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花おぼろ 大林千萬樹筆 その4

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大林千萬樹は小野竹喬と同時代に活躍した岡山の画家ですが、笠岡市立竹喬美術館で「岡山の近代日本画 ー新収蔵・大林千萬樹作品を中心としてー展」が最近開催されています。(2017年7月28日(金)~9月18日)

花おぼろ 大林千萬樹筆 その4
絹本着色軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦1970*横490 画サイズ:縦1220*横310



大林千萬樹筆は富岡永洗、川合玉堂に師事した後、鏑木清方に入門している正統派の画家です。

 

このおぼろげな花の描き方の作品は大林千萬樹の作品にときおりみかけるものが当時得意としていた描写方法でったのでしょう。



1906年(明治39年)の日本絵画協会日本美術院絵画展覧会に「のべの土産」を出品、翌年、東京勧業博覧会に「歌舞」という作品を出品して居る。

1913年(大正2年)の第13回巽画会展に「胡笳の声」を出品、褒状1等を獲得、また、同年4月の美術研精会第12回展に出品した「涼味」が賞状を得ている。

1914年(大正3年)3月、東京大正博覧会には「真堤我意中の人」、「廓の宵」を出品、10月の第1回再興院展に「編笠茶屋」を出品すると、これが初入選を果たす。

1915年(大正4年) 第2回展に「手牡丹」
1916年(大正5年) 第3回展に「いねむり」第2回郷土会展に「通い廓」
1917年(大正6年) 第4回展に「口三味線」
1922年(大正11年) 第9回展に「紅粧」
1934年(昭和9年) 大礼記念京都美術館美術展覧会に「新粧」を出品

大正末期には奈良に住み、その後、名古屋へ移り、昭和10年代には京都に在住、戦後は各地に移り住んだといわれる。
昭和34年4月26日、静岡県熱海市で死去した。享年は数えで73。

  

本ブログにて「その4」となりましたが、それほど多くの方が知っている画家ではないかもしれません。評価もそれほそ高くはなくこの作品程度なら数万円で買えるものです。



伊東深水や鏑木清方らの美人画は異常なほどお値段が高いので、この領域の美人画は比較的お買い得なのでおすすめの作品群ですね。



ただこのくらいの画家なら出来の良いものを選んだほうがよさそうです。



中途半端に席画程度の書き込みでは飽きがくるし、将来的にも評価はそれほそ高くなりません。

茶 伝大綱宗彦書

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抹茶が好きな息子ですが、麺類も大好きでよく家族でラーメンやら蕎麦屋に行きます。意外に箸の使い方がうまく、ろくに教えもしないのに使えるようになりました。



ただ多少面倒になると両手使い



さて本日紹介する作品は男の隠れ家にて復活した作品です。

当方が40歳の頃、亡くなった家内の実家がリンゴ台風で屋根が飛ばされました。飛ばされた屋根の補修に際して、亡くなった義父が天井裏から箱を取り出し、その箱から掛け軸が多数出てきました。その中からこれといった作品を屋根同様に改装して遺しましたが、本日紹介する作品はその作品のひとつです。

茶 伝大綱宗彦書
紙本書 絹装軸装 合箱
全体サイズ:縦1165*横478 書サイズ:縦299*縦443



本来は茶掛として茶室に掛けるところ、展示室の階段前のスペースの掛けてみました。



大網宗彦の書はたくさん書いたのでしょう。あちこちで見かけますね。

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大綱宗彦:安永元年(1772)〜安政7年(1860) 享年89歳。6歳で黄梅院に入室、融谷宗通に師事。臨済宗の僧で大徳寺435世住持。同寺塔頭黄梅院第14世住職。京都の人、法諱大綱(たいこう)。道号宗彦(そうげん)、号空華室・昨夢・向春庵。和歌、茶の湯をよくして道歌墨蹟を多数のこす。裏千家十一代玄々斎宗室・表千家十代吸江斎宗左・武者小路千家七代以心斎宗守・松村宗悦らと交わる。永楽保全の参禅の師。

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さてなんと読むのでしょうか? 箱の中には以前にどなたかに読みを依頼して書いて頂いた書付があります。



歌は「かな」にては「茶 しづかなる よよたのしみて あよつした いづこににるも うぢのくわかくさ」となり、

漢字入りで    「茶 志川かなる 世代たのしみて あまつした 何国耳爾るも   宇治乃若草」となるようです。



大綱の作品は茶の席の掛け物として重宝されますが、ただ贋作がそれ相応にありますので注意を要します。本作品のように茶の席に最適な歌のものに贋作が多いのですが、本作品は真作についての真贋はよく解っていません。

*表具の痛みがひどいので平成5年頃に改装しています。

真贋はともかく、いずれにしろリンゴ台風の被害にも失うことなく我が郷里の旧家に伝わる貴重品ですので大切にし後世に遺しておきましょう。

破墨山水図 寺崎廣業筆 二本廣業時代 明治40年(1908年)頃

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週末は二週に一度のペースで近所の図書館に本を返したり、借りたりで通っています。これからは自転車の練習も兼ねてのお出かけとなります。「ハイ、右よし! 左よし!」と指差呼称を身につけさせています。



とうぜんまだ絵本ですが、本は好きなようです。小生は当然趣味の本を探すのに夢中・・



絵本を一緒に読むのは意外にたいへん。読むのはいいのだが、パズルや探し物は目が疲れる・・・



さて寺崎廣業の作品の整理もだいたい目途がつき、真贋の見分け方もほぼ解るようになり、落款の字体から描かれた時期も特定できるようになりました。

本日はそんな寺崎廣業の作品から「破墨山水画」の作品の紹介です。橋本雅邦から川合玉堂、竹内栖鳳らに脈々と受け継がれてきが日本古来の技法です。

破墨山水図 寺崎廣業筆 二本廣業時代 明治40年(1908年)頃
絹本水墨軸装 軸先骨 誂箱
全体サイズ:縦1990*横440 画サイズ:縦1100*横310

 

この作品は明治40年頃の作品で山岳風景画に打ち込むようになる直前であり、ちょうど日露戦争従軍から戻ってから少し経ってからの作でしょう。



この頃の作品にはこのような墨を思い言って滲ませた作品が見かけられます。



この頃から多作になっていきますので、出来の悪い作品も多くなり、また贋作もこの頃を模したものも多くあります。



共箱どころか合箱もない作品ですが、真作と断定できます。表具もしっかりしています。



このような作品を愉しむ人は少なくなりました。



現在ではかえって外国方のほうが愉しむのではないかと思われます。

  

