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明末呉須染付蓮池水禽図大皿 その2

先日のなんでも鑑定団に「明末呉須染付蓮池水禽図大皿」の作品が出品されていました。なんと評価金額は250万・・Image may be NSFW.
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なんでも鑑定団出品作(2018年3月6日)

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コメントには「17世紀、中国明王朝の後期から末期までの福建省南部の漳州窯で焼かれたもの。ほとんどが当時の中国の主要な輸出品のため大量生産で粗製乱造。普通コバルトの青色がもっとねずみがかってくすんでいる。見込が蓮池水禽、蓮の花の池に水鳥が遊んでいる。周りが八窓、八つの窓に草花文を散りばめている。典型的な明の文様。裏行がまた良い。焼く時に癒着を防ぐために窯に砂を撒くので皿の裏に砂がたくさん付く。依頼品は綺麗にそぎ落としてあり、高台に付いているだけ。おそらく寺院や有力武家の注文品だったのだろう。」とのことですが、いくらなんでも250万円は高すぎると思います。

ちなみに下記の作品も同じく「明末呉須染付蓮池水禽図大皿」の属する作品です。こちらの評価金額は50万円ででしたが、発色が悪い割にはこちらも高すぎる値段です。本ブログで再三既述したように、売買金額はなんでも鑑定団の評価金額の十分の一が目安となります。

なんでも鑑定団出品作(2012年9月11日)

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上記の作品へのコメントは「こんな良い呉須染付大皿は珍しい。作られたのは400年くらい前の中国福建省で、当時の中国の主要な輸出品。絵が良く、中央の鳳凰の真上に太陽が描かれている。これは非常に位が高く運も大吉の図柄。大変に状態が良い。」とのことです。

本ブログにおいては、俗にいう赤絵の「明末呉須赤絵」の作品を中心に投稿されていますが、何点か染付の作品も紹介しています。下記の写真はその一例です。以下の写真にて本ブログで紹介されている作品を紹介しながら記述します。

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「明末呉須赤絵」はその後、南京赤絵、天啓赤絵などが派生し、「明末呉須染付」は古染付、祥瑞などが派生してきますので、その区別が必要です。

下記の写真は南京赤絵・・。あくまでもすべて「伝」と心置きください。

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下記の写真は天啓赤絵・・。

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下記の写真は古染付・・。

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同じ染付でも古染付は薄手になり、高台周りも洗練されてきます。大きめの皿でも下記の作品は「明末呉須染付」というより古染付に近い作品です。

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古染付は基本的には中皿程度以下の作品が多く、大きな皿の作品は古染付には分類されていないかもしれません。

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それは古染付は茶器中心に珍重されたことが関係していると思います。

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図柄は似ていても時代が下った作品は本来の「明末呉須染付」とは薄手でちょっと違った感じのする作品となります。このような作品を「明末呉須染付」と混同している人が多いようです。

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古染付風の作品に比して、本来の「明末呉須染付」は釉薬が分厚く、手持ちがずっしりと重く、高台周りは雑となっています。この手の完品の残存数は意外に少ないかもしれません。

下記の作品は本ブログで紹介されている「明末呉須染付蓮池水禽図大皿 その1」ですが、本来の「明末呉須染付」の作品となります。「なんでも鑑定団」に出品されていた作品と同図の作となります。「大量生産で粗製乱造」とのコメントのように多くの作品があります。

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何度か本ブログにて記述していますが、改めて「呉須染付・赤絵」の説明を記述しておきます。

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呉須染付・赤絵 (ごすあかえ):焼き物としての呉須という名称は、現在の中国福建省から広東省にかけて生産された と思われる明中期以降の半磁器のことで、英語では“swatow ware”と呼ばれ 広東省仏頭(スワトウ)港から積出されたとされるが、呉須または呉洲の呼称の 語源は不明である。

呉須は本来、染付(青花)顔料のコバルトの意味で焼物の呉須とは 区別される。仏頭を輸出港とするこれらの焼物は、日本をはじめ東南アジア,中近東, ヨーロッパにまで送られ、明末・清初に景徳鎮で受注生産された古染付,祥瑞などに むしろ先んじて日本へ渡来し、茶陶としての用途に重宝された。

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器種は鉢,皿が多く、 染付,瑠璃,柿釉,白釉,五彩などがある。五彩のものを呉須赤絵と呼び、その華やかさ もからわが国では古来人気が高く、茶人の珍重するところである。

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「呉須手」には赤絵のほかに染付、青絵、柿釉を施したものなどがある。素地が灰白色で、裏面にまでかけられた釉にむらがあり、また露胎の高台裏が焼成時に赤褐色となるのがその特徴である。また高台や底裏には窯で付着した砂粒が黒く残っている。これを「砂(付)高台」と称する。

下記は俗言う「天下一」・・。

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下記は青手の印判手の作品・・。

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赤絵と青手の混在した作品・・。このほかに「柿釉を施した作品」はレアものです。

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砂高台:焼き物で、高台の底に砂の痕(あと)が残っているもの。重ね焼きの際、器物どうしが溶着するのを防ぐために砂をまいたために生じる。朝鮮製の茶碗(ちやわん)などにも多い。

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虫喰:口縁には虫喰と呼ばれる釉剥げがあり、こうした風情がかえって日本の茶人には好まれ、珍重されています。明末赤絵は時代が下がると、このような虫喰や砂高台がなくなったり、技巧的になり、その評価は数段落ちてきます。虫喰のない呉須赤絵の作品は価値も半減します。

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*上記の写真のように虫喰いは金繕いされている場合も多い。

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だいぶ遅くなりましたが、本日は「明末呉須染付蓮池水禽図大皿 その2」の作品を紹介しましょう。

明末呉須染付蓮池水禽図大皿 その2
杉古箱入
全体サイズ:口径373~384*高台径*高さ75~85

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なにやら分けのわからない絵がいいらしい・・・Image may be NSFW.
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のびのぼと何事にもとらわれていない雰囲気がいい・・・Image may be NSFW.
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馴染みのない人はただの汚らしい皿にしか思えないImage may be NSFW.
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当方では染付の作品は蒐集対象としては亜流であり、所蔵している作品は参考作品程度のものです。

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染付のコバルト色がきれいに発色されている作品が珍重されています。

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さて赤絵と染付・・・、どちらが好みかは意見の分かれるところでしょうね。染付にも赤絵にも日本で模倣された作品が数多くあり、その判別は実の簡単なようで、意外に非常に難しいようです。

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明末染付といっても、様々の作品が多く、当方にて所蔵している作品も数が多くなり、一度整理しなくてはいけないと痛感しています。

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屋根裏の長持ちを開けて、とりあえず二つの作品を並べてみました。

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正直、赤絵に比べて染付はあまり興味はなかったのですが・・。

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赤絵に比べて絵のバリエーションが少ないからかもしれません。

修理完了 木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作 その2

以前に紹介しました木「彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作 その2」の作品ですが、入手したと当時は手に持つ舞扇が割れて破損したりしていました。

*下の敷布は祖母が帯地で作ってくれたものです。

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写真ではわかりにくいのですが極彩色も一部剥がれていましたが、ようやく半年の時を要しましたが、修理が完了して手元に戻ってきました。

木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作
極彩色 共箱
幅148*奥行き132*高さ220

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修理されて作品が生き生きとしているように思います。なんといっても福の神。

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詳しい説明は修理前の記事に記述していますが、この作品の謂われは下記のとおりです。

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福の神(ふくのかみ):狂言の演目のひとつ。

派手な衣装に身を纏った福の神のその出で立ちと世俗的、庶民的な性格とのギャップを楽しむ祝言。

大晦日の夜、毎年神社で豆まきをして年を越すのを恒例としていた二人の男が福の神を祀るために神社へ参詣した。参拝を済ませて「鬼は外、福は内」と豆を持って囃し立てると、大きな笑い声をあげて福の神が現れる。

福の神は自分から名乗ると「毎年参拝に来るお前達を金持ちにしてやろう。だから酒をくれ」と二人に酒(みき)を催促し要求する。男たちが福の神へ酒を奉げると、酒奉行である松の尾の大明神に神酒を捧げてから旨そうに自分も飲みながら、福の神は歌いはじめる。

そして豊かになるには元手がいると2人に話します。2人が、元手がないからここに来たと反論すると、福の神は「元手とは金銀や米などではなく、心持ちのことだ」とさとします。金持ちになる秘訣として「早起きをし、他人に優しくし、客を拒まず、夫婦仲良くすることだ。それとわたしのような福の神に美味しい神酒をたくさん捧げれば楽しくなること間違いない。」と言って、謡い舞い、朗らかに笑って帰っていきます。

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修理に要した費用は約9万円也。高いか安いかは各個人の判断次第ですが、なにはともあれ半年を要した修理ですが、元来の色を損なわずうまく直されています。

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骨董というものは所有するだけのものでなく、維持管理、そして補修を含めての趣味です。所蔵だけの愉しみではまだ骨董趣味のひよっこです。

氏素性の解らぬ作品 三彩獅子香炉 

本日紹介する作品は、源内焼として出品されていた作品ですが、当方の見立てでは源内焼とするには違和感を覚えます。箱には「唐三彩」という紙が貼られていますが、そこまで時代は下がらないのではないかとも思えます。作りは粗雑ですがなんとはなしに味のある作品です。

三彩獅子香炉 
合箱二重箱
幅112*奥行75*高さ145

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三彩というよりもかなりニ彩にちかい釉薬の作品で、胎土は軟土の陶器・・。再興された源内焼か時代の下がった明時代の頃の三彩と推定されますが、確証はありません。

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釉薬はたしかに源内焼に近いのですが、やはり違和感があります。

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使われた形跡がないこと、急ごしらえという感じすることから埋葬品としての可能性があるように思えます。

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唐三彩の流れをくむ時代の下がった中国陶器と考えるのが妥当かと現時点では考えています。

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いろんな可能性を含めて考察してみました。

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日本のものか、中国か・・、中国なら明の景徳鎮か? 明の三彩には下記のような作品があるようです。

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源内焼以外の日本なら長与三彩か? 本ブログで投稿した下記の作品に近い?

