Quantcast
Channel: 夜噺骨董談義
Viewing all 2934 articles
Browse latest View live

山湖秋 福田豊四郎筆 その87

$
0
0
おそらく福田豊四郎がよく描いた十和田湖の風景だろうと推察されます。福田豊四郎は郷里に近い十和田湖を題材とした作品を長きに渉って描き続けています。

山湖秋 福田豊四郎筆 その87
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横



2018年8月秋田県大館市三浦堂より12万円にて購入。落款より作品は昭和15年頃、箱書は昭和18年頃と推測されます。



デフォルメされた樹木からこれから福田豊四郎の作品が抽象的になることがうかがえる作風となっています。



この当時以前の福田豊四郎の作品が好きだという方とこれ以後の抽象的にデフォルメされた作風が好きだという方に福田豊四郎のファンは二分されるようですが、基本的に当方は郷土を愛する福田豊四郎のノスタルジックな作風が好きなので両方に触手を伸ばしています。

*抽象的なデフォルメされた作品は数が少なくいようで入手が困難ですが、それ以前の作品はインタネットオークションなどで作品が掘り起こされ数多くの作品が市場に出回りました。ただし現在はそれらの作品も市場では品薄になってきているように感じます。



作品の落款と印章は下記のとおりですが、作品中の落款と箱書の落款に字体に違いがあり、作品を描いた時期と箱書をした時期に多少の時間経過があるものと推察されます。このことから絵を描いたのは昭和15年頃、箱書きをしたのは昭和18年頃と推察しています。



年代の判断は図録と当方で80作品余りになる蒐集歴からの判断ですが、昭和15年の夏頃に家族と共に生まれ故郷の小坂に帰郷しており、その際に十和田湖や角館など秋田県内を巡っているという年譜からの推察もあります。



その際の十和田湖のスケッチをもとに本作品を描いたものではないかと推察しております。なお鵜や鷺などは福田豊四郎の作品には数多く描かれています。



表具もそれなりにきちんとしているようです。戦後になってから世相が落ち着ていきて表具を誂えたという可能性があります。

この当時以前から父の実家と福田豊四郎は交流しており、福田豊四郎が当方の実家で描いた作品の中には羽織の裏地、袱紗や帯に描いた作品も遺っています。


奴凧 その1 倉田松涛筆 その26

$
0
0
8月に帰郷した際に地元の骨董店で家内が購入した倉田松濤の二作品のひとつです。二作品ともに凧揚げを題材にした作品です。

小生はその時にすでに福田豊四郎の作品と舘岡栗山の作品の購入を決めており、さらなる購入には資金不足だったので「あなたが買う?」と家内に尋ねると「いいわよ。」との快諾の回答。どうやら家内も倉田松濤の作品のファンになったようです。

奴凧 その1 倉田松涛筆 その26
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦



倉田松濤の作品は本ブログで特集を投稿しましたが、その時点ではかなりの作品数が蒐集されたので一度蒐集を中断しようかと思ったのですが、蓑虫山人同様に地元で手放される方が多いので蒐集が続いています。

 

正月に描かれた作品でしょうか? 



凧揚げする人物と犬が活き活きと描かれています。



たらし込みのような技法で樹木が描かれ、そ凧揚げの糸が直線で描かれて対比が面白い構図となっています。平福穂庵と倉田松濤の作品は色を使った作品や水墨画に驚くほど共通点があります。



凧の糸が樹木に絡まるのではないかと危惧しますが、案の定二作品目は糸が絡まった情景を描いています。



その作品は後日また紹介します。おそらく二作品共に同一人物が所蔵していた作品でしょう。二作品ともに同時に家内が購入したのは賢明です。



倉田松濤の作品は書き込みの多い作品ほど見ごたえがあります。席画のような作品を買い求めるより書き込みの多い着色された作品に真骨頂があると思います。



ここのところ四作品ほど入手出来ました。お値段はおよそひと作品が2万円程度で入手できます。

梅二小禽図 山口蓬春筆

$
0
0
山口蓬春は著名な画家ですので非常に贋作が多い画家の一人です。

当方は古くから作品が家にあったこともあり、それを根拠に数作品入手しましたが、細心の注意を払っても幾つか贋作にと惑わされたことがあります。

梅二小禽図 山口蓬春筆
紙本水墨淡彩 色紙 タトウ
画サイズ:横240*縦270



このような著名な画家の作品はいきなり高価な作品に手を出す前に色紙程度の作品で作風や印章・落款を学んでいくことがステップとして有効のように思います。



掛け軸や額装の作品ではすぐに判断力が追いつかないのが現実のようです。



山口蓬春や中村岳陵は解りやすい画風ですが、それだけ贋作も多いようです。



この時代の作品となると簡単に印章や落款も模倣できますので、作風と出来と相俟っての判断が必要です。

色紙の額には時代によっていろんな趣向のある額があり、痛んでいてもとっておきたいものがあります。こちらは吊り紐を掛けるところが皮紐になっています。



色紙程度の作品なら資金的にダメージも少なく、また贋作が市場に出回る確率の少なさも色紙の作品の魅力ですが、ただ手彩色の工芸品が多いので肉筆か否かの判断に注意しなくていけません。



落款からは以前に本ブログで紹介した下記の作品と同じ頃の作と推定されます。

菊 山口蓬春筆
紙本水墨着色軸装 軸先 共箱二重箱 
全体サイズ:横645*縦1565 画サイズ:横485*縦435



当方ではどちらも真作と判断しています。

秋の奥入瀬 奥村厚一筆 その12

$
0
0
色紙の作品が表装され共箱でない作品は多々あります。色紙の描かれた作品を後世になって表具して掛け軸に仕立てるためでしょう。本来、近代画家の作品には共箱が必須ですが、色紙の作品はおおめにみてあげる必要があります。そして色紙の大きさの作品には意外に贋作が少ないのも共通しています。一概に言えず、油断は禁物ですがこれは色紙程度の作品だと高く売れないからでしょう。

