本作品は羅漢を描いたものか、風習としてある「鬼追い」の行事を元に描いた作品かは不明ですが、いずれにしても倉田松濤の作品において佳作のひとつに入る作品だと思います。
家内も好きな倉田松涛の作品ですが、8月末の帰郷では家内が郷里の骨董店にて他の2作品を購入しました。
*この2作品の紹介は後日また・・・。
鬼追い(羅漢図) 倉田松涛筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱
全体サイズ:横690*縦2040 画サイズ:横560*縦1210
鬼の面をかぶった羅漢、そのたいまつの煙には羅漢の姿が描かれています。
本作品は平福穂庵の影響を受け「羅漢図」の作品を数多く描いていた頃の作品ではなかろうかと推察しています。下記の作品のほかにも、本ブログでは倉田松濤が描いた「羅漢図」が2点紹介されています。これらの作品は本ブログの記事を参考にしてください。
羅漢図 小点 倉田松涛筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱入
全体サイズ:横365*縦1345 画サイズ:横180*縦205
羅漢図 倉田松涛筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横370*縦2050 画サイズ:横330*縦1260
「鬼追い」という行事は下記のとおりです。
***************************************
鬼追い:毎年正月7日の夜、末吉の深川熊野神社領域で鬼追いが行われる。この行事は、光明寺の主宰で行なわれていた仏教行事であったが、明治の廃寺後に中絶していた際、悪疫が付近に流行したため、深川の青年たちが再開したものである。
現在は、鬼神太鼓の奉納演奏が境内の幻想的にライトアップされた竹林の中で行われ、その後、無数の御幣を身に纏った鬼が登場する。鬼には25歳の厄男がなり、この鬼に鬼の手を持った「つけ(付添役)」がつく。
この深川の鬼は招福除災の善鬼で、悪鬼のイメージがない。本来、節分のように追われるべき鬼がここでは歓迎され、強烈なパワーで悪疫を退散させるのが熊野神社の鬼追いの特徴である。いよいよ鬼が鬼堂から飛び出すと、空砲、鐘太鼓が激しく鳴り響く中。鬼が参道を暴れまわる。鬼の御幣を持ち帰ると1年健康であると言われるが、そのためには、闇に紛れた鬼に鬼の手で叩かれるのを覚悟しなければならない。鬼が鬼堂に帰ってからは、神社で煎豆が善男善女に配られ、たいへん混雑する。
***************************************
鬼追いの鬼のような人物と煙には羅漢が描かれ、その意図するところは正直解りかねています。
*鬼追いの行事は、仏教行事の修正会(しゅしょうえ)と、日本古層の神思想である来訪神が融合しているとの学説があり、一般には招福除災の性格があると言われています。
少年時代から各地を放浪してまわったらしい倉田松濤が、この行事を伝え聞いたか、実際に観たか不明です。日本の各地の
行事を描いている倉田松濤ですのでその一環として描かれた可能性があることは否定できません。
行事を伝えるとともにその行事の仏教に関わる宗教性も表現しているとすれば、絵の実力が伴った倉田松涛ならではの佳作と言えるのではないでしょうか。
倉田松涛の愛好者はおそらく地元秋田でしかいない画家?、下手をすると郷里でも知っている方が少ない画家ですが、画力は中央画壇の画家に引けをとらない画家だと思っています。
家内が倉田松濤のファンであるように身内に同じ趣向を持つ人がいるのは心強いものです。
また甥が福田豊四郎の作品に興味を示しているようなので、母の一周忌に際しては我が家に伝わる福田豊四郎の作品を甥に譲渡しました。甥はずいぶん前から福田豊四郎の作品を蒐集し始めていたようです。
今はまだライバルになりませんが、そのうち・・・・
家内も好きな倉田松涛の作品ですが、8月末の帰郷では家内が郷里の骨董店にて他の2作品を購入しました。
*この2作品の紹介は後日また・・・。
鬼追い(羅漢図) 倉田松涛筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱
全体サイズ:横690*縦2040 画サイズ:横560*縦1210
鬼の面をかぶった羅漢、そのたいまつの煙には羅漢の姿が描かれています。
本作品は平福穂庵の影響を受け「羅漢図」の作品を数多く描いていた頃の作品ではなかろうかと推察しています。下記の作品のほかにも、本ブログでは倉田松濤が描いた「羅漢図」が2点紹介されています。これらの作品は本ブログの記事を参考にしてください。
羅漢図 小点 倉田松涛筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱入
全体サイズ:横365*縦1345 画サイズ:横180*縦205
羅漢図 倉田松涛筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横370*縦2050 画サイズ:横330*縦1260
「鬼追い」という行事は下記のとおりです。
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鬼追い:毎年正月7日の夜、末吉の深川熊野神社領域で鬼追いが行われる。この行事は、光明寺の主宰で行なわれていた仏教行事であったが、明治の廃寺後に中絶していた際、悪疫が付近に流行したため、深川の青年たちが再開したものである。
現在は、鬼神太鼓の奉納演奏が境内の幻想的にライトアップされた竹林の中で行われ、その後、無数の御幣を身に纏った鬼が登場する。鬼には25歳の厄男がなり、この鬼に鬼の手を持った「つけ(付添役)」がつく。
この深川の鬼は招福除災の善鬼で、悪鬼のイメージがない。本来、節分のように追われるべき鬼がここでは歓迎され、強烈なパワーで悪疫を退散させるのが熊野神社の鬼追いの特徴である。いよいよ鬼が鬼堂から飛び出すと、空砲、鐘太鼓が激しく鳴り響く中。鬼が参道を暴れまわる。鬼の御幣を持ち帰ると1年健康であると言われるが、そのためには、闇に紛れた鬼に鬼の手で叩かれるのを覚悟しなければならない。鬼が鬼堂に帰ってからは、神社で煎豆が善男善女に配られ、たいへん混雑する。
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鬼追いの鬼のような人物と煙には羅漢が描かれ、その意図するところは正直解りかねています。
*鬼追いの行事は、仏教行事の修正会(しゅしょうえ)と、日本古層の神思想である来訪神が融合しているとの学説があり、一般には招福除災の性格があると言われています。
少年時代から各地を放浪してまわったらしい倉田松濤が、この行事を伝え聞いたか、実際に観たか不明です。日本の各地の
行事を描いている倉田松濤ですのでその一環として描かれた可能性があることは否定できません。
行事を伝えるとともにその行事の仏教に関わる宗教性も表現しているとすれば、絵の実力が伴った倉田松涛ならではの佳作と言えるのではないでしょうか。
倉田松涛の愛好者はおそらく地元秋田でしかいない画家?、下手をすると郷里でも知っている方が少ない画家ですが、画力は中央画壇の画家に引けをとらない画家だと思っています。
家内が倉田松濤のファンであるように身内に同じ趣向を持つ人がいるのは心強いものです。
また甥が福田豊四郎の作品に興味を示しているようなので、母の一周忌に際しては我が家に伝わる福田豊四郎の作品を甥に譲渡しました。甥はずいぶん前から福田豊四郎の作品を蒐集し始めていたようです。
今はまだライバルになりませんが、そのうち・・・・