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長与三彩は磁器であるから違うようですが・・。

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源内焼で当方にて近似した作品には下記の作品があるように思えます。

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再興された源内焼・・・? どうもピンときません。

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なにはともあれ興味を惹く作品です。大切にされてきたようで、二重箱に収められています。

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この箱に収めた方は唐三彩だと考えていた可能性がありますが、やはり時代の下がった中国の埋葬品かと。箱には唐三彩とありますが・・。

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結論はさておき、じっくりと展示室に置いて鑑賞することにしました。

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三彩という作品は唐以降、いつの時代でもどこかかしこで製作されていたようですから特定は難しいのかもしれません。

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唐三彩の意図的な贋作ではなさそうです。

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いつかこういう作品はふとした機会に解る時があることがあります。

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いつまで展示室に飾っておくことになるやら・・・・Image may be NSFW.
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再興膳所焼 象乗唐子色絵香炉 

箱のない作品の中から選りすぐって、箱を用意して収納しています。真田紐などは自分で調達しています。

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中のクッション材、紙、布を用意して、保護紙をあてて、写真を張り付けて、内部には説明書きを添えて保存しています。

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基本的には本ブログで紹介された作品ばかりですが、資料を見直していますので遅々として進まない作業のひとつです。

松竹梅図茶巾筒 古清水焼
口径40*底径65*高さ75

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水屋に置かれて普段使いに使っていますが、徳利かなにかの円筒形の器の上部を切り取り茶巾筒に見立てた作品でしょう。保護紙は中にあったものに合う折り紙などを鳩居堂などから探してきています。こういうことはじっくりとやるのが良いと思いますが、あまりストイックになってもいけない作業のようです。

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さて本日紹介する作品もまた京都の焼き物に縁のある作品です。

型に入れて大量生産したこの手の作品は柿右衛門の作品などにもよくあります。ただこの作品は膳所焼の再興に関連することでその意味合いが面白くなります。再興膳所についての最低限のことは知っておきたいですね。

再興膳所焼 象乗唐子色絵香炉 
補修跡有 由来識箱
幅160*奥行95*高さ150

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箱裏には「日本麻糸 帝国製麻 為合併記念 大象も つながんほどに 麻糸を たばぬるひとの こうろうにこそ 大正癸亥(みずのとい、きがい)秋 春挙画伯賛 押印(春挙好)」とあり、1923年(大正12年)秋に製作されたものと推察されます。「香炉」と「功労」をかけた歌になっています。な~一種のダジャレのようなもの・・。

膳所焼が再興されたのは大正8年からですから、再興された膳所焼の最初の頃の作品と思われます。なお大正12年9月1日に関東大震災が起きていますが、そのことと本作品の関連は不明です。

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本ブログにても投稿されている画家の山元春挙も再興に尽力していますので、その関連の作品でしょうが、古い膳所焼は黒味を帯びた鉄釉が特色であるのに対して、京焼の二代伊東陶山の指導で再興された再興膳所窯であり、本作品はいかにも京焼風の作品になっています。

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象の尻尾部分や香炉の蓋部分に金繕いの補修跡がありますが、それなりに大切に保存されていた作品であったものと推察されます。記念に際して製作された作品ですので、多数作られた作品であったことと推定されますが、再興されたばかりの膳所焼の佳作のひとつと言えるでしょう。

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膳所焼の詳細は山元春挙の投稿記事にも記されていますが、再度簡単に記述しておきます。

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膳所焼:(ぜぜやき)滋賀県大津市膳所にて焼かれる陶器。茶陶として名高く、遠州七窯の一つに数えられる。黒味を帯びた鉄釉が特色で、素朴でありながら繊細な意匠は遠州が掲げた「きれいさび」の精神が息づいている。元和7年(1621年)膳所藩主となった菅沼定芳が、御用窯として始めたものを膳所焼(御庭焼)と言う。

また、膳所藩領国内で安土桃山時代から江戸時代初期に焼かれた大江焼(瀬田大江(現大津市瀬田)の陶器、1620年代には築窯されていたとされる。)・勢多焼・国分焼(石山)の3古窯と、膳所焼復興を目指した梅林焼・雀ケ谷焼・瀬田焼の総称としても用いられている。

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菅沼定芳は、膳所藩主となった後の寛永6年(1629年)、膳所相模川の左岸に御用窯を築いた。定芳は本阿弥光悦・小堀遠州・松花堂昭乗との交友に影響を受け茶器を焼いたと言われている。

菅沼定芳移封後、寛永11年(1634年)新たに石川忠総が膳所藩主となった。忠総の実父大久保忠隣は、小堀遠州の師であった古田織部門下の大名茶人であり、忠総自身も小堀遠州と親交が深かったことから遠州の指導を受け茶器焼き物に力を注いだ。

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膳所焼は遠州七窯の一つとして評判を上げ、茶入や水指などは諸大名らの贈答品として重宝され]。しかし、膳所焼の隆盛は忠総治世時に留まり、慶安3年12月(1651年2月)忠総が死去し、慶安4年4月(1651年6月)後継の石川憲之が伊勢亀山藩に移封すると、膳所焼は徐々に衰退していった。

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古膳所焼は黒味を帯びた鉄釉が特色で風味に満ちた作品となっていますが、再興膳所焼は京焼の伊東陶山が指導していることもあってか、京焼の風味が強い作風です。

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膳所焼(再興):大正8年(1919年)、膳所の人岩崎健三氏が膳所焼の廃窯を惜しみ、友人である日本画家、山元春挙画伯とはかり、別邸に登り窯を築き、京都の陶工二代伊東陶山が技術的な指導を行い、膳所焼の復興に生涯尽力した。

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別邸の敷地内に登り窯を築いて再興した。 邸内には「東海道名所絵図」にも描かれた名勝「陽炎の池」(かげろうのいけ)があることから、春挙により「陽炎園」と命名された。 岩崎氏はその生涯をかけて膳所焼の復興に尽力した。健三の後、息子の岩崎新定に継承され、新生膳所焼は今日に至っている。膳所焼美術館にて作品を閲覧することができる。

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現代の膳所焼と比べるとやはり古膳所焼が数段も上の作行と言わざる得ませんねImage may be NSFW.
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伊東陶山(二代目):明治4年~昭和12年(1871-1937陶芸家。二代陶山。初代陶山の養子。名は信助。初代に師事する。帝展審査員。昭和12年(1937)歿、68才。近江膳所藩の家老の四男に生まれ、日本画を志ましたが その後陶芸家とし初代の伊東陶山に見込まれて、養子に入り二代目を継承。大正9年には 膳所焼きの復興に尽力。

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山元春挙については下記に簡単に記しますが、本ブログでの他の投稿記事を参考にしてください。

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山元春挙:日本画家。滋賀県生。名は金右衛門。別号に一徹居士。初め野村文挙に学び、のち森寛斎の門人となる。円山派の伝統に通暁し、風景画・山岳画に秀で、竹内栖鳳と共に京都画壇の重鎮として活躍した。早苗会画塾主宰。京都絵専教授。帝国美術院会員・帝室技芸員。昭和8年(1933)歿、63才。

秋山清影図 山元春挙筆 その3
絹本着色軸装 軸先合成樹脂 共箱
全体サイズ:横643*縦2320 画サイズ:横502*縦1390

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量産された作品であろうと推察されますが、それ相応の立派な箱に収められています。

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帝国製麻:「1907年(明治40年) - 日本製麻株式會社と北海道製麻が合併して、帝國製麻株式會社を設立する。」という資料がありますが、大正8年の日本麻糸と帝国製麻の合併についての詳細は不明です。

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ただ押印(春挙好)というのはいかにも俗っぽい・・Image may be NSFW.
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香炉してはよくできています。はやり京焼の伝統のデザインでしょうね、秀作と言えます。象の下腹部には印があります。

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現代の膳所焼は京焼とも高取焼ともはたまた瀬戸焼とも・・、わけのわからぬ作品ばかりで、見るべきものがまったくないですが、本作品は京焼風とはいえ少なくても再興に意欲的だったことが感じられる作品です。

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膳所の人岩崎健三氏の邸内には「東海道名所絵図」にも描かれた名勝「陽炎の池」(かげろうのいけ)があることから、前述のように春挙により「陽炎園」と命名されました。岩崎氏はその生涯をかけて膳所焼の復興に尽力し、現在は二代目岩崎新定氏が窯を引き継いでいます。膳所焼の箱書きには、「淡海ぜ々 陽炎園造」と記されているものが多い。

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このような関連を作品ひとつからいろいろと知ることができますが、少しでも知っていないと数千円での出費ですが、入手の触手はのばせません。少しの間展示室において飾ってみようかという気にさせてれる作品です。

ところで本ブログで紹介された下記の清水焼の作品と並べてみました。

古清水焼(栗田焼) 色絵布袋唐子香炉
合箱入
幅170*奥行130*高さ146

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基本的に京焼はあまり好みではない魑魅魍魎たる陶磁器群ですが、釉薬の色調がよく似ています。

庭の花々

義父と息子が畑仕事の合間に採って来てくれた桃と菜の花・・、洗面所に家内が飾ってくれましたが、もっといい花入れがあったはずなのにね。ただこの瓶も小生が入手したもの。

休日は母の誕生日ということもあり、母の元へ。

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三人いるおばあちゃん、息子はいつも三人ともに喜んで遊んでいます。

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お薄も一服。

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帰りは小田急線のロマンスカー・・、こんなに人気があったけ?