秋の奥入瀬 奥村厚一筆 その12
絹本着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1360*横718 画サイズ:縦275*横255



十和田湖を描いたのでしょうか? 秋の紅葉の季節に雨が降っている情景でしょう。



福田豊四郎と共通するようなところがある画家ですが、奥村厚一の方が当然写実性の高い画風です。



印章は下記のとおりです。印章は判断できないくらい滲んでいます。



奥村厚一根深い人気がありますが、意外に贋作を見たことがありません。この作風を真似るのは難しいからなのか、手頃な値段過ぎて贋作を描くのに価しないためかよくわかりませんが、安心して入手に踏み切れる画家のようです。

兎 その2 福田豊四郎筆 その89

$
0
0
本日は四国まで日帰りで、明日は北陸まで日帰りと全国行脚が続きます。

さて本日は福田豊四郎が昭和初期の頃に描いた作品の紹介です。

兎 その2 福田豊四郎筆 その89
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱二重箱
全体サイズ:縦2205*横480 画サイズ:縦1285*横351

 

2018年10月に秋田県大館市の骨董店より購入した作品で、以前に骨董店で取り扱った作品とのことです。購入金額は16万円です。

 

雪深い郷里の風景を描いた作品でしょう。木立にも雪国の特徴がよく描かれています。



このような動物や人物を題材にして郷里を描く作品は福田豊四郎の真骨頂と言えるでしょう。



福田豊四郎の実直さがにじみ出ている作品です。母がこの頃の作品が好きだと言っていましたが、我が家に遺された作品はこの頃の作品が多いのも母の好みによるところがあるかもしれません。



決して技巧的にはまだ成熟されたものとは言えませんが、それゆえノスタルジックな雰囲気が醸し出されています。



以前に福田豊四郎が描いた「兎の」作品は入手しており、今回の作品は「兎」を題材にした作品では2作品目の入手となりました。「その1」の作品は本ブログでも紹介されています。

兎 その1 福田豊四郎筆 その80
絹本着色 額装
画サイズ:縦190*横230



このような佳作?は最近なかなか見当たりません。



また雪深い故郷に帰りたくなりました。息子に「年末にまた秋田に行く?」と尋ねたら「行く!」と・・。「雪が多くて寒いよ?」と返したら「雪は大好きだもん!」だと・・・。

庭に雉が来たり、道路で鷲が食事をしていたり、近所で熊が出没したりと動物が身近な郷里ですが、野生の兎はさすがに近所では見かけないな~。

山静日長之図(春閑) 平福穂庵筆 その20

$
0
0
本日は再調査を開始している平福穂庵の作品の紹介です。

再調査している平福穂庵の資料には他に「山静日長」という作品が存在しているという資料があります。明治17年(1884年)の作で、落款には「山静日長 明治甲申春二月上澣 為太古子嘱 穂庵平芸寫 押印(白文「穂庵」、朱印「平芸画印」)」とあるようですので本日紹介する作品とは別のもののようです。ただ本作品は南画の技法を積極的に取り入れた平福穂庵の代表的な作例であることには相違ないでしょう。

山静日長之図 平福穂庵筆 その20
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2010*横460 画サイズ:縦1130*横360

 

「山静日長」:(山(やま)静(しず)かにして日(ひ)長(なが)し)

  

「山静日長」は北宋の詩人、唐庚(とうこう:1070~1120)の五言律詩「醉眠」の冒頭にある字句で、当方の所蔵している重箱「輪島塗総蝋色梨地 四季山水図八寸五段重 臺付」にも用いられている。


書き下し文で日本では水墨画の画題や書に用いられる字句ですが、出典は下記の漢詩からです。

山静似太古  山は静にして 太古に似たり
日長如小年  日は長くして 小年の如し
餘花猶可酔  余花 猶(なお) 酔うべし
好鳥不妨眠  好鳥も 眠を妨けず
世味門常掩  世味には 門 常に掩い
時光簟已便  時光 簟(てん) 已に便なり
夢中頻得句  夢中 頻りに 句を得たり
拈筆又忘筌  筆を拈(と)れば 又 筌を忘る

*北宋の詩人、唐庚(とうこう:1070~1120)の五言律詩「醉眠」(酔うて眠る)

山は大昔のように静かだ。日は小一年程もあるかのように長い。
咲き残った花は酒の相手によく、鳥の声も眠りを妨げることはない。
うるさい世事が入ってこないように門は常に閉めている。もう竹のベッドは気持ちよい季節。
夢の中で、しきりに詩句を得たけれど、筆を執ってみると、さて何だったか?



真作と判断しており、平福穂庵の作品で絹本に描かれる作品は珍しく、題を記するなど貴重な作品のひとつであることは間違いないでしょう。この作品が描かれたと推察される明治17年は平福穂庵の第3期と区分されている時期ですが、この時期の作品は各種の画法を自分のものとしており、とくに本作品では南画の画法を自分のものとし、線描は見事としか言いようがありません。



本作品の箱書きには平福百穂の識が記されており、穂庵による賛は「山静日長」とありますが、平福百穂は「春閑」と題しています。

 

子の鑑定箱書きは議論があるかもしれませんが、当方では本物と心得ています。



表具もそれなりにされています。

あらためて作品を鑑賞してみてください。



落款の特徴、第1画と第2画が離れている点、最終画が横へのハネが90度の点からは明治10年以降の作と推定されます。他の作品と同時期の明治17年頃の作かもしれませんね。



平福穂庵は四条派の画風から始まり、各種の画風を習得し一時期南画も学んでいます。



独特の奔放な筆遣いを抑え気味しながら描く南画風の作品は独特の風情があります。



「山は大昔のように静かだ。日は小一年程もあるかのように長い。
咲き残った花は酒の相手によく、鳥の声も眠りを妨げることはない。
うるさい世事が入ってこないように門は常に閉めている。もう竹のベッドは気持ちよい季節。
夢の中で、しきりに詩句を得たけれど、筆を執ってみると、さて何だったか?」

