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年賀状 猫 平福百穂筆 その30(真作整理番号)

寒くなると修理を依頼した作品の仕上がりが遅くなるようです。「銀吹きの膳」、「木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作」の二作品が昨年中に仕上がる予定でしたが、大幅に遅れています。とくに「木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作」は京都のお店に修理の依頼をしているですが、お雛様の節句の時期にあたり、修理の依頼が多いとかでまだまだ見通しがたたないようです。

昨年から当方の蒐集品は整理の中でも修理に主体を置いていますが、腕の良い修理を担当する職人が不足しているようです。日中は修理以外の仕事をしている方が多いようです。

さて本日の本作品はインターネット上で購入した作品ですが、お値段は5000円程度。インターネット上は真贋さえ解れば宝の山ですが・・・。

先日も寺崎廣業の明治期に作品が作者不明で出品されていました。ところが何人かの方が寺崎廣業の真作と気が付いたのでしょう。時間間際に落札されてしまいました。ただ、小生の見切り金額より高かったので安堵しています。そう、入札に際しては真贋のほかに市場の見切り金額というものを知っておく必要があります。

この作品の見切り金額?、、、、おそらく1万円程度だと思います。「見切り金額」とはいくらで売れるかという判断基準です。資金不足で損ばかりしていては蒐集家とは言えません。

年賀状 猫 平福百穂筆 その30(真作整理番号)
紙本水墨淡彩 年賀状 
はがきサイズ:縦145*横95

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なぜ平福百穂の真作か? これは感です。経験に裏付けられた感ですが、平福百穂の作としてインターネットオークションに出品されている多くの作品は贋作ですので注意してください。小生でも迷うことしきり・・。

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作品を購入するかどうかの根幹は面白い作品かどうかですが・・。その前に「正月に猫? 干支にあったかな? いったいいつの年だろう?」

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作品を購入後に年賀状の表面をみると明治38年らしい。平福百穂が28歳の作です。まだ若い!

明治24年から「百穂」の号となり、明治36年頃からは伊藤左千夫と親しくなりアララギ派の歌人としても活動しています。

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*********************************************

新海竹太郎:(しんかい たけたろう、慶応4年2月10日(1868年3月3日) - 昭和2年(1927年)3月12日)。現在の山形県山形市生まれの彫刻家。息子に画家の新海覚雄がいる。

仏師の長男に生まれる。初めは軍人を志し、19歳で上京後近衛騎兵大隊に入営。士官候補生試験に失敗し失意の日々を送っていたが手遊びで作った馬の木彫が隊内で評判を呼び、上官の薦めもあり彫刻家志望に転じた。1891年の除隊後、後藤貞行に師事。後藤は当時、高村光雲のもとで楠木正成像の原型の制作に当たっており、その助手を務めた。また浅井忠にデッサン、小倉惣次郎に塑造を学んだ。

1896年に軍より北白川宮能久親王騎馬銅像の制作依頼を受け、1899年に原型を完成させた(翌年鋳造、1902年に設置)。パリ万国博覧会を機に1900年に渡欧、パリを経てベルリンに移りベルリン美術学校彫刻部主任教授ヘルテルに師事、当時のドイツのアカデミックな彫刻技法を身につけた。1902年に帰国。同年中村不折らによって創設された太平洋画会の会員となり、以後同会の中心的な存在として活躍する。また1904年に太平洋画会研究所が創設されると彫刻部の主任となり、朝倉文夫・中原悌二郎・堀進二など多くの後進を育てた。甥の新海竹蔵も竹太郎に師事し彫刻家として活躍している。

竹太郎は騎兵科の出身である経験から馬の像を得意とし、前述の北白川宮能久親王騎馬像のほか大山元帥、南部伯爵などの著名な軍人の騎馬像を手がけている。アカデミックで質実な作風で知られるがアール・ヌーボーの要素を取り入れたり、日本的・東洋的な題材を扱った異色作も数多く残している。1907年の第1回文展以来審査員を務め1917年6月11日に帝室技芸員、1919年に帝国美術院会員となった。
1927年、心臓病のため死去。

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平福百穂が彫刻家で郷里が近い新海竹太郎に宛てた由緒ある年賀状?であることが判明してきました。

*当時平福百穂は神田に住んでいたようです。

4歳の息子曰く「おもしえれ~、おもしろすぎる。」だと・・。私より購入動機ははっきりしている。ちなみに息子のおもちゃを買うときは、小生の判断基準は息子がおもちゃに飽きがこないかどうかがポイント!

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当方のブログで紹介された「猫を画題にした作品」では下記の作品があります。

斑猫 中村岳陵筆 その4
紙本水墨画帳外し軸装 軸先象牙 子息中村渓男鑑定箱二重箱
額サイズ:縦1515*横623 画サイズ:縦314*横471

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色紙 猫 フジコ・ヘミング筆 
紙本水彩 色紙   
画サイズ:縦270*横240

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最近人気のある猫、小生はあまり好きではありませんが・・。小生は犬派。

「居たいと思う時にそばにいないのが猫、女と同じ。」というのはまさしく的を得た表現です。ここでいう「女」とはまさしく「女」と言った御仁がいますが、身に覚えがあるのでしょう。魔性の女・・?? とくに美人と評される女にはご注意あれ! 美人はとかく性格が悪い、碌な美人はいない。これは私の信条、よって猫は好きではない。ただし、骨董品は別。

源内焼 その111 三彩陽刻扇型唐草紋鉢

源内焼において扇型の作品は非常に数が少ない。図録では扇形の作品に小鉢や手持ちの付いた作品が数点紹介されているにとどまっています。

本ブログでは下記の作品が紹介されています。

源内焼 その53 三彩陽刻扇型唐草紋皿
 合箱
幅253*奥行140*高さ20

上の作品が今回紹介知る作品で、下の作品が前に紹介した「その53」の作品ですが、大きさは「作品53」よりもかなり大ぶりの作品となります。

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本日紹介する扇形の作品は底に貝の形の脚が付いていますので、源内焼の分類では「皿」ではなく「鉢」となりように思われますが、資料では両者ともに皿に分類されているものもあるようです。

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脚が貝の形というのも面白いですね。貝の脚は源内焼では多用されており、源内焼では大きめの作品に使われることが多いようです。

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実用性よりも鑑賞作品としての意図の高い源内焼ですが、一応は実用性に重きを置いている作品も多いようです。

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源内焼 その111 三彩陽刻扇型唐草紋鉢
合箱
幅326*奥行*高さ32

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文様は「その53」と似てはいるものの若干の違いがあります。下の写真は「その53」の文様です。

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形が明確なのは「その53」のほうで「その111」は痛みあります。源内焼は痛みのある作品を重宝しません。評価がかなり下がります。軟陶磁器なので非常に欠けや釉薬の剥がれが起きやすい陶磁器群ですが、欠けは漆などですぐに補修しておかないと痛みが拡大してしまいます。

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見込み意外に口縁の文様も見どころとなります。

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源内焼は置くとガタガタするということは少なく落ち着きの良い座りの作品となっています。

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源内焼の作品は源内焼から派生、関連した作品は別に収納していますが、数が多くなり専用の棚に収まらなくなってきました。

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さて、ほかの棚の作品を処分してスペースを確保する必要がでてきましたImage may be NSFW.
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伝古九谷青手葉図大皿 その2

陶磁器のファンならひとつは欲しい作品に「古九谷青手」があります。再興九谷の吉田窯の青手でもいいのですが、如何せんなかなかいいお値段がしますし、作品数が少ないし、模倣品が数多いので入手困難な作品のひとつです。

初期伊万里や藍九谷、さらには青手以外の古九谷は廉価になってきた最近でも、「青手」だけは・・・。そこでファンは幻を追うことになります。本日紹介する作品も小生の幻を追う姿とご了解願いたい。

伝古九谷青手葉図大皿 その2
合箱
口径320*高台径*高さ64

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本作品を古九谷とする判断は難しいですが、ひとつは虹彩が挙げられますね。

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古九谷には良く観察される「虹彩(ハレーション)」があります。「虹彩(ハレーション)」は元禄時代の柿右衛門や幕末の古九谷、源内焼などにまで遡らなければならないことからわかるように虹彩が出るには、やはり300年ほどの年月が必要とも言われています。

したがって、虹彩が出ているということは、それだけ古いものであることの客観的指標になるという説もあります。虹彩が出現しやすい釉は、緑釉や黄釉や藍柚などのようで、紅釉で見られることはほとんどありません。古九谷様式で評価されているポイントとしては、皿を斜めにすると虹のような虹彩が 決め手のひとつにしている蒐集家もいます。ちなみに源内焼でも決め手のひとつにもなっていると小生は判断しています。

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むろん再興九谷や明治期の九谷にもみられるものがありますので、100%の判断基準ではありません。表面の傷はわざとつけられたどうかがポイントになります。方向性のあるすり傷はわざとつけられたものと判断します。傷がないものもだめ・・。日常品として作られたもので、そのために残存数は極めて少なく、傷のない作品は稀有と思われます。

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口縁には濃い茶色の釉薬があるのが基本。胎土の悪さを繕うのが目的のようで、口に触れる部分なので気を使ったのでしょう。古九谷は胎土が悪質なので釉薬をすべてに掛けたというのは本当です。

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高台内に「福」などの銘があるか無いかは判断基準にはなりません。青手と称せらるが際は緑色を呈しているし、胎土は磁器といっても一般に“半陶半磁”と呼ばれるように陶器のように見えるものです。

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古九谷焼は美術館にあるようにきれいな作品ばかりではなく、多くの実物を見た第一印象は「きたねな~」というものだそうです。

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素地は荒く、釉薬はぶつぶつ・・。ただデザインは奇抜で大胆・・。

あくまでも古九谷は陶磁器の色絵草創期の作品であって、完璧なものは少ない。たまたま完璧にできたものに対して、すべてそのようにきれいに焼成されたもののように勘違いされておられる御仁が多い。美術館に並べられた作品をみても骨董蒐集にはなんも役にも立ちません。