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春なのでついでに庭に咲く花をピックアップ。

貝母 ・・親戚の庭から移植したもの。

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カタクリ

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椿

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白梅

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水仙

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福寿草

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我が息子は花より食い気・・。

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休日につき面倒な説明は省略・・・。


兎 福田豊四郎筆  その80

さてインフルエンザの後遺症でだるい体に鞭打って墓参り。彼岸桜もモクレンもものの見事に満開です。

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息子はいつも小生のやっていることをやりたがります。お地蔵さんにお水・・・。

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代々のお墓にあったお地蔵さん、中には骨董として魅力がある作もありそう・・。

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帰宅後はわが郷里の家族にも線香を・・・。

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亡くなった父と親交のあった福田豊四郎氏の面白い作品を入手しました。

兎 福田豊四郎筆 その80
絹本着色 額装
画サイズ:縦190*横230

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戦後間もない頃に描かれた作品であろうと推測しています。

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兎にシダの葉・・・。

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落款は下記のようになっています。

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同様な落款と印象が押印されている当方の所蔵作品には下記のものがあります。

挿絵原画 福田豊四郎筆
紙本着色 額装
画サイズ:縦*横(未測定)

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福田豊四郎の挿絵原画と思われる作品ですが、実際の挿絵の原画かどうかは不詳です。戦後を中心に数多くの挿絵を担当し、小作品にも数多くの秀作を福田豊四郎は遺しています。

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印章は「豊」ですが、非常に珍しい印象です。上記の作品と本作品の比較は下記のとおりです。

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福田豊四郎の作品にも贋作がありますが、本作品は真作であろうと判断しています。とくに本日紹介する作品は、小生の所蔵作品の多くと同じく父と友人であった福田豊四郎本人から譲り受けた作品だそうです。

原画の挿絵のようなスケッチではなく、本格的に描かれた作品ですので、譲り受ける際に依頼して描いたもらった可能性が高い作品です。

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福田豊四郎の作品の小品を中心に所蔵していますが、挿絵の原稿のような作品が多々ありますので、きちんと額に入れて一度整理して展示してみようかと思っています。

壺屋焼 窯変茶碗 新垣栄三郎作 その8

先週中にお雛様の片づけ・・。母子で一生懸命ですね。ところでお雛様・・、いったい当方でいくつお雛様のセットであるのだろう? 興味がないので男の隠れ家に仕舞ったままのなっています。

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さて本日紹介するのは最近話題になった「窯変茶碗」・・、もとい話題になったのは「窯変天目茶碗」。なんでも鑑定団の「窯変天目茶碗」はあまりいいものとは思えないと小生は判断していますが・・・。

さて壺屋三人男と称される小橋川永昌、新垣栄三郎、金城次郎のうち、小橋川永昌の仁王窯と新垣栄三郎の新垣窯において両氏は窯変を得意としていたそうです。当時は窯変作品が良く売れたこともあったようです。

壺屋焼 窯変茶碗 新垣栄三郎作 その8
共箱
口径122~126*高台径54~55*高さ82

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新垣栄三郎の窯変作品は東ヌ窯(登窯)かガス窯において焼成されたそうですが、その特定の窯でも100個に1個しかできないという希少価値のある窯変のお茶碗だそうです。

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共同窯ゆえ窯の位置は抽選となり、中でも1番目と2番目の窯の袋は温度が上がらず焼成しにくいので皆が好まない場所なのですが、栄三郎は皆と逆で、1,2番目の袋に当たると喜んでいた。何故かというと、窯変が非常に出やすいからです。(以上は子息である新垣勲の談によります。)

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東ヌ窯:1682年に首里王府の政策により本島内にあった3つの窯場が統合され、その中でも新垣家は中心的な役割を果たしてきた。それから1974年までは実際に使われていた共同窯です。東ヌ窯は国の重要文化財にも指定されているが、東ヌ窯は2009年、雨に耐え切れず全壊。2015年には復旧完了しており、再度窯を焚こうという動きがある。

箱書きは下記のとおりです。

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実際に茶事に使われていた可能性をうかがわせる紙が貼られています。

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高台内には彫銘がありますが、あまり例のない彫銘ですが、真作であろうと判断しています。過渡期における彫銘(「栄三郎」彫銘→「シ」の字のような彫銘)ではないかと推察してます。

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新垣栄三郎の茶碗は本ブログですでに紹介されている下記のような作品が代表例です。。

壺屋焼 赤絵茶碗 新垣栄三郎作 その7
合箱
口径130*高台径60*高さ80

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二つ並べるとまったく違う作風ですね。「窯変茶碗」・・・、きたないさそうという評価がありそうですが、陶磁器に詳しい人なら、この釉薬の変化に面白みを見出すでしょう。ただ茶席で使える茶碗かどうかは別問題です。

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下記の記事はなんどか投稿している「新垣栄三郎」の投稿記事で紹介していますが、「窯変」についても記されていますので参考にしてください。

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新垣栄三郎:1921年(大正11年)に生まれ。13歳の頃にはロクロの仕事をし、一中(首里高校)を卒業後、濱田庄司、河井寛次郎両氏の元で1年間修行している。しかし、父栄徳は焼物よりももっと待遇のいい仕事に就かせたかったようで、教員の仕事を息子に望み、栄三郎は台湾の学校を卒業して教職に就いていた。

父栄徳が亡くなった後、壺屋小学校での仕事を最後に、教職を辞め、本格的に作陶を開始。沖展や国画展などに出品し、金城次郎と二人展を開始。1961年から琉球大学で教鞭を執り、工房では分業制を確立していた。

長男勲はロクロや壺作りを専門とし、次男の修はお皿や湯呑み、三男の勉も同じようにロクロ物を中心に製作、その時、太郎という職人がおり、彼は土作りと抱瓶、角瓶などの型物を製作、菊おばさんは線彫の加飾を中心にしています。染め付けは栄三郎の奥さんが行っていた。窯詰めはハルおばさんで、ハルおばさんは時間が空くと抱瓶などを製作、一さんは小さな楊枝壺と土練機の担当、娘の紀美江は主に販売だった。壺屋ではどの工房も家内工業でしたので、従業員もほとんどいない。新垣栄三郎は家族で分業を行っていた。

1人が同じものをたくさん作っているので、ひとつとしておかしい製品は出てこない、素晴らしい製品を作り出した。それは化粧の細かさ、形の端正さに現れている。一日おきに窯を焚いていたので生産量もすごかったと推測され、壺屋に組合の販売店が出来た頃、新垣製陶所の売上は組合の半分近い量を誇っていた。それだけ新垣の窯では、安定したシステムの中で、品質が端正で綺麗な製品が作られていた。

模様についてサトウキビをアレンジした文様が特徴で、濱田庄司の黍文と同じように、たくさん使われたデザインが非常に特徴的。このような文様を多く描き、非常にモダンで幾何学的である。形態的にはユシビン等に見られるように、叩いて、もしくは削って面取りをして、そこに模様を描くというのが、栄三郎ならではの形態の特徴である。この辺りは、濱田庄司の影響もあるのかと思われるが、さらに国画会の会員でもあるので、そういった影響もあるかと思われる。

線彫、赤絵、飛び飽という技法の併用も見られ、全体的にみて非常にモダンな、ごちゃごちゃしていない、どちらかというと壺屋では書きたがる傾向にあるが、栄三郎の作品は全体にすっきりしている抽象的な文様を描いている。具象物が少なく、仁王(永昌)は鳥や花などにしても、具象的に描くが、栄三郎は抽象的な文様を描いている。栄三郎は電動のロクロは使わず、亡くなるまで蹴ロクロで作陶されていた。ロクロの技術がとても素晴らしく、非常に手が細かく、緻密な仕事をしている。

バーナード・リーチの赤絵の作品は、新垣栄三郎の窯のフースー窯で焼いており、バーナード・リーチが絵付けを行った皿は、新垣栄三郎が作つたもので、この窯でのバーナード・リーチの作品は全部栄三郎が作った皿である。

浜田庄司は、新垣の工房でロクロを引いて作品を作っている。浜田庄司は赤絵の作品も新垣で焼いている。浜田庄司の沖縄での作品はフースー窯もガス窯も両方ある。

浜田庄司が沖縄に来ると、たくさんの人がぞろぞろとついてきて、いろいろなことを聞いたりした。濱田先生が新垣栄三郎の窯でお昼休みをしていると、たまたま栄三郎の抹茶茶碗を買った客が箱書きがない、困ったなあと言っているところへ、浜田庄司が「では、私が箱書きを書いてあげましょう」と箱書きをしたことがある。客はこの茶碗より箱書きの方が大事だと言って喜んだそうである。ところで仁王窯では小橋川秀義さんという方がほとんど書いています。製品が売れると、秀義さんを捜しに壺屋を探し回ったという逸話がある。

仁王窯も窯変を得意としているが新垣もおなじである。窯変の製品はよく売れたことから新垣栄三郎は、窯の特性をしっかり使いこなして美しい窯変を出している。美しい窯変の作品の色の出方は100個の中の1個と言われている。仁王窯の窯変と新垣の窯変は、同じ釉薬を使っても出方は違っている。

新垣栄三郎は練り込みの作品を制作していが、これは方言ではムンマジリーという。赤と白の土を混ぜ合わせて、その土をロクロでひくが、これがうまく模様として出るかというと、それは大変難しいが、新垣栄三郎は非常に素晴らしい作品として仕上げている。また白化粧を行った後、線彫や掻き落としで模様をつけてシンプルで何とも言えない美しい作品をつくるなど、栄三郎の作品には。非常にバランスがいい。