南画というより禅画という感じで楽しむように思います。



四季の移りを墨だけで描く・・。



中国絵画にもない日本独特の感覚です。



同時期で墨を思いきり滲ませた作品は当方でも幾つかありますが、最近紹介した作品では下記の「花魁図」があります。



この作品は席画(会食の時に依頼されたさっと描いた作品)でしょうが、名品ですね。



両作品の落款は下記のとおりです。印章は違い、落款の書体もちょっと違いますが、ほぼ同時期で真作です。

 

今なら二束三文?で入手できる作品です。

初冬渓谷親子猿図 大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃

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息子の遊びのひとつに木登りが加わったようです。



近代絵画において「虎」を描いたらこの人と万人が認める大橋翆石の本日は猿を描いた作品の紹介です。木登りと言ったら「猿」ですね。

初冬渓谷親子猿図 大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先本象牙 合箱 
全体サイズ:横545*縦1610 画サイズ:横420*縦1075
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期

 

描いた時期は大正元年(1912年)から昭和2年(1927年)の神戸時代の初期に分類される頃の作と推定されます。



この頃に大橋翆石は結核に罹患し、当時結核の治療に先進とされた神戸・須磨地域に転居して治療に専念しながら絵筆をふるっていた時期です。



「闘病」と共に大橋翆石の「須磨様式」と称せられる特異な画風を完成させた時期ですもあります。



明治43年の夏以降には落款の「翆石」の「石」の字の第4画、転折部分の上部に点を付す所謂「①点石落款」を排しています。よってこの時期の作品の落款は幾つか変遷しています。

②翠石   :二文字とも同じ大きさ 
( 1期 )1910年(明治43年)~1922年(大正11年)
*大正元年、須磨に移住。

③翠石   :石の文字が太い
( 2期 )1922年(大正11年)-1940年(昭和15年)
*須磨様式時代

須磨時代の後半には

④糸落款翠石: 翠石が細く書いてある。3期 1940年(昭和15年)-1945年(昭和20年)

という3種類の落款の変遷がありますが、実は②以降には本作品のような落款も存在してます。図集に掲載の「猛虎一声之図」の落款と印章と同一です。

 

印章に若干の違いあるように見えますので同図集に掲載の印譜と比較してみましょう。

 

同一印章と判断していいでしょう。この落款の作品は少ないと思われますが、当方の紹介した作品では「親子虎図 大橋翠石筆 大正初期(1910年代)頃」、「幽谷雙猛之図 大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃」と同一印章と判断できます。

「幽谷雙猛之図」大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先本象牙 共箱 
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横420*縦1140
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期



「親子虎図」大橋翠石筆 大正初期(1910年代)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱 
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横500*縦1300
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期



「親子虎図」については真作と断定するには躊躇しましたが、最終的に真作と判断しました。幾つかの作品を入手し資料を分析した結果ですが、あくまでも個人的な判断です。



雪が降り始めて寒い冬が来るのを不安そうに見つめる母猿・・・。



母猿に寄り添う子猿・・・。



単にかわいいという動物画ではありませんね。



母猿の見つめる先には不安が一杯・・・。



父を早くに亡くした小生が還暦を過ぎてから初めて子宝を授かり、この母子猿には幸多かれと願うばかり・・。





この親子には厳しい現実が待ち構えてるのだろう。



それが雪となって、滝となって表現されている。骨董にはときおり人生を重ね合わせるなにかがある・・・。



この作品の表具の上部の「天」が極端に短くなっています。これでは猿も木から落ちる このようなことが気になるようにならないといけませんね。

天が2なら地が1、中廻しも一文字のすべて上下の大きさの関係はこの比率ということを知らない人は掛け軸の初心者です。



床の間の天井が低かったのか、上部が痛んだのか? いずれにしても天地交換の処置が必要です。

*現在天地交換を依頼中の作品です。小生がしてやれるのはこれくらい・・。

リメイク 第3回 紫金釉金襴手花唐草文水注 明時代

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5歳になりたてで早いのか遅いのかはよくわかりませんが息子は自分で爪を切り始めました。



書斎にある道具をいつも使って遊んでいます。セロテープや糊はむろんハサミやカッターも使いこなしています。道具の使い方は親の見よう見まねでしょうが、小生は通常より道具を使う機会が格段に多いのかも? ともかく道具を使う真剣な目つきは嫌いではありません。



さて本日紹介する作品は20年ほど前に仙台に赴任しいた頃に購入した作品です。すでに本ブログに2回投稿されていますが、男の隠れ家にて保管していた作品であり、この度資料を整理するために持ち帰ってきました。

紫金釉金襴手花唐草文水注 明時代
所蔵書付箱
最大幅198*奥行130*総高380



本作品は仙台の骨董店「汲古堂」より購入。骨董店にちょうど持ち込みであった作品を購入したものです。こちらの骨董店でも真贋共々いい勉強をさせてもらいました。

来店した際にお店に大徳寺で所蔵されていたと思われる野々村仁清の茶碗が持ち込まれましたが、資金がなく購入できなかったのが悔やまれます。当時で40万円・・・・。



著名なバウアーコレクションに酷似している作品があり、一般的な図集にも掲載されているものです。。大きさは本作品のほうがやや大きめです。

参考作品 バウアーコレクションより
紫金釉金襴手花唐草文水注
16世後半 高さ33CM

解説:紫金釉という紫がかった釉薬の上に金彩で花文を描いた非常に洗練された意匠の水注。六角形の瓶で高脚に小さな胴が載り、そこからまた頸部が伸びる。西アジアの金属器を彷彿とさせる形である。



本作品は金彩が輪郭のみの部分があり、少し歪んでいる点から官窯であるかどうかには疑問が残りますが、間違いなく同時代の作品だと判断しています。



この作品は安くはなかったと思うのですが、思い切って購入してよかったと思っています。当時は今よりお金がないのに思い切った買い物をしていたのかもしれません。骨董蒐集は若いうちですね。



今まで同類の作品は見たことがありません。



この手の作品は作るのもかなり難しいものです。



金彩自体が早々長持ちする釉薬ではありません。



飾っておくにはちょっと倒れるのが心配ですので飾る際にはピアノ線などで固定しておく必要があります。



箱は購入当時のままです。



箱の所蔵の紙には「□翁□□ 明紫地金襴花弁文水注」とあります。



バウアーコレクション:ジュネーヴにあバウアーコレクションるは、審美眼に優れた実業家アルフレッド・バウアー氏が収集した東洋美術のコレクションです。浮世絵、陶磁器、漆工芸品、根付、刀装品など日本の美術も豊富に所蔵しており、その優れた内容はヨーロッパ屈指のものと評価されています。



しばし、茶室などの飾って愉しみます。



ネットオークションの骨董蒐集はつまらないものです。骨董店に出入りして、店のご主人、来店するライバルや持ち込まれる方々との会話でいろんな勉強ができます。今の若い人には無理かな?