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外側には唐草文用・・。目跡(窯の中で器同士の溶着を防ぐスペースサーの跡)は基本的にはない。

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高台内にも釉薬が掛けられています。ところで現在の古九谷の称せられるものの多くは明治期に作られた作品が多いよそうです。

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全体に黒っぽい釉薬で図柄以外を施している古九谷の作品は珍しいでしょう。「さ~、今後の検証の愉しみができた。」・・、現在はあくまでも「伝」であるか「倣」としておきましょう。贋作と決め打つ方にはご理解いただけないだろうが、こういう愉しみが知識や経験を豊富にしてくれる。

下記の作品らを含めて勉強中・・。

伝?古九谷青手波ニ雲龍
合箱
口径245*高台径90*高さ57

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伝再興九谷松山窯 青手草花紋深皿
古箱
口径313*高台径150*高さ58

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倣青手九谷芭蕉文様鉢
古箱入
口径160*高台径*高さ43

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豆皿 再興九谷吉田屋 
割補修有
口径115*高さ25

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壺屋焼 白化粧地呉須魚海老文大皿 金城次郎作

さて、終盤を迎えている金城次郎の作品についての当方の所感の投稿です。

金城次郎はガス窯では自分の焼物が作れないと、登り窯が焚ける場所を求めて読谷村に移住しています。ガス窯による器面上の「つや」を気にしていたと伝えられていますが、要はガス窯で焼いた艶のある作品を嫌ったのでしょう。読谷村に移って以降は真っ青に発色する酸化コバルト釉には黒釉を混ぜて抑えた色調にし、クリーム色の独特の白化粧土を好んで用いています。

作品で比べてみましょう。左の作品は壺屋時代、右の作品が読谷時代と推定されます。主に魚文、海老文の作品で比較します。

ところでこの文様は金城次郎の「沖縄を象徴する魚類」ということもありますが、「子孫繁栄」を意図するということを知らない方が多いようです。これくらいは壺屋焼の常識として知っておくべきことでしょう。

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作品を比べてみると大きく違う色調ですが、ここで金城次郎の大皿の作品の変遷を辿ってみたいと思います。参考とする作品は少ない数ですが当方の所蔵作品にしました。手元にある作品でないと轆轤の癖や釉薬の違いが分かりにくいからです。

壺屋時代の変遷期における作品は魚文大皿は真っ青に発色する酸化コバルトをそのものを使い、釉薬は流れているし、本体の造形も割れが入るなど荒っぽいものです。むろん搔銘の「次郎作(初期銘)」や「次」というのは一切ありませんし、共箱など論外です。

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本作品のように本体が窯割れしている作品を市場に売りに出すことは壺屋焼では通常のことであったようで、窯割れの作品を専門に修理する職人もいました。金城次郎自身もこだわらかったという記事があります。

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改めてまとめると、この作品は壺屋時代の作。特徴は釉薬は艶があり、釉薬の流れが見られ、本体は窯割れしているという特徴があります。

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その後線彫を深くするなど、釉薬の流れを防ぐことなど改良することを試みていたようです。変遷期にはおそらく短期間でかなり何度も窯で作品を焼成して試行錯誤したように推測します。

次からはその焼成の変遷を探ってみます。

ところで修練を積んだ陶工はもはや高台の削りの癖は矯正できないものなので、そのあたりから金城次郎作と断定しています。

最初の二作品の裏側を比較しても、つまり壺屋時代も読谷村時代も銘の有無以外は裏面に大きな違いはありません。金城次郎の作品と断定する根拠のひとつです。

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下記の作品は釉薬にまだ艶があり、釉薬の流れも発生しています。優れた陶工は釉薬、窯の温度など焼成毎に、窯ごとに新たな試みを行うもので、こちらも変遷期の作品と思われます。

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その後釉薬などに工夫がされて、黒釉薬で酸化コバルトの発色を抑えていますが、釘彫が甘いのかまだ釉薬が若干流れていますし、本体にも割れがあります。この作品もまだ変遷期でしょう。

一部にこの頃から掻き銘のある作品もありますが、この頃も基本的にまだ銘はありません。

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徐々に酸化コバルトの発色の加減が良くなり、全体の造形も良くなり、釉薬に落ち着きが見られます。

ただ釜の焼成具合のよってはまだ艶のある作品もあったようですし、艶の出るガス窯を嫌ったということは逆にガス窯で焼成した作品もあったということでしょう。この焼成具合とによる艶いうのは窯の中の位置でも違うし、焼成毎にも違う微妙なものです。

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最終的には、本体の造形も安定し、釉薬全体に艶がなくなり、また釉薬の流れはなくなり落ち着いた色調の作品となります。銘は基本的にはまだありませんが、ある作品が多くなっているようです。むろんこの頃には共箱はありません。ただこの頃を境として40センチを超える大きな皿の作品は極端に少なくなります。

この後の作品は「落ち着きがある」のはいいのですが、作品数が多くなり、初期に比して出来としてはつまらなくなった思われます。その後人間国宝にもなり、作品に共箱、掻銘が入り、作品として全く見るべきものがなくなりました。

このあたりが金城次郎より他の壺屋焼家である小橋川永昌、新垣栄三郎が人間国宝としてふさわしいと言われる所以でしょう。人間国宝指定に前後して脳梗塞になったというのも金城次郎にとって不運でした。

本日新たに紹介する下記の作品は読谷村に移窯した後に作品と推察されます。

壺屋焼 白化粧地呉須魚海老文大皿 金城次郎作
掻銘「次」 合箱
口径435*高台径*高さ100

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おそらく99%の金城次郎のファンは共箱、掻き銘のある作品を求めるでしょうが、それは大きな間違いですと述べたい。銘や共箱のある作品にこだわる必要は一切なく、逆に銘や共箱のある以前の壺屋時代の作にこそ魅力溢れている作品が多いので、観る眼をそこに向けてほしいということです。

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金城次郎本人がそのことをよく知っていたのでしょう。箱書を一部を除き自分で書かなかったようです。

「・・・大徳利 人間国宝 金城次郎作 押印」と書かれている立て板、それを脇に置いて作品を飾ってある応接室に通されたことがありますが、まことに品がないもの、立て看板を作る側も・・・。金城次郎はそういうことが実は嫌だったのでしょうね。

*作者などを記入した板を脇に作品を飾る方がいますが、これは無粋極まりないことです。解る人は一目で作品の良し悪しと産地、作者名が解るものです。むろん、いいものでなくてはいけませんが・・。

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共箱を書くのも苦手だったのでしょうが、それより共箱そのものを必要ないと本人が思っていたのでしょう。銘も・・。河井寛次郎、浜田庄司は作品に銘はいれませんでした。贋作が嫌だったので共箱を作ったようですが・・。それでも銘がないゆえ、贋作が横行していますが、観る眼さえしっかりしていれば、真贋は解ってきます。世の俗人は真贋にのみこだわるようですが、民芸作品にはもともと真贋など関係なく、日常品としていいものはいい、悪いものは悪い・・・。

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繰り返しますが、現在は人間国宝になってから以降の作品ばかり注目されていますが、さてそれはどうでしょう? 骨董商の作り上げた共箱や銘が評価の有無という点を気にするお方にはまともな審美眼は皆無のように思います。

河井寛次郎と浜田庄司が金城次郎について下記のように述べています。この頃の作品は壺屋時代が原点でしょう。文章の作成時期もその頃です。

河井寛次郎の金城次郎の所感
「次郎は珍らしい位よく出来た人で、気立てのよい素晴らしい仕事師である。轆轤ならばどんなものでもやつてのける。彫つたり描いたりする模樣もうまく、 陶器の仕事で出来ないものはない。中折の古帽子を此の節流行する戦闘帽風に切り取つたのを冠つて、池の縁の轆轤場に坐つて、向ふの道行く人に毎日素晴らしい景色を作つてくれて居る。」

浜田庄司の金旺次郎の所感
「沖縄壺屋の陶工、金城次郎君ほど、まちがいの少ない仕事をしてきた陶工を私は知らない。それも、ほとんど意識していない点を高く認めたい。縁あって君が十三、四才の頃から、私が壺屋の仕事場に滞在するたびに、手伝ってもらってすでに五〇年、君が魚の模様を彫っている一筋の姿を見つづけてきた。君は天から恵まれた自分の根の上に、たくましい幹を育てて、陽に向かって自然に枝が繁るように仕事を果たしてきた。次郎君の仕事は、すべて目に見えない地下の根で勝負している。これは、一番正しい仕事ぶりなので、いつも、何をしても安心して見ていられるが、こうした当然の仕事を果たしている陶工が、現在何人いるであろうか。本土での会はもちろん、海外での会の場合を想っても少しの不安もない、えがたい陶工と思う。」

日本の陶芸界には本当の陶芸家がいない。それが私が過去の作品を蒐集する本当の理由です。

遊鯉図 伝黒田稲皐筆 その2

小生の好きな画題には「鐘馗」と「鯉」があります。どちらの五月の節句に関連する画題ですが、面白い作品がこの二つ画題に多いことが蒐集する理由です。本日はいくつもの作品を紹介しています「鯉」を画題とした作品の紹介です。先日紹介した「黒田稲皐」と思われる作品の「その2」になります。手

*前の大皿はバーナードリーチ作「蛸」です。

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遊鯉図 伝黒田稲皐筆 その2
絹本水墨軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦1270*横730 画サイズ:縦330*横590

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濃いを描いた画家は近代画家では徳岡神泉、福田平八郎などがいます。失礼ながら梶喜一などは取り上げる必要のない画家のひとりでしょう。

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さらに川合玉堂、川端龍子。古くは円山応挙らがいますが、著名でない画家にも鯉を描いた作品にはいいものが結構あります。

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黒田稲皐は特に鯉の絵にすぐれ、江戸後期には「鯉の稲皐」と呼ばれていました。

