黍文の花瓶を飾っています。

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時間のある方は展示室でゆっくりどうぞ・・。

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さて本日紹介する作品はまだ若かりし頃に購入した作品です。古画に夢中になっていた頃・・・・。

龔賢筆 『説色山水精品』
紙本軸双幅水墨淡彩 箱入 
画サイズ:横309*縦243

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表具を再表具してありますが、折れの補修・補強があることなどから大切にされていたことが窺えます。

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龔賢:中国の清の世祖帝頃(17世紀中期)の画家。字は半千、または名は豊賢、字は野遣、号は柴丈。江寧の人、隠者の操あり。清初の文人画家の中で、最も宋元文人画法に基礎をおき濃淡豊な個性的画法を示した。金陵に流寓して詩と画とを供にして孤独な生活を送ったが、他の七氏を含めて金陵の八家と称される。

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古画にはなかなかいい作品がありません。市場には出て回らないほど納まるところに収まっているのかもしれません。

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古画の持っている雰囲気は一種独特のものがあります。人によってはただの古びた絵画のようにしか思わないかもしれませんが、飾ったとたんに場の雰囲気が変わるものです。

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テレビで観たのですが、鶴田浩二の娘さんが中国の有名な画家の古画を高値で骨董店に売りさばいている画像がありましたが、「なんという勿体無いことを・・・」と思いました。思わず「この馬鹿!」。父親が立派だと娘はだらしなくなるようです。

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骨董は人によってだいぶ価値観が違います。当方は人前ではあまり骨董の話はしないようにしています。理解してくれる人、知識がある方は少なく、的外れのコメントや忠告を戴くことが多くて閉口すのがオチです。

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さて本作品は小さめの作品ながら、絵の中で心を遊ぶことができますね。

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画中の人物となって画の世界に入り込んでいけます。

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印章のみですが、ただ今にして思えばかえって印章のないほうが作品としては価値があるのかも? 後印の可能性があるからです。

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「龔賢」という画家の作かどうかは当方では知る由もありませんが、このような出来のよい古画は市場には出回らなくなりました。インターネットオークションに出回る作品は後のコピーか模作、時代はあるものの出来悪いものが多いようです。

輪島塗梨地盛付皿

衆議院が解散となり、なにかと政界が慌ただしいようですが、民進党や都知事はなにやら本性が出始めてたように思っています。都民として、国民として真に必要な政治家は誰かを判断したいのですが、その前に政治家にしておくべきではないという判断があるのは残念なことです。

息子を風呂に入れて寝かしつけて、ちょっと休憩してからの夜更けからの作品整理ですが、その前に展示室前の大黒様をときおり拝んでいます。「社」の色紙の作品は福田豊四郎筆、蝋燭立ては源内焼、大黒様は平櫛田中作・・・。

「日本が間違いのない方向に向かいますように」と

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本日の作品は郷里の自宅の納戸を整理していたら出てきた作品です。母が紙箱に大切そうにしまっていた作品です。

輪島塗梨地盛付皿
合箱
口径241*高台径120*高さ98

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内側は梨地、外側は真塗のおそらく輪島塗で作られた作品でしょう。

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保護用に用いられてた新聞紙は昭和41年のもので、本家が引っ越す際に別家の母に分けていただいた作品と推察されます。

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以前に紹介した銀吹の膳などの一連の食器もまたそのときのものでしょう。

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本作品はほとんど使われることがなかったようで保存状態が非常に良好です。幾つか揃いであったもののひとつでしょう。

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銀吹の御櫃は修理が完了しており、現在、10客揃いの銀吹の膳は1客のみ試験的に補修が完了し、のこり9客が修理中です。

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前にも記述したように「銀吹」の膳は痛みがあり、銀粉が剥離してきており、変色もしていますので当時の美しさをそのままに修理とはいかないですが、「銀吹」そのものが珍しいことと、母が大切にしていたので費用をかけて保存することにしました。

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本作品も保存用に桐箱を製作し、紙箱にあった母の書付を一緒に入れておくことにしました。積み上げて保管することが多いので紙箱では破損することも考えられますから、いいものは木箱に入れて置くことが必要です。

右側は膳専用の保護布で覆われた銀吹の御膳です。この保護布も特注での製作となります。この状態で一対ずつまとめて五客に分けて保管しておく杉の保存箱が郷里にあります。膳などの保管はこのような保管箱が必須ですが、場所をとるのが難点です。

ところで桐箱に真田紐、これは平紐ではなく袋紐にすることが望ましいでしょう。袋紐のほうが高価ですが、平紐に比べて緩まないのが長所です。

*この世にはしがらみのないものはなく、リセットなどというものはものごとを急激にダメにするということを忘れずに・・。聞こえの良い横文字で、なにもしない、」できない人に騙されてはいけません。

源内焼 その103 三彩花文鉢

先週末は郷里は日帰り・・。空港からのバスから見た風景はすでに稲刈が始まっていました。

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駅前のハチ公・・、渋谷のハチ公は工事によって一時期的に設置がなくなるとか? その間郷里に設置するという案もある?