リメイク 京焼 兎香炉

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本日紹介する作品は以前に2010年8月のブログに掲載した作品ですが、資料をまとめる種に男の隠れ家から持ち帰った作品です。まだの30代の頃に盛岡に赴任中に盛岡市内の骨董店から購入した作品です。

京焼 兎香炉
箱入 
幅150*奥行130*高さ150



「兎を装飾的に、かつ写実的に捉えながら香炉に昇華させた逸品。」と入手当時に自分で記録しています。未だに当方では製作年代は考えあぐねており、生産地は伊万里か京焼のどちらかであろうが、資料としては「京焼」と分類しています。



江戸期? それほど古くはなく明治頃の作かもしれません。残念ながら落としたのであろうか、入手時から大きな補修や割れがあり、このような難点があるから当方の小遣いにて入手できた金額だったのでしょう。



盛岡の骨董店の「古陶庵で」購入したものです。今でも開業しているかどうかわ解りませんが真贋共々ずいぶんと勉強させられました。



兎の表情がいい。兎の野生的な表現がよく、また蓋の雅な色使い、体毛の表現の豊かさといった楽しみの多い作品。



写実的でありながらどこか不気味?



干支の飾りとしてもいいでしょうが、単にかわいい兎でないところがあります。兎を山の神と同一視あるいは山の神の使いや乗り物とする伝承も日本各地に広くみられます。

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滋賀県高島郡では山の神の祭日には山の神は白いウサギに乗って山を巡る、山の神は白ウサギの姿をしているとされ、京都府愛宕郡では氏神三輪神社境内に祭られる山の神の二月の祭日には白ウサギが稲の種を蒔き、十一月の祭日には白ウサギが稲の落穂を拾うというので、白ウサギは決して獲ってはならないとされている。また、福井県三方郡ではウサギは山の神の使いとされ山の神の祭日に山に入ることの戒めとともに伝わっている。



兎が各地で山の神と同一視されてきたのは、人間の暮らす里と神や動物のいる山とを身軽に行き来することからの境界を超えるものとしての崇拝、多産で繁殖力に富むことから豊穣をつかさどる意味、そして東日本のノウサギは冬には毛皮が真っ白に変化することから白い動物を神性視する考え方(白鳥などを神性視する古来からの白への信仰)、西日本のノウサギは白くはないのであるが突然変異で白くなった動物を瑞兆とした考え方(白蛇、白鹿、白亀などが朝廷に献上された例などにも見られる希少な白への信仰)などさまざまな背景があると考えられる。



月読命(豊産祈願)や大己貴命(大国主命)、御食津神(五穀豊穣)などを祭神とする寺社ではその祭神の性格からウサギを神の使いとするところも多い。『古事記』には大国主命に助けられるウサギの話として「因幡の素兎」の話が伝わっている。

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この作品はそのような神の使いとして作られた作品かと思うのは考えすぎでしょうか? これはそのような推察から京焼するのが妥当かもしれません。むろん伊万里でも不気味な兎の絵付けの作品はありましが・・・。

当方の茶室には偶然「京焼」の作品を展示しています。



整理が終わって資料とともに保存箱に収納しました。当時と蒐集する作品のレベルがあまり上がっていないと反省・・。このような面白味のある趣向の作品を集めるのがいいと改めて痛感・・。



また大切に保存していきたいと思います。むろん男の隠れ家には飾られます。

遍路にて 室戸岬 藤井達吉筆 その22

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なぜ藤井達吉の作品?と本ブログを読まる方が多いかもしれませんが、小生も実はよくわかりませんが、感じるのは茶味と言っていい感触ですね。決して茶道のことではりません。人生の茶味・・・???

遍路にて 室戸岬 藤井達吉筆 その22
紙本水墨金彩軸装 軸先陶器 合箱
全体サイズ:縦1280*横677 画サイズ:縦266*横372



茶室の裏の床に飾ってみました。茶室と出入口は透けているのが日中はとても面白いですね。



風鎮は染付・・、風鎮に作ったと思われますが結束線で固定しています。



床の板は舟の底板だったらしい? 木場の解体材の置き場から購入したものですが、削った跡がデコボコなので墓石の残りで作った敷石の上に青磁の花瓶を置きました。



藤井達吉は1935年(昭和10)に初めての四国遍路に出かけてから昭和37年4月~5月には5回目の遍路という記録があり、晩年なってからも含めて幾度となく四国遍路をしております。



実際に四国遍路で室戸岬を訪れた際に描かれた作品と推察されます。



「むろとみさきの 夕日を うけてひかりかり 雲ひとつなき なるのおおそら 洞山」と箱に記されています。



なお箱書きの「洞山」については下記の亀井清市なる陶工だと思われます。

  

亀井清市:瀬戸の陶芸家。藤井達吉に師事 洞山窯



金彩、銀彩が使われています。



表具も洒落ていて工芸作家としての趣向がよく出ている作品です。



藤井達吉の作品の楽しさが満載の作品だと思います。

観桜二美人図 松村梅叟筆

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本ブログの訪問者数がいつのまにか100万を超えましたが、ここまでおおよそ10年かかりましたが、おかげさまで作品の整理が終着駅の手前まで来ました。

さて本日は初登場の画家の作品です。あまり名の知られていない画家ですが、出来の良い作品でしたので金額的には多少無理をして購入した作品です。



観桜二美人図 松村梅叟筆
絹本着色軸装 軸先骨 誂太巻二重箱
全体サイズ:縦2185*横510 画サイズ:縦1290*横360



「生活風俗に取材した美人画」を描いた画家ですが、50歳で亡くなっており、年齢的には惜しまれる画家です。

 