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「仁王窯も窯変を得意としているが新垣もおなじである。窯変の製品はよく売れたことから新垣栄三郎は、窯の特性をしっかり使いこなして美しい窯変を出している。美しい窯変の作品の色の出方は100個の中の1個と言われている。仁王窯の窯変と新垣の窯変は、同じ釉薬を使っても出方は違っている。」・・・、「美しい窯変」という評価には意見が分かれるところかもしれませんが・・・・。

もうひとつ新垣栄三郎の「窯変茶碗」がありますので、後日また。

明末呉須染付 蓬莱山図大皿 その3

息子は幼稚園が休園となり、野菜の収穫へと駆り出されています。感心にも家の手伝い喜んだやるようです。今のところは・・。

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採ってきたネギは皮むきをしますが、意外に様になっているようで、農業に向いているかもしれません。

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トラクターや軽トラの運転も大好きなようで・・、あくまでも今のところ。「さ~、出発進行!」・・・「足がと届かないよ!」Image may be NSFW.
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さて最近詳しい内容で投稿しました「明末呉須染付大皿」の下記の作品ですが、その染付文様の違う作品を入手しました。両作品を並べてみたものです。右が前回投稿した作品「その2」になります。左が「その3」の作品となります。前回の投稿に「その1」が掲載されています。

明末呉須染付 蓮池水禽図大皿 その2
杉古箱入
全体サイズ:口径373~384*高台径*高さ75~85

明末呉須染付 蓬莱山図大皿 その3
杉古箱入
全体サイズ:口径387~391*高台径185*高さ80~85

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やや「その3」が大きめの作品となり、高台内の砂付高台も砂が少なくなっています。

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虫喰や釉薬の剥げも少ないですが、若干はあります。口縁には八つの窓を設けて草花文が描かれています。

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高台内は鉋の跡の残る古染付に見られる所作がありますが、古染付ほど顕著ではありません。釉薬はたっぷり掛けられており、「その2」の器時代の形成は古染付に近いものがあります。

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器の歪みは少なく、この手の「明末呉須染付」としては上手手となります。

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文様は一般的な「蓮池水禽図」の対して、上部に太陽の描かれた吉祥文であり、よく明末呉須赤絵に見られる図柄です。

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コバルトの藍色の発色がよく、「明末呉須染付」の多くがくすんだ藍色に比べて綺麗な発色となっています。この手の作品は傷の有無よりも発色の良い作品、図柄がきちんとしている作品を選ぶことが肝要だと思います。

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その点では「その2」も出来の良い作品と言えるのでしょう。

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ただあまりきれいな作品を選ぶと味わいのない作行が多く、ときには時代の下がった作品となりますので、その鑑識眼は難しいところがあります。とくに「明末呉須赤絵」にはきれいな作品で味わいの全くない作品があります。女性には好みなのでしょうが、当方では蒐集対象外となっています。

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本作品もそれらしき古びた箱に収まっていました。

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「その1」、「その2」の写真は下記のとおりです。参考までに・・。これらの作品は「なんでも鑑定団」の評価額のような高額で取引される作品ではありません。「なんでも鑑定団」の評価額を真に受けてはいけません。あれは骨董賞の売りたい値段であって、あのような値段では取引はされていません。10分の1以下が相場です。

このような値段で価格をつり上げていると、いつかは骨董商はこの世からなくなります。近いうちに骨董商よりネットオークションに軍配が上がるでしょう。ただしネットオークションは詐欺、押し売りのような面をなくさないといけません。とくに入札後にキャンセルできないという商法上ありえない行為がまかり通るものであってはなりません。

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ただ呉須赤絵にしろ、古染付にしろ、茶人、煎茶人が好んだ作品です。もののふ、日本人魂に基づく古来からの日本人の好みというものがこれらの異国の美を見出してきました。忘れてはなりません日本人の心意気。

伊万里、鍋島、古九谷、源内焼という磁器系統の世界に同等に「呉須赤絵、染付」の作品があります。すでに中国には作品がなく、日本の作といっても過言ではありません。中国の趣味の悪い綺麗好みよりよほどましな世界です。

壺屋焼 窯変茶碗 新垣栄三郎作 その9

展示室の収納棚を整理していたら柱時計が出てきました。以前に紹介した下記の写真の柱時計は明治4年にアメリカから輸入されたもので、展示室に掛けられています。

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今回出てきた作品は日本製です。「SEIKOSYA」というのは「精工舎」つまり今のセイコーのことですね。1892年(明治25年)創業ですから、それ以降の作品でしょう。

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義父と義母によるとこの他に「日本で最初に作られた頃の柱時計」もあったそうですが、地元の時計店に修理に出した際に戻ってこなかったそうです。あくどいことをするものです。

同じようなことが郷里でもありました。男の隠れ家にあった書道家の「山口蘭渓の手習い書を」近くに神社が義父から借りていったそうですが、いつまでも返却せず神社に展示したままだそうです。義父が亡くなった後も返却せず今でもそのままです。

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柱時計の価値は知る由もありませんが、時計の修理店といい、地元の神社といい、こういう行為をするといつかは碌なことにはなりません。

当然、この柱時計らの部品はもうないとのことで、都内の修理店では動かさないほうがいいという指示でしたので、きちんと動くのですが、今は展示だけで柱時計は動かさずにそのままにしています。

さて本日は新垣栄三郎の窯変のお茶碗についての続編です。

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中央の「その7」が壺屋焼の典型的な新垣窯の赤絵の作品です。両側が新垣窯の窯変茶碗で、右側が「その8」となる以前に投稿した共箱付の窯変茶碗です。

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小汚い茶碗と敬遠されるかとも多いと思われますが、その釉薬の変化には面白みがあります。

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壺屋焼 窯変茶碗 その2 新垣栄三郎作 その9
共箱
口径110*最大幅120*高台径60*高さ73

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壺屋焼 窯変茶碗 新垣栄三郎作 その8
共箱
口径122~126*高台径54~55*高さ82

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壺屋焼 赤絵茶碗 新垣栄三郎作 その7
合箱
口径130*高台径60*高さ80

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民芸作品のお茶碗は正式なお茶会には不向きであると本ブログで記述していますが、それはこの茶碗においても変わりはありませんが、身内のお茶会では使ってみても面白いかもしれないと思わせてくれる窯変茶碗です。

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「その8」よりも見込みはきれいになっています。高台内の彫銘もオーソドックスになっています。共箱はありませんが新垣窯の窯変茶碗に相違ありません。

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バーナードリーチの沖縄での大皿の作品のずべてが轆轤成型は新垣栄三郎が作ったそうで、その轆轤や削りの技術はしっかりしたものです。

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このような釉薬は海鼠釉という釉に似ていますね。

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意図的に狙える発色ですが、その確率は非常に低く、とくに高温の窯にて焼成されるようです。

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胎土が見えている部分が味わいを持たせています。失敗作と判断したのか共箱ではありませんが、壺屋焼に共箱は似合いません。

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茶碗に使える器となるとさらに確率は低くなり、希少価値としても高い「窯変茶碗」です。当時は人気があったのでしょうが、今では知る人も少なくなったようです。廉価にて入手できますので、民芸ファンの方はひとついかがでしょうか。

くらわんか碗

ホワイトデーには二つ入手した話題の作品をお返しに・・。我が郷里から平壌オリンピック女子フィギアスケートの金メダリスト、ザギトワ選手にも送られた品ですが、人気高騰で品不足であったようです。

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さて本日紹介するのは「古伊万里 くわらんか馬上杯」なる作品。もともとはおそらく仏器でしょうが、見立てで馬上盃として喜ばれているようです。深さがあり絵柄も珍しいようですが、残念ながら瑕があり、丁寧は金繕いが施されています。

古伊万里 くわらんか馬上杯
作品サイズ
高坏:口径65*高さ55*底径39

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本来は対であった作品であろうと推察されます。仏器であったものは花入が多く、よく骨董店で見かけましたが、今はも見かけることが少なくなりました。小生もひとつ買ってあり、男の隠れ家のどこかにあるはずですが・・。今では対で遺っている作品は珍しいと思いいます。

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くわらんか碗は以前にまとめて下記の三作品を投稿しています。「くわらんか」について復習してみると下記のとおりです。

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くらわんか碗(くらわんかわん):江戸時代の磁器製の普段使いの庶民の雑器。長崎県の波佐見焼、愛媛県の砥部焼、大阪府の古曽部焼などの製品が伝存。昔はくらわんか碗に、ご飯にかぎらず、汁物などをよそったり、酒を飲んだりするのに使用した。近年見直されている。また、上記を参考に作られたお碗で、くらわんか碗を称するものもある。

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*くわらんか碗は「くわらんか舟」で使われた器であるという限定されたものではないようです。

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「くわらんか舟」については下記のとおりです。

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くらわんか舟:江戸時代、淀川を往来する大型船に対して飲食物を売っていた主に枚方地方の小舟のこと。貸食船(煮売船・にうりぶね)とも呼ばれ、公式には茶船と呼ばれていたが、くらわんか舟・食らわんか舟という俗称が定着した。

過書船は、大坂天満橋の八軒家船着場から京都の南、伏見豊後橋まで、淀川(10里13町27間)を、昼夜兼行で往来したが、荷物は200石ないし300石積で、旅船は30石が普通であったから三十石船ともいう乗り合い船であった。途中の船着き場には岡場所が多く下船者が多いため、「途中下船は切符無効」の賃銀制度が設けられ、とくに枚方宿は一番の盛り場であった。