冒雪訪友図 奥原晴湖筆 その4

$
0
0
本日の作品は野口小蘋とともに明治の女流南画家の双璧といわれ、また安田老山と関東南画壇の人気を二分した奥原晴湖の作品の紹介です。本ブログでは久方ぶりの紹介となります。

さらりと描いた作品ながら奥原晴湖の佳作?と言えるでしょう。墨を水をたっぷり含ませて描いた熟練の水墨画の世界です。

冒雪訪友図 奥原晴湖筆 その4
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1890*横423 画サイズ:縦1045*横295

 

賛には「冒雪訪友」とあり「雪を冒して友を訪ねる」という意味です。奥原晴湖の傑作と言えるでしょう。



整理のために展示室に飾っていたら家内が「あの作品は誰の?」と尋ねてきました。「奥原晴湖だよ。」と答えたら「あの作品はいいね!」だと・・。



家内の感覚の良さには驚きます。



冬の茶掛けにもいいでしょう。



押印されている印章は詳細はよくわかっていません。

遊印「□□□」
「墨吐□□」と「□□堂山楼□の人?」

  

日本人はもっと日頃から水墨画の世界を堪能したらいいと思うのですが・・。



信楽の壺を前に飾り、友人らのとの一献を思い出しながら冬の故郷に思いを馳せる・・、なんと贅沢なひとときなのだろうか。

奴凧 その2 倉田松涛筆 その27

$
0
0
本ブログで「もっと評価されるべき画家」として取り上げているのが蓑虫山人、洋画家の伊勢正義、そして最近よく投稿している「倉田松濤」です。倉田松濤の作品は意外なところで見かけることがあります。北海道の鰊御殿や福島美術館にも展示されていたりします。

また下記の作品はなんでも鑑定団に出品された作品です。



評価金額は20万円でしたが、倉田松濤独特の作品ではなく四条派の伝統的な作品です。やはり倉田松濤はその独特の雰囲気を持った作品がいいですね。とはいえ現在では2万円程度でそのような出来の良い作品が入手できます。ただ繰り返すようですが贋作もインターネットオークションに出品されていることがあります。独特の雰囲気、勢いのある筆法でない作品は避けた方がいいでしょう。

本日は「奴凧 その1」の続編と言える作品の紹介です。

奴凧 その2 倉田松涛筆 その27
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横444*縦2153 画サイズ:横345*縦1373

  

倉田松濤の作品は観ていて愉しくなる作品が多いですね。



「我が道を行く」という洒脱さに溢れています。



倉田松濤の境地がそのまま作品になされているといってもいいのでしょう。



正月の奴凧揚げで井戸の綱に絡まったのを木に登りとろうとしている人・・、下では犬が吠えている・・。



まっすぐに伸びている縄の下は井戸・・。なにやら危なっかしい・・。次はどういう展開になるのだろうか?



相変わらず賛は難解・・・。

  

人生などは愉しく生きたほうが得。出世欲、地位欲、金銭欲などにとらわれるととかくこの世は息が詰まる。はてさてのびのびと人生を過ごしたいもの、倉田松濤の作品を観ているといつもそういうことを考えてしまいますね。

さて「奴凧 その1」と「奴凧 その2」の作品は夏の帰省時に郷里の骨董店で2作品とも店主から紹介された作品でしたが、当方は福田豊四郎の作品と舘岡栗山の作品を購入したので、資金が足りないので遠慮したのですが、家内が買う了解したので購入することになりました、どちらかひと作品かと思ったら家内は2作品ともに買うと言い出しました。



家内は倉田松濤の作品が好きになったようです。



出所は同じようで、描いた時期も同じでしょうが、作品の大きさは多少違います。



それでもふたつの作品を並べると面白いですね。

*倉田松濤の作品中に凧や犬が描かれることが意外に多いのに気が付きます。

唐美人図 大林千萬樹筆 その2

$
0
0
怪しげな魅力が美人画の魅力のひとつでしょう。あまり聞きなれない画家ですが、いい作品を描いている画家のひとりですね。

唐美人図 大林千萬樹筆 その2
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱
全体サイズ:縦1772*横597 画サイズ:縦1105*横408

 

  

本ブログに紹介されている大林千萬樹の作品には下記の作品があります。

元禄美人図 大林千萬樹筆
絹本着色軸装 軸先堆朱 合箱入
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横



私の好きな大林千萬樹の作品は下記の作品です。「紅粧」という作品です。

 

大林千萬樹は江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いていますが、しかし、その綿密な歴史考証にもとづく華麗な画風については、充分に認知されていません。忘れ去られた画家といっていいでしょうが、いい作品を描く画家です。



*右は天龍青磁の花入

上村松園、鏑木清方、伊藤深水といった大家の作品は手元に持ちたくても所詮高値の花。意外に知られていない廉価で入手できる作品を手元に置くと愉しいものです。

花一りん 鍋井克之筆

$
0
0
出来の良い作品であり、花のない時期に茶室に掛けるのに最適かと思い入手した作品です。

花一りん 鍋井克之筆
紙本水彩軸装 軸先 共箱二重箱
全体サイズ:横452*縦1247 画サイズ:横242*縦440



「花一りん」・・・、花は椿? 山茶花?・・・。

 

表具が粋なこととあまりに写実的な作品でないことが現代的でありながら茶掛けに向いていると思います。



手前には当方のお気に入りの桃山期の織部の獅子の香炉を置きました。



***********************************

鍋井克之:(なべい かつゆき)1888年8月18日~1969年1月11日。日本の洋画家。
大阪府出身。旧姓は田丸。東京美術学校卒。1915年「秋の連山」で二科賞。フランスなどに留学後、1923年二科会会員となり、1924年小出楢重、黒田重太郎らと大阪に信濃橋洋画研究所を設立。1947年第二紀会の結成に参加。1950年「朝の勝浦港」などで芸術院賞受賞。1964年浪速芸術大学教授。宇野浩二と親しくその挿絵を多く描いた。

***********************************

  