松村梅叟の略歴は下記のとおりです。

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松村梅叟:明治〜昭和期の日本画家 。生年明治18(1885)年8月~没年昭和9(1934)年3月2日、享年51才。出生地京都。本名松村 仁一郎。



京都市立絵画専門学校別科〔大正2年〕卒。初め今尾景年に学び、山水・人物・花鳥を能くした。主に四条派を研究する。



明治42年の第3回文展に《京のまんなか》で初入選となり、明治43年には日英博覧会で銅賞を受賞し、京都美術協会や帝国絵画協会の会員となる。以後も文展に大正4年まで《蛇皮線》《鴬》《白粉の花》《画室の花》《祭の日》などで大正元年〜4年連続入選を重ね、褒状などを受けた。生活風俗に取材した美人画を発表した。



大正8年には日本自由画壇に参加して、壇友となり、9年には日本自由画壇同人となって定期展に出品を重ね、11年に同人の池田桂仙 玉舎春輝 林文塘等と共に中国を歴遊し、昭和8年の日本自由画壇第13回展には《自笑軒》《北野大茶》を出品した。



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画風から昭和初期の頃の作か?



美しい女性を描いた「美人画」が注目を集め、全国で幾多の美人画展が開催されてきています。意外に西洋美術の範疇に「美人画」はなく、江戸期の浮世絵に端を発する美人画は日本独自のものらしい。



明治以降、洋画の世界でも美人画は多く描かれましたが,とりわけ日本画の分野では美人画は重要な位置を占めているのは事実です。



美術館や百貨店催事でも美人画展の人気は留まるところがないようですが、いずれも「上村松園…」とか「鏑木清方…」などの著名画家を中心とした展覧会が圧倒的に多いですね。



興行的に多くの観客が見込めるからでしょうが、我々蒐集家からすると少々食傷気味であり、観た作品が数多く、素人受け作品が多い。



先日は「なんでも鑑定団」に島成園の作品(上記写真)が出品されていましたが、本ブログにも投稿されている池田焦園を含めてもいずれもはやありきたりの感・・・。



現在では莫大な資金力がないかぎり美人画の著名作家の作品は入手は難しい。掘り出し物を探せば贋作や駄作を入手するのがオチのようです。そこで過去美術史の陰の部分に葬り去られてきた無名画家たちの作品に蒐集する者は目を向けることになるのでしょう。



近年になって研修が進み、各地の美術館での企画展で取り上げられて脚光を浴びてきた画家の作品もありますが、未だにどのような経歴の持ち主か分からない画家、忘れ去られた画家も多くいます。そうした作家の作品にも陽を当て女性たちの美しさがどのように絵に生かされてきたかを愉しむのも一興・・。



美人画はその着物の表現も見どころのひとつですね。



この作品も箱もなくあまり大切にはされていなかったのかもしれません。ただぎゅうぎゅうに保管箱に入れるよりはかえって良かったのかもしれません。当方では太巻きの箱を誂ええることにしています。



ちょっと早めに展示室にて桜の鑑賞です。

鼠ニ手毬 平福百穂筆

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3月末となって慌ただしい日々が続いています。ブログの原稿もままならぬ日々でしが、なんとか記事をまとめました。そんな状況で先週には仕事の途中でサントリー美術館に立ち寄り「河鍋暁斎展」を観てきました。



週日の金曜日でしたが、ゆっくり見られるほどには来館者は少なくなく、こちらも立ち寄るところがあったので駆け足での来館となりました。大きな作品は有名な作品も多く目新しいものは少なかったのですが、画帳の細密画は面白く拝見しました。全部が見られような展示になっていなかったのは悔やまれますね。

本日は平福百穂の作品の紹介ですが、明治期から大正にかけての数少ない作品のひとつだと思います。

鼠ニ手毬 平福百穂筆 明治45年(1912年)1月
紙本水墨紙表具軸装 軸先木製 共箱 
全体サイズ:縦482*横313 画サイズ:縦1285*横410



子年に描かれたとすると亡くなったのが昭和8年(酉賭)なので、大正13年頃の作か?それより前だと明治45年となりますが、この印章は画集においては大正初期の作品に多く押印されていることから明治45年、平福百穂が36歳頃の作と推定しています。



平福百穂の経歴は下記のとおりです。

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平福百穂:生年明治10(1877)年12月28日~没年昭和8(1933)年10月30日。

穂庵の第4子として明治10年(1877)角館に生まれた。本名を貞蔵という。13歳のころに父から運筆を習っている。父穂庵は常に旅に出て留守勝ちであったが,明治22年,身体をこわして帰郷し,しばらく家にいることになった。その時,筆の持ち方,座り方,墨の擦り方まで教えた。しかし翌年,父が47才のとき,脳溢血のために急逝し,その教えを受けることはかなわなかった。百穂は「上の兄3人が絵とは違う道を志していたため『一人ぐらいは父の跡を継いだらよかろう』という周囲の勧めもあって,絵を学ぶことになった」と述懐している。

14歳の時,穂庵追悼秋田絵画品評会に出品した半切が激賞されるなど,父の画才を色濃く受け継いでいた。16歳で父の後援者・瀬川安五郎の支援の下,絵の修行のため上京,川端玉章の門人となる。玉章は穂庵と旧知の中であり,そのころ,四条派の第一人者で,東京美術学校日本画科の教授をしていた。ここで,後に盟友となる結城素明を知ることになる。

東京美術学校で学び,画家としての地歩を築いた百穂は22歳の時,いったん郷里に帰り,郷里にあって絵の勉強をするかたわら,友人達と中尊寺などに遊んだ。素明の勧めもあって,2年後の明治34年(1901)に再び上京し,やがて中央画壇で頭角を現していった。

活躍の主舞台は素明らと結成した「无声会(むせいかい)」であった。自然や人間を清新な感覚でとらえた作品を発表して注目された。明治36年ころから伊藤左千夫,正岡子規,長塚節,斉藤茂吉らと交友するようになり,アララギ派の歌人としても活躍している。大正期(1912-1925)に入ると百穂の画風はさらに多彩となり,文展に「七面鳥」「豫譲」(第11回特選),「牛」を出品した。昭和7年に母校・東京美術学校の教授に任じられている。しかし翌年10月,横手市に住んでいた次兄の葬儀の準備中,脳溢血で倒れ,同月30日に享年57才で亡くなった。