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黒田稲皐については二作品目の紹介ですので、詳細は割愛しましが、幼少の頃から画を好み、藩絵師土方稲嶺に写生画法を学んでいます。稲嶺は病の床で稲皐を枕元に呼び寄せ、「我が門流中、相当の技量ある者のみ、画号に稲字を冠せしめよ」と伝えたとされ(『鳥取藩史』)、師の信頼が厚かったことがうかがわれます。

師である「土方稲嶺」らしい作品?として下記の作品を本ブログで紹介しています。

双鯉図 伝土方稲嶺筆
紙本水墨軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦1240*横335 画サイズ:縦430*横545

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なんでも鑑定団出品作へも黒田稲皐の作品が出品されていましたが、鑑定結果は贋作でした。その評は「贋作。稲皐の描く鯉の鱗はジグソーパズルをはめこんだような描き方をするのが特徴だが、依頼品の鱗は重なり合って描かれている。また鱗の一枚一枚を見ると、根本が黒く先端が白く描かれているが、その対比がはっきりしすぎている。本来の稲皐の鱗はもっと微妙な変化をしている。」とのこと。

ん~、実物を見ないとよく解らない説明ですね。「鯉の稲皐」ともてはやされたことから人気があり、多くの贋作が描かれたのでしょう。

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印章は一般的な印章より縦長になっており、字体もその分長くなっており、印章の点では資料が不足していますが、落款の書体は真筆と一致するようです。

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まずは黒田稲皐の作品の鑑識眼の入り口に立ったようなものですね。インターネット上の資料などは画像が不鮮明で描き方などが判断できる資料が乏しいのが現状です。

下記の作品が手元にあり、よさそうな作品だと思いますが、いつものように最終判断じっくりと調べてからになります。

群鯉図 伝黒田稲皐筆 その1
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:縦1650*横550 画サイズ:縦1205*横505

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さて少ない資料からいくつか推測してみました。

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黒田稲皐の描く鯉は主題となる一匹の鯉だけ念入りに描いてるように思われます。その特徴は「その1」、「その2」も同様です。

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それに比して周りの鯉の描き方はどちらかというと淡白な描き方となります。遠近感からの理由かと・・。

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中央の鯉の鱗の描き方はうまいです。

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単発的な調べ方しか短い時間ではできないので、もっと時間をかけて調べていきます。とりあえず保存しておきます。

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掛け軸の箱には絵の特徴を示す張り紙、風鎮には不要な本物の刀剣の鍔を使用しています。勉強だけでなく蒐集家にはこういう気づかいが必要です。ただ蒐集する、収納する、飾るでは蒐集家とはいえません。

スケッチ 農婦 福田豊四郎筆

我が展示スペースからは福田豊四郎の作品、浜田庄司などの民芸陶芸家の作品は掛けることはありません。興味のある方は是非、我が展示スペースへ・・。ひとりそばで遊んでいるのがいますが・・。

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スケッチ 農婦 福田豊四郎筆
紙本水彩コンテ額装 1959年(昭和14年)
額サイズ:縦740*横560 画サイズ:縦*横(未測定)

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昭和13年から翌年にかけ、陸軍従軍画家として中支・北支を巡歴し、翌14年1月帰国していますので、戦地から帰還してからすぐに描いた作品と推定できます。

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生涯を通して秋田の郷里を題材にした作品を多く描いた画家の真骨頂とも言える画題です。

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首都圏や秋田市で故郷の会合を催してもなかなか人が集まらくなったと聞いています。とくに高齢化が会合でも進んでいて、故郷会も催すことが困難になっているようです。決して故郷を思う気持ちがなくなったわけではないのでしょうが、郷里を出た人から故郷を思い返す気持ちが萎えているのは事実でしょう。

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福田豊四郎の作品がスケッチや挿絵の原稿など数多く集まりましたが、大きな作品がないのが当方の蒐集の難点かもしれません。

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落款の右にある数字の意味は不明です。

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なにかの挿絵の原画? 機会のあるごとに小生は男の隠れ家を訪れようと思います。本作品は現在黄袋とタトウを製作依頼中・・。

遊び心 灰釉鉄絵茶碗 伝バーナード・リーチ作 茶碗 その3

展示室の近景です。手元にある民芸作品には箱のない作品が多く、保存箱の準備もあり民芸作品の展示が多くなっています。箱のないままでも民芸品はいいのでしょうが、調べた内容や履歴の書類、毀れないように保存するということから保存箱を作るようにしています。

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冬は寒いので展示替えが億劫になっています。この億劫さが扱いの粗末さにならぬようにしなくてはいけません。いままで作品を傷めたことは滅多にないのですが、それでも手痛い思いをしたことはあります。

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ただ常に片づけていないと乱雑になるので、常に作品を一個展示したら、一個はきちんと収納するという維持をちていなくてなりません。展示スペースを維持するのも意外にたいへん・・。

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本日紹介するバーナードリーチの作品群は胡散臭いことが定番。魚の図柄やウサギなどの動物を描いた茶碗などの作品はどうもかなり胡散臭い。箱のサイン、作品の印銘は簡単で真似しやすい・・。

本日紹介する作品は、本来の茶碗の品格で作品を選ぼうとして入手した作品ですので、あくまでも「伝」で遊び心・・。

遊び心 灰釉鉄絵茶碗 伝バーナード・リーチ作 茶碗 その3
合箱
口径138*高台径*高さ78

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なんどもバーナードリーチの作品は投稿していますので、バーナードリーチについての詳しい説明はもはや省きます。

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箱に収納すると難点は、箱から出して見直すことが億劫になることです。蒐集した作品は箱に仕舞いっぱなしというでは、蒐集家としては失格です。

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またよく見かける家野中や身の回りに蒐集品だらけというのも失格・・。最悪は仕事場にまで持ち込む輩、趣味は仕事場には決して持ち込まないこと、これは骨董蒐集を趣味とする者の鉄則ですね。

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ところで小生がブログを投稿する大きな理由は自由に自ら検索できることです。好きな時に自ら参考にし、写真を引用できるからですが、整理が終了するとそれも必要なくなります。ブログを閉鎖してからも見直すことができ、後世に伝えられます。

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当方のブログは素人の短期間における調査の記述ですので、何度もあとから内容を修正しています。

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改めて評価を見直すとこ一日に最低一作品のペースで必ずあります。

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この作品もなんど評価を見直すか楽しみです。ものづくりには「朝令暮改」は必須ですから・・。

バーナードリーチの作品は釉薬に同一のものが多いようです。前回は鉄分の多い釉薬の茶碗を投稿しましたが、その作品と同じ釉薬の作品を当方の所蔵作品で比較してみました。

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黒釉の茶碗はなかなか品があってよいように思います。これらの柿釉薬には共通した点があります。

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釉薬の掛け具合や高台の削りも判断ポイントです。本日紹介した作品と同一の釉薬、胎土を使用した作品は下記のものがあります。

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どうも胎土から大皿は茶碗や壷類とは同時の焼成ではない? もしくは窯での位置が違うとと推定されます。

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こういうゆっくりとした回り道を経ての確かめ方というのには無駄も多いが、一番身に着く確かめ方だと思います。すぐに専門家に持ち込むと納得しないことが多いものです。専門家と言えでもいずれ素人に毛が生えたようなものです。あてにはなりません。

小生は恐れ多くて他人の所蔵品の品定めはしませんが、悪いものには「結構な作品ですね。」というようにしています。たとえば男のネクタイには褒めても悪く言ってはならないものだそうです(どこかのママさんの弁)。ネクタイの陰には必ずといっていいほど女の人の思いが関係しており、どのような思いなのか予測不能だからだそうです。骨董品も同じ、故人の思いなど人の思いがどう隠れているか予測不能ですからね。

遊び心 白化粧地呉須魚海老文茶碗 伝金城次郎作 茶碗 その5

金城次郎の作品は壺屋時代、読谷村の移窯の最初の頃を最上の作と見直す必要があると本ブログにて再三、記述してきました。性懲りもなく本日は再度、茶碗を例にして紹介してみます。

遊び心 白化粧地呉須魚海老文茶碗 伝金城次郎作 茶碗 その5(整理番号) 
掻銘「次」 合箱
口径115*高台径*高さ80

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高台内に掻銘で「次」と記されていますが、共箱はありません。釉薬の流れを止め切れていない点と光沢のある作品であることから壺屋時代の作と推定されます。むろん窯の焼成で釉薬の流れやら光沢の出ることもあり読谷村の初期の頃とも推察される可能性もあります。

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金城次郎の共箱はまったく重視する必要はありません。人間国宝になった頃から共箱の依頼を受けることが多くなり、字を書くのが苦手だった金城次郎は数名の他人の方に箱書きを任せるなど、箱書きには全く注意を払っている気配がありません。むろん本人が直接依頼されて書いた箱書きもあるようですが、箱書きがあるから真作という考えが成り立ちません。

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光沢を嫌い、釉薬の流れを防ぐことを目指しの理由で、ガス窯化した壺屋から薪で焼成できる読谷村へ移窯したと思われます。

不幸であったのが、移窯後、そして人間国宝になった後に脳梗塞になったことでしょう。作品から冴えが消えました。初期の頃の光沢があって、荒々しい釉薬の流れがあって、本体に窯割れのある雄大な作行が消えました。大胆な構図もどこへやら・・・。

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本茶碗はまだ壺屋時代の作行の面白さが十二分に味わえる作品です。

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見込みもまた一気に掛けた釉薬の勢いが味わえます。茶碗とはその作者の生きざまです。民芸作品では一気に仕上げることが大切です。

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金城次郎が日常陶器ではない、茶碗に挑んだ気概が伝わる作品のひとつでしょう。

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釉薬の流れ、光沢、窯割れを良しとした日本人の感性がこの作品を認めるのです。この感性が今、失われているのは寂しいですね。この感性は単なる物を美しいと認めるのではなく、本当の美の価値基準をもってして認めるという感性です。茶席で単なる雑物を備えて、美しいと評する御仁がいますが、実に感性が乏しい。家元好みの作品だけ並べたてる流派の茶席よりはましかもしれませんが・・・。

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さて、金城次郎は壷屋で住宅化のため薪窯ができなくなり、ガス窯への変更を余儀なくされると、ガス窯での光沢のある焼成を嫌い、読谷村の薪釜に移窯したことは何度も本ブログで述べた通りです。大皿においてその変遷を推察した記事を掲載しましたが、本日は改めて茶碗にて推察してみようかと思います。

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比較する茶碗は当方で所蔵する茶碗での比較となります。当方で紹介した作品から具体的にその「釉薬の流れ、光沢」について、同じ文様の作品を比較してみましょう。

二つの碗はほぼ同時期の作品と推察されますが、窯の焼成、釉薬を金城次郎は変えているのでしょう。

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この二つの茶碗は同時期に製作されたものでしょうが、釉薬の処理と焼成において大きな違いがあります。茶碗ではたしかに光沢にないものがふさわしいと思いますので、最終的に光沢のない作品を金城次郎は好んだようです。

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茶陶磁器という側面から光沢を嫌ったということ?

