瀟湘八景の名前を覚えるにはよいかと二、三千円で購入してきた作品です。瀟湘八景、近江八景を諳んじれる人はなかなかいない。ついでに金沢八景・・・
瀟相八景図 狩野素川筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:横940*縦1520 画サイズ:横750*横505
素川は50代で章信と改めたが、それまでは号は大玄齋、素川(そせん)であり。章信と署名するようになってからは、両者とも用いなくなったということから、本作品は50歳前の作品であると推察されます。印章は「大玄斎」の朱文八角印が押印されています。
瀟湘八景:(しょうしょう はっけい)。中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。北宋時代の高級官僚・宋迪はこの地に赴任したときにこの景色を山水図として画いた。後にこの画題が流行し、やがては日本にも及んだ。有名な桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。
瀟湘夜雨 [しょうしょう やう]:永州市蘋島・瀟湘亭。瀟湘の上にもの寂しく降る夜の雨の風景。
平沙落雁 [へいさ らくがん]:衡陽市回雁峰。秋の雁が鍵になって干潟に舞い降りてくる風景。
烟寺晩鐘 [えんじ ばんしょう]:煙寺晩鐘とも。衡山県清涼寺。夕霧に煙る遠くの寺より届く鐘の音を聞きながら迎える夜。
山市晴嵐 [さんし せいらん]:湘潭市昭山。山里が山霞に煙って見える風景。
江天暮雪 [こうてん ぼせつ ]:長沙市橘子洲。日暮れの河の上に舞い降る雪の風景。
漁村夕照 [ぎょそん せきしょう]:桃源県武陵渓。夕焼けに染まるうら寂しい漁村の風景。
洞庭秋月 [どうてい しゅうげつ]:岳陽市岳陽楼。洞庭湖の上にさえ渡る秋の月。
遠浦帰帆 [おんぽ きはん]:湘陰県県城・湘江沿岸。帆かけ舟が夕暮れどきに遠方より戻ってくる風景。
全風景は含まれないものの、瀟相八景図と称してよい作品かと思われます。
今は箱もなく打ち捨てられた作品ですが、昔はそれなりのお屋敷にしかなかった作品だったのでしょうね。
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狩野 章信:(かのう おさのぶ)明和2年(1765年)〜文政9年10月2日(1826年11月1日)。江戸時代中期から後期に活躍した狩野派の絵師。江戸幕府御用絵師を勤める表絵師浅草猿屋町代地狩野家5代目。幼名は仙次郎、のち外記。名は彰信、50代で章信と改める。号は大玄齋、素川(そせん)だが、章信と署名するようになってからは、両者とも用いなくなったという。
狩野派にありながら浮世絵美人画にも学んだ、洒脱で機知に富んだ独特の画風は「素川風」と評された。
狩野賢信(かたのぶ)の子。父の跡をうけて浅草猿屋町代地狩野家をついだ。一説では宇多川徳元の子とされる。木挽町(こびきちょう)狩野家の伊川に匹敵する実力者といわれた。文政9年10月2日死去。62歳。
浅草猿屋町代地狩野家は、狩野永徳の弟子・祖酉秀信を祖とする表絵師の家系である。4代目の寿石賢信から継いだが、実父は宇多川徳元だとされる。1800年(寛政12年)数え36歳で若隠居し、花街での遊蕩を好んだ。吉原の老妓の門弟も多かったという。粉本に依らない軽妙洒脱な画風で人気を博し、当時の狩野派内で最も有力だった狩野栄信のライバルと言われた。
居宅に高楼を建てる趣味人で、『画道伝授口訣』という著作もある。章信はいつも手ぬぐいを頭に被り脱がなかったという逸話が残るが、これは田沼候に招かれる際の出来事が元になっているという。自分は寒がりなので頭巾を外せないが、それでも良ければ参上すると答のが認められ、諸人がこれを真似たという。
弟子に、6代目の寿石圭信、川越城の杉戸絵を手掛けた舩津蘭山など。また、増上寺の「五百羅漢図」で知られる狩野一信も章信に学んだと言われる。
狩野派にはもうひとり「素川」と号する画家がいますので要注意です。。
狩野信政:(かのう-のぶまさ) 1607〜1658 江戸時代前期の画家。慶長12年生まれ。狩野祖酉(そゆう)の長男。狩野孝信の娘婿,のち探幽の娘婿となる。東福門院の御用絵師をつとめ,代表作に聖衆来迎寺客殿の障壁画がある。明暦4年4月15日死去。52歳。通称は外記。号は素川。