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古伊万里 窓丸染付蛸唐草文小壺 江戸中期

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いまだに人気が高く入手の難しいのが蛸唐草の古伊万里の作品です。

古伊万里 窓丸染付蛸唐草文小壺 江戸中期
口径82*胴径130*高台径*高さ145



古伊万里ではお馴染みの蛸唐草文様ですが、ちょっとそのルーツを調べてみました。

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蛸唐草:唐草文様の一種。渦状に巻く蔓(つる)の外側に、葉を簡略化してつける。それがちょうど蛸の足の吸盤をおもわせるところから俗に蛸唐草文様とよばれる。中国宋時代の磁州窯の作品に古い例がみられる。



アメリカのカンサスシティにあるネルソン美術館所蔵の「白釉黒花龍文瓶」(11~12世紀)の高台周囲にこの蛸唐草文様が線彫りであらわされている。また同じ頃の磁州窯の「白釉印花唐草文枕」の縁どり文様にもみられる。

元時代の吉州窯には磁州窯の陶工が多く入ったといわれ、作風が似ているものがある。

吉州窯の「白地鉄絵唐草文双耳瓶」(14世紀)の胴には鉄絵で蛸唐草文が描かれている。

韓国全羅南道新安沖の沈没船から引き揚げられた中にもこの吉州窯の「白地鉄絵唐草文瓶」(14世紀)があり、同様の文様が鉄絵で描かれている。

このように宋から元にかけての文様として鎌倉時代の日本に紹介された。有田皿山では江戸時代中頃から、写真に示すような皿の縁どり文様として描かれ、壺の肩の部分、あるいは徳利や猪口の胴全面に描かれて以来、今日まで愛用されている文様である。古伊万里染付の唐草には花唐草、萩唐草、蛸唐草などの種類があります。

蛸唐草という名称は昭和20年代後半になって呼び習わされた名称であろうと思われます。終わりのない連続文様は、永遠、切れない、末広がりなどの縁起の良い絵柄。

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「終わりのない連続文様は、永遠、切れない、末広がりなどの縁起の良い絵柄。」・・・・・、なるほど。よってひびが入っているような作品は忌み嫌われるようです。



古伊万里においては蛸唐草文様は元禄時代の輪郭を丁寧に描いた作品を最上とし、その輪郭から呉須の顔料がはみ出していない丁寧な仕事をしている作品を高評価します。時代が下がるにつれて雑になり、輪郭から顔料が輪郭線からはみ出した作品や、江戸後期には最終的には輪郭のない蛸唐草の作品が量産されました。



この時代の差による仕事の丁寧さは蛸唐草の作品の評価に大きく影響しますが、古伊万里における輪郭のある上手の蛸唐草の作品数は非常に少ないようです。



本作品は窓に染付が描かれるなど丁寧な作品ではあるが、輪郭から多少呉須がはみ出していることから元禄期ではなく、少し時代が下がった作品であろうと思われます。



輪郭のない作品はお猪口、徳利、皿など多々ありますが、輪郭線のない作品は下手ですので普段使いでいいでしょう。



大きな徳利で丁寧な仕事をした作品などは数十万するもののあります。



上手の蛸唐草と初期伊万里は古伊万里ファンの垂涎の作品と言ってもいいでしょう。



上手の鍋島焼とも言えますが、あくまでも普段使い・・・。



この作品の見どころは窓に描かれた何とも言えない可愛らしい染付の絵柄にあります。



輪郭のない蛸唐草の下手の作品は市場に溢れています。当方で男の隠れ家の座敷に飾ってある下記の作品もそのひとつです。

他の所蔵作品解説                     
古伊万里 総蛸唐草壺 江戸後期
口径111*高台径102*高さ238

前の所蔵者の説明には「江戸中期(享保頃) 古伊万里 総蛸唐草壺、本物保証ですので、ご安心頂けるかと思います。鎹の直しは後世のものと思います。」とありますが、江戸後期と当方では推測しています。



「終わりのない連続文様は、永遠、切れない、末広がりなどの縁起の良い絵柄」ですので、きちんと補修したのでしょう。鎹を入れる補修は結構手間のかかるものです。



表具完了 鷹図(三幅対) その3 天龍道人筆

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幼稚園は春休み。その休みを利用して家内と息子は警察博物館?にお出かけしてきたようです。



テレビの機動捜査隊、相棒、科捜研の女など警察を主体としたドラマが息子は大好きで、録画を繰り返して観ています。



将来は警察官になると言い切っています。



帰宅して息子の話を聴いているととてもハイな状態・・、よほど愉しかったのでしょう。展示場の階段を何度も上り下りして愉しんだらしい。

さて本日は本ブログでなんども取り上げている天龍道人の作品の紹介です。天龍道人の作品はあまた市場の出ましたが、あまり保存状態の良いものはありません。これは屏風や襖から剥がした作品が多くあり、陽に晒される時間が長かったり、あまり著名な画家でなかったので大切にされていなかったことなどに起因しているのでしょう。

本日紹介する作品(2014年6月に投稿)も入手時にはまくりの状態でシミのひどい作品でした。「まくり」の状態で本ブログにてすでに作品は紹介しています。

鷹図(三幅対)その3 天龍道人筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦520*横1300



表具する前のまくりの状態はかきのとおりです。

  

左幅







中幅







右幅







枯淡の粋に達した93歳の天龍道人の傑作です。海外からも高く評価されています。



表具と同時に箱を誂えました。



三幅対となると順番が解らない人もいようかと紐の保護紙に記入しておきました。パトカー、白バイ、ヘリコプターの三幅対・・???