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光沢のある作品。

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たしかに茶碗としては光沢のある壺屋焼は「どうかなと?」いう感じです。

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外見はどちらともいえない?。

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艶のない作品。こちらの色調を金城次郎は狙ったのでしょう。釉薬の扱いが違いますが、どちらの茶碗もまだ作行に勢いのある魅力を湛えています。

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むろん共箱はありません。どちらも掻銘があることから壷屋から読谷村に移窯した前後の頃の作かと推察しています。

民芸作品は茶陶磁器としてはどうでしょうか? ということを問題視しないと茶碗には艶のない作品がいいのでしょうが、そのことで結果的には作品全体の魅力が失われることになったと思います。

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茶碗としての狙い目は艶消しのような作品のほうが確かに品があるようですが、ただやはり大きめの壺や大皿には釉薬の流れ、窯割れなどの豪快さは魅力的ですね。

釉薬、胎土が安定し、光沢の消えた安定した作品はなんとも魅力に乏しいことか・・。


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艶のある作品は飯茶碗、漬物茶碗だったらどちらがさぞかし魅力的であろうか。そこが結局は民芸作品の原点ではなかろうか。

陶芸家が茶道をわきまえず、茶陶磁器を狙うと碌なことにならない。金城次郎は茶道の茶碗にはなり切れていいないなら、民芸としての道を全うした作品のほうがよいという観点から金城次郎の作品を評価したほうがいい。人間国宝になった以降の作で共箱、掻き銘の作品もきちんと作品そのものを観たほうがいい。

壮年期は目が鋭く、日常雑器を大量に製作していました。また最初に白化粧土を施しているのがうかがえます。

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晩年期・・? 

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些細なことのように思われますが、この焼成の変遷は焼き物にとっては大きな違いだったのでしょう。金城次郎にとっては心血を注いで悩んだ変遷期における焼成だったと思います。このような比較をできるのは蒐集家にとっては大きな楽しみです。












改装完了作品 中村左洲 & 蟷螂 小絲源太郎筆

表具の天地に痛みがあったのと軸先が取れてない掛け軸を修理の相談をしたところ、全部改装しようということになり、出来上がってきました。

鯛釣図 中村左洲筆 その2
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱 
全体サイズ:縦2035*横540 画サイズ:縦1170*横420

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波の文様があった表具の裂ではないので、少し迫力が落ちたのは致し方ないかもしれません。

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漁師をしながら絵を描いたという点からも、本ブログで紹介する画題のような作品が中村左洲の真骨頂です。

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代表的な図柄の「鯛図」と見比べると面白みがあります。

游鯛図 中村左洲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 昭和19年共箱 
全体サイズ:縦1883*横540 画サイズ:縦1282*横423

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なかなかの画力のある画家ながら、現代では忘れ去られて画家の一人でしょう。

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出来の良い作品の少ない画家でもありますので、蒐集には苦労する画家でもあります。

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こういう画家の絵をちょっと飾ってみたいと思いませんか? 恵比寿様を祀って、鯛を奉納した日にはこの作品を飾ります。息子には「しばらく鯛を食べれるよ。」と・・。

*最近、中村左洲の「伊勢海老図」の作品を入手しました。「海老で鯛を釣る」が三幅で完成!Image may be NSFW.
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さて先日のなんでも鑑定団に「小絲源太郎」の作品が出品されていまいした。贋作との判定でしたが、「当方でもなにかあったはず・・・?」とブログを検索しても出てきません。たしか色紙であったはずとさらに探したら出てきました。

最近、流行の「カマキリ先生」・・、小生と家内と息子で最近、はまっています。「知らない」という方は流行に遅れていますねImage may be NSFW.
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蟷螂 小絲源太郎筆
紙本着色 色紙サイズ
画サイズ:縦270*横240

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裏面に「小絲源太郎先生 昭和二十四年八月 石塚清子氏」とあります。60歳頃の作品と推察されます。石塚某氏についての詳細は不明です。色紙作品ながら明快で強い画風の特徴のある見事な逸品です。

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明治20年(1887)下谷区上野元黒門町20番地(現台東区上野池之端)の老舗料理屋「揚出し」に生まれた。本名小糸源太郎。17歳のとき藤島武二の作品に魅せられて、画家になることを志した。東京美術学校(現東京芸術大学)金工科在学中の43年に第4回文展初入選。明治44年金工科を卒業後西洋画科に入学、以来帝展・日展と出品し、昭和初頭頃の作品は、中国院体画風の細密描写による静物画を主とした。昭和29年(1954)日本芸術院賞受賞、同34年に芸術院会員、同40年に文化勲章を受章するなど、53年2月に90歳で没するまで、常に日本洋画壇の第一線で活躍した。

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最近人気のカマキリ先生・・、小生も好きな番組です。

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最近は息子と「カマキリ!」とか「タガメ!」と叫んで遊んでいます。

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骨董は思い出とともに遺るのが理想的ですね。そういう思い出を作る努力をしないと骨董は没後に皆処分される。

本ブログでは蟷螂を画題にした作品はもう下記の一点があります。

蟷螂 郷倉千靭筆
紙本淡彩軸装軸先木製 郷倉和子鑑定箱入
全体サイズ:横487*縦1655 画サイズ:横234*縦263

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遊び心 黄瀬戸釉彫文茶碗 伝バーナード・リーチ作 茶碗 その4

週末は小生の骨董整理に貴重なる時間、しかしながらイクメン中の小生に息子はなかなか自由な時間を与えてくれません。

息子が遊びに夢中になっているちょっとした隙に書斎や展示室にいると「おとうさん、どこ?」と恐怖の呼び声がかかります。「寂しい!」、「ね~、一緒に遊ぼう!」だと・・。

しかたなく作業を中断し、息子と遊びます。貴重なる時間、小生には残されている時間はなんといっても少ないImage may be NSFW.
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 今は息子との時間を優先します。今はオリンピックなどはそっちのけ!

ということで本ブログの大した原稿でもないのですが、たいした時間もなくまとめています。本日も「遊び心」?? そう息子との「遊び心」・・・??

遊び心 黄瀬戸釉彫文茶碗 伝バーナード・リーチ作 茶碗 その4
合箱
口径120*高台径*高さ85

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これで三作品目となる「伝バーナードリーチ」の茶碗の作品紹介です。家内はこの作品は気に入ったらしいImage may be NSFW.
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釘彫りの作品、黄瀬戸の作品はこれで三作品目。

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見込みも茶碗としてよさそうです。

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お馴染みの怪しき「BL」印。ただ真贋抜きでこの茶碗はよい。

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同じ釉薬、同じ胎土・・。

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こういう比較がおもしろいのだが、なにはともあれ撮影の準備から撮影まで息子がそばにいて危なっかしい。

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ただ一度として息子は作品には悪さをしたことはない。これは摩訶不思議です?

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おっとこんなのを出したら、ラグビーごっこを始めそう・・。Image may be NSFW.
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忘れ去られた画家 雪景山水図 川端玉章筆

ひとりでは何もできないということを自覚していないと人間は傲慢になる生き物のようです。ひとりでは何もできない、ひとりでは生きていくことさえ苦痛になる、人間はそういう生き物です。そういう寂しさを強く認識した経験も持つは人に優しくなれるものだが、時として人は傲慢になることが多い。それは立場が上位にいる場合という認識が人は平等であるという意識を超えている時のようです。その傲慢さは孤独を加速し、いずれ本人に報いることとなるものです。

さて本日紹介する作品もまた永らく男の隠れ家に掛けられていた作品です。下記の写真は男の隠れ家の床に掛けられていた写真です。昔の家には寝室に必ず小さくても床の間があり、寝ながら本を読んでいたりすると少し視線をずらすとそこには掛け軸があったものです。

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当方の川端玉章の作品の思い出の作品というと叔父の所蔵していた双福の山水画の作品があります。なかなか収納箱も立派で叔父の先代から所蔵していたのではないかと推察しています。

美術学校の同僚だった橋本雅邦と並び評された画家であり、1890年(明治23年)岡倉覚三(天心)によって東京美術学校に円山派の教師として迎えられ、1912年(大正元年)まで22年間主に写生を受け持ったという実績からも明治、大正、昭和初めには高く評価されていた画家の一人であったとようです。

遺作の数が多く、他の当時の画家が近代画として名を成したに比較して、川端玉章の作品は現在ではあまり高く評価されていません。叔父の所蔵作品もおそらく後継の方が廉価で売られたのでしょう。今は手元にないそうです。

雪中山水之図 川端玉章筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱入
全体サイズ:横375*縦1880 画サイズ:横333**縦1122

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川端玉章(かわばた ぎょくしょう):天保13年3月8日(1842年4月18日) - 大正2年(1913年)2月14日)。明治時代に活躍した日本画家。本名は滝之助。東京美術学校の教授を務め、川端画学校を開設するなど後進の育成に努め、美術学校の同僚だった橋本雅邦と並び評された画家。