箱書などは上記の写真の通りです。きちんとした誂えで堂々とした箱書きもいいですね。

花菖蒲 松尾敏男筆

$
0
0
先週末は三連休を利用して息子の七五三。朝から家内共々三人とも着物を着て準備しました。



息子の羽織は小生が着た着物を仕立て直したものです。



裏の絵柄は翁の面。元気で長寿を祈願。



小生が着ている大島紬の羽織の裏地は富士、こちらは義父方の親戚からのお下がりです。



さて手頃な価格で入手できる色紙の作品・・・、とくにまだよく知識がなく検証する画家の作品を紐解くには色紙の作品を入手することが有効な手段です。

本日は松尾敏男の色紙を入手し、調べてみましたので投稿します。

花菖蒲 松尾敏男筆
紙本着色 色紙 タトウ
画サイズ:横242*縦273



*****************************************

松尾 敏男(まつお としお):1926年3月9日~2016年8月4日。日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事長。長崎県長崎市生まれ。堅山南風に師事。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)卒業。在学中は体操選手であった。



1949年に『埴輪』が院展初入選。以後院展に出品を続け、1962年初の院展奨励賞、1966年院展日本美術院賞、1971年芸術選奨新人賞、1975年院展文部大臣賞、1979年日本芸術院賞。



1988年多摩美術大学教授に就任。
1994年、日本芸術院会員。1998年、勲三等瑞宝章。
2000年、文化功労者。2012年、文化勲章受章。



2016年8月4日、肺炎のために死去。90歳没。歿後に従三位追叙。

*****************************************

いたってまじめの性格の画家という記述が記事にあり、作品もたしかにまじめさがよく表れている作品だと思います。



といってつまらない絵かというとそうではなく、色紙という小さな作品でありながら迫力が伝わってきます。

画題の菖蒲は中国では古来より、ショウブの形が刀に似ていること、邪気を祓うような爽やかな香りを持つことから、男子にとって縁起の良い植物とされ、家屋の外壁から張り出した軒に吊るしたり、枕の下に置いて寝たりしていたそうです。



日本でも、奈良時代の聖武天皇の頃より端午の節句に使われ始め、武士が台頭してからは「しょうぶ」の音に通じるので「尚武」という字が当てられるようになり(勝負にも通じる)ことから吉祥として、軒先に魔除けとして吊るしたり、風呂に入れる習慣が伝えられてきています。



ご存知のように菖蒲湯として用いられており、薬用効果を高めるために、芳香のある生の根茎や葉を大まかに刻んで布袋に入れて煮出したものが風呂に入れられる風習があります。調べてみると浴用の効果は、血液循環促進、冷え性、肩こり、疲労痛に効能があるとされています。また古くは漢方薬(白菖、菖蒲根)にもなっているようです。苦味芳香性の健胃薬の効果があるものの、特殊な不快味があるうえ、悪心、吐気感を催してしまうことがあるため内服には使われないとのこと。



こういう作品は色紙のタトウに入れておくよりもきちんとした色紙の額に入れてときおり飾りたいものですね。色紙用の額は数多くありますが、色紙の額は数が多くまた様々な工夫のされた額がありますが、一目でいい額かそうでないかはすぐに解るものです。



飾ってる色紙の額から蒐集している中身が解るものです。骨董とはそういう怖いところがあります。本日、紹介している額は色紙としては最低限の方の額・・。一万円程度の額ではお里が知れる・・。



とはいえ額はたくさん誂える必要はありませんね。色紙は普段は色紙用のタトウに入れ、さらに箱や箪笥の収納し和紙で全体を包むなど防虫や湿気防止の処置して保存しましょう。当方ではたとえ色紙の作品でも飾りぱなっしにはしないように注意しています。カビの跡のある作品、陽に焼けた作品では価値がほとんどないことになりますから。

着物も骨董品も同じ。いいものは良い保存方法で長く愉しむもの・・・。なにを後世に伝えるかは大事な現世を生きる者の務めですね。

四季山水図四幅対 寺崎廣業筆 その68

$
0
0
七五三は近所の神社で皆でお祓い。



息子は着物を着るのが好きなようです。



お祝いを戴いた親戚に集まって頂き、昼食会です。



さて本日の作品の紹介です。

ある程度の特定の画家の作品が蒐集されたらやたらとその画家の作品を蒐集するのではなく、蒐集にとって意味のある作品に狙いを定めて蒐集していくのがいいようです。数が集まるとたしかに真贋や時代推定にはいい資料にはなるのですが、そこからもうひとつステップアップになる作品を追い求めていきたいと思います。

そのような対象分野の作品は本ブログで例を挙げるなら福田豊四郎や平福父子、そして本日取り上げる寺崎廣業らの郷土出身の画家、他には源内焼、明末呉須赤絵の作品だと思います。

本日は寺崎廣業の四季山水図の四幅の小点の作品を紹介します。

四季山水図四幅対 寺崎廣業筆 その68
絹本水墨小点軸装 軸先象牙 鳥谷幡山大正9年鑑定箱 昭和9年売立記録書在中
各々全体サイズ:横290*縦1295 画サイズ:横175*縦205



この時期の寺崎廣業の山水画は出展作品を除くと凡作が多いのですが、席画程度の小点が四季分揃っていることで観ていて愉しくなる作品となっています。



















表具もそれなりに立派で見栄えがします。この表具は乾燥していて、小点ゆえ巻いて保存するときに強く巻いたせいでしょうか、一文字が糊が効いていなくて捲れていました。当方で糊を挿して補修しています。あくまでも紙専用の接着材にて補修しています。



春と夏で飾ってもいいでしょう。

 

そして秋と冬。いくらでもバリエーションが愉しめるのも4幅揃の楽しみ方です。一点だけではつまらなくなるのが不思議です。

 

寺崎門下の青森出身の画家、鳥谷幡山による鑑定箱書きの収められています。真作と判断されます。

 

大正9年の鑑定箱書きで寺崎廣業が大正8年に没していますので、寺崎廣業が亡くなった翌年の鑑定です。

 