これで古い作品を生き返させるという小生の任務のひとつを終了しましたが、まだ天龍道人の作品の双幅、三幅対の作品がまくりのままです。双幅、三幅対をほおっておけないのは、天龍道人の作品は一幅の作品より双幅や三幅対の作品のほうが圧倒的に迫力があるからです。

建水 桂盛仁作

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息子は幼稚園が春休みということもあり、珍しく自ら家内とお茶のお稽古に同席すると言い出して出かけたようです。しかも羽織袴の着物を着て行くと言い張ったようです。



おとなしくお茶の稽古に付き合っていたようです。



小生が帰宅したらスマホの画像を見せてくれましたが、「なんで小指を立てるの?」と聞くと「だって、熱いから・・」だそうです。



さて、本日の作品紹介です。本日は土曜日ということもあり、手軽なお茶道具の紹介にしましょう。

男の隠れ家から出てきた作品を取捨選択している際に、ちょうどなにか建水にいい作品がないかと探していたら本日の作品を見つけました。頂き物が多い箱から出てきたので頂き物かな?と思いましたが、どうも先人が三越で買ってきた作品のようです。のちに人間国宝になっている作家なので先人の先見に敬意を表します。

建水 桂盛仁作
三越シール 共箱
口径126*底径85*高さ99



何気ない作品・・・。



のちに人間国宝になっているとか、この作家の名前を知っていないと捨てたかもしれません。



実は人間国宝になった作家の作品だと気がついたのは家内です



作者の経歴は下記のとおりです。

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桂盛仁(かつら もりひと):長年にわたり練馬区に在住し制作を続けている、人間国宝に認定された金工作家です。

江戸時代初期から続く彫金の一派、柳川派の流れを汲み、明治・大正・昭和期にかけて、煙草入れなど装身具の彫金で大人気を博した二代豊川光長、桂光春を輩出した流派で、伯父である光春を継いだのが盛仁の父、桂盛行(かつら もりゆき)となります。父、盛行のもとで修行した桂盛仁は、打ち出しや彫金、象嵌、色絵等の技法を駆使し、日本伝統工芸展などで高い評価を得てきました。



宮内庁買い上げ、文化庁長官賞を受賞するなど研鑽を積み、2008年に重要無形文化財「彫金」保持者(人間国宝)に認定されています。

昨今、明治期の卓越した工芸作品を「超絶技巧」と称し、ロストテクノロジーとしての評価がなされてきていますが、そうした工芸の技術が脈々と受け継がれてきていることは、柳川派、そして桂盛仁の金工を見ると明らかです。

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記録によると平成24年に三越本店にて個展を開催していますが、本作品は平成10年頃に購入した作品です。この当時で建水で9万円・・、決して安い買い物ではありませんね。



現存しておられる方ですので、なにかと話題になっているようです。







代表的な作品では下記のような作品があるようです。





むろん建水などよりは手の込んだ作品になっていますね。



以上の経緯を記録として共箱に同封し、家内が使うというので水屋に置いておきました。

ばら 中村正義筆

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本日紹介する中村正義の作品とはイメージが違う作品ですが、小生は嫌いではありません。ただ当方では中村正義の作品に疎いため中村正義の作品とは断定できていませんので「伝」といたしておりますことをご了解ください。

ばら 伝中村正義筆
絹本着色額装 共シール タトウ 黄袋 
F2号 額全体サイズ:縦440*横360 画サイズ:縦260*横190



真贋はよく解りませんが、岩絵の具を盛り上げたような作行きはいい感じに仕上がっています。



中村岳陵の画塾に入門し頭角を現し、速水御舟の再来とまで嘱望された画家ですが、その後は画風が一変します。



本作品は中村正義特有の破天荒な画風とは全く違うものですので、イメージが違うと思われる方も多いでしょうね。



中村正義の略歴は下記のとおりです。

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中村正義:(なかむら まさよし)1924年5月13日~1977年4月16日)。日本画家。戦後の日本画壇において異端的な作品を数々発表し、「日本画壇の風雲児」と呼ばれた。 子供のころから病弱で、美術学校に行くこともできなかったが、日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門し、22歳で日展に初入選。たちまち頭角をあらわす。速水御舟の再来とも言われ将来を嘱望されたが、その後モディリアーニやデュビュッフェ、さらにポップアートなどを自分流に咀嚼した破天荒な画風に転じ、日展を脱退、師の元も離れる。日本画壇から激しいバッシングを受け、外の世界に仕事を求めた結果、映画用の注文作品や、雑誌の表紙や、リアリズム風の絵も手がけた。52歳で亡くなったあと、遺族(娘の中村倫子)が家を美術館として公開している(「中村正義の美術館」)。

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正直なところ真贋は当方には全くわかりません。



それでも展示室に飾って愉しんでいます。



ここがいいかな? こっちがいいかな? と架け替えるのも楽しみの一つです。



また何かの機会に中村正義の作行きに触れて解ることがあるでしょうと思っています。



ただ最近は新たな画家や作品群に取り組むのには腰が重くなっていますが、それは年齢のせいかもしれません。

戯墨舞妓図 山元春挙筆

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先週末には息子を連れて遠出して、鍾乳洞のある洞窟探検してまいりました。



迷子にならぬように地図をmず確認!



ところがやたら上り下りのある洞窟で、大人が音を上がる次第・・・。息子のほうが歩くのが早い・・



外の景色は藤井達吉の世界・・。



さて本日は山元春挙の席画の作品の紹介です。

戯墨舞妓図 山元春挙筆
紙本水墨軸装 川村曼舟鑑定箱
全体サイズ:横298*縦1120 画サイズ:横190*縦256



小粋な掛け軸の表具になっている作品です。



展示室の廊下の飾ってみました。



画家はさらりと描いてもうまくなくてはいけないと実感させられる作品ですね。



他の作品でもありましたが、山元春挙の門下生である川村曼舟の鑑定箱に収められています。

  

ある特定の画家の作品を蒐集していくと、力作はむろん欲しいのですが、全く逆にさらりと描いた作品にも興味が湧くものです。かえって中途半端な作品への興味が失せていくようです。

リメイク 清朝徳化窯? 白磁貼花柳花紋筆筒

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鍾乳洞の帰りは釣り堀へ・・・。本格的な釣りには連れて行ったことがないので、まずは予行練習のようなもの。



家族分を釣り上げてきました。小生は小学校の頃に近所の釣り堀や沼や川に入り浸っていたことがありますが、「パパは何で知ってるの?」と息子・・。

さて本日は精密な陶磁器ですが保存箱がないので、保存箱を誂えるために郷里から持ってきた作品です。

リメイク 清朝徳化窯? 白磁貼花柳花紋筆筒
誂箱
口径90*胴径115*底径95*高さ115



完品ならもっと早く箱を誂えたかもしれませんが、あちこち破損しているので放置していました。打ち捨てるかどうか迷ったくらいです。



中国の徳化窯? 日本の平戸? よくわかりませんが一応徳化窯ではないかと推定しています。



筆筒なのでしょう。展示室のテーブルにて使っていて面白いです。



白磁での細工物は作ってみたことはありませんが、難しいのでしょうね。

稚内の昆布干 磯辺辰夫画

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掛け軸などの表具のついでにシワのある状態で額装されている作品などを裏打ちしてもらいました。



