掛け軸の整理作品の中に藤原啓の書の作品が2点ありましたので、本ブログにてすでに紹介されていますが、改めてその作品を紹介します。
ちなみに備前焼はおそらく人間国宝が一番多い焼き物ではないでしょうか? 故金重陶陽、故藤原啓、故山本陶秀、故藤原雄、伊勢﨑淳の5人が人間国宝(重要無形文化財「備前焼」の保持者)となっていますが、この作家にさらに故藤原建を入れてもよいかと思います。これらの陶芸家の備前焼の作品は本ブログでも紹介されていますが、 書の作品が遺っているのは藤原啓が多いのではないでしょうか?
*陶芸家の藤原雄は藤原啓の長男です。
書「夢」 藤原啓筆紙本水墨 軸先塗 共箱全体サイズ:縦1320*横560 画サイズ:縦391*横520
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藤原啓は少年期から俳句や小説の才能を発揮しており、1915年に博文館が手がける『文章世界』に応募した短編が1等を獲得しています。これを機に1919年に上京し博文館編集部に勤務、『文章世界』の編集を担当します。同郷の正宗白鳥、徳富蘆花の影響を強く受け詩の執筆も始めています。そのかたわら早稲田大学英文科の聴講生となり、ロシア・ドイツ文学やシェイクスピアを学ぶが1年あまりで中退します。その後は川端洋画研究所に通い、3年間デッサンを学んでいます。
1922年、詩集『夕の哀しみ』を出版。1928年には『ハイネの訳詩集』(生田春月との共著)を新潮社より出版。博文館の『婦人之国』の編集などにも携わっていました。1930年、博文館を辞め作家として独立しますがが、自己の文学に限界を感じ強度の精神衰弱に陥ります。
1937年、文学を断念し帰郷します。翌1938年、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始めます。当時40歳という遅いスタートでした。
この経歴からかなりの文化人であったことがうかがわれます。
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1948年に国認定の技術保存資格者(丸技)の資格(この時点は備前焼では他に金重陶陽、山本陶秀のみ)を受けたのを機に作陶への生涯を決意します。金重陶陽や北大路魯山人らからも指導を受け、技術向上に邁進しています。特に金重陶陽が先駆となった古備前復興の継承に尽力します。
桃山古備前の技法を基礎にしながらも、窯の中での自然の変容を生かした近代的な造形が特徴となります。師である金重とは対照的で素朴で大らかな作品が、古くから受け継がれた備前焼の新たな展開を示し、後進へ大きな影響を与えました。
本作品は共箱の誂えとなっています。![]()
もう一点は下記の作品です。
梅の花と歌図 藤原啓筆紙本水墨淡彩 牙細工 共箱入全体サイズ:縦1328*横486 画サイズ:横345*縦345
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1954年、魯山人の斡旋で日本橋髙島屋にて個展を開催。同年、岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定。1958年には日本工芸理事に就任。1962年プラハ国際陶芸賞を受賞。1970年4月25日、重要無形文化財「備前焼」保持者に認定。1972年、勲四等旭日章を受章。1976年には備前市名誉市民となっています。同年備前市には財団法人藤原啓記念館が設立されており、藤原啓自身の作品や数々の古備前を展示しています。1983年、肝臓ガンのため岡山大学付属病院にて逝去。同日、勲三等瑞宝章を受章しました。
賛には「梅の花 雪より白く 咲きほこる 山の裾野は 春の香りに満つ」とあります。
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「啓」の落款と印があり、箱の裏には「梅の花と歌」と題され、「啓」の落款と印章があります。
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共箱に誂えられ、表具も2作品ともキチンとこだわって施されています。
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このような作品を観るととまた焼き物に対する鑑賞も一味違いますね。当方の所蔵作品にも藤原啓の作品が何点かあります。
備前火襷茶碗 藤原啓作共箱口径108*高さ82*高台径57
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ガラクタばかりの蒐集作品ですが、たまには使ってみようかと思っています。
水指 藤原啓作共箱 高さ205*胴径165*底径105*蓋径108
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この備前焼は母が叔父から頂いた作品です。
備前花入 藤原啓作共箱高さ238*胴系110*底径106
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この花入れも母が茶道を嗜むことから叔父から譲り受けた作品です。当方のガラクタの中には多くの備前焼がありますが、本日紹介した作品を含めてほとんど本ブログにて紹介しています。備前焼だけを一度展示してみようかと思っています。
ちなみに備前焼はおそらく人間国宝が一番多い焼き物ではないでしょうか? 故金重陶陽、故藤原啓、故山本陶秀、故藤原雄、伊勢﨑淳の5人が人間国宝(重要無形文化財「備前焼」の保持者)となっていますが、この作家にさらに故藤原建を入れてもよいかと思います。これらの陶芸家の備前焼の作品は本ブログでも紹介されていますが、 書の作品が遺っているのは藤原啓が多いのではないでしょうか?
*陶芸家の藤原雄は藤原啓の長男です。
書「夢」 藤原啓筆紙本水墨 軸先塗 共箱全体サイズ:縦1320*横560 画サイズ:縦391*横520