京都高倉二条瓦町で、蒔絵師左兵衛の子として生まれる。父は三井家に出入りしていたため、同家へ丁稚奉公に出る。11歳の時、三井高喜(出水家)や三井高弘(南家)らに絵の巧さを認められ、高喜の紹介で中島来章に入門。一方で、画論を小田海僊に学ぶ。

1867年(慶応3年)江戸に移住。1872年(明治5年)高橋由一に油絵を学ぶ。同年三井家の依頼で、三囲神社に「狐の嫁入り」扁額を描く。この絵は現存しないが、これが玉章の出世作となる。しかし、その頃は生活が苦しく、版下絵や新聞の付録画まで描いたという。

1877年(明治10年)第一回内国勧業博覧会で褒状。
1879年(明治12年)龍池会設立に関与。
1882年(明治15年)第一回内国絵画共進会、1884年(明治17年)第二回で共に銅賞を受け頭角を現していく。

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1890年(明治23年)岡倉覚三(天心)によって東京美術学校に円山派の教師として迎えられ、1912年(大正元年)まで22年間主に写生を受け持った。

逸話として、採用のきっかけとなった両国の大きな書画会において、一番達者に描いたのは河鍋暁斎だったが、玉章は図柄がみな異なっていたことから、天心は採用を決めたという。

学校に出勤する前に、10枚、15枚と絵を描いてくることを自慢の種にしており、実際玉章の遺作は数多い。

手は馬鈴薯のように丸々と太り、顔にはあばたや大きな斑点があったから「がんもどき」などと学生に渾名つけられていた。

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円山派において巧みな筆技をもっていた玉章は「腕の画家」であり、絵画を一種の技術と考えていた。この点、同時期に日本画の指導をしていた橋本雅邦とは全く逆の立場にいたと言える。これを証明する事実として、玉章はある展覧会に出品する壁画の柳を学生達の前で描いた。その時筆に墨をつけ一間ばかり飛びながら線を引き、何かぽんぽん付け加えると青柳がすぐでき上がってしまい、まるで「曲芸」を見ているようだと学生達は述べている。


1891年(明治24年)玉章より一世代若い画家たちによる日本青年絵画協会設立の際にはこれを援助、事務所は玉章邸に置かれた。

1896年(明治29年)6月30日帝室技芸員、
1897年(明治30年)古社寺保存会委員、
1898年(明治31年)日本美術院会員、文展開設以来審査員を務める。
1910年(明治40年)川端画学校を開設。
1913年(大正2年)、長く患っていた中風のため死去。

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ながらく小生の男の隠れ家の床に掛けられていました。前々からシミが出始めていたので、今回展示室に持ち込み湿気を抜いています。

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このような心配りは掛け軸には必須ですが、現代人は掛ける場所すらないので、メンテナンスなど思いも及ばぬのであろう。

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田舎で育ちましたが、幼少時から掛け軸の扱いなどを母から教えられていました。そういう面では都会人より文化的かも。



水村帰農図 伝竹内栖鳳筆

訪問者数が本日で延べで80万を超えたようです。多いのか少ないのかは当方では測りかねますが、一つの区切りは100万でしょうか? 素人の骨董談義で稚拙ゆえにあまり多くの方に見られるのは考えものです。

さて本日紹介するこの作品を竹内栖鳳の真作と判断するのに異論を唱える方も多いと思いますが、当方は最終的に断定できていないと御断りの上で、現段階では真作と推測しています。

水村帰農図 伝竹内栖鳳筆
絹本水墨軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:縦2000*横460 画サイズ:縦1137*横327

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竹内栖鳳の水墨画は基本的に「栖鳳紙」と称せられる和紙に描かれています。本来水墨画ならもっと簡略化され、滲みを多用する画風でしょう。この作品が絹本に描かれている点に多少違和感を覚えますが、栖鳳が絹本に描いた水墨の作品として考慮してみる見方もできます。

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栖鳳の水墨画は意外に一般的に知られていませんが、小生は竹内栖鳳の真髄は水墨画にあると思っています。

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水墨画を理解する上で竹内栖鳳を抜きでは語れません。修練された写生技術を少ない筆致で水墨にて表現する技法は高い精神性に裏付けられたものです。その省略化された技法は着色された作品に及び、当時は賛否を呼び起こしましたが、現在では高く評価されています。

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ところで軸先は象牙、徐々に貴重になりつつあります。

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拵えは下記の写真のとおりです。

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参考までに参考資料との印章の比較は下記のとおりです。作品中の印章は「霞中庵主」は各種あります。

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箱への印章は「恒」です。

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模倣されやすい水墨画ゆえ、さらに見識を少しずつ増やしながら作品を見極めていくのもまた楽しからずや。

忘れ去られた画家 仮題 曽根崎心中(おはつ・徳兵衛) 増原宗一筆 

「増原宗一」という画家をご存じだろうか? 知っている方はかなりの日本画通と言えようが、おそらくは大半の方が知らない画家だろうと思います。面白うそうな作品と思い、入手するまで小生も全く知りませんでした。

本日は増原宗一の作と思われる作品の紹介です。共箱もなく画題は仮題ということでご了解願います。

忘れ去られた画家 仮題 曽根崎心中(おはつ・徳兵衛) 伝増原宗一筆 
絹本水墨着色軸装 軸先塗 合箱
全体サイズ:縦1350*横550 画サイズ:縦400*横420

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増原 宗一:(ますはら そういち、生没年不詳)は大正時代から昭和時代の日本画家。鏑木清方の門人。本名は咲次郎。山口県に生まれる。巽画会に咲二郎の名で「読売」といって昔辻々に市井の出来事を瓦版に刷って売り歩いた姿を出したことが縁で清方に入門している。

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1917年に開催された第1回芸術社展に「舞」、「春の怨」、「三の糸」を出品、以降、第2回同展に「悪夢」、「華魁」、「舞子」、「悪魔」、「菖蒲湯」を、第3回同展に「虚無僧」、「思い思い」などを出品したことが知られている。また、1917年5月の第3回郷土会展に増原咲次郎として「うつつ」及び「紅がん」を出品した後、1919年には一月会に「初音」、「鷺娘」などを出品した。また、1921年には日本橋倶楽部において増原宗一自作展覧会が開催され、この時には『宗一画集』が出版されている。

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その後、1922年1月の第7回郷土会展に「馬の願い」、1924年3月の第9回郷土会展に「人魚の嘆き」を、1925年5月の第10回郷土会展に「八重垣姫」、「旅僧」を、1926年5月の第11回郷土会展に「宵の金春」、「蛍飛ぶ頃」を出品したことが知られる。そして、翌1928年5月17日から21日に日本橋三越において開催された第13回の郷土会展には宗一の遺作として「悪夢」及び「誇り」が出品されており、同年頃、死去したといわれる。

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耽美で怪異な作風が特長。清方が「こしかたの記」の中で「増原は谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』や歌舞伎十八番『けぬき』に登場する鏡の前などを彷彿とさせる怪奇な作風を好んだ」と書き残している。

なお、2006年に星野画廊において、『夭折した幻の大正美人画家 没後78年 増原宗一遺作展』が開催され、14点展示された。

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増原宗一について、その略歴を記録したようなものは今のところ存在していない。その生年や出身地さえさだかではない。わずかに師である鏑木清方がその画塾展である「郷土会」について記した文章のなかに、「増原宗一は咲二郎の画名で巽画会に「讀賣」と云って昔辻々に市井の出来ごとを瓦版に刷って売りあるいた姿を出した時、それが縁となって門に入ったので、この人には谷崎さんの「人魚の嘆き」だとか歌舞伎十八番の「鑷(けぬき)」に出る、髪の逆立つ病に悩む錦の前だとか怪異な作風を好んだがその人はいつも身形(みなり)を整へ行儀も正しかった。」(「郷土会」『続こしかたの記』中央公論美術出版、昭和42年)と、紹介があるのみである。

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以下は補足説明ですが、記述する関連画家については本ブログで紹介された作品を掲載しています。大正ロマンを伝える時期や作風とは一致していない点などはご了解ください。

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増原が若いとき参加した「巽画会」は、明治37年に出来た美術団体で、当初は日本画家の集まりであり、主に院展系の作家が多く参加していた。今村紫紅、石井林響、上原古年といった「紅児会」のメンバーたちもこの巽画会の中堅幹部であった。増の師となる清方もこの巽画会の活動には深い関わりをもっていたし、伊東深水はじめ多くの清方門下の画家たちも出品していた。またこの巽画会の若手画家たちは大正のはじめに「自由絵画展覧会」という、きわめて実験的な内容もふくむ展覧会も開催していた。のちに「未来派美術協会」の中心的な存在としてその活動に参加する伊藤順三(村田丹陵門下)、普門暁(当時は暁水と号した)、萩原青紅、木下茂(ともに尾竹竹坡門下)らは、当時における巽画会の若手の急先鋒であり、画会の研究会の中心メンバーであった。

羅漢と虎 今村紫紅筆
紙本水墨 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1250*横420 画サイズ:縦260*横350

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増原は同じ世代とみられるこうしたメンバーと、非常に近い位置にいたと思われる。増原は未来派の活動にこそ参加はしなかったが、大正8年1月に普門暁、林倭衛ら若手洋画家によって結成された「一月会」に日本画家として参加している。ここには関根正二が出品していたし、増原が出品した日本画部には萬鉄五郎が<山水>など3点を出品していた。増原はここに<初音>、<鷺娘>などを出品し、とくに<初音>は「ビアズレイ風で稍要領を得」(「一月会短評」『東京朝日新聞』大正8年1月13日)と評されている。