上記は福田豊四郎の作品で、挿絵などの原画と思われますが、いくつかこのような挿絵の原画の作品も蒐集されています。



こちらは裏打ちもなくまくりであった小さな作品です。

漁夫風景図 都路華香筆
紙本水墨 タトウ
画サイズ:縦223*横212



中途半端な大きさなのでマットを寸法に合わせて額装にすると一つの額だけに限定されるので、色紙に裏打ちしていろんな額に入れて飾れるようにしました。



賛否があるでしょうが、こういうところは小生の凝り性ゆえ・・。



この作品らは以前に本ブログにて紹介している作品です。



さて郷里の男の隠れ家には先人らが蒐集した作品がまだありますが、遺された作品から紐解くと先人らがどう関わっていたのかが次第に明らかになってきます。

稚内のコンブ乾し 磯辺辰夫画
油彩額装 黄袋 段ボール箱  
F6号 額全体サイズ:縦468*横560 画サイズ:縦320*横410



本作品は武蔵野美術大学で教鞭をとっていた福田豊四郎氏の縁での入手と推察されます。



父が経営していた会社のカレンダーの原画(大館の自宅に何点か保管)もこの画家によるものと推察されます。



母が姉にあげた作品ですが、平成4年に姉が要らないからと小生に譲ってくれた作品で、代わりに会社の業務を当時手伝っていた姉はカレンダーの原画を何点かを思い出に持っていかれました。



作品のサインやキャンパスの裏書から23歳頃の昭和26年(1951年)9月22日に描かれた作品だと解ります。福田豊四郎氏と父らが親交があり、武蔵野美術大学の同僚、また秋田の同郷という関連から当家で購入した作品と推定されますが、まだ若い時の作品です。

 

数少ない資料から当時の思い出を頼りに紐解くには厄介ですので、これらの記録を作品と共に遺しておこうと思っています。

父の遺した作品ももう一点見つかりました。印章は小生が父の印章を押印しました。



郷里の冬の山々を描いた作品だと思います。



父にしてはいい作品です



この二つを並べて飾ってみました。

本日紹介した作品はいずれ大した作品ではないのですが、思いで深い作品ですので郷里にて保管する予定です。さ~てこのような作品を整理するのに必要な時間と体力と根気が続くのはあとどのくらいなのだろうか? こういう整理には意外に時間と体力と精神力が必要なのです。

氏素性の解らぬ作品 青手古九谷風 青手草花紋深皿

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先週末に釣ってきたマス・・・。



子供はおもちゃの世界から少しずつ現実へ・・・。



現実の面白さと難しさを味合うことは大切かと・・。



そしてその成果は食卓へ・・・。



骨董の世界もやはり同じこと・・・。

本日は現実の面白さと難しさの醍醐味のひとつ古九谷。古九谷はむろん再興九谷も高嶺の花なら、せめて似たようなもの・・・。

氏素性の解らぬ作品 青手古九谷風 青手草花紋深皿
合箱
幅169*奥行167*高台径*高さ38



さて青手古九谷の条件と比較してみました。

1.胴に段を付けた造形



2.濃密で豪放な文様構成



3.それぞれの色釉の深い色調



4.口縁の鉄釉(本作品は緑釉の下に施されている)



5.高台周辺の作風



6.角ばった「福」の字の銘の書き方



7.独特のデザイン性



ところでこのような形の作品は九谷でも稀です。



大きさ的には灰皿に最適ですが、それは今は不要になっていますので机の小道具入れになっています。



このような作品が古九谷とはおこがましいのかもしれませんが、再興九谷や近代九谷とは違う気がしますね。



だんだん紹介する作品が手薄になってくると氏素性の解らぬ作品が増えてくるものです。



もともと骨董も人間も氏素性の解らぬもの・・・とブツブツいいながら・・。



ただ人間は年老いて後継のものに喰われて死んでいくもの、ただし骨董はそうはいかない。過去のもののほうが永遠に高みにいることもある。



人間は勘違いして、これからもそしていつまでも高みにいることを望むものですが、早々に後継者の餌として果てるのを良しとしなくはならないのでしょう。



そんなことを考えながら?飾ってみて楽しい作品です。

ところで下記の作品は明治頃?の赤絵の九谷の盃台に、サイズがうまく収まるので記念品?として配られた藤田喬平作の小さな置時計を置いてみました。

陳列している小生に五歳の息子曰く「お父さんはいつも遊んでるね!」だと・・・。そう骨董蒐集はともかく遊び・・・。「でも片付けはちゃんとやるだろ。」と切り返し・・・。



この時計、針の時針と分針。秒針らが重なって一時期動かなくなりました。銀座の百貨店の時計修理コーナーに持ち込んだら修理を断られれました。そこで赤坂見附の時計修理店に持ち込んだらすぐに直りました。ものを修理するには「直す!」という「しつこさ」が常に必要ですね。というかそもそも男の遊びは偏屈さと自己顕示欲と執念の塊!

さて息子に教える前に自分自身がおもちゃの世界から本物の世界へ脱却できていないようです。高みに行く前に・・・・。

光琳「未」 黒木国昭作

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慎重派の息子は高いところが苦手のようでしたが、木登りはこのような遊びが平気になってきました。



ともかく小学校の低学年まで遊べや遊べ! 帰宅した小生に一日の愉しかったことを報告してくれるのですが、昨日は「桜の下で食事したこと」らしい。やはり日本人だね。

さて本日は干支の作品。

干支の作品で「羊」を題材にした作品は当方には意外にない? 牛、蛇、猪も意外に少ない・・・。ということで気に入ったそれらの干支の作品があるとちょっと食指が動きますね。本日もそんな動機で購入した作品です。作者の「黒木国昭」についてもそうですが、ガラス工芸そのものが門外漢なので、評価のほどは全く分かりません。

光琳「未」 黒木国昭作
台座付 共箱
幅205*奥行90*高さ205



奇々怪々なる作品?