藤原啓は少年期から俳句や小説の才能を発揮しており、1915年に博文館が手がける『文章世界』に応募した短編が1等を獲得しています。これを機に1919年に上京し博文館編集部に勤務、『文章世界』の編集を担当します。同郷の正宗白鳥、徳富蘆花の影響を強く受け詩の執筆も始めています。そのかたわら早稲田大学英文科の聴講生となり、ロシア・ドイツ文学やシェイクスピアを学ぶが1年あまりで中退します。その後は川端洋画研究所に通い、3年間デッサンを学んでいます。
1922年、詩集『夕の哀しみ』を出版。1928年には『ハイネの訳詩集』(生田春月との共著)を新潮社より出版。博文館の『婦人之国』の編集などにも携わっていました。1930年、博文館を辞め作家として独立しますがが、自己の文学に限界を感じ強度の精神衰弱に陥ります。
1937年、文学を断念し帰郷します。翌1938年、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始めます。当時40歳という遅いスタートでした。
この経歴からかなりの文化人であったことがうかがわれます。

1948年に国認定の技術保存資格者(丸技)の資格(この時点は備前焼では他に金重陶陽、山本陶秀のみ)を受けたのを機に作陶への生涯を決意します。金重陶陽や北大路魯山人らからも指導を受け、技術向上に邁進しています。特に金重陶陽が先駆となった古備前復興の継承に尽力します。
桃山古備前の技法を基礎にしながらも、窯の中での自然の変容を生かした近代的な造形が特徴となります。師である金重とは対照的で素朴で大らかな作品が、古くから受け継がれた備前焼の新たな展開を示し、後進へ大きな影響を与えました。
本作品は共箱の誂えとなっています。

もう一点は下記の作品です。
梅の花と歌図 藤原啓筆紙本水墨淡彩 牙細工 共箱入全体サイズ:縦1328*横486 画サイズ:横345*縦345

1954年、魯山人の斡旋で日本橋髙島屋にて個展を開催。同年、岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定。1958年には日本工芸理事に就任。1962年プラハ国際陶芸賞を受賞。1970年4月25日、重要無形文化財「備前焼」保持者に認定。1972年、勲四等旭日章を受章。1976年には備前市名誉市民となっています。同年備前市には財団法人藤原啓記念館が設立されており、藤原啓自身の作品や数々の古備前を展示しています。1983年、肝臓ガンのため岡山大学付属病院にて逝去。同日、勲三等瑞宝章を受章しました。
賛には「梅の花 雪より白く 咲きほこる 山の裾野は 春の香りに満つ」とあります。

「啓」の落款と印があり、箱の裏には「梅の花と歌」と題され、「啓」の落款と印章があります。

共箱に誂えられ、表具も2作品ともキチンとこだわって施されています。

このような作品を観るととまた焼き物に対する鑑賞も一味違いますね。当方の所蔵作品にも藤原啓の作品が何点かあります。
備前火襷茶碗 藤原啓作共箱口径108*高さ82*高台径57

ガラクタばかりの蒐集作品ですが、たまには使ってみようかと思っています。
水指 藤原啓作共箱 高さ205*胴径165*底径105*蓋径108

この備前焼は母が叔父から頂いた作品です。
備前花入 藤原啓作共箱高さ238*胴系110*底径106

この花入れも母が茶道を嗜むことから叔父から譲り受けた作品です。当方のガラクタの中には多くの備前焼がありますが、本日紹介した作品を含めてほとんど本ブログにて紹介しています。備前焼だけを一度展示してみようかと思っています。