この作品の印章は当方の所蔵作品「山水図 寺崎廣業筆 その3」と同じ印章が押印されています。この作品は「その3」ですので当方の蒐集ではかなり早い時期に入手した作品です。

 

この作品はサイズが本日紹介している「四季山水図四幅対 寺崎廣業筆 その68」とまったく同じです。このような作品が複数描かれた可能性があります。

 

違うのが落款の字体です。

「山水図 寺崎廣業筆 その3」の「業」の字がいわゆる「2本寺業」と呼ばれるもので、「四季山水図四幅対 寺崎廣業筆 その68」の「業」の字は「3本廣業」と呼ばれています。「3本廣業」は後期の作品で明治40年代以降の作と推察されます。画風が似通っていることからほぼ同時期と思われますので、「山水図 寺崎廣業筆 その3」は「2本寺業」時代の終盤の明治40年前後の作と推察していいでしょう。

なお寺崎廣業の落款の字体はとくに前期で変化があり、時代の特定の根拠となります。

また寺崎廣業の前期の傑作は美人画に多くあり、後期は山水画に多くありますが、著名となってきた「3本廣業」の時代には作品を依頼されることも多くなり、多作である山水画にはかなり凡作が多いように思います。また著名になったことと並行して贋作が横行し、後世になって徐々に寺崎廣業の作品は評価を下げていきました。

*ネットオークションでの寺崎廣業の山水画の作品には贋作や凡作が多く混じっていますので手を出さないほうがいいでしょう。

なお本作品には売り立て記録があります。

 

落札金額は昭和9年にて150円? 当時の150円は現在の50万円くらいでしょうか? 資料的に面白い作品だと思います。むろん下記のように飾っても愉しい作品です。



このような四季を揃えた掛け軸は「紐の保護紙」にて四季の作品を淡い色で分類するといいでしょう。いちいち作品を広げなくてもどの季節の作品か解るようにしておきます。



巻いているとどの掛け軸がたとえば「春」の作品なのか解らなくなりますので・・。巻き止めに書くのは無粋というものです。



このような幅が一尺程度以下の作品はその掛け軸の長さ別にサイズで収納場所を決めています。長さがバラバラな収納はよくありません。長さ別に一尺程度、二尺程度、三尺程度、特大と収納場所を工夫するとどこになにを収納しているかがすぐわかるようになります。

*貴重な作品だからと金庫や地下室に刀や掛け軸の作品を収納するのは自殺行為です。湿気を嫌うのでいくら空調されていても停電もありますので、金庫や地下室に収納するのは厳禁です。ついでに陶磁器も箱が痛むのでよくありませんよ。

氏素性の解らぬ器 面取大徳利 & 灰釉緑釉紋片口

$
0
0
当方ではときおり現状の知識・見識から外れた作品を好んで入手するようにしています。もともと当方の源内焼や民芸作品も「これいいな~」と知識・見識から外れた作品を購入したのが始まりですから・・。いつまでも古伊万里、李朝、唐津。鍋島と同じところに蒐集に域があってもつまらないもの。

たいがい下手物を掴むのがオチなのですが、ああだこうだと一分野の神様のように屁理屈をこねる輩よりは、異論はあろうが私はましだと思っています。

今回も理屈抜きで面白そうだと値段も安いのも手伝って購入した作品の紹介です。

氏素性の解らぬ器 面取大徳利
首補修跡 誂箱 
口径45*胴最大幅140*底径*高さ250

文字のような染付文様・・・、李朝時代の作品は染付の顔料である呉須が高価なため極力節約するために簡便な絵付けしか施さなかった時代の作品はその軽妙さから高く評価されましたが、まるでその絵付けのような軽妙さがあります。



形も李朝風・・、ただしあくまでも風・・。



絵付けは洒脱???



模倣云々はさておき、このような絵付けは当方は嫌いではありません。



穿った見方ではあくまで洒脱らしきもの・・。底は砂付きの高台?



初期伊万里や李朝の風格がある??



首には明らかな共色の補修の跡、このような補修は下手という方もおられるでしょうが、意外手間がかかります。



穿った見方ではもっともらしいが、広義の古伊万里と分類するなら罪はなさそうです。



最初は李朝として売りに出され、次は初期伊万里として売りに出され、とうとう古伊万里で売りに出され、廉価で小生の元に・・・



当方の初期伊万里と比べると釉薬の色調、呉須の色、砂付高台は初期伊万里そのものです。これは写真では解らず、実物を見比べると解ります。



初期伊万里に近似していますが、初期伊万里にこのような徳利があるかな? それと釉薬の生掛けではないように思われますので、結局は古伊万里としておくのが無難ということ・・・。



李朝や初期伊万里では無理があろう、あくまで洒脱な普段使いの花入れがこの作品の幸せというもの。



このような作品があっても面白い、実害のないお値段ですし・・。



さて、変わりものの作品をもう一点紹介します。

琉球壺屋焼? 灰釉緑釉紋片口 誂箱
口径*胴径155*底径*高さ150



片口のような小さな注ぎ口がり、取っ手のような耳が三方向についている。このような形は琉球の焼き物には珍しい。



家内に「最近、変なものが多いはね~。」作品を眺めて「いまいち?」だと・・



鋭いな~、心の内が読まれているらしい



古琉球という触れ込みで買ったが、そもそも古琉球とは何ぞや?