枚方で停船しようとする三十石船に鍵爪をかけて近づき、飯や汁物、酒などの飲食物を販売していた小舟(店主2名乗船程度)が「くらわんか舟」と呼ばれていた。汁椀など食後の食器は要返却となる。「くらわんか」とは、この地方の方言で「喰わないのか」「喰うことも出来ないくらい銭を持っていないのか」と乱暴に言った言葉である(現在の河内弁では「食べへんのか」、「食わんのけ」に相当)。夜と昼とを問わず三十石船に近づき、乗客達に「くらわんか」と声を掛け販売していたことから「くらわんか舟」という名がついた。

様々な紀行文学に描かれ、東海道中膝栗毛にも「飯食はんかい。酒飲まんかい。サアサア、みな起きくされ。よう臥さる奴らぢゃな」などとがなり立てられた弥次が「イヤ、こいつらア、云はせておきゃア、途方もねえ奴らだ。横面張り飛ばすぞ」と立腹する場面がある。

元々は対岸の高槻の柱本が発祥といわれている。柱本の船頭たちは、大坂夏の陣などで徳川方の物資運搬に協力した功績で幕府から営業特権を与えられ茶船の商売を始めるようになり、後に対岸の枚方宿に移るようになった。またこの際、地元の乱暴な言葉遣いのまま飲食を売ってもかまわないという不作法御免の特権も与えられたため、身分の高い人に対しても「くらわんか」と叫ぶことが許されており淀川往来の名物となっていた。

こうした商売は淀川の水運が鉄道へと変わる明治頃まで続いていたが、今でも菓子の名などに「くらわんか」の名は残っている。この流れを汲む水上惣菜業者は各地で第二次世界大戦後まで残っていたと思われ、横溝正史の推理小説『トランプ台上の首』(1956年、事件発生は同年の東京の設定)にも事件の発見者として描かれている。

烏丸光広はその声を「くらはぬかくらはんかにはあかねども喰ふ蚊にあくる淀の明ぼの」と詠んだ。大衆文学では、その起源について、徳川家康の1587年(天正15年)6月の伊賀の難に付会させられ、「難波戦記」に、その由来が脚色された。

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釉薬を生掛けして小生した江戸中期の陶磁器群のことです。大量生産されましたが、船上から捨てられたので残っている作品は想像以上に少ないようです。それでも数が残っているので、良いもので数万円で買えるものです。

古伊万里くらわんか丸文茶碗
2.丸文 その1 :口径128*高さ58*高台径53
3.丸文 その2 :口径128*高さ60*高台径52

肌の色が白いのは「長崎県波佐見焼のくらわんか茶碗」ではなく、「伊万里焼のくらわんか丸文茶碗」として判別されるようです。

本投稿に掲載されている作品では「古伊万里くらわんか丸文茶碗」のひとつ(補修のないもの)が伊万里の作のようです。並べて比較すると良く解ります。

生掛けでボッテリとした肌に大きな丸文と小さな丸文が描かれていますが、大きな丸文内の斜線文は雨降り文.小さな丸文は塗りつぶしてありまが太陽の移動を表現しているのでしょうか? 

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見込み部の牡丹花文は印判のようです。

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高台内には両作品とも何も書かれていません。

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古伊万里くらわんか草文茶碗
1.草花文    :口径100*高さ53*高台径43

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こちらは見込み内には何も描かれたおらず 高台内には方形枠内に「青」の字のような窯印があります。

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近年まで二束三文であった品ですが、なぜかしら人気が出て数万円になってしまっています。ただこの手の作品も贋作が多いらしい・・・・。

改装完了 松下瀧鯉登り図 大幅 蓑虫山人筆 その14(整理番号) 

箱のない陶磁器は新規に箱を誂えますが、箱だけ製作してもらい、真田紐は自前で気に入ったものを使います。

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ひとつひとつ調べた結果を資料を作成し、添付資料として箱に同封します。最終的に箱の中身がひと目で解るように写真を外側に貼っておきます。そうすることで、整理棚からいちいち箱を開けて中身を確認する必要をなくしておきます。

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傷んだ部分のある掛け軸は修理に出します。費用がかかりますので修理する価値や必要性を吟味した作品ばかりとなります。

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さて本日の作品もまた修理した作品で、昨年12月に郷里の骨董店より購入し、痛みがひどいためこのたび改装が完了した作品です。箱、タトウも新調しております。

改装完了 松下瀧鯉登り図 大幅 蓑虫山人筆  その14(整理番号)
紙本淡彩軸装 合箱 
全体サイズ:横1095*縦2218 画サイズ:横952*縦1760

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改装する前は掛けるのもやっとの状態でした。

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このような作品を維持していくことも骨董蒐集する者の務めでしょう。西郷隆盛を入水自殺から救ったという逸話にある蓑虫山人、NHKの日曜日美術館でも取りあげられ絶賛された画家、そして我が郷里とゆかりの深い人物・・、遺していくべき作品だと考えております。

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蒐集したら陶磁器は箱に収納したまま、掛け軸は箪笥や押し入れに押し込めておくことは骨董蒐集する素養は皆無と言わざる得ません。

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大きな掛け軸はとくに扱いには注意が必要です。箱も大きいので蓋を開けるときにも両手で慎重に行います。本日の作品は蓑虫山人の作品の中でもとくに大作で、出来も良い作品です。

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掛け軸を巻くときには原則は床に置いて巻きます。そのようなスペースのない骨董店はそれ自体で失格です。骨董店の掛け軸の扱い方ひとつで氏素性が解るものです。立ったままで掛け軸を広げるなど無下に扱う骨董店は金の亡者が多いようですので、近寄らないほうがいいでしょう。東京本郷にある骨董店などはその最たるもので、きちんとした骨董店と付き合うのがいいようです。

春の川 舘岡栗山筆 その7

先週の日曜日は家内は茶事の講演会に、小生と息子は紀伊国屋文化ホールにて人形劇を鑑賞しに出かけました。

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冒険ものですので、怖い場面になると居眠りをしている小生の腕にしがみつく始末。「怖い、帰ろう!」という息子をなだめつつ、結局最後まで熱心に観て帰宅の電車の中で家内に一生懸命説明していました。

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さて平成3年のリンゴ台風に際して郷里の男の隠れ家は屋根が吹き飛ばされました。早速赴任先の青森から駆け付け、親戚一同にて応急処理し、市から融資を受けたり、兄弟で資金を出し合って屋根を修理したのですが、その際に天井裏に仕舞いこんでいた掛け軸類を義父から見せられ、捨てるのも惜しいので時間をかけて修復しました。

本日紹介する作品はその中のひとつの作品です。その後に寺崎廣業の屏風(後日贋作と判断)、平福穂庵などの軸も修復していますが、そのことが小生の骨董遍歴を加速したようです。

春の川 舘岡栗山筆 その7
紙本着色軸装 軸先陶製 まくりからの改装 合箱 
全体サイズ:横434*縦1730 画サイズ:横313*縦1017

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舘岡栗山:本名は館岡豊治。明治30(1899)年9月9日、秋田県南秋田郡馬川村高崎(現在は五城目町)生まれ。秋田師範学校を中退し、京都にて勉学。院展の近藤浩一路に師事。昭和8年、「台温泉」が院展で初入選。安田靭彦の指導を受ける。昭和12年春展、「雨後」が横山大観賞受賞。昭和40年、院展ニ20回入選をはたす。昭和42年、院展特待、無鑑査。秋田県にて日本画研究グループ「新樹社」設立。大正期、俳句雑誌「山彦」を主宰。昭和20年台初め、一日市町(現在は八郎潟町一日市)にて湖畔時報社設立。昭和27年、秋田県文化功労賞受賞。昭和45年、勲五等双光旭日章受賞。昭和53年10月16日死去。81歳。

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実は母の実家にあるところが舘岡栗山の生地であり、郷里には舘岡栗山が遺したさくさんの作品があります。風俗史の価値のある作品が多く、屏風などもありました。

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郷里の所蔵家から何点か見せて頂いたのですが、それほどの力作はなく、後日所蔵家の子息が処分する際も1,000円にしかならないと嘆いていました。

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売る時は骨董商は足元をみますので、そんなもんですし、東京で売り払おうとしてこと自体が間違いです。

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補足説明
館岡 栗山(たておか りつざん、1897年9月9日 - 1978年10月16日)は、日本画家である。院展の無鑑査となり、俳句や短歌にも親しんで、地域新聞の発行も続けた。
秋田県馬川村高崎(後の秋田県五城目町高崎)の生まれ。本名は豊治。小学校を卒業後、1911年に秋田師範学校講習科に進学したものの肋膜炎のため1年で中退、以後独学で絵を描き続け、五城目町の落合病院で事務員として就職してからも折りをみては季節の風物をスケッチしていた。

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1919年、22歳のときに家出同然に上京し、絵の修行をしようとしたものの、病を得て半年ほどで帰郷。健康を回復して25歳のときに改めて上京、アルバイトをして生活費を稼ぎながら絵の修行に励んだ。その頃、画号を長春から栗山に改めた。郷里の五城目町のシンボル的な里山である森山が、栗のような形にも見えたのが号の由来。栗山は郷里秋田への思い入れが強く、のちには秋田の風物が主要な題材となった。1925年1月からは48回にわたって秋田の県内紙秋田魁新報に「秋田百景」を連載している。

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1926年、日本画の世界でさらに研鑽を積むため京都に移り住んだ。1928年、日本美術院の近藤浩一路に師事し、1933年、36歳で「台温泉」という作品で院展に初入選を果たした。1936年に近藤浩一路は日本美術院を脱退するが、栗山は師と行動を共にせず、美術院研究会員となって院展に出品を続け、入選を繰り返した。

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翌年の研究会展作品『雨後』が大観賞を獲得、それを契機に安田靫彦に師事、昭和14年には院友に推された。院展には初入選以来連続入選30回を数え、1968年には特待・無鑑査となった。