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本日はすでに本ブログで紹介されて100点を超えた源内焼の作品です。

源内焼 その103 三彩花文鉢
合箱入
作品サイズ:口径222*高台径*高さ65

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源内焼における単独の鉢には保存状態の良い作品は意外と少ないようです。実用的な作品が多かったことから揃いものが多く、重ねて保管されていたことが多いらしく、釉薬が剥がれている作品が数多くあります。

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本作品は保存状態が極めて良好ですのほうですが、底部分と縁部分に共色に近いもので補修されています。

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下地の黄釉が施された亀甲文に緑釉が施された唐草、見込みには葵の文様があり、将軍家に気を使った全体の文様になっています。大名家などに主に収めた作品なのでそのような文様を好んで使用したのでしょう。

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そのようなデザインでも決して媚のある作品ではなく、近代のデザインにも劣らないモダンさがあります。

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源内焼も後期の作品になると雑な型になりますが、これは型板を依頼していた浮世絵の鈴木春信の版木工房が衰退した背景があるのかもしれません。

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古九谷(再興古九谷を含む)、鍋島、そして源内焼が江戸後期の三大日本陶磁器群であると私は思いますが、同時期に廃れていったのも幕末から明治維新への動乱によるものではないでしょうか。

本作品は口径が222mmと見込みのある源内焼の中では、大きいほうの部類となります。参考文献にも同型の作品が掲載されています。

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陶磁器においても「文化は革命の寸前に最盛期を迎える。」という世界史の格言そのものですね。


秋山清影図 山元春挙筆 その3

週末には家族で近所の温泉へ・・。皆で出かけるのが愉しい息子はいそいいそと玄関で靴へらを使い始めました。出勤時に毎朝6時には、小生を見送るので覚えたらしい。

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出かける前にちょっとせき込んでいたので心配したのですが、やはり翌朝にはちょっと熱が出た・・・Image may be NSFW.
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 幼稚園はお休み・・・。

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明治天皇も好んだという山元春挙の作品ですが、本日紹介する本作品は大正時代に描かれた作品と推察されます。

秋山清影図 山元春挙筆 その3
絹本着色軸装 軸先合成樹脂 共箱
全体サイズ:横643*縦2320 画サイズ:横502*縦1390

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本作品は大幅と呼ぶにふさわしい、かなり大きな掛け軸の作品です。通常の床の間では掛けきれませんね。

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落款には「於蘆花浅水荘」とあり、「大正6年(1917年)6月11日帝室技芸員に任命され、同年に故郷の近くに別荘・蘆花浅水荘(国の重要文化財)を営み、のち庭内に記恩寺を建立、寛斎と父の像を安置した。」という下記の記述から、大正6年頃以降の作で、画風から大正年代の作ではないかと推察されます。

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蘆花浅水荘(ろかせんすいそう):大正10年(1921年)日本画家山元春挙の別邸として琵琶湖の畔(滋賀県大津市中庄)に建てられた近代和風建築である。所有者は宗教法人記恩寺。平成6年(1994年)に国の重要文化財に指定された。

蘆花浅水荘は、琵琶湖の西岸に位置する。山元春挙がこの土地を購入したのは1914年(大正3年)で、1921年に本屋が上棟された。画の師森寛斎(かんさい)と父母をまつるための記恩堂として建立されたことから記恩寺ともいう。

この庭は、三上山、湖南アルプス、琵琶湖を借景とし、書院の前面になだらかな芝生の小山を二つつくり、ひくくおさえられた松をところどころに植栽している。小山と書院前の芝生とのあいだに、幅広い白砂の流れをつくる敷地はかつて琵琶湖に直接面しており、敷地東端には舟着場が残っているが、その後、湖岸が埋め立てられ、湖岸道路が開通して、往時の景観は失われている。敷地の西寄りに本屋と離れが建ち、敷地東側は築山と流水を伴う庭園で、持仏堂、茶室などが建てられている。本屋は1階が居室、2階はアトリエと応接室になっている。

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インターネットでは「蘆花浅水荘」についての数多くの写真が掲載されていますが、現代ではこのような建造物や庭を造る方はいないのでしょうね。一度は訪れてみたいものです。

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掛け軸は大きさが縦長のもので雄大なものがいい・・。これが掛け軸の真骨頂でしょうね。

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天井が高くないとかけられないのが難点ですが・・・。

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縦長の空間に広い奥行き、各々の風景を楽しむことができ、心で遊ぶことができる。

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男の遊び、男の隠れ家の世界、そんな掛け軸の身近からなくなろうとしています。

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床に飾って、「蘆花浅水荘」に思いを馳せると共に、この雄大な作品をじっくり楽しんでいます。

干し網 酒井三良筆 その7

なにやら家内がお稽古用に使う面白そうな棗を入手したようです。

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田舎の家屋?に人物? なにかの物語性のある図柄のようですが、家内も判らないとか・・。

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保存用に付いてきた紙製の箱のサイズが合わないとかで、家内が自分で箱を直して「写真を貼ってね!」だと・・。そう、保存には箱の外に写真を貼っておくと中身を見ないで何か入っているか判るので便利・・・。