稚児之図 北野恒富筆
金泥紙本着色扇面額装 横530*縦170

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こうした活動は、増原の前衛的な内容もふくむ同時代絵画への共感を示すものであって、むしろ彼の寄って立つ所はあくまで日本画であった。一月会の結成に先立つ大正6年に「芸術社」という団体の結成に参加している。この団体は織田観潮、小山栄達、町田曲江といった当時の文展日本画の中堅どころが集まった会であったが、実際に作品を出したのかどうかは不明ながらも、その発起者を見ると北野恒富、山口草平、岡本大更、幡恒春など、かなりの曲者も名を連ねていた一風変わった団体でもあった。(「芸術社起る」『都新聞』大正6年4月9日)

春のこども(春能こども) 岡本大更筆
絹本着色軸装 軸先木製 共箱 
全体サイズ:縦2160*横561 画サイズ:縦1252*横421

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増原の志向は、明らかに前者の画家たちよりも後者の画家たちに近いものだったといえる。実際その出品作は、他の出品作とはかなり異なったもので、その耽美的な雰囲気や凄みが、見るものの注目を集めたようであり、各新聞や雑誌の展覧会評においてもそのことを指摘するものが多い。

春さむ 伝伊東深水筆  
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 細工共箱
全体サイズ:横308*縦1817 画サイズ:横203*縦970

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ただこれら小グループへの参加はあったものの、増原の主たる作品発表の場は、清方門下の画塾展である「郷土会」であったといえる。当時の清方は、たとえばベックリンの作品との共通性を批判された大正9年制作の<妖魚>に象徴されるように、世紀末的な、あるいはある種耽美的な雰囲気をもった作風を展開していた。こうしたなかで、その門下の画家たちも多くは美人画中心ではあるが、妖艶で耽美的な感覚あふれる作品を発表していた。

元禄美人図 大林千萬樹筆
絹本着色軸装 軸先堆朱 合箱入
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横

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伊東深水、寺島紫明、大林千萬樹、小早川清、西田青坡などはとくにそうした官能性の強い美人画を出品していたが、そのなかにあっても増原の描く美人は、独特な雰囲気をもったものとして師の清方も一目置いていたのだろう。

早春 寺島紫明筆
絹本着色軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:横660*縦1425 画サイズ:横510*縦430

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郷土会展の内容についてはまだ十分に資料がそろっていないため、増原の出品の状況もはっきりとはわかっていないが、大正4年6月の第1回展の段階では、まだこの会へは出品はしていなかったと思われる。おそらく増原がこの郷土会展へ出品をはじめるのは、大正6年5月の第3回展からであろう。ということは清方の門下となったのも、この頃からと考えていい。

清涼図(仮題) 小早川清筆 その4
絹本着色軸装 軸先蒔絵 合箱
全体サイズ:縦2160*横558 画サイズ:縦1255*横422

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*この作品と同図の作品で色彩や図柄が多少異なる作品が散見されますが、複数描いたものと当方では判断しています。

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増原宗一と対比される耽美的な画風の画家に島成園がいます。

桜下美人図 伝島成園筆
絹本着色軸装 軸先陶製 合箱入
全体サイズ:縦1980*横540 画サイズ:縦1230*横420

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『宗一画集』で紹介されている作品は、すべて大正10年に日本橋倶楽部で開催された個展に出品されたものである。序文にもあるように浅井倍之助なる人物からの依頼画に数点の旧作を加えたものであったようだが、その旧作というのが、<舞><三の糸><悪夢><華魁>といった作品かもしれない。そして今回の星野画廊での出品作と、『宗一画集』とをあわせ見れば、ほぼ増原宗一の制作のあり方を把握することはできるのだ。清方というよりは、恒富の画風を髣髴とさせる<舞>や<三の糸>から、<悪夢>あたりからその作風に一層凄みが出てきて、<華魁>では細面に筋のように切れ長の目を描く増原独特の美人の顔貌表現が出来上がっている。一方その描く植物はというと、いずれも通り一遍ではなく、いわくありげに自己主張したものばかりだ。また<観自在>などでは、その茫洋とした画面が世紀末の雰囲気を強く漂わせる。たしかに師の清方が言うごとく、怪異で耽美的な感覚を強くにじませるが、作品そのものの雰囲気はけっしてどろどろとした退廃的なリアリズムを感じさせるものではない。むしろそこには古典的、文芸的な趣向と品格を見て取ることが可能なのだ。清方が「いつも身形を整へ行儀も正しかった」と述べる増原の姿も、こうした雰囲気を伝えるように思える。

昭和3年12月に増原の遺作展が開催されているが、おそらく彼は同門の伊東深水らなどと同世代であったろうから、絵描きとしてまさに20代から30代にかけての脂の乗り始めた時期に亡くなったこととなる。今後、遺作展以来はじめてとなるこの増原宗一の作品展示がきっかけとなって、埋もれている彼の代表作の出現が期待できる画家であろう。

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増原 宗一・・・・、幻の画家と称されるくらいで小生も初めて本作品で調べてみました。大正時代の画家にには「幻」と呼ばれる画家が多いようです。

こういう作品に飛びつく野次馬根性が果たして良かった否かは後学次第・・。

寛政壬子 浅絳山水図 その3 天地一如之図 伝釧雲泉筆

先週の日曜日のドラマで「しんがん」という推理ドラマがありました、ドラマそのものは面白かったのですが、扱われた作品は下手物中の下手物で、掛け軸の扱いがまったくなっていなかったという印象を受けました。骨董商にしろ、表具師にしろ掛け軸の基本的な扱いはドラマのように粗雑ではありません。

本日は釧雲泉の作品の紹介ですが、紹介する寛政年間のいわゆる「若書き」の頃の釧雲泉の作品は評価が高く、その分贋作が多くあるようです。当方もブログで紹介した作品の整理に一時期混乱しており、未だに正確な分類ができかねています。

この作品も正確に分類できていない作品のひとつですが、おいおい整理してみようと思っています。

寛政壬子 浅絳山水図 その3 天地一如之図 伝釧雲泉筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 「清風老人」鑑定箱
全体サイズ:縦2215*横605 画サイズ:縦1950*横405


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賛には「壬子季夏写於黄備之寓居 雲泉 押印」とあり、1794年(寛政4年)、33歳の作と推測されます。いわゆる「若書き」の時期に分類されると思われますが、この時期の作品にも要注意です。とくにこの印章と落款は多くの贋作に適用されており要注意のようです。 

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寛政3年3月(1791年)、32歳のとき十時梅厓の紹介で伊勢長島に流謫中の木村蒹葭堂を訪ねています。その後、また江戸に戻ると、予てより親交のあった備中庭瀬藩江戸家老海野蠖斎の計らいで、蠖斎の実兄で同藩家老森岡延璋(松蔭)に紹介され、備中に赴き森岡邸に身を寄せています。

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同年、脱藩前の浦上玉堂や淵上旭江、梶原藍渠、後藤漆谷、長町竹石らと松林寺で賀宴を催して交流した記録があります。その後、約3年間は倉敷を中心に旺盛な創作活動を行ったと思われます。

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備中長尾の小野泉蔵とも交流をもち、寛政4年(1792年)頃から、備州と京都、大坂をたびたび往来し、儒学者の頼山陽、菅茶山、皆川淇園、画家の浦上春琴、浜田杏堂らと交流しています。同年6月には再び蒹葭堂を訪ねています。寛政8年以降は主に備前東部を拠点としたとみられています。寛政10年(1798年)、再び蒹葭堂を訪ねています。

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この頃の画風は私見では頼山陽の影響が大きいと思います。

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前述のように寛政年間のいわゆる釧雲泉の作品を「若書き」の作として高く評価されていますが、如何せん、この頃の作にも贋作が多いというのが解ってきました。

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とくに本作品に押印されている印章の作品は疑ってかかったほうがいいようです。この頃の落款には「岱就」と記されており、この落款は寛政4年頃(1792年)の作品にとくに多いので「雲泉」という落款もまた疑うべきでしょう。

この時期、雲泉にとって画風確立の模索期とも言え、独創的で大胆な表現か否かが鑑賞のポイントです。

さて箱書きがありますが、下の写真の左2枚が表側、裏側には昭和23年推測される箱書きと「清風老人題 押印」とあります。詳細は不明です。

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裏の箱書きは詳しくは読み込んでいないのですが、
「天地一如之図一幅墨釧雲泉之墨蹟□□慕倪雲林董□苑王□臺□筆意殊為□於山乃画気韻清写 
 風神超超近□南宋文人畫□□巨擘也
 今観此図幅高□清□自有出塵姿□謂画有子此裡獨□起観了猶□□游雲烟為す□清真乃神□や
 予余□□□題簽併證共□□□昭和龍年次二十三年□□於悟軒□□□ 清風老人題 押印」と書かれているようです。

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画題は「天地一如之図」とされておりますが、箱は破損しており修理する必要があります。

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このような箱の破損は落としたりすることによりますが、掛け軸の扱いには十二分に注意する必要があります。ドラマのような粗雑な扱いではすぐに箱は毀れ、掛け軸には折れやシミが生じるでしょうね。

木彫極彩色 親王雛 市川鉄琅作 その3

先週末には息子「そろそろ刀をいじるころだね。」というと、どうも本物の刀剣と勘違いしたようですが、当方の意図は「そろそろお雛様を飾るころ。」(お雛様に飾られる刀で遊ぶ)という意味でしたが・・。早速、「飾ろう!」ということになりました。

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息子は道具いじりに夢中になるようですが、これは遺伝子かな・・。雛段の解説図を見ながら並べ方を少しづつ覚えているようです。4歳で記憶力はすでに我々大人を完全に超えています。

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雛飾りを運んだら飾りは家内と息子に任せて、小生の担当は掛け軸の掛け替えです。息子は半日かけて家内と最後まで解説図を見ながら雛段の飾りを完成させました。「えらい!」

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床の飾りは手前は昨年の五月の節句での息子へプレゼントした極彩色人形の桃太郎(平野富山作)、軸は雛図(土佐光孚筆)を飾っておきました。

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金彩色を盛り上げてあるなど雛図は豪華なものが良いのですが、ともかくふくよかで笑顔で、そして一番は仲がよさそうなこと?

