当方が予備知識を準備している信楽焼の作品の紹介です。二度や三度、下手物を入手したからと落ち込んでいては蒐集するものの心意気として失格であり、むろん当方のチャレンジ精神は旺盛です。
氏素性の解らぬ作品 信楽壷 その2 桃山期~江戸期
誂箱入
胴径295*底径*高さ350
古信楽はやはり釉薬と胎土の変化・・。
胎土が薄くなるとまずは江戸期。自然釉が薄いと火力不足でこれも江戸期。黒ずんだ肌合いはまず江戸期で評価は数が多いためかあんり下がるようです。
口作りは時代のよって変遷していますので、一概には判断材料にはなりえませんが立ち上がりに勢いのある作品がよいようです。
*「蹲る」や「煎餅壺」のような小さめの作品は首に縄がつけられるように実用性のあるものが必須とのこと。
首周りの文様はあったほうが評価は高い。
底は下駄底。
口縁が室町中期までは上に向かって広がった形が一般的、垂直に立ち上がった形はそれ以降であり、江戸期が一般的のようです。よってこの作品は時代があっても室町後期以降、江戸期と考えるのが妥当。
首の周りに火の勢いが解るのがいいですね。
自然釉薬の流れが景色としていい出来です。
江戸期になると大量生産となり、胴の部分が薄くなり、全体のくすんだ感じとなるそうですが、本作品は厚みも十分あり、自然釉の流れも景色として面白く、江戸期としても面白い作品かと思います。
いろいろ考察していますが、現時点で本作品は桃山期~江戸期と幅広く時代を推定しています。
あくまでも信楽の作品はその景色・・・。
壷は飾り方ひとつで面白くなるが、数が多いと嫌味になる。主張しない程度がよい・・。
さて以下の二作品は下手物と判断しています。
氏素性の解らぬ作品 信楽壷 江戸期(大量生産品)
誂箱入
口径124*胴径290*底径*高さ385
信楽の壺は江戸期になると大量生産に入ったのでしょう。江戸期の作品は胎土が薄く作られ手に持った感じが軽くなります。江戸期だろうと一目見たときには思ってのですが、重さは十分ありますね。
江戸期の信楽の壺で景色に面白みの少ない作品は値が付かないそうです。まずは信楽は景色でいくらの世界のようです。
口の立ち上がりは垂直で玉縁状です。江戸期の作品の特徴のようです。
江戸期の作品は薪がもったいなかったのかよく解りませんが、灰被りで釉薬が存分に流れ落ちるような作品が少ないようです。肌の色もくすんだような色合い多いとか・・・。
信楽の魅力には自然釉薬の流れがなくても胎土そのものの魅力で魅せる作品もありますが、そこまではこの作品もたどり着いていないと言えます。
ま~、玄関の傘立てのひとつか? 壷は景色がつまらいと使い道に困るもの・・・。ただ贋作という作品ではなさそうですし、ほぼ完品なので屋根裏の隅っこに置いておくしかない。
本作品は江戸期、やはりくすんだ感じは面白みに欠ける。江戸期の大量生産品かな、底はべた底。
さて下手物の二つ目の作品への考察です。
氏素性の解らぬ作品 桧垣文信楽壷 贋作
杉箱入
胴径245~240*底径*高さ270
古信楽といったらまず「桧垣文」ですので、桧垣文についての学習も兼ねています。桧垣文の有無で古信楽の評価はかなり違うようですが、桧垣文の古信楽の壺はそうそう簡単には入手できません。
写真の作品は口を破損してさもありそうに作られた贋作でしょう。桧垣文については下記の記事によります。
************************************************
檜垣文:作品の肩回りには二本の平行線の中に「×」印が刻まれています。こうした模様を檜垣文(ひがきもん)といいます。
通常は肩に近いところに入りますが、少し古いもので は壷の腰からやや下のあたりに檜垣文が入る場合があります。真作は不揃いですがヘラ目に勢いがあります。檜垣文は室町時代の作に多くみられます。その後は次第になくなっていった文様です。ただ現代作品にはよく見られる装飾で、信楽の1つの特徴的な文様といえるでしょう。
檜(ひのき)で作った垣根の形にちなんでこう呼ばれます。なお、檜は香りもよく高級木材として知られます。また檜を神聖視する習慣もありますし、垣根は居住空間を外敵から守るものです。よって檜垣文は当時の人々の神聖なお守りであり、無病息災や魔除け、安全・豊作祈願の思いが込められていたのかもしれませんし、檜垣文は陰陽 道などによる魔よけの×印とも考えられています。