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1945年4月に48歳で京都から郷里五城目町に疎開、翌年には隣町である一日市町(後の八郎潟町)に移り住む。ここにアトリエを構え、秋田の風景や行事、伝承芸能などを好んで描いた。地方色豊かなマニエリスム風の微細な描写が作風。

俳句や短歌にも親しみ、若いころには同郷の俳人北嶋南五や草皆五沼などとも親交があった。大正期には俳誌『山彦』を主宰している。五城目町の雀館公園には栗山の句碑がある。短歌では同郷の歌人中村徳也とともに学び、夫人とともに短歌会「歌瀬歌会」をつくっている。

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1951年には地域新聞「湖畔時報」を創刊し社主になった。日本画研究グループ「新樹社」を1958年に設立、秋田の代表的展覧会である「県展」の審査員も務めた。1962年に秋田県文化功労者、1970年に勲五等双光旭日章を受章。著書に『銀婚』、『栗山画談』がある。

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小生はそれなりの出来の良い舘岡栗山の作品は好きです。本作品はまくりの状態だったと思います。改装しがいのある作品で、改装に際しては幾人の方が欲しがったほどです。

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なかなか名前の売れていない画家ですので、市場には出来の良い作品は出てきませんが、郷里の骨董店では作品をよく見かけます。色紙などは出来の良いものを購入しています。

林檎 舘岡栗山筆 その5
紙本淡彩色紙
画サイズ:縦240*横270

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郷里の風俗史の資料としては貴重になっています。

盆踊 舘岡栗山筆 その6
紙本淡彩色紙
画サイズ:縦240*横270

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盆踊り、なまはげ、八郎潟風景、郷土芸能などを好んで題材にした。地方色豊かなマニエリスム風の微細な描写は、農村のたくましくも微笑ましいエネルギーを吹き出す独自の画風であり、記録画としても今後は高く評価されるであろう。

下記の作品らは本ブログでも以前の紹介しています。

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下の床の間の作品は男の隠れ家に飾っていますが、傑作中の傑作でしょう。

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郷里の風俗史としての価値を目先のお金のために換金するほど馬鹿なことはありません。東京の骨董店の蔵の中で放りっぱなしでしょう。所蔵家はきっと嘆いています。

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小生はきちんとして資料をつけて、震災、台風などを乗り越えて子々孫々まで伝えていくことを願って作品を蒐集しています。

老松小禽図 今尾景年筆 その1(1/3)

3月21日は雪・・。

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夕方の家内の誕生会を昼に切り替え・・。急遽、市内のホテルのバイキング会場へ。

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満腹・・。

ところで日本の男子サッカーは案の定、暗礁に乗り上げています。日本の男子サッカーは思いのほか弱いと本ブログでも前から記述していますが、ますます弱くなっています。

組織力が生かせない、理由は個々の身体能力もありますが、まずは監督の采配に疑問。根本的な問題です。使い物にならないベテランをいつまで使うのかも疑問。指導者としての日本人監督の育成、弱いJリーグの立て直しをしないと野球界のような世界に戦えるチームは作れないでしょうね。今はまったく応援する値のない競技です。視聴率稼ぎのマスコミに踊らされては時間の無駄になります。

さて本日は今尾景年の作品の紹介です。すでに幾作品かは本ブログにて紹介されていると思いますが、現在、展覧会が催されている「木島桜谷」(NHK日曜美術館にて二度も放映されています)の師にあたり、夏目漱石に酷評された「寒月」(木島桜谷作)とも関わりのある方です。

老松小禽図 今尾景年筆 その1(1/3)
絹本水墨着色軸装 軸先象牙 共箱 
全体サイズ:横440*縦1953 画サイズ:横334*縦1113   

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本作品は大正6年(1917年)の作品であり、72歳頃の晩年の作です。「老松に小禽図」は何点か描いており。特に松の表現は得意であったと思われる。

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今尾景年:弘化2年(1845年)生まれ、大正13年(1924年)没。京都に生まれる。幼名猪三郎、後に永歓、字は子祏。号を景年、養素斎、聊自楽居等と称した。初め梅川東居に浮世絵を学び、のち鈴木百年に師事、さらに諸家の画法を究め、ついに一家を成し特に花鳥画に優れていた。明治37年帝室技芸員、明治40年以来文展審査員等になる。「鶯猿図」、「松間朦朧月図」(国立博物館蔵)などが代表作である。

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日曜美術館にて今尾景年の弟子である木島桜谷の「寒月」の作品を覚えている人は多いであろう。夏目漱石が酷評たという作品です。

「第六回文展に評論記事を連載した夏目漱石は、「木島櫻谷氏は去年沢山の鹿を並べて二等賞を取った人である。あの鹿は色といい眼付といい、今思い出しても気持ち悪くなる鹿である。今年の「寒月」も不愉快な点に於いては決してあの鹿に劣るまいと思う。屏風に月と竹と夫から狐だかなんだかの動物が一匹いる。其月は寒いでしょうと云っている。竹は夜でしょうと云っている。所が動物はいえ昼間ですと答えている。兎に角屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である。」と酷評している。」

という内容のNHKの放送でしたが、その作品にはもう一つのエピソードがあります。

「横山大観は後年この「寒月」も受賞について、審査員内で第2等賞内の席次を決める際、大観が安田靫彦の「夢殿」(東京国立博物館蔵)を第1席に推すと、今尾景年が『寒月』を第1席にしないと審査員をやめると抗議し、その場で辞表を書いて提出したため、大観が妥協したと回想している。」という逸話です。今尾景年が弟子の木島桜谷を依怙贔屓していたとも受け取られます。

この第六回文展以降は審査員を木島桜谷に譲っています。

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補足

京都衣棚通二条北入ルに今尾猪助の三男として生まれる。家は代々「伊勢屋」の屋号を持ち、三井呉服店出入りの友禅悉皆業だった。安政2年(1855年)11歳の時浮世絵師梅川東居に弟子入りする。東居は梅川東南の門人で、銅版画の技術もあったという。

3年後の安政5年(1858年)、東居の執り成しで鈴木百年に入門。百年の「年」と、絵心のあった父の敬愛する松村景文の「景」を合わせて「景年」と号する。

一方で詩文は三国香眠に学びながら、大和国や丹波国へ矢立を持って写生に出かける生活をする。禁門の変で生家が焼失し、明治初期は南画以外の日本画は不遇の時代であったが、却って懸命に絵の研究に熱中する。塩川文麟らによって結成された如雲社の月例品評会に作品を持ち寄り、生活のため友禅の下絵を描きながら家塾を開いて研鑽を積む。

今尾景年(1884年以前は別名"三養")

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明治8年(1875年)京都博覧会で洋画の田村宗立と共に受賞、明治10年(1877年)第六回京都博覧会でも「牧童図」で銀賞を受ける。この頃から「花鳥画譜」の制作を志し、博物学者山本章夫に指導を受けるほど科学的かつ精密な写生を重ねた。

明治24年(1891年)西村総左衛門によって刊行された『景年花鳥画譜』4冊は、景年芸術の真髄と評される。青年期の作品は、師百年の影響もあって南画風があるが、花鳥画に精力的にこなすようになると、沈南蘋や宋の院体画を学んだあとが窺えるようになる。明治13年(1880年)京都府画学校設立に伴い出仕。明治15年(1882年)第一回内国絵画共進会で「鯉魚図」が銅賞を受け、パリ日本美術縦覧会にも作品を送る。翌年漢学者の三國幽眠から聊自楽の号を贈られる。明治18年(1885年)奈良博覧会に出品した「余物百種の図」が一等金牌を受賞、これにより景年は世に認められるようになった。

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明治26年(1893年)シカゴ・コロンブス万国博覧会に代表作となる「鷲猿図」(東京国立博物館蔵)を出品し、名誉賞牌。明治28年(1895年)京都後素協会(旧如雲社)設立に際しては委員長となる。同年京都で開かれた内国勧業博覧会では5人の大家が屏風絵を描くが、景年は「耶馬渓図」で二等妙技賞を受ける(一等妙技賞は橋本雅邦の「十六羅漢」)。明治29年(1896年)日本絵画協会第一回共進会に「芥子雀」「鳩」を出品し銀牌。

景年の画業が最高潮に達したのはこの頃の50代の壮年期で、竹内栖鳳や山元春挙らと共に日本画の近代化運動の一翼を担い、明治前期の京都画壇で実力を誇った鈴木派にあって、鈴木松年、久保田米僊らと並び評された。

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明治33年(1900年)パリ万博は「春山花鳥図」で銀牌、明治37年(1904年)セントルイス万国博覧会では「四季花鳥図」で金牌を受賞。

同年4月16日、望月玉泉と共に帝室技芸員となる。明治40年文展開催と共に審査員を務めるが、第六回文展の「躍鯉図」を最後に審査員を弟子の木島桜谷に譲る。明治44年(1911年)イタリア万博に「寒月群鴨図」で4000リラの賞金を得た。大正8年(1919年)帝国美術院会員となる。

最晩年は茶の湯や盆栽などの趣味三昧に過ごし、大正13年79歳の生涯を閉じた。

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毎月1日と10日は写生日と定め、常々門人たちに写生の重要性を説いていた。弟子に、養嗣子となった今尾景祥、上田萬秋、木島桜谷、河合文林、小林呉嶠、海野美盛、梅村景山、馬場景泉など。

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今尾景年、木島桜谷、横山大観、安田靭彦、鈴木百年、松年父子、竹内栖鳳、山元春挙らの近代画壇は一局面からだけではなく、いろんな角度、方面から考察、鑑賞することでおもしろさが増します。

この世の出来事についてもいろんな方面から分析する必要があります。国会での野党、そしてマスコミ、それに躍らせらている人々・・、世の中には単純で明快な答えを急ぐ者が多いようですが、まさしく時間の無駄、思考の回避、もっと重要な事項が目の前にあるように思いますね。