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さて、もう一点はお雛様を飾る時期となり、最近こんな作品を見つけたので入手しました。恐れ多くも「親王」であられますが、我が夫婦に似ている?と家内共々、悦に入っています。本作品は基本的に家内へのプレセントです。

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茶室裏の展示室に飾りました。円窓を背景に何事も仲良く丸くおさまるという願いを込めて・・。

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木彫極彩色 親王雛 市川鉄琅作 その3
応需作品 極彩色 台座付 共箱
男雛単体:幅115*奥行110*高さ110 女雛:幅115*奥行78*高さ110
台座:幅350*奥行き175*高さ68

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極彩色人形では珍しく保存状態がすこぶる良い作品ですので、大切に保管されてきたのでしょう。

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この手の人形に大切なのは保存状態と愛らしさ・・、そして彩色のセンス。

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この彩色はどなたによるものなのでしょうか?

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実に品の良いデザインだと思います。

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裏面も丁寧に彩色されています。

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彫の冴えもいいと思います。

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各々の底には刻銘があります。

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ところでお雛様の人形には台座が必須です。

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台座も鮮やかな彩色です。

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共箱はきちんとしています。

*共箱がなくなる原因は共箱をしまったところを忘れることに起因していますので、飾ってある作品の収納箱の置く場所は決めておくのがよいでしょう。

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共箱に「応需」と記されており、どなたから依頼されて製作した作品と推察されます。むろん刻銘や箱書から真作と判断しています。

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鉄筆彫刻で著名な市川鉄琅ですが、極彩色が施された彫刻に秀作が多く、本ブログでも何点か紹介しています。

下記の作品は彩色の剥がれがあり、現在修理を依頼しておりますが、本ブログにて修理前の状態で紹介しています。

木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作 その2
極彩色 共箱
幅148*奥行き132*高さ220

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この作品の記事には市川鉄琅の師である加納鉄哉との関連、そして加納鉄哉と志賀直哉の関連が記されています。

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市川鉄琅の作には仏像の作品は珍しいのですが、下記の作品も本ブログで紹介しています。

楠木彫聖観音菩薩尊像 市川鉄琅作 その1
楠木 金彩色 共箱
幅136*高さ315

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師である加納鉄哉の作品に市川鉄琅が鑑定箱書をした作品として下記の作品を投稿しています。

恵比寿大黒天面・吉祥額 加納鉄哉作
恵比寿面:高さ175*幅132*厚さ65 大黒面:高さ140*幅128*厚み68
額:口径470~415*厚さ22 共板市川鉄琅鑑定箱

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この作品は機会があったら彩色をやり直すことも考えています。

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ところで台座というと台座が「前田南斎作」の下記の作品が思い浮かびます。

管公像 伝高村光雲作
台座伝前田南斎作 木彫共箱 
木像サイズ:高さ323*幅395*奥行き240
台座サイズ:高さ33*横425*奥行き272  箱サイズ:横470*縦480*奥行き47

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少なくとも台座は本物のように思います。

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ついでに平櫛田中・・??

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どうもきりがなくなってしまったようです。主たる作品に話を戻して、あらためて本日はお雛様人形の紹介です。

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本作品は修理する必要なさなそうですが、これ以上は痛まないように注意しなくてはいけないようです。

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人形の扱いは保存と飾る時の取り出し方、収納時の仕舞い方とそして湿度の管理がポイントです。いつまでも夫婦仲良くとの願いを込めて扱いましょう。

*桃などの花を添えて飾る場合は、花と離して置いてください。花粉が悪さしますので・・。これは掛け軸も同じです。掛け軸の近くの真前に花を飾るのは愚の骨頂です。

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ただ極彩の彫刻は保存の難しい作品のひとつですね。夫婦の仲もですが、ともかく感謝をこめて・・・Image may be NSFW.
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再登場 美人図 中村貞以筆 その1(真作整理NO)

説明文書、保存状態の見直しなどで、再整理した作品の中に以前に投稿した下記の作品があり、再度写真撮影などをして資料を整理したので投稿します。

美人図 中村貞以筆 その1(真作整理NO)
絹本着色絹装軸箱入 
画サイズ:横470*縦380

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「中村貞以はコケティッシュな独特な雰囲気をもつ美人画を描きます。中村貞以の作品を美人画という表現は語弊があるかも知れません・・。」という説明が以前の投稿でなされていました。さらに前回の記事では「情緒豊で優美な美人画から、戦後は現代的風俗を内面性豊に捉えた人物画を描いた。」という説明がありますでの詳しくはそちらの記事を参考にしてください。

改めて本作品を観てみると他の中村貞以の作品と比べてみて、確かに「優美な美人画」の世界ではない別の世界の人物画と言えます。

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幼児の時、両手に火傷を負い、指の自由を失ったため、絵筆を両手に挟む「合掌執筆」によって絵を描いていますが、作品自体からはそのハンデを全く感じません。

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身体的なこれほどのハンデを負いながら、これほどの作品を遺した画家は他に類を見ない。こういう画家をなぜもっと評価しないのだろうか?

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改めの本作品を眺めた時に、人生はハンデを負っても決して夢をあきらめないものとつくづく思う。

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共箱などない作品で、シミが入りかけていて保存状態がよくない作品ですが、近代美人画の佳作と思いますので、こちらの手元で大切に保管しておきます。

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中村貞以はもっと評価されるべき画家でしょうね。

ところでこのような美人画は顔の部分が肝要です。シミなどが顔に部分に発生したら致命的なことになります。

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そこで収納時には絵の部分に和紙を置いてから掛け軸を巻きます。

また軸部分の裏表には埃などが付きますので、収納時には必ず埃を払います。掛けてままやるのは間違いですので、必ず掛け軸を下ろしてからの作業としてください。

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最後に和紙にて全体を包んで収納箱に入れますが、この和紙はそっと掛け軸を取り出さないと破られますので要注意です。必ず和紙の予備を持っている必要があります。

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掛け軸を直接布で包むのは大きな間違いです。逆に湿気やカビを呼び込むことになります。

以上は収納に際しての基本事項ですが、間違えて覚えている人がたくさんいます。このような基本事項を実践しない人には蒐集する資格はありません。身体的なハンデを負いながら、必死で描いた画家への尊敬の念が扱いを丁寧にさせるものです。

巷には基本事項をわきまえず真贋だけを論じる蒐集家ばかり・・、実に嘆かわしい!

暁海 奥村厚一筆 その10(真作整理NO)

本ブログの訪問者数が延べで80万人を超え、閲覧回数が延べ480万を超えており、ブログアクセス順位が1000位以内に入ることもあるようになりましたが、その順位の対象となるブログは実は毎日280万件あるようです。

とてつもないブログの件数ですが、その中で1000位というのはマイナーな分野のブログでは訪問者が多いほうかもしれません。ただ、あまり見られると怖いかも・・・。いつまで続くか解りませんがまずは500万の延べ閲覧件数がひとつの区切りかもしれません。

さて本日紹介します奥村厚一は私の好きな画家の一人です。主に風景画を得意とし、大きな作品はもとよりスケッチも味わい深い作品を描いています。

暁海 奥村厚一筆 その10(真作整理NO)
絹本着色額装 軸先象牙 太巻共箱二重箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦415*横510

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手前の皿は「白化粧彫山水図大皿 バーナード・リーチ作」です。

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奥村厚一はなによりも自然を愛した画家であり、画題は雨や雪、雲や風といったものが多く、それを写実的に捉えるのではなく、見極めようとしたものは、気配とか空気感とでも言うような目には見えないものの表現にこだわった画家です。

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「絵は方便みたいなもので、いつも野山を巡り、自然にただ身をよせていたかっただけ」と言っていたそうです。

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日本の山や海、草花など実にうまく描きとめてあり、いかにこうした自然のありように心を惹かれていたのかが感じられます。 このような絵を描く画家が少なくなっています。

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思文閣出版の「墨蹟資料目録」にもよく掲載されている画家のひとりです。

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思文閣の掲載では価格は25万だそうです。少し前にはファンが多く本作品の大きさで40万くらいの値段だったと思います。

*ちなみにこれはあくまでも販売価格です。売却される方は値段の10分の1とお考えのほうがいいでしょう。思文閣では少なくてもそういうお値段です。引き取るかどうかも怪しいかもしれません。骨董商、骨董とはそういうものです。損得をお考えなら今すぐ辞めたほうがいいです。

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ひとつの作品だけではなく複数蒐集したくなる画家とも蒐集家では評されています。

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落款・印章は掲載されている画家と描かれたのが同じころなのでしょう、ほぼ一致します。

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昭和23年に福田豊四郎、山本丘人、秋野不矩、上村松篁らと創造美術を結成(現在、創画会)しており、本ブログでおなじみの福田豊四郎とは近い関係にあります。

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その他に広田多津、向井久万、上村松篁、福田平八郎、小野竹喬、山口華楊らそうそうたる日本画家のメンバーが同時代に活躍していました。

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掛け軸の保管はこうあるべきとという保管方法です。奥村厚一の作品でシミのない保管状態の良い作品は意外に少ないものです。なぜでしょうか? 