***********************************************
*真作の桧垣文は不揃いで力強く、通常は鮮明だそうです。均一、均等であったり不鮮明なものは怪しい・・。
全体にべたべたした不潔感は贋作の兆候のようです。なんでこんなに黒い? 焼成時になにか塗り付けてあるのかもしれません。
桧垣文そのものはまあまあの出来。
底はべた底、この作品に古箱を誂えていかにも古そうに見せている作品、贋作との判断です。箱以外は処分ですね。
さて口直しです。
古信楽の壺で本ブログに投稿された代表的な作例として当方で所蔵している作品に下記の作品があります。この作品は真作と確信しています。このすっきりとした形がその根拠となりますが、真作が必ずしもすっきりとした形状ではない所が難しい・・。
古信楽壷 その1 室町時代後期~江戸初期
杉箱入
口径107*胴径230*底径133*高さ295
端正な形をしていますが、流れ落ちる自然釉がこれほど見事な完品の作品は例が少なく貴重な作品です。
*復習:口縁が立ってきて、玉縁状の作行は早くとも室町後期以降だそうです。それより前の作は口縁はラッパ上のたっていて玉縁状にはまだなり切れていないとのこと。
時代のある作品ではありませんが、下記の作品は北大路魯山人による「信楽の桧垣紋壺」です。むろん北大路魯山人による真作です。
信楽灰被桧垣紋壺 北大路魯山人作
火土火土美房より購入品
高さ300*胴径235*口径135*底径135
鑑定箱書きはありませんが、念のために思文閣を通して銀座の黒田陶々庵で鑑定されています。「ロ」があると黒田陶々庵から説明があったいうのですが・・ 古信楽よりも魯山人や浜田庄司の作品らのほうが当方には真贋の鑑定は楽勝です。
少しずつ古信楽焼の真髄に近づくべく努力する日々です まだまだ道のりは遠い・・・、というよりまだ本格的な一歩を踏み出していない 踏み出せない理由のひとつが壺は場所をとることと気に入らなくなった作品の処分に困るというこど。壺はいい作品が一個か二個で十分のようです。
氏素性の解らぬ作品 信楽壷 その2 桃山期~江戸期
誂箱入
胴径295*底径*高さ350
古信楽はやはり釉薬と胎土の変化・・。
胎土が薄くなるとまずは江戸期。自然釉が薄いと火力不足でこれも江戸期。黒ずんだ肌合いはまず江戸期で評価は数が多いためかあんり下がるようです。
口作りは時代のよって変遷していますので、一概には判断材料にはなりえませんが立ち上がりに勢いのある作品がよいようです。
*「蹲る」や「煎餅壺」のような小さめの作品は首に縄がつけられるように実用性のあるものが必須とのこと。
首周りの文様はあったほうが評価は高い。
底は下駄底。
口縁が室町中期までは上に向かって広がった形が一般的、垂直に立ち上がった形はそれ以降であり、江戸期が一般的のようです。よってこの作品は時代があっても室町後期以降、江戸期と考えるのが妥当。
首の周りに火の勢いが解るのがいいですね。
自然釉薬の流れが景色としていい出来です。
江戸期になると大量生産となり、胴の部分が薄くなり、全体のくすんだ感じとなるそうですが、本作品は厚みも十分あり、自然釉の流れも景色として面白く、江戸期としても面白い作品かと思います。
いろいろ考察していますが、現時点で本作品は桃山期~江戸期と幅広く時代を推定しています。
あくまでも信楽の作品はその景色・・・。
壷は飾り方ひとつで面白くなるが、数が多いと嫌味になる。主張しない程度がよい・・。
さて以下の二作品は下手物と判断しています。
氏素性の解らぬ作品 信楽壷 江戸期(大量生産品)
誂箱入
口径124*胴径290*底径*高さ385
信楽の壺は江戸期になると大量生産に入ったのでしょう。江戸期の作品は胎土が薄く作られ手に持った感じが軽くなります。江戸期だろうと一目見たときには思ってのですが、重さは十分ありますね。
江戸期の信楽の壺で景色に面白みの少ない作品は値が付かないそうです。まずは信楽は景色でいくらの世界のようです。
口の立ち上がりは垂直で玉縁状です。江戸期の作品の特徴のようです。