可愛らしいようで不気味?



ただよくできています。



この作家は干支の作品を毎回製作しているようなので、同じ作品がいくつかあるのでしょう。



ガラス作品は割れたりなどの破損をすると修理が難しく、また価値がなくなりますので、管理が難しいですね。



藤田喬平らの作品は面白いのでいくつかの作品を所蔵していますが、涼しげなのがガラス作品の魅力です。



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黒木国昭:(くろきくにあき)1945年~。宮崎県須木村(現・小林市)生まれのガラス工芸作家。 宮崎県立小林高等学校卒業と同時に、ガラス会社に就職し、ガラスの道に入る。1974年より創作活動を開始し、1977年国家ガラス製品製造技能士一級を取得。 1989年に宮崎県東諸県郡綾町にグラスアート宮崎綾工房を創設。1991年、国の卓越技能者「現代の名工」を受賞。

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一連の干支をこの作家については蒐集する気はありませんが、この「羊」は基本的にお気に入り。





展示室の廊下に展示してみました。そういえば息子は昨日、動物との触れ合いもあって、馬に乗ったり、羊にも触れたようです。

夏日長 不染鉄筆 その3

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今は人気が高い不染鉄の作品の紹介です。

夏日長 不染鉄筆
紙本水墨軸装 誂箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横

 

インターネットオークションにておおよそ12万円にて落札した作品。



出品者によると「私の住んでいる近所に晩年、不染鉄が住んでいたようです。「奈良西の京にて横たわって昼寝をしていた時の図柄」だそうですが、同じ図柄の色紙の作品を思文閣の「和の美」の大入札会(平成30年9月)にて落札して入手しています。



落款には「吾愛夏日長」とあります、仮題として「夏日長」といたしています。

同図の色紙に作品は本ブログにて紹介しています下記の作品です。この作品を入手する前兆だったのか、これも何かの縁でしょう。

破屋清涼図(茅屋図) 不染鉄筆
紙本着色色紙 タトウ入
画サイズ:縦270*横240



本作品は思文閣のオークションで落札した作品。



「蓬莱仙島之図 色紙」と一緒に約11万円で落札した作品です。



1955年頃の作と推察されます。



東京ステーションギャラリーで展覧会が近年開催され、今見直されている人気の画家の一人ですね。

癸巳干支茶碗 清水楽山作 小堀宗明箱書 

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先週末は花見・・。幼稚園が休みなので息子と家内はすでに何度か花見をすましているようですが、この日は家族全員で出かけました。



花より団子の息子と義父・・、おにぎりの奪い合い?



ついでに桜の花びらの浮かぶ小川で遊んできました。



義父と義母は遠くで・・・???



花びらを捕まえようと息子は走り回っていました。



最後は肩車・・・。



パパと居るのが楽しくてしょうがないらしい。そんな気持ちが伝わってくる大切な時間・・。



さて本日紹介する作品は遠州流でお茶を習っている家内が購入した茶碗ですが、清水楽山が作り、遠州流の小堀宗明箱が箱書きしている作品です。小生が生まれた昭和28年に作られた茶碗でもありますし、そして息子もその60年後に誕生していますので、親子共々使える生まれた干支にちなんだ茶碗です。

癸巳干支茶碗 清水楽山作 小堀宗明箱書 
小堀宗明箱書 掻銘「好其心」 高台脇「楽山」銘印
口径120~123*高さ73*高台径57

茶室でじっくりと鑑賞してみました。



掛け合わせたような釉薬の茶碗を光の交錯する茶室で楽しんでみました。高取焼のような灰釉薬を鉄分の量に変化を持たせた景色が見どころになっています。形も少し歪になっていることでお茶が飲みやすくなっていますね。

*茶室の遊びのひとつに自然光との戯れがあると思うのですが、もう一つ照明により趣向も考慮してみたらいかがかと思っています。在来の茶室では照明による趣向はあまり考慮されていませんが、現代の茶室はもっと遊んでいいと思っています。茶室側は自然光を、茶道口側は自然光+照明でなどを考えると在来の茶室とは違った外部のレイアウトが生まれてくるように思います。



高台脇には「楽山」という印銘、そして「好 其心」という掻銘がありますが、「好」のつくりの「子」が釉薬で消えて「女」に見えるのは御愛嬌でしょう。

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小堀宗明:茶人。遠州流十一世。父は十世小堀宗有。名は正徳。別号に其心庵・一貫子・徳翁。近代茶道隆昌の時運に乗り小堀家の復興を果たす。大徳寺塔頭孤篷庵内に茶室「其心庵」を営む。門下に石黒・団・三井氏などの政財界の数寄者を多数迎え入れ泰和会を組織した。昭和37年(1962)歿、84才。

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このような茶碗を入手するあたっては、たとえ遠州流以外の方でも清水楽山と小堀宗明との関係や号などもきちんと理解していないと食指が動かないものですね。



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清水楽山:(しみず らくざん)1894年(明治27)~1969年(昭和44)) 大正窯。三重県四日市出身。 15歳で万古焼の修行をしたが、当時の万古焼は大量生産であったため個性を発揮出来ず、大正11年に京都清水焼の勉強のため上京。その後は各地方の有名窯をめぐり歩き、帰郷。後に遠州流小堀宗明により指定御用窯に認定され、雅号を「宗楽」とする。

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清水楽山は苦労して小堀宗明の御用窯になった陶工ですが、モノづくりには苦労が必要だと思います。地道な努力より、すぐにお金や地位、楽さを求める若者には未来はないと小生は考えています。



さて、この茶碗は冒頭で述べたように、清水楽山と小堀宗明の縁がある茶碗だけではなく、「癸巳」という小生と息子の両方の干支にちなんだ茶碗です。家内から購入の是非の相談があった際には「すぐに入手しなさい」と判断しました。



癸巳生まれの男性の性格は「社交性に乏しく一見とっつきにくい感じを与えますが、根は正直で努力家。自分の考えを押し通す頑固さと短気が欠点です。器用貧乏にならないように注意。」だそうですが、よく当たっています



家内が「この茶碗のどこが巳年?」と尋ねるので「高台内の削りと見込みの手跡だよ。」と答えておきました。

この茶碗を観てパパを思い出す日がくるのでしょうか?
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