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大家のみならずこのような魅力ある画家を忘れてはなりません。

改装完了作品 中村左洲 & 蟷螂 小絲源太郎筆

表具の天地に痛みがあり、さらに軸先が取れてなくなってるので、下記の写真の掛け軸について修理の相談をしたところ、表具師から全部改装しようという提案があり、最近出来上がってまいりました。

鯛釣図 中村左洲筆 その2
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱 
全体サイズ:縦2035*横540 画サイズ:縦1170*横420

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元の波の文様があった表具の裂ではないので、少し迫力が落ちたのは致し方ないかもしれません。

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漁師をしながら絵を描いたという点から本ブログで紹介する画題のような作品が中村左洲の真骨頂だと思います。

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代表的な図柄の「鯛図」と見比べるとさらに面白みがあります。

游鯛図 中村左洲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 昭和19年共箱 
全体サイズ:縦1883*横540 画サイズ:縦1282*横423

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なかなかの画力のある画家ながら、現代では忘れ去られている画家の一人でしょう。

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出来の良い作品の少ない画家でもありますので、蒐集には苦労する画家でもあります。山水画などの作品は凡作が多く、あまり魅力は感じられません。

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こういう画家の絵をちょっと飾ってみたいと思いませんか? 最近恵比寿様を祀って、鯛を奉納した日にはこの作品を飾ります。息子には「しばらく鯛を食べれるよ。」と・・。

*最近、中村左洲の「伊勢海老図」の作品を入手しました。「海老で鯛を釣る」ということが三幅にて完成!Image may be NSFW.
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 後日投稿する予定です。

さて先日のなんでも鑑定団に「小絲源太郎」の作品が出品されていまいした。贋作との判定でしたが、「小絲源太郎? 当方にもなにかあったはず・・・?」とブログを検索してみてもなにも出てきません。しかし色紙の作品がたしかあったはずとさらに探したら出てきましたImage may be NSFW.
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最近、流行のNHK放映の「カマキリ先生」・・、小生と家内と息子で最近、はまっています。「知らない」という方は流行に遅れていますねImage may be NSFW.
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蟷螂 小絲源太郎筆
紙本着色 色紙サイズ
画サイズ:縦270*横240

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裏面に「小絲源太郎先生 昭和二十四年八月 石塚清子氏」とあります。そうすると著名になる前の60歳頃の作品と推察されます。石塚某氏についての詳細は不明です。色紙作品ながら明快で強い画風の特徴のある作品です。

*昭和24年 この年、長野へ杏花写生、また諏訪湖周辺の散策し写生していますが、その時の作品?
(長野県千曲市の森地区は日本一のあんずの里。ただ花が咲くのは春でしょうから、八月ではない。)

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いつどこで入手したのかはすでに当方の記憶にはありません。

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小絲源太郎:明治20年(1887)下谷区上野元黒門町20番地(現台東区上野池之端)の老舗料理屋「揚出し」に生まれた。本名小糸源太郎。

17歳のとき藤島武二の作品に魅せられて、画家になることを志した。東京美術学校(現東京芸術大学)金工科在学中の43年に第4回文展初入選。明治44年金工科を卒業後西洋画科に入学、以来帝展・日展と出品し、昭和初頭頃の作品は、中国院体画風の細密描写による静物画を主とした。

昭和29年(1954)日本芸術院賞受賞、同34年に芸術院会員、同40年に文化勲章を受章するなど、53年2月に90歳で没するまで、常に日本洋画壇の第一線で活躍した。

*なお1965年(昭和40年)、文化勲章受章(同日文化功労者)を得た同年に第16回NHK紅白歌合戦で審査員の一人を務めたことがありますImage may be NSFW.
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最近人気のカマキリ先生・・、小生も好きな番組です。

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最近は息子と「カマキリ!」とか「タガメ!」と叫びながら遊んでいます。

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骨董は思い出とともに遺るのが理想的ですね。そういう思い出を作る努力をしないと骨董は没後に皆、処分されるImage may be NSFW.
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本ブログでは蟷螂を画題にした作品は下記の作品がもう一点がありました。

蟷螂 郷倉千靭筆
紙本淡彩軸装軸先木製 郷倉和子鑑定箱入
全体サイズ:横487*縦1655 画サイズ:横234*縦263

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飾ると「カマキリ!」と息子ははしゃいで走り廻っています。

遊び心 黄瀬戸釉彫文茶碗 伝バーナード・リーチ作 茶碗 その4

週末は小生の骨董整理に貴重なる時間、しかしながらイクメン中の小生に息子はなかなか自由な時間を与えてくれません。

息子が遊びに夢中になっているちょっとした隙に書斎や展示室にいると「おとうさん、どこ?」と恐怖の呼び声がかかります。「寂しい!」、「ね~、一緒に遊ぼう!」だと・・。

しかたなく作業を中断し、息子と遊びます。貴重なる時間、小生には残されている時間はなんといっても少ないImage may be NSFW.
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 今は息子との時間を優先します。今はオリンピックなどはそっちのけ!

ということで本ブログの大した原稿でもないのですが、たいした時間もなくまとめています。本日も「遊び心」?? そう息子との「遊び心」・・・??

遊び心 黄瀬戸釉彫文茶碗 伝バーナード・リーチ作 茶碗 その4
合箱
口径120*高台径*高さ85

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これで三作品目となる「伝バーナードリーチ」の茶碗の作品紹介です。家内はこの作品は気に入ったらしいImage may be NSFW.
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釘彫りの作品、黄瀬戸の作品はこれで三作品目。

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見込みも茶碗としてよさそうです。

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お馴染みの怪しき「BL」印。ただ真贋抜きでこの茶碗はよい。

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同じ釉薬、同じ胎土・・。

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こういう比較がおもしろいのだが、なにはともあれ撮影の準備から撮影まで息子がそばにいて危なっかしい。

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ただ一度として息子は作品には悪さをしたことはない。これは摩訶不思議です?

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おっとこんなのを出したら、ラグビーごっこを始めそう・・。Image may be NSFW.
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忘れ去られた画家 雪景山水図 川端玉章筆

ひとりでは何もできないということを自覚していないと人間は傲慢になる生き物のようです。ひとりでは何もできない、ひとりでは生きていくことさえ苦痛になる、人間はそういう生き物です。そういう寂しさを強く認識した経験も持つは人に優しくなれるものだが、時として人は傲慢になることが多い。それは立場が上位にいる場合という認識が人は平等であるという意識を超えている時のようです。その傲慢さは孤独を加速し、いずれ本人に報いることとなるものです。

さて本日紹介する作品もまた永らく男の隠れ家に掛けられていた作品です。下記の写真は男の隠れ家の床に掛けられていた写真です。昔の家には寝室に必ず小さくても床の間があり、寝ながら本を読んでいたりすると少し視線をずらすとそこには掛け軸があったものです。

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当方の川端玉章の作品の思い出の作品というと叔父の所蔵していた双福の山水画の作品があります。なかなか収納箱も立派で叔父の先代から所蔵していたのではないかと推察しています。

美術学校の同僚だった橋本雅邦と並び評された画家であり、1890年(明治23年)岡倉覚三(天心)によって東京美術学校に円山派の教師として迎えられ、1912年(大正元年)まで22年間主に写生を受け持ったという実績からも明治、大正、昭和初めには高く評価されていた画家の一人であったとようです。

遺作の数が多く、他の当時の画家が近代画として名を成したに比較して、川端玉章の作品は現在ではあまり高く評価されていません。叔父の所蔵作品もおそらく後継の方が廉価で売られたのでしょう。今は手元にないそうです。

雪中山水之図 川端玉章筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱入
全体サイズ:横375*縦1880 画サイズ:横333**縦1122

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川端玉章(かわばた ぎょくしょう):天保13年3月8日(1842年4月18日) - 大正2年(1913年)2月14日)。明治時代に活躍した日本画家。本名は滝之助。東京美術学校の教授を務め、川端画学校を開設するなど後進の育成に努め、美術学校の同僚だった橋本雅邦と並び評された画家。

京都高倉二条瓦町で、蒔絵師左兵衛の子として生まれる。父は三井家に出入りしていたため、同家へ丁稚奉公に出る。11歳の時、三井高喜(出水家)や三井高弘(南家)らに絵の巧さを認められ、高喜の紹介で中島来章に入門。一方で、画論を小田海僊に学ぶ。

1867年(慶応3年)江戸に移住。1872年(明治5年)高橋由一に油絵を学ぶ。同年三井家の依頼で、三囲神社に「狐の嫁入り」扁額を描く。この絵は現存しないが、これが玉章の出世作となる。しかし、その頃は生活が苦しく、版下絵や新聞の付録画まで描いたという。

1877年(明治10年)第一回内国勧業博覧会で褒状。
1879年(明治12年)龍池会設立に関与。
1882年(明治15年)第一回内国絵画共進会、1884年(明治17年)第二回で共に銅賞を受け頭角を現していく。

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1890年(明治23年)岡倉覚三(天心)によって東京美術学校に円山派の教師として迎えられ、1912年(大正元年)まで22年間主に写生を受け持った。

逸話として、採用のきっかけとなった両国の大きな書画会において、一番達者に描いたのは河鍋暁斎だったが、玉章は図柄がみな異なっていたことから、天心は採用を決めたという。

学校に出勤する前に、10枚、15枚と絵を描いてくることを自慢の種にしており、実際玉章の遺作は数多い。

手は馬鈴薯のように丸々と太り、顔にはあばたや大きな斑点があったから「がんもどき」などと学生に渾名つけられていた。

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円山派において巧みな筆技をもっていた玉章は「腕の画家」であり、絵画を一種の技術と考えていた。この点、同時期に日本画の指導をしていた橋本雅邦とは全く逆の立場にいたと言える。これを証明する事実として、玉章はある展覧会に出品する壁画の柳を学生達の前で描いた。その時筆に墨をつけ一間ばかり飛びながら線を引き、何かぽんぽん付け加えると青柳がすぐでき上がってしまい、まるで「曲芸」を見ているようだと学生達は述べている。


1891年(明治24年)玉章より一世代若い画家たちによる日本青年絵画協会設立の際にはこれを援助、事務所は玉章邸に置かれた。

1896年(明治29年)6月30日帝室技芸員、
1897年(明治30年)古社寺保存会委員、
1898年(明治31年)日本美術院会員、文展開設以来審査員を務める。
1910年(明治40年)川端画学校を開設。
1913年(大正2年)、長く患っていた中風のため死去。

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ながらく小生の男の隠れ家の床に掛けられていました。前々からシミが出始めていたので、今回展示室に持ち込み湿気を抜いています。

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このような心配りは掛け軸には必須ですが、現代人は掛ける場所すらないので、メンテナンスなど思いも及ばぬのであろう。

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田舎で育ちましたが、幼少時から掛け軸の扱いなどを母から教えられていました。そういう面では都会人より文化的かも。



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