江戸期の作品は薪がもったいなかったのかよく解りませんが、灰被りで釉薬が存分に流れ落ちるような作品が少ないようです。肌の色もくすんだような色合い多いとか・・・。
信楽の魅力には自然釉薬の流れがなくても胎土そのものの魅力で魅せる作品もありますが、そこまではこの作品もたどり着いていないと言えます。
ま~、玄関の傘立てのひとつか? 壷は景色がつまらいと使い道に困るもの・・・。ただ贋作という作品ではなさそうですし、ほぼ完品なので屋根裏の隅っこに置いておくしかない。
本作品は江戸期、やはりくすんだ感じは面白みに欠ける。江戸期の大量生産品かな、底はべた底。
さて下手物の二つ目の作品への考察です。
氏素性の解らぬ作品 桧垣文信楽壷 贋作
杉箱入
胴径245~240*底径*高さ270
古信楽といったらまず「桧垣文」ですので、桧垣文についての学習も兼ねています。桧垣文の有無で古信楽の評価はかなり違うようですが、桧垣文の古信楽の壺はそうそう簡単には入手できません。
写真の作品は口を破損してさもありそうに作られた贋作でしょう。桧垣文については下記の記事によります。
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檜垣文:作品の肩回りには二本の平行線の中に「×」印が刻まれています。こうした模様を檜垣文(ひがきもん)といいます。
通常は肩に近いところに入りますが、少し古いもので は壷の腰からやや下のあたりに檜垣文が入る場合があります。真作は不揃いですがヘラ目に勢いがあります。檜垣文は室町時代の作に多くみられます。その後は次第になくなっていった文様です。ただ現代作品にはよく見られる装飾で、信楽の1つの特徴的な文様といえるでしょう。
檜(ひのき)で作った垣根の形にちなんでこう呼ばれます。なお、檜は香りもよく高級木材として知られます。また檜を神聖視する習慣もありますし、垣根は居住空間を外敵から守るものです。よって檜垣文は当時の人々の神聖なお守りであり、無病息災や魔除け、安全・豊作祈願の思いが込められていたのかもしれませんし、檜垣文は陰陽 道などによる魔よけの×印とも考えられています。
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*真作の桧垣文は不揃いで力強く、通常は鮮明だそうです。均一、均等であったり不鮮明なものは怪しい・・。
全体にべたべたした不潔感は贋作の兆候のようです。なんでこんなに黒い? 焼成時になにか塗り付けてあるのかもしれません。
桧垣文そのものはまあまあの出来。
底はべた底、この作品に古箱を誂えていかにも古そうに見せている作品、贋作との判断です。箱以外は処分ですね。
さて口直しです。
古信楽の壺で本ブログに投稿された代表的な作例として当方で所蔵している作品に下記の作品があります。この作品は真作と確信しています。このすっきりとした形がその根拠となりますが、真作が必ずしもすっきりとした形状ではない所が難しい・・。
古信楽壷 その1 室町時代後期~江戸初期
杉箱入
口径107*胴径230*底径133*高さ295
端正な形をしていますが、流れ落ちる自然釉がこれほど見事な完品の作品は例が少なく貴重な作品です。
*復習:口縁が立ってきて、玉縁状の作行は早くとも室町後期以降だそうです。それより前の作は口縁はラッパ上のたっていて玉縁状にはまだなり切れていないとのこと。
時代のある作品ではありませんが、下記の作品は北大路魯山人による「信楽の桧垣紋壺」です。むろん北大路魯山人による真作です。
信楽灰被桧垣紋壺 北大路魯山人作
火土火土美房より購入品
高さ300*胴径235*口径135*底径135
鑑定箱書きはありませんが、念のために思文閣を通して銀座の黒田陶々庵で鑑定されています。「ロ」があると黒田陶々庵から説明があったいうのですが・・ 古信楽よりも魯山人や浜田庄司の作品らのほうが当方には真贋の鑑定は楽勝です。
少しずつ古信楽焼の真髄に近づくべく努力する日々です まだまだ道のりは遠い・・・、というよりまだ本格的な一歩を踏み出していない 踏み出せない理由のひとつが壺は場所をとることと気に入らなくなった作品の処分に困るというこど。壺はいい作品が一個か二個で十分のようです。