週末は家内が入院している病院に行ったり、クリーニングだ、掃除だ、趣味だ、炊事だ、洗濯だとあたふたと動き回っています。前の家内も入院が長引いた時もあるので一人であれこれするのは慣れており、さらに今のかみさんにまたうまく教育され、家のことは苦にはなりませんが、一番肝要なのはあれこれやろうと焦らないことのようです。
やるなら順序だてて・・、ただし順序どおりうまくいかなくてもイライラしないことですね。人生、考えた通りにはうまくいかないもの・・・。世の男性諸君、家事でも仕事でも同じことのようです。家事のほうがより出来栄えが現実的・・・
さて本日の画家、十市石谷の作品は以前に下記の作品を投稿しています。
青緑山水図 十市石谷筆絹本水墨着色 合箱 識書二通
全体サイズ:縦1730*横365 画サイズ:縦1020*横485
上記の作品はなかなかよくできた青緑山水画です。本日はまったく趣が異なる作品です。
玉堂富貴図 十市石谷筆
紙本水墨淡彩 軸先 合箱
全体サイズ:縦2020*横500 画サイズ:縦1270*横370
印章は「石谷」の白文朱方印と「十賚」の朱文白方印が押印されています。
題名の「玉堂富貴」は文人画の画題のひとつで中国伝統の吉祥画題です。牡丹(ぼたん)の花を主として、蘭と海棠(かいどう)とを添えます。「
富貴花」と呼ばれる牡丹、「玉蘭花」と呼ばれる木蓮と「堂」は海棠を組み合わせて描くことで、「玉堂富貴」という伝統的な吉祥画です。本作品はその手前に煎茶道具が描かれています。
十市石谷 (とおち-せきこく) :1793−1853 江戸時代後期の画家。寛政5年生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)杵築(きつき)藩士。文人画家の田能村竹田と親交があり,また長崎の鉄翁祖門は「古法をもちてよく新趣をいだす」と石谷の画を評しています。嘉永(かえい)6年死去。61歳。名は賚。字(あざな)は子(士)元。通称は恕輔。別号に霞村。
「出張鑑定に依頼人が持参した掛軸」とインターネットにあり、「なんでも鑑定団」にお出品された作品があるようです。本人評価額は10万円であったが、鑑定額は20万円だった。鑑定士は、「十市石谷の本物で江戸時代末期に描かれた掛軸で、鶴の羽のふんわり感が非常に温かく生命感が出ている良い絵」と評していた・・・とありますが詳細は不明です。
十市王洋(とおち-おうよう):?−1897 江戸後期-明治時代の日本画家。十市石谷(せきこく)の子。豊後(ぶんご)(大分県)杵築(きつき)藩士。父に画の手ほどきをうけ,田能村竹田(たのむら-ちくでん)に私淑(ししゅく)。長崎の鉄翁祖門(てっとう-そもん),国学者の物集高世(もずめ-たかよ)にもまなぶ。和歌もよくした。明治30年1月8日死去。名は安居(やすおき)。通称は錫,左衛士。
本作品の購入金額は千円なり・・・。
やるなら順序だてて・・、ただし順序どおりうまくいかなくてもイライラしないことですね。人生、考えた通りにはうまくいかないもの・・・。世の男性諸君、家事でも仕事でも同じことのようです。家事のほうがより出来栄えが現実的・・・
さて本日の画家、十市石谷の作品は以前に下記の作品を投稿しています。
青緑山水図 十市石谷筆絹本水墨着色 合箱 識書二通
全体サイズ:縦1730*横365 画サイズ:縦1020*横485
上記の作品はなかなかよくできた青緑山水画です。本日はまったく趣が異なる作品です。
玉堂富貴図 十市石谷筆
紙本水墨淡彩 軸先 合箱
全体サイズ:縦2020*横500 画サイズ:縦1270*横370
印章は「石谷」の白文朱方印と「十賚」の朱文白方印が押印されています。
題名の「玉堂富貴」は文人画の画題のひとつで中国伝統の吉祥画題です。牡丹(ぼたん)の花を主として、蘭と海棠(かいどう)とを添えます。「
富貴花」と呼ばれる牡丹、「玉蘭花」と呼ばれる木蓮と「堂」は海棠を組み合わせて描くことで、「玉堂富貴」という伝統的な吉祥画です。本作品はその手前に煎茶道具が描かれています。
十市石谷 (とおち-せきこく) :1793−1853 江戸時代後期の画家。寛政5年生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)杵築(きつき)藩士。文人画家の田能村竹田と親交があり,また長崎の鉄翁祖門は「古法をもちてよく新趣をいだす」と石谷の画を評しています。嘉永(かえい)6年死去。61歳。名は賚。字(あざな)は子(士)元。通称は恕輔。別号に霞村。
「出張鑑定に依頼人が持参した掛軸」とインターネットにあり、「なんでも鑑定団」にお出品された作品があるようです。本人評価額は10万円であったが、鑑定額は20万円だった。鑑定士は、「十市石谷の本物で江戸時代末期に描かれた掛軸で、鶴の羽のふんわり感が非常に温かく生命感が出ている良い絵」と評していた・・・とありますが詳細は不明です。
十市王洋(とおち-おうよう):?−1897 江戸後期-明治時代の日本画家。十市石谷(せきこく)の子。豊後(ぶんご)(大分県)杵築(きつき)藩士。父に画の手ほどきをうけ,田能村竹田(たのむら-ちくでん)に私淑(ししゅく)。長崎の鉄翁祖門(てっとう-そもん),国学者の物集高世(もずめ-たかよ)にもまなぶ。和歌もよくした。明治30年1月8日死去。名は安居(やすおき)。通称は錫,左衛士。
本作品の購入金額は千円なり・・・。