掛け軸の改装完了

今年も暖かくなり庭のクマガイソウも芽を出し始めています。ちなみにクマガイソウは絶滅危惧II類(VU)の指定を受けています。

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庭では二つの地点に自生していますが、もう一つの地点は上部の立ち木が枯れしまい、日差しを防いでなんとか今年も咲きそうです。

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さて少しずつ痛んでいる掛け軸を修復していますが、このたびも幾点か修復されたものを整理しています。まくりであった未表装の作品、シミのある作品、表装が破れていたりする作品、軸先のない作品、紐が切れている作品・・・、扱い方・保存の悪さに偲びきれません。

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日本人から基本的な掛け軸の扱い方が忘れ去られているのでしょう。当方では真贋もさることながら、自分で愉しみたい作品を優先して修復しています。改装された作品は本ブログでもたびたび取り上げていますが、本日は数点を紹介します。

藤之図 伝斉白石筆 その5(2018年3月改装済)
紙本水墨淡彩軸装 合箱入タトウ付 
全体サイズ:縦2090*横540 画サイズ:横340*縦1080

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版画か否かの判断がありますが、資料として遺すために改装しておくという判断をしました。

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素人ではまったく印刷か否か解らない作品となっていますね。

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版画なら肉筆と見極めるには全くスキのない作品です。

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腕の良い版画技術の持ち主も今はいないらしいですが、墨の掠れが単調なことと滲みの中に版画の押し跡?があるのが見極めのポイントだそうです。

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こちらもまた真贋不明ながら資料として、箱のない作品に箱を誂えています。(すでにブログで詳細は紹介済みですので、作品紹介は省略します。)

凱旋門 伝呉冠中筆(2018年3月箱製作)
紙本水墨淡彩軸装 
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦1940*横800

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こちらは元の表具が似合わなくて改装した作品です。

羽根突 河崎蘭香筆
絹本着色軸装 軸先蒔絵 合箱二重箱(2018年3月改装済)
全体サイズ:縦1924*横530 画サイズ:縦1070*横406

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河崎蘭香という画家を知っている人は少ないでしょうね。本ブログにても詳しく紹介していますが、我が郷里の画家で本ブログでお馴染みの寺崎廣業門下の女流画家ですが、37歳という若さで他界していますので、遺っている作品は少ないかもしれません。

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親の反対で結ばれることのなかった恋、貫き通した恋ですが、死後にはその恋人(日本国憲法の生みの親と称される人物)と弟子が結婚するという大正ロマンを地で生きたような画家です。

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画家として、一人の女として歴史に名を残した短命の女流画家・・、着飾ったような軸装にしてあげることとし改装しました。 

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気に入るものと気に入らぬもの・・・、当方の蒐集の原点ですが、気に入ったものにはそれなりのお金のかかる「手入れ」と労力に要る「気遣い」が必要です。趣味とはそういうもの・・Image may be NSFW.
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14年もの間結ばれぬ恋を貫きとおして女性、そして小生のような趣味を持つ人間も絶滅危惧の指定を受けていてもおかしくないかも・・Image may be NSFW.
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本日より休稿

時間に追われてのブログ投稿となり、ブログのための原稿作成になってしましました。本来は好きな骨董の整理目的ですので、閲覧者、とくにコメントも多くない段階でブログの閉鎖も視野に入れての休稿とさせていただきます。

下書きは息子への伝達の日記代わりに作成していきますが、とりあえずしばらくは本来の骨董整理に集中して、ブログは気儘な投稿とさせていただきます。

布袋図 寺崎廣業筆 その62

仕事中の小生をさておいて、春の陽気に浮かれた我が家はウイークデイに花見にでかけたようです。いつもは張り合っている?義父とも息子は仲良くしていたようです。

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息子は大はしゃぎであったらしく、小生が帰宅すると「お弁当おいしかったよ!」と報告がありました。スマホで池で自分が転んだ動画を見せては自分で大笑い!

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昨日から新しい年度になります。いつものことですが会社の業績としては今年はとくに厳しい年度になりそうですが、今年度は縁起を担いでいきましょうImage may be NSFW.
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転んでも大笑いできるような気概が必要ですね。

さて本日は郷里出身の画家である寺崎廣業の作品ですが、本作品は共箱もなく判定は難しいように思われますが、筆致、落款、印章から真作と判断される作品です。

布袋図 寺崎廣業筆 その62
紙本水墨軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2180*横525 画サイズ:縦1200*横390

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布袋:(ほてい、生年不詳 - 917年(?))は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では室町時代後期に成立した七福神に組み入れられ、七福神の一柱として信仰されている。真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされる。肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになった。

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特筆すべきは布袋様は実在したとされる人物ということですが、これについては後述の補足を読んでください。富貴繁栄を司る七福神とされながら、所持品の袋は宝が入っているのではなく「堪忍袋」という点は意味深ですね。

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補足

本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。

雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。

謎めいた公案のような問答も残されている。偈や歌も残しており、歌の中では、心の真実の大切さや、閑たる心境を求めることを説く。

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり(貞明3年(917)に嶽林寺で遷化したという説もある)埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

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布袋が死の間際に残した偈文が、
彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時人に示すも時人は自ら識らず)
                  布袋和尚、景徳傳燈録
と言われる。このことから、実は布袋は弥勒菩薩の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である。10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智顗、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。

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「贈呈 下田愛子女 □本半水 押印」と巻き止めに記されており、箱書きには「□本半水画 押印」とありますが、下田愛子なる女性に□本半水なる人が贈呈した作品としか推定できず、残念ながら詳細は不明です。

女性に布袋様の作品を贈るというのはどのような意図なのだろうか? と考えてしまいますね。

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他の真作(「月下竹図」寺崎廣業筆 その60)の落款と印章の比較です。この印章は明治末40年頃から大正初期にかけての作品に多用されています。

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印章、落款もさることながら筆致がいいですね。寺崎廣業の作品としてはそれほどの力作でもないので評価はそれほど高くはありませんが、なんといっても縁起物です。

昨日は新入社員の入社式でした。辞令を渡しながら初々しい顔を見ていると「頑張らねば」という闘志が沸いてきます。


源内焼 その113 三彩唐草文輪花皿 

家族はウイークデイに済ませてらしい花見ですが、先週末の土曜日は「花見だ!」、息子の「行こう!」ということになり、近所の公園に昼食がてらに出かけてきました。桜は山が背景が一番良いと思います。いつもは帰省する5月の連休まで桜を楽しみますが、今年は終わりが早そうで心配です。

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東京ではなんとか満開で保てた先週末、天気は良く、家で骨董やパソコンに向かっているのは罪悪ですね。公園では運よく一等席に陣取ができました。

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花吹雪の中での昼食です。まずは花より団子。

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「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今和歌集 在原業平)・・・・。

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そう、最後には花は散る・・。

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息子は大はしゃぎで花びらのかけっこ、最後には小生と「鬼は外! 福は内!」。

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帰路は見事な花吹雪がお見送り・・・・。

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帰宅後には仏壇にも近くにあった油壷で桜のおすそ分け・・。

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さて本日はお馴染みの源内焼の作品の紹介です。当方での蒐集作品数は百を超えた源内焼ですが、本日紹介する源内焼の「唐草文の中皿」にはいくつかのパターンがあり、型はおなじでも釉薬の色も違うので、蒐集においてある種、別の愉しみ方のある作品です。

源内焼 その113 三彩唐草文皿 
合箱入
径155*高台径*高さ34

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実用品よりも飾っておくことに重点を置いている源内焼ですが、中皿より小さい作品は揃いであることが多く、実用品として愉しんだ作品群ではないかと考えられます。飾る作品としてスタートした源内焼に対して、私見ですが特注で中皿程度の作品を実用品、そして揃いで注文があったのではないかと推察しています。

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唐草文様は異国情緒があり、幾何学文様との対比でモダンな印象を与えます。

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このようなデザインは伊万里や鍋島、交趾焼にもなく、当時の日本のデザインのセンスの良さがうかがえます。平賀源内が関わったかもしれません。

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バックボーンとして浮世絵版画の彫師たちによって精巧に作られた型がないとこのようなデザインは成り立たなかったのでしょう。

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菓子皿や盛り付けの皿に作られたのでしょうが、使う側からは非常に愉しく、美しい作品だと思います。

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今では揃いで遺っている作品が少ないのは、実用品としては軟陶磁器では壊れやすかったこともあるのでしょう。重ねておくによって表面が擦れてしまっていたり、使う時の割れや欠けのある作品が大半です。

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表面が擦れたり、欠けのある作品は興ざめですね。よって単品で蒐集していくと型が同じで釉薬が同一である完品を集めることは難しく、単品で蒐集するとかえって釉薬や型の違う作品が揃うことが多くなります。

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他の所蔵作品においては下記の作品が似通っていますが、上記の「その113」のほうが丁寧で精巧な作りとなっています。

源内焼 その64 三彩唐草文皿
合箱
口径160*高台径*高さ33

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黄釉も緑釉も実にきれいです。

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五島美術館発刊の「源内焼」の作品NO52&55に「その64」と同じ型からの作品が掲載されています。

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こちらは黄釉がメインになっています。

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さらに本ブログにて紹介されている作品には「その17」と「その41」があります。

源内焼 その17 三彩唐草花文八稜輪花皿
合箱入 口径155*25

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源内焼 その41 褐釉唐草文皿 
合箱入 口径155*25*底径

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豊富なバリエーションが源内焼の奥深いところです。

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三彩もあれば単色のものもあり、マニアックな蒐集対象というには違いがはっきりしており、これらで食卓を飾るのも愉しいでしょう。取り皿でも面白いかと・・。