ひとめで解る古琉球もつまらないし、もともと古琉球や古い壺屋焼のけばけばしさにはちょっと腰が引けます。



小生は質素なものがいい・・。



派手な美人、知的すぎる美人は人を幸福にしない。骨董も女性と同じく質素が一番。



どうも家内にはこの作品は不評のようです。通り過ぎるたびに「変な作品ね~」だと・・。



庭にあった欅の根を加工した作品の上に飾っていますが、居場所がなくなるようです・・。

宝珠と白黒鼠 伝三畠上龍筆 その3

$
0
0
我が家では恒例の恵比寿講・・・。



**************************************

えびす講(えびすこう):おもに10月20日ないし11月20日に催される祭礼または民間行事。秋の季語。大鳥大社など日本各地の鷲神社で行われる酉の市は由来が異なり全く関係がない。

神無月(旧暦10月)に出雲に赴かない「留守神」とされたえびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)ないしかまど神を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する。地方や社寺によっては、旧暦の10月20日であったり、秋と春(1月20日)の2回開催したり、十日えびすとして1月10日や1月15日とその前後などに行うこともある。えびす祭やえべっさんとも言われる。えびすを主祭神とするえびす神社のみならず、摂末社として祀っている社寺でもおこなわれる。

講のひとつであり、漁師や商人が集団で祭祀をおこなう信仰結社的な意味合いもあるが、えびす講は各家庭内での祭祀の意味も持つ。東日本では家庭内祭祀の意味合いが強く、また東日本では商業漁業の神としてのみならず、農業神として崇める傾向が西日本よりも顕著である。地域によっては1月のえびす講を商人えびす、10月のを百姓えびすと呼ぶこともある。

商業従事者や商業者団体がえびす講に合わせて安売りをおこなうこともあり、近年にはこの安売りイベント・商業祭というイベントとしてえびす講をおこなう地域もある。

えびす講の日には市が立ち、魚や根菜など青物が売られる。またたくさんの縁起物を飾った福笹あるいは熊手が販売される。この縁起物は神社から授与されるもので「吉兆」とも呼ばれる。

**************************************

読者の皆さんは恵比寿講をなさいますか? さ~祀り終わると鯛の刺身・・。



さて本日は上方浮世絵画家として名高い三畠上龍の作品と思われる面白い作品を入手したので紹介いたします。

宝珠と白黒鼠 伝三畠上龍筆 その3
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 木村東介鑑定箱
全体サイズ:縦1160*横595 画サイズ:縦289*横405



宝珠と鼠

如意宝珠は、仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと。サンスクリット語でチンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、「意のままに願いをかなえる宝」と解釈できる。如意宝、如意珠、または宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)と呼ばれる。

鼠は根之堅州国(黄泉の国のこと)を訪れた大国主命が、危ういところをねずみに助けてもらったという話から豊穣の神大黒天の使いであることを示している。さらに子孫繁栄等の縁起図柄であり、「子(ね)があがる(宝珠の上に)」=「値が上がる」から商売繁盛、人の価値が上がるなどの意味合いもある。宝珠と鼠はともに吉祥文様として描かれることが多い。




天保15年(1844年)刊行の『近世名家書画壇』に、「今世又京師に乗龍、江戸に国貞あり」と記され、天保の頃には既に名声を得ていたことがわかる。また弘化4年(1847年)刊の『京都書画人名録』では、既に故人とされている。本作品が子年に描かれたと仮定すると、この資料では弘化4年(1847年)には既に故人とされているため、その前の子年となる1840年(天保11年)、1828年(文政11年)の作か? 可能性としては1840年(天保11年)の作の可能性が高いと推察しています。



*******************************************

木村東介:(きむら とうすけ)1901年4月8日~1992年3月11日。美術商。本名は文雄。山形県米沢市出身。建設大臣などを務めた木村武雄は弟。米沢商業学校を中退して上京し、一時は憲政公論社に入社し侠客となる。肉筆浮世絵や大津絵等を扱う羽黒洞を1936年に創立。1960年に日本橋に不忍画廊を開く。柳宗悦、吉川英治らと交友を持ち、民芸を積極的に取り扱った。長谷川利行、斎藤真一らを無名時代から支援した。

*******************************************



1982年(昭和52年)4月下旬の鑑定箱書のようです。箱書は良さそうですが、当方は浮世絵についても、鑑定書についても蒐集範囲外なので、詳しくは後学とさせていただきます。

  

作品中の印章には「乗良」と「真真」の白文朱累印が押印されています。



大黒様のお使いです。



我が家には恵比寿様と大黒様の専用の神棚がありますので、そこに飾っています。



古くから大切にされてきた作品なのでしょう。表具もしっかりしています。恵比寿様と大黒様くらいは家に祀りたいものです。

さて本日は朝から九州まで日帰りの出張です。

游鯛図 その2 中村左洲筆 その6

$
0
0
中村左洲といえば鯛の専門画家のようにいわれることがあります。それは下記の事項が理由でしょう。

1.左洲が漁師でもあったこと、
2.魚類は円山四条派の重要な写生対象であったこと、
3.鯛の絵は吉祥画として多くの需要があったこと

確かに、鯛を描いた作品には終生伊勢の海に親しみ、伊勢志摩の自然と一体化したかのような彼の特質を見ることができます。本日はその鯛を描いた中村左洲の作品の紹介です。

游鯛図 その2 中村左洲筆 その6
紙本水墨淡彩軸装 軸先塗 誂箱 
全体サイズ:縦1910*横460 画サイズ:縦1250*横305

 

中村左洲の作品は一部を除き、鯛を描いた作品が秀作ですね。



その鯛もちょっと極端にグロテスクに描いた作品はどうかと思うし、一匹や二匹を描いた作品では構図的にありきたりのものが多い。評価もそれらの作品は数万円程度しかならない。



やはり群れで描いたりして構図的に面白いのが中村左洲の真骨頂であろう。その点本作品は3匹の鯛で数は少ないが、構図的にも面白いし、鯛の表情がコミカルで魅力ある作品となっていると思います。

「おい、ねーちゃん。一緒に飯でも食おうぜ。」と美人の鯛にちょっかいを出している鯛。迷惑そうな美人の鯛。遠くから「やめとけよ。」と言いたげな鯛。



印章と落款は下記のとおりです。右の印章は大正15年に描かれた作品の印章で同一印章です。

 

