先日、墓参りの際に男の隠れ家に立ち寄ってきましたが、東京の暑さとは違い非常に心地よい天気でした。
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庭には各種の花が満開・・・。
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庭からの眺めも都会とは一味も二味も違う過ごしやすいものです。
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古い民家の良さを久方ぶりに満喫してきました。
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さて本日は前回の九谷とはうって変わった作品のです。
古九谷に分類される器群には五彩手というのがあるようです。当方のような素人には詳しくわかりませんが、こちらの作品群も青手と同じく多くの古九谷を倣った作品が数多くあるため、その見極めは非常に難しいものとなっているようです。恐れをなした手控えているといつまでもその分野の知見が蓄えられないと覚悟を決めて、何度も挑戦するのは当方の悪い癖かもしれません。本日はその五彩手らしき作品の紹介です。
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伝色絵古九谷 葡萄双鳥文台付輪花菓子鉢誂箱口径244*高台径*高さ60
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古九谷の生まれた背景として高価な色絵顔料を大量に使用した色絵古九谷や青手古九谷の生産は、染付に比べて桁違いにコストが掛かった事は容易に推測でき、加賀藩前田家、大名家、関西富裕商人などの裕福な人々が主な購買層であったようです。
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特に加賀前田家は中国磁器(古染付、祥瑞、南京赤絵等)の愛着が深かった事で知られているそうです。1640年代の明・清王朝交代に伴う内乱によって景徳鎮磁器が海外輸出の中断を余儀なくされると、代替品となる国産の高級色絵磁器を求める声が急速に高まりました。
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前田家屋敷跡(東京大学本郷構内遺跡)からは五彩手を中心に質の高い古九谷が出土しており、富裕層は豪奢な宴席で魚などを盛り付ける大皿を好んだ事から、その要望から国内でも当時は存在の少なかった40cmを超える古九谷大皿が生産されたようです。
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色絵 (五彩手)の誕生したのは1640年代のようです。この頃に中国陶磁の影響を受けて古九谷様式に属する色絵磁器が作られます。この作品は「九谷五彩」と呼ばれ、約1,300℃で本焼きされた色絵素地の白地に緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して、錦窯に入れて低火度の約800℃で絵付けされた作品とされています。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれます。中国の明末期から清朝にての五彩手の影響を受けているのでしょうが、決定的な違いは余白の大きい作風となっていることとされています。
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器の中央に作品のモチーフを絵画的・写実的に描くことも、この色絵の作品の特徴です。作品の見どころは、屏風や掛軸から器へ抜け出してきたかのような絵画を描いた、熟練された絵付けの筆づかいです。筆致に少しの渋滞も見られず、のびのびとして柔らかく、構図の巧みなところから、絵付は絵師から習っていたものと推定されています。
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一方で色絵の古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われ、大皿 (大平鉢) から小皿 (端皿) に至るまで、中国風の人物・動物・山水 (風景) を見事に描写した名品が数多く残されています。
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裏面には草花文などの文様を丁寧に描き、高台内には、染付に「角福」、「誉」等の様々な銘款が用いられました。
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口縁の外周部に鉄釉にて縁を塗る技法は中国にもあります。明末期の中国の作品では基本的に胎土や釉薬の粗雑さを隠すためとされています。日本が中国のそれを倣ったものと考えていいのでしょう。
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古九谷では多くの作品で虹彩が発色されてます。これは古九谷に限ったことではなく、贋作似ても意図的に発色させることも可能ですので、決め手となるのはそれが自然な発色か否かでしょう。
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真贋については当方で判断できる術はありませんが、ともかくある程度の古九谷としての諸条件はクリアしているようです。
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今後の知見をさらに増やしていこうと思います。

庭には各種の花が満開・・・。

庭からの眺めも都会とは一味も二味も違う過ごしやすいものです。

古い民家の良さを久方ぶりに満喫してきました。

さて本日は前回の九谷とはうって変わった作品のです。
古九谷に分類される器群には五彩手というのがあるようです。当方のような素人には詳しくわかりませんが、こちらの作品群も青手と同じく多くの古九谷を倣った作品が数多くあるため、その見極めは非常に難しいものとなっているようです。恐れをなした手控えているといつまでもその分野の知見が蓄えられないと覚悟を決めて、何度も挑戦するのは当方の悪い癖かもしれません。本日はその五彩手らしき作品の紹介です。

伝色絵古九谷 葡萄双鳥文台付輪花菓子鉢誂箱口径244*高台径*高さ60

古九谷の生まれた背景として高価な色絵顔料を大量に使用した色絵古九谷や青手古九谷の生産は、染付に比べて桁違いにコストが掛かった事は容易に推測でき、加賀藩前田家、大名家、関西富裕商人などの裕福な人々が主な購買層であったようです。

特に加賀前田家は中国磁器(古染付、祥瑞、南京赤絵等)の愛着が深かった事で知られているそうです。1640年代の明・清王朝交代に伴う内乱によって景徳鎮磁器が海外輸出の中断を余儀なくされると、代替品となる国産の高級色絵磁器を求める声が急速に高まりました。

前田家屋敷跡(東京大学本郷構内遺跡)からは五彩手を中心に質の高い古九谷が出土しており、富裕層は豪奢な宴席で魚などを盛り付ける大皿を好んだ事から、その要望から国内でも当時は存在の少なかった40cmを超える古九谷大皿が生産されたようです。

色絵 (五彩手)の誕生したのは1640年代のようです。この頃に中国陶磁の影響を受けて古九谷様式に属する色絵磁器が作られます。この作品は「九谷五彩」と呼ばれ、約1,300℃で本焼きされた色絵素地の白地に緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して、錦窯に入れて低火度の約800℃で絵付けされた作品とされています。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれます。中国の明末期から清朝にての五彩手の影響を受けているのでしょうが、決定的な違いは余白の大きい作風となっていることとされています。

器の中央に作品のモチーフを絵画的・写実的に描くことも、この色絵の作品の特徴です。作品の見どころは、屏風や掛軸から器へ抜け出してきたかのような絵画を描いた、熟練された絵付けの筆づかいです。筆致に少しの渋滞も見られず、のびのびとして柔らかく、構図の巧みなところから、絵付は絵師から習っていたものと推定されています。

一方で色絵の古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われ、大皿 (大平鉢) から小皿 (端皿) に至るまで、中国風の人物・動物・山水 (風景) を見事に描写した名品が数多く残されています。

裏面には草花文などの文様を丁寧に描き、高台内には、染付に「角福」、「誉」等の様々な銘款が用いられました。

口縁の外周部に鉄釉にて縁を塗る技法は中国にもあります。明末期の中国の作品では基本的に胎土や釉薬の粗雑さを隠すためとされています。日本が中国のそれを倣ったものと考えていいのでしょう。

古九谷では多くの作品で虹彩が発色されてます。これは古九谷に限ったことではなく、贋作似ても意図的に発色させることも可能ですので、決め手となるのはそれが自然な発色か否かでしょう。

真贋については当方で判断できる術はありませんが、ともかくある程度の古九谷としての諸条件はクリアしているようです。

今後の知見をさらに増やしていこうと思います。