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実用で使うにしても、軟陶磁器の扱いには細心の注意が必要です。桜の花は散っても、骨董の花は散らしてはいけません。

駿馬扇面図 西山翠嶂筆 その7

日曜日には家内と息子で新宿にて子供向けのコンサートへ・・。

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息子は席でノリまくっていました。

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さて本日紹介する作品は西山翠嶂筆の作品で、本ブログにて「その7」となりますが、竹内栖鳳(せいほう)に師事、西村五雲、橋本関雪と並び称された俊秀で、のちにその女婿となった画家です。文化勲章を受賞しており、京都画壇の巨匠である竹内栖鳳を代表する正統派を引き継いだ画家と言えるでしょう。

駿馬扇面図 西山翠嶂筆 その7
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:縦1130*横640 画サイズ:縦160*横520

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西山翠嶂の作域は人物、花鳥、動物、風景と多岐にわたりますが、その本来、得意とするところは人物、動物のようです。京都伝統の円山、四条派の写生を根底として作風を展開しています。

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西山翠嶂は、はじめは歴史人物画が多いですが、次第に抒情味にあふれる人物画に移り、晩年は動物画や山水に洗練された技法を示しました。西山翠嶂の描く作品の特徴は、師匠である竹内栖鳳から受け継いだ軽妙洒脱な、とてもモダンで洗練された作風でしられ、そのどこか艶やかさも感じる作風で評判を上げていくことになります。

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扇面に描かれた席画のような作品ですが、彼の軽妙洒脱さはよく出ている作品です。

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西山翠嶂:(1879―1958) 日本画家。京都に生まれる。本名卯三郎(うさぶろう)。

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1892年(明治25)から竹内栖鳳(せいほう)に師事、西村五雲、橋本関雪と並び称された俊秀で、のちにその女婿となる。

99年に京都市立絵画専門学校を卒業。1907年(明治40)の第1回文展の『広寒宮』で三等賞を受け、16年(大正5)の第10回展から『朱笄の女』『短夜』『落梅』で3年連続特選。19年の第1回帝展で審査員となる。この間、02年に京都市立美術工芸学校教諭、19年からは京都市立絵画専門学校教授となる。

29年(昭和4)帝国美術院会員、37年には帝国芸術院会員、44年に帝室技芸員となる。また33年から36年まで京都市立絵画専門学校、同美術工芸学校の校長を務め、57年(昭和32)には文化勲章を受章。代表作に『槿花』『牛買』『黒豹』などがあり、その画塾青甲社からは堂本印象、上村松篁らが出ている。

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おそらく晩年の作かと思いますが、明確ではありません。

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画家として大きな貢献をし続けた西山翠嶂ですが、教育者としても高い評価を得ています。堂本印象や中村大三郎など、自らが主宰した青甲社から輩出した逸材であり、自らの芸術で美術界を盛り上げて行くのではなく、後進の指導力にも長けていていましたが、これもまた竹内栖鳳の影響でしょう。

箱書きも竹内栖鳳の似ていますね。

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箱には下記のコピーが同封されていますが、何の資料かはよく解りません。

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おそらく思文閣などのカタログの資料でしょう。とにもかくにも午年には縁起のいい作品でしょう。競馬ファンにいいかも・・・。

鉄拐仙人図 寺崎廣業筆 その63

寺崎廣業の作品も「その63」となりました。寺崎廣業の作品は一言でいうと「作品数も多いが、贋作も多い」。ただ以前ほど高価な作品ではなくなったので目くじらを立てる必要もなくなったようですが・・・。

鉄拐仙人図 寺崎廣業筆 その63
絹本水墨軸装 軸先 共箱
全体サイズ:縦2010*横540 画サイズ:縦1110*横400

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蝦蟇仙人と対で描かることの多い鉄拐仙人を描いた作品。

本作品は下記の説明にある借「屍還魂鉄」の魂を出しているところを描いたもので、杖を胸元にたてかけた李鉄拐は、ちょうど魂を吹き出した所で、もとの体は脱けがらとなってすでに死色を帯び、硬直し始めている様子を描いた作品です。けっして孫悟空のように自分の分身をたくさん出す術ではありません。

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鉄拐仙人:李鉄拐(り てっかい)は、中国の代表的な仙人である。八仙の一人。鉄拐李とも呼ばれる。名は玄、凝陽、洪水、岳など諸説ある。鉄拐とは、彼の幼名であるとする説や、足が不自由で鉄の杖をついていたためという説がある。暗八仙は葫蘆(瓢箪)。

絵ではボロボロの服を着て足の不自由な物乞いの姿をしていることが多いが、もとはがっしりとした体格の道士であった。

二十歳の頃から仙道を志すようになり、ある日、太上老君に崋山で逢うことになり、魂を遊離させ、逢いに行くことにした。そこで、彼が帰ってくるまでの七日間の間、魂の抜けた身体を見守るよう弟子に言いつけ、もし七日経っても帰ってこなければ身体を焼くように言った。

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しかし、六日目に弟子の母が危篤との知らせを受けて、弟子は鉄拐の身体を焼き、母の元に行ってしまった。鉄拐が戻ってきてみると、自分の身体は既に焼かれていた。彼は近くに足の不自由な物乞いの死体を見つけ、その身体を借りて蘇った。兵法三十六計の一つ、借屍還魂は、この逸話をもとにした計略である。

また、西王母に師事して東華教主となり、漢鍾離を得道させたという説もある。

ほかにも岳寿という小役人が李屠という者の体を借りて李鉄拐になったという話もある。鄭州奉行所の都孔目(裁判官)である岳寿は、悪の限りを尽くし、私腹を肥やして地獄に落ちてしまったが、生前、一つだけいいことをしていたことから呂洞賓に地獄から助け出された。しかし、死体は既に焼かれており、仕方なく死んだばかりの鄭州東城門内の肉屋である李屠の息子の小李屠に乗り移ったところ、小李屠は足が悪かったところから、杖をつくようになった。

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共箱にきちんと収められている作品で、むろん真作です。

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下記の作品中の「三本廣業」の落款と印章、箱の印章は同一作品の多く、明治末の作品に多い。寺崎廣業は非常に贋作が多いのでき出来不出来や第一印象でちんと見極めことが肝要のようです。

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ところで鉄拐仙人と対で描かることの多い蝦蟇仙人の作品は寺崎廣業の作品では下記の作品が本ブログには投稿されています。

蝦蟇仙人 寺崎廣業筆 その10
紙本水墨軸装 軸先鹿本骨 合箱入 
全体サイズ:横420*縦1960 画サイズ:横320*縦1110

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また「伝」円山応挙の作品としては下記の作品が投稿されています。

*ちなみに落款の「挙」の字の最後が流す、跳ね上がるで真贋を判断するという資料の記述はどうも間違いであると最近確信しています。

蝦蟇仙人 伝円山応挙筆
絹本淡彩絹装軸 軸先木製 二重箱 
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横305*縦765

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寺崎廣業、円山応挙にしても天性の画力では人物を描くことをおそらく苦手として画家でしょう。血の滲むような精進があって、人物画を描くことを克服した画家です。ですからどちらかというと人物画も含めて生真面目な作品という印象を受ける作品が多いと思います。

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ま~、どちらの仙人にしても人を食った作品・・・Image may be NSFW.
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 展示して愉しんでいます。

古九谷再考 青手椿文小皿

鉢に咲いた我が家の椿。

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そこで下記の作品「伝青手古九谷 椿文小皿」(未投稿)を思い起こし、週末ということもあり、気儘に古九谷にちなんだ所蔵の小皿の資料を並べてみました。

伝青手古九谷 椿文小皿
合箱
口径110*高台径*高さ28

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古九谷の第一条件はまずは口縁にある褐色の釉薬の有無らしいです。次に青色をメインとして気泡のようなぶつぶつの有無、これは大きめの作品に顕著なようです。

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虹彩の発色は本作品では裏面の高台内に見られます。ちなみに虹彩の発色があるから即古九谷というわけはありません。

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この作品において特筆すべきなのは高台内の目跡です。

伝世九谷には目跡(窯の中で器同士の溶着を防ぐスペースサーの跡)があるものが多いとのことで、産地の特定における論争でも、伝世九谷にはある目跡が九谷の発掘品にはなかったことから伊万里説が有力になった一因とされています。つまり伝世の古九谷には目跡があるということです。

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たしかに近世の九谷などには目跡は皆無ですが、この目跡の有無がどのように時代の判別に影響するのかは小生には詳しくはわかりません。ただ検証のためには面白い作品であろうことには相違ないと思います。

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古九谷絡みの小さな作品では、下記の作品らがすでに本ブログにて紹介されています。

豆皿 伝再興九谷吉田屋 
割補修有
口径115*高さ25

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伝色絵古九谷 吉田屋角皿
古箱入 
横幅140*短径105*高さ25

色絵九谷はさらに難しい・・・Image may be NSFW.
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 仏壇の蝋燭用の置き皿に使っています。

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伝古九谷青手 輪花草花文中皿 四客揃
合箱
口径140*高台径*高さ42

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こちらは時代が新しそうなので食器棚に置いて普段使いです。

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なにはともあれ、古九谷は素人では手を出せない分野のようで、専門家でも明治期初期の作品と古九谷、再興九谷の見分けは難しいようです。コツさえわかれば意外に簡単であるという御仁もおられますが・・。

古九谷、鍋島、古伊万里は素人では見分けのつかない贋作の渦巻く世界、ちょっとつだけまみ食いする程度にしておくのが無難なようです。ただし九谷類は小生の蒐集対象ではないのですが興味は尽きませんね。

美人と同じ、観ている分には愉しいが、付き合うとろくなことにならない。じっくりと見ていきたい再興九谷、古九谷の作品ですImage may be NSFW.
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