印章が大正15年頃の作品と同一印章であることから、さらに落款から推察するとその少し後と思わることから昭和初期の作品と推測そています。



鯛を描いた中村左洲の作品はたしかに面白い。


工藝品にご注意 扇面工芸 蝸牛 西村五雲筆

$
0
0
肉筆の贋作を選ぶくらいなら、工芸品を選ぶ方が鑑識眼があるという話が骨董にはあるそうです。ただ工芸品はあくまでも頒布品ですから、骨董的価値は皆無となりますが・・。

当方では最近寺崎廣業の工芸品を間違って入手し初心者的なミスに懲りたはずが、最近になってまた工芸品を入手してしまいました。二度とそのようなことのないように肝に銘じて今回の投稿となります。

扇面工芸 蝸牛 西村五雲筆
紙本水墨着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1215*横620 画サイズ:縦230*横485



大筋は版画か印刷にしており、緑や白を手書きしてあります。



よほど注意してみていないと工芸作品と区別できません。



出来が良いのは当たり前なのですが、出来の良さにほれ込んでつい購入してしまいました。この作品に工芸品があるのは思い起こすと前に観ていて購入を控えたはずだったのですが繰り返しのミスでした



思い込みをすることはよくありますが、肉筆を蒐集し真筆を求める当方には無用の長物・・。西村五雲は下記の作品のように確かな筆法で洒脱な作品が魅力ですね。他にも本ブログでいくつかの作品を紹介しています。


達磨圖 西村五雲筆 その2(2/9)
絹本着色軸装 軸先本象牙 川村曼舟鑑定箱入
全体サイズ:縦1230*横557 画サイズ:縦285*横423



川村曼舟が「達磨圖 五雲居士真蹟 川村曼舟謹識」と鑑定箱書きしている作品です。川村曼舟と西村五雲は没年が4年しか違わないため、昭和13年から17年までに「居士」とある箱書きは4年間に限定されるでしょう。



それ故に西村五雲作品への川村曼舟の鑑定箱書きは貴重かもしれませんね。達磨を描いた洒脱な図柄と粋な表具の逸品。軽妙な筆致ではあるが軽く流れない、五雲の画技の高さを感じさせる一幅です。

 

上記ように「工芸」という印も本物と似せた印章してあるのでややこしくなります。「雲」と「芸」が似ているのでうっかいしていると本物と思ってしまったのが当方のミスです。

他にも川端龍子や竹内栖鳳の作品もこのような手法で印章を似せていますので要注意です。悪意はないのでしょうが、罪づくり罪づくりな工芸印です。最近では近藤浩一路の作品にて骨董店主が「工芸印」なのに肉筆だと思い込んでいました。

布袋図 その2 倉田松涛筆 その24

$
0
0
倉田松濤の生誕百五十年を記念した「倉田松濤作品展」が、平成227年に秋田県の太田文化プラザを会場に開催されています。



これだけの作品が展示されるのは地元ならではでしょう。



掛け軸らは55点ほど展示されたようです。



さすがに地元の方は興味のある方も多いようです。



さて本ブログでも特殊記事を投稿したりしていますが、やはり倉田松濤の作品は書き込みの多い淡彩の彩色画に優品が多いようですね。

本日は当方でも「その」となった倉田松濤の作品の紹介です。

布袋図 その2 倉田松涛筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横670*縦2160 画サイズ:横475*縦1380



落款には「寫於東都□□□□ 百三談書房□□ 松濤道者 押印」とあり、朱文白方印「倉田松濤。白文朱方印「□□□□」の印章が押印されています。



布袋尊(ほていそん)とは、日本では七福神のひとつですが、元来は中国唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋(ほてい)のことです。本来は布袋様は実在の人物です。



本来の名は、釈契此(しゃくかいし)ですが、常に袋を背負っていたことから付いた俗称である布袋という名で知られています。



四明県の出身であるという説もありますが、出身地も俗姓も不明です。

図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。また、そのトレードマークである、大きな袋を常に背負っており、僧形であるにもかかわらず、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。



雪の中で横になっていても、布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかったとか、人の吉凶を言い当てたとかいう類いの逸話が伝えられています。



彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったそうです。
その最期も、不思議な終わり方であり、仙人の尸解に類しています:天復年間に、奉川県で亡くなり、埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたという。その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録があります。中国では、その後、弥勒仏の姿形は、日本の布袋の姿形となり、寺院の主要な仏堂の本尊に、弥勒仏として安置されるのが通例となったそうです。日本でも、黄檗宗の本山萬福寺で、三門と大雄宝殿の間に設けられた天王殿の本尊として、四天王や韋駄天と共に安置されている布袋尊形の金色の弥勒仏像を見ることができます。 また西欧人にこの像は、マイトレーヤ(Maitreya 弥勒)と呼ばれる。なお、布袋尊を、禅僧と見る向きもありますが、これは、後世の付会であるそうです。



倉田松濤の仏画にちなんだ濃厚な作品は非常に出来が良く、さらりと水墨で描いた作品とは一線を画すものでしょう。



倉田松濤はもっともっと今の日本では評価されてよい画家です。


山径春色図 木島桜谷筆 その7

$
0
0
七五三、神社でのお祓いの帰りの階段で息子は千歳飴を「お父さん。これ持って!」と言って、袴の裾を手で持ってすたこらさっさと階段を下りて行きました。誰が教えた? 家内も不思議がっていました。



着物好きな息子、郷里での初詣も着物で行きたいとのこと、そりゃ大変だ  その息子、昨夜は具合が悪く一晩唸っていましたが、小生は出張へ・・、はてさて・・

本日は以前に紹介した下記の作品に続く作風邪の木島桜谷の作品の紹介です。

雪渓 木島桜谷筆 その8
紙本淡彩軸装 軸先象牙 共箱 
全体サイズ:横430*縦2205 画サイズ:横300*縦1340

 

本日は上記の作品の「春」を題材にしたような作品の紹介です。

山径春色図 木島桜谷筆 その7
紙本淡彩軸装 軸先象牙 共箱 
全体サイズ:横427*縦2130 画サイズ:横304*縦1290

 

