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Channel: 夜噺骨董談義
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鉄砂唐草茶碗 瀧田項一作

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本日の作品は何通かの手紙が箱の中に収められており、作品の由来がよくわかる作品です。

鉄砂唐草茶碗 瀧田項一作
共布・共箱 銘:渡部良三による
口径160*高台径63*高さ75



銘は「歸雲」と題されています。本作品については幾つかの書付が遺されており、瀧田項一と渡部良三のやり取りから本作品は、瀧田項一が会津若松市飯寺に築窯した初窯の作品(1949年 濱田庄司のもとで3年の修行後福島県会津美里町(旧会津本郷町)に独立築窯)で、30余年後の1989年(昭和64年)8月に瀧田項一に依頼して、箱書にて共箱、共布となったものです。




「歸雲」は杜甫の詩「返照」の「歸雲擁樹失山村(歸雲を擁して山村を失う」からの銘であることが解ります。:四川省成都から長江を下る時に山大谷の町、夔州での作品)



茶碗としての魅力はまだまだ・・。

瀧田項一はご存知のように浜田庄司を師としましたが、浜田庄司の生誕120年を記念しての寄稿に浜田庄司の言葉を記しています。

「私は陶技を学ぶのに10年を費やした。そして、それを忘れるのに20年を要し、ようやく自分の焼き物が作れるようになったと思う。」という言葉です。

理解に苦慮する言葉ですが、浜田庄司は「智識は借り物のごときものである。智識としてとめずすべてを租借吸収して、自分の体内の血液となり細胞となってすべてを忘れ去り、掌の先から滴り出るような仕事こそ、真の作品である。そしてようやくそれができるようにあったら20年もかかった。」と説明しています。



たしかな才能がみられるお茶碗ですね。

浜田庄司はさらに「形の無い所を見なければいけない。」と言われたそうです。古作の優れたものを観るとその外核だけを眺めているが、目に見える形を越えたものをみなけらばならないと・・。



茶碗というものはひとつ間違うとただの安っぽい飯茶碗か漬物入れ・・。

さらに浜田は「人々は木の花を褒めるが、根の深い部分に大切なモノが宿されていることを知らねばならないもの。」と・・。



作陶の中ででおそらく一番天性のものが影響するのはお茶碗でしょうね。常人では計り知れないなにかが・・・・。

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瀧田項一:(たきたこういち(本名は幸一)1927年~。栃木県烏山町(現那須烏山市)出身、東京美術学校で富本憲吉に学び、益子の濱田庄司に3年師事後、 福島県会津本郷の磁土を使い、白磁や色絵の作品で民芸に通じ、健康的な作陶の道を進む。著作出版多数。栃木県文化功労者。



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焼き物には二つの生命があると浜田庄司はいいます。

初めは窯から出たとき、次はその焼き物を持った人の使い方による・・。焼き物は人々の手の中で息づきながら、完成するものなのでしょう。決して投資などの対象ではありません。


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