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本日は「その7」となった酒井三良の作品の紹介です。

干し網(仮題) 酒井三良筆 その7
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱 
全体サイズ:横665*縦1415 画サイズ:横540*縦445

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<本作品は共箱ではなく、作品のみですが、酒井三良の作品は共箱でないことはよくあります。酒井澄のよる鑑定箱などをよく見かけますが、本作品には鑑定箱書もありません。当方では参考作品「朝寒」(箱)・知人の旧蔵作品「汀」などと印章が一致し、作品の出来と相俟って、真作と断定しております。

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本作品は酒井三良がよく描く湖畔?の風景画です。

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知人(叔父)が酒井三良の作品が好きで、数多くの作品を蒐集しており、まだ酒井三良を小生が知らない頃に見せて頂いたことがあります。

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「酒井三良を知っているかい?」と聞かれた時に「いや、知りません。」と答えたら寂しそうな顔をなされたのをよく覚えています。

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酒井三良、小川芋銭といった画家を蒐集が本格的になるにつれて知ることとなり、その寂しそうな顔をされた意味がだんだん分かってきたように思います。

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「昭和21年、横山大観の勧めで茨城県五浦の大観別荘に移り、昭和29年、東京都杉並久我山に転居するまで暮らす。戦後、生活も徐々に安定していく酒井三良は自然と親しんでいた経験を元に、日本の風景や四季を愛しその風景を中心に描くようになる。自然に包まれながら生きる人々を素朴な筆致で詩情豊かに描いた画風で知られる。その淡く白みを基調とした作品はどこか繊細であり、緻密な表現力で描かれる日本人の琴線に触れるような作風が特徴。」と本ブログでも他の作品の解説にて投稿しているように、日本の自然の中での営みを情緒豊かに表現した作品を描いています。

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意外に思うよりも、ファンの多い画家ですが、今でもは知る人も私の蒐集前と同じで少ないでしょうね。

ちなみに酒井三良の作品は共箱よりも「酒井澄」などの所定鑑定人による箱書の作品が多く存在します。真贋は鑑定などなくても、数多くの作品を見ながら勉強していくととだんだんと解ってきます。酒井三良よりも要注意なのは小川芋銭ですね。

待人 木谷千種筆 その3

息子は39度の熱を出して幼稚園を休みましたが、パパさんの言うことよく聞いてぐっすり寝たら、翌朝からまた幼稚園へ・・。帰宅するといつものようにお出迎え。「今ね、ママのお手伝いしているの。」と前掛けしながら出てきました。「ん? 何のお手伝い?」「ご飯だよ!」 相変わらずの元気さに戻ったようです。

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さて、本日は木谷千種の作品の紹介です。

まくりに近い状態での美人画の作品(木谷千種 その1)を入手してから、木谷千種の作品とはたまに縁があり、本日の作品で三作品目の本ブログでの紹介となります。それほど著名な画家ではありませんが、根強い人気があるようです。

待人 木谷千種筆 その3
絹本着色軸装 軸先塗 共箱
全体サイズ:縦1220*横413 画サイズ:縦215*横180

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天地が古びてきており、絵の具の剥落もありますが、小品ながら大正時代の雰囲気を味わえる作品です。

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美人画には表具もちょっとこ洒落たものが多いのも楽しみのひとつ。

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胡粉の使われた作品は絵の具の剥離が早いので、太巻にして保存するのがいいのですが、小品にそこまでお金をかける人は少ない?

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そこでシミの発生も抑える目的もあり、額装にするのが一般的ですが、これには意外と費用がかかります。

参考作品
「卯の日」
思文閣「和の美」墨蹟資料目録第459・487号作品NO75・73

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箱書は下記の写真のとおりです。

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上記の参考作品と印章は一致すると思われます。

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本ブログにて紹介した「木谷千種」の作品は下記の作品があります。

柳下涼美人図 木谷千種筆 その1
絹本着色 軸先塗木製
全体サイズ:縦1100*横345 画サイズ:縦1910*横460

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本作品はすでに投稿済みの作品であり説明はそちらを参考にしていただきたいのですが、新築祝いに差し上げた作品のようで、だいぶ表具が痛んでいたので、当方で改装しています。

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まだ技術的には円熟期ではない頃の作品と推察していますが、品格は一目おける作品になっています。

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落款や印章は年代によって違いがあるようです。

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女童図 木谷千種筆 その2
絹本着色 軸先塗木製 合箱
全体サイズ:縦1770*横540 画サイズ:縦1085*横410

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こちらの作品は紙表具の作品。改装するかどうか迷うところです、

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さらりと描かれたスケッチのような作品ですが、品のよい作品となっています。

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落款は「千種女」と記されています。

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本作品を含めて各々制作年代に違いあるのか、画風や落款に違いがみられますが、贋作ということではなさそうです。

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美人画を飾ると少し展示室が華やいで見えます。

夕食時中に息子は「女の子が好きなの!」と危ない発言??? 聞いてみるとどうも久方ぶり(土日後、風で一日お休み)の幼稚園での遊び相手は女の子であったらしい。
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