桜谷の作品は、冴えた色感をもって静かに情景を表現してゆくのがその特徴となっており、その作品からは対象への深い洞察・細やかな愛情が感じられ、観る者に安らぎや心地よさを感じさせる清らかな画風と評されています。



木島桜にの作品は日本絵画本来のよさを備えているとい言えるのでしょう。



心地よい筆運び、明澄で上品な色彩、適度な装飾性、そして円山応挙以来受け継がれた確かな写生力。京都で育まれた穏和な美しさ、わかりやすさは、かつて退屈で古臭いとされた時期もあったかもしれませんが、刺激的な映像が氾濫する今日、かえってそれが新鮮に映る作品です。



50歳を過ぎて櫻谷は画壇と距離を置くようになります。昭和8年(1933) 56歳で 第14回帝展に出品した「峡中の秋」が官展への出品の最後となりました。この作品は幽谷の秋に霧が立ち上る風景で、とても静かないい作品です。晩年は文人画風の観念的表現が多くみられます。隠遁生活を象徴するように描いた「画三昧」は第12回帝展出品作品です。世間を煩わしく思うところもあったでしょうが、多く語ることのなかった櫻谷は、この画三昧がその境地なのでしょう。



この二つの作品は木島櫻谷旧邸に展示されています。引きこもりがちな櫻谷を外に連れ出したところ行方不明となり、翌朝電車事故で亡くなっているのが発見されたそうです。あまりにも悲しい最期ですが、急逝の翌年にすぐ「櫻谷文庫」が設立され、櫻谷の旧邸が残ることになりました。

  

日曜美術館で放映されたもまだまだ知る人の少ない画家です。

木彫 釈迦如来像 

$
0
0
仏壇は同じ長野の仏壇店にて2度ほど依頼して製作して頂いたことがあります。二度とも直に仏壇を製作している人に依頼しての特注品です。

ひとつは義父が亡くなった際に古くなった仏壇を新しくしたもの。もうひとつは亡くなった妻を供養するために転勤時にも持ち運べるものを作りました。現在の家にも既存の壇がありますので三つの仏壇を抱えていることになります。

男の隠れ家では古くからある仏壇は兄弟のところに渡しましたので、男の隠れ家では母の供養の仏間は仮仏壇のまま・・。さて仏壇はこれ以上は必要ないとしてもなにか物足りない。そう仮仏壇といえども本尊がないのは・・・。

当方の関わる三家、当家も、亡くなった家内の実家も、現在の家内の実家も、どの家もお寺は違えど宗派は曹洞宗。これは偶然ですが基本的に曹洞宗の本尊はとくに禅宗は本尊はこれとは決まってはいませんが、慣例上釈迦如来、もしくは阿弥陀如来らしい。

ちなみに阿弥陀如来と釈迦如来の関係は、師匠と弟子、先生と生徒に当たります。阿弥陀仏が上、お釈迦さまが下らしい。禅宗は坐禅像が本尊が基本のようです。

木彫 釈迦如来像 
古箱入
本体:幅*奥行*高さ368



なにかいい釈迦如来の仏像はないかと物色していたら、下記の仏像を入手しました。



機械で製作した仏像はつまらないと思いながら、なかなか古い仏像はそこまでの経緯で人の思いが入りすぎているような気配があり、手を出しにくいものです。これは感覚の問題・・・。



一般的に仏師が作った新たな仏像はお値段が高い・・。



そこで出来の良さそうな本作品を入手しましたが、仏像には全く素人で門外漢ゆえ、この仏像の価値は解りません。



この仏像を選んだのはいままでに関わった平櫛田中や市川鉄琅、高村光雲らの聖観音からの経験からの判断です。



それほど古くはなく、格のありそうで、ちょっと大きめの作品を選びました。



聖観音は入手できるのですが、釈迦如来は意外に彫刻家の作品は少ないようです。



ちょっと大きめですので、男の隠れ家に収めるのは仏壇を作る必要がある??



少なくても収める厨子は必要なようです。



現代は仏壇や本尊にこだわる時代ではないかもしれませんが、骨董にこだわる御仁はおそらくこれらにこだわる・・、なお本尊は一つあれば充分。よってますます選択が難しい・・。これも勉強のうち。

明治丙戌春山水図 蓑虫山人筆 その19

$
0
0
昨日は仏壇の話、本日は神棚の話ですが、神棚の飾り方を知らない御仁が最近多いらしい。お米、お塩、お水、榊、お神酒、しめ縄、お札、・・・そろそろ正月飾りの時期ですので、改めて調べてみましょう。

本日はなんども紹介している蓑虫山人の作品です。NHKの日曜美術館でも取り上げられた蓑虫山人ですが、ときおりインターネットオークションに数点まとめて出品されることがあります。蓑虫山人が放浪した地域で出品されることが多く、地方の素封家から放出されているのでしょう。もったいないことですが、当方にてとっては大切にしていきたい作品群です。

明治丙戌春山水図 蓑虫山人筆 その19
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合誂箱 
全体サイズ:横738*縦1950 画サイズ:横620*縦1400

 

賛には「明治一九年春日三府七十六縣庵主(「三府七十六県庵主」は号)蓑虫山人 押印」とあり、青森や弘前周辺で描いた作品と推察されます。

 

印章や落款から真作と断定できます。蓑虫山人は一時期たいへん人気があり、贋作もありますのでこのところは確認しておく必要があります。



明治19年の蓑虫山人の記録には下記のようにあります。

1885年 明治18年 50歳 青森に滞在する。
1886年 明治19年 51歳 8月弘前で佐藤蔀と会う。9月浪岡町の平野家・木村家に滞在。日本考古学の先駆者神田孝平氏と会う。



よって冒頭のように当方の郷里の近くに滞在していた頃に描いた作品と推定されます。同時期に描かれたおう一点が同時にインターネットオークションに出品されていました。この作品より少し小さめ、この頃は大きい作品を数多く描き、大きな作品のほうが出来は良いようです。

Viewing all 2934 articles
Browse latest View live