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瀟相八景図 狩野素川筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:横940*縦1520 画サイズ:横750*横505
素川は50代で章信と改めたが、それまでは号は大玄齋、素川(そせん)であり。章信と署名するようになってからは、両者とも用いなくなったということから、本作品は50歳前の作品であると推察されます。印章は「大玄斎」の朱文八角印が押印されています。
瀟湘八景:(しょうしょう はっけい)。中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。北宋時代の高級官僚・宋迪はこの地に赴任したときにこの景色を山水図として画いた。後にこの画題が流行し、やがては日本にも及んだ。有名な桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。
瀟湘夜雨 [しょうしょう やう]:永州市蘋島・瀟湘亭。瀟湘の上にもの寂しく降る夜の雨の風景。
平沙落雁 [へいさ らくがん]:衡陽市回雁峰。秋の雁が鍵になって干潟に舞い降りてくる風景。
烟寺晩鐘 [えんじ ばんしょう]:煙寺晩鐘とも。衡山県清涼寺。夕霧に煙る遠くの寺より届く鐘の音を聞きながら迎える夜。
山市晴嵐 [さんし せいらん]:湘潭市昭山。山里が山霞に煙って見える風景。
江天暮雪 [こうてん ぼせつ ]:長沙市橘子洲。日暮れの河の上に舞い降る雪の風景。
漁村夕照 [ぎょそん せきしょう]:桃源県武陵渓。夕焼けに染まるうら寂しい漁村の風景。
洞庭秋月 [どうてい しゅうげつ]:岳陽市岳陽楼。洞庭湖の上にさえ渡る秋の月。
遠浦帰帆 [おんぽ きはん]:湘陰県県城・湘江沿岸。帆かけ舟が夕暮れどきに遠方より戻ってくる風景。
全風景は含まれないものの、瀟相八景図と称してよい作品かと思われます。
今は箱もなく打ち捨てられた作品ですが、昔はそれなりのお屋敷にしかなかった作品だったのでしょうね。
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狩野 章信:(かのう おさのぶ)明和2年(1765年)〜文政9年10月2日(1826年11月1日)。江戸時代中期から後期に活躍した狩野派の絵師。江戸幕府御用絵師を勤める表絵師浅草猿屋町代地狩野家5代目。幼名は仙次郎、のち外記。名は彰信、50代で章信と改める。号は大玄齋、素川(そせん)だが、章信と署名するようになってからは、両者とも用いなくなったという。
狩野派にありながら浮世絵美人画にも学んだ、洒脱で機知に富んだ独特の画風は「素川風」と評された。
狩野賢信(かたのぶ)の子。父の跡をうけて浅草猿屋町代地狩野家をついだ。一説では宇多川徳元の子とされる。木挽町(こびきちょう)狩野家の伊川に匹敵する実力者といわれた。文政9年10月2日死去。62歳。
浅草猿屋町代地狩野家は、狩野永徳の弟子・祖酉秀信を祖とする表絵師の家系である。4代目の寿石賢信から継いだが、実父は宇多川徳元だとされる。1800年(寛政12年)数え36歳で若隠居し、花街での遊蕩を好んだ。吉原の老妓の門弟も多かったという。粉本に依らない軽妙洒脱な画風で人気を博し、当時の狩野派内で最も有力だった狩野栄信のライバルと言われた。
居宅に高楼を建てる趣味人で、『画道伝授口訣』という著作もある。章信はいつも手ぬぐいを頭に被り脱がなかったという逸話が残るが、これは田沼候に招かれる際の出来事が元になっているという。自分は寒がりなので頭巾を外せないが、それでも良ければ参上すると答のが認められ、諸人がこれを真似たという。
弟子に、6代目の寿石圭信、川越城の杉戸絵を手掛けた舩津蘭山など。また、増上寺の「五百羅漢図」で知られる狩野一信も章信に学んだと言われる。
狩野派にはもうひとり「素川」と号する画家がいますので要注意です。。
狩野信政:(かのう-のぶまさ) 1607〜1658 江戸時代前期の画家。慶長12年生まれ。狩野祖酉(そゆう)の長男。狩野孝信の娘婿,のち探幽の娘婿となる。東福門院の御用絵師をつとめ,代表作に聖衆来迎寺客殿の障壁画がある。明暦4年4月15日死去。52歳。通称は外記。号は素川。
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