帰省した自宅の家のテーブルには自作の菓子器があります。母がいつも使ってくれていました。
仕事で秋田市に在住していた頃に保戸野窯で作った作品です。以前にも本ブログに投稿したことがあります。
菓子器を作ろうとその日に思い立ち、削りは心の赴くまま・・。
当時、仕事でかなり難しい局面になっていたので、休みだけは必ずとり大いに気分転換したものです。それが陶芸でした。
取手の周りには切手を貼って呉須をスプレー・・・ その場でのアイデア・・・。
稚拙であれ、手の赴くままに土を捏ねているともう無我夢中です。陶芸教室といいながらかなり自由に土や釉薬を使えたので自分のその場の構想で思い切ったことがやれました。
稚拙な技術ですので、土はすぐに固くなるので待ってくれません。設計図などありませんし、こちらも時間がないのでその場のアイデア勝負・・
釉薬もあっというまに掛けなくてはなりません。釉薬の掛け方・・、これが意外に難しい。ものづくりをする人はなにか別のものづくりに挑戦することは必要不可欠のように思います。必ず役に立つことを学ぶことができるように感じました。
出来上がりはとても稚拙なので、自分で使うか母が使うくらいですが、でも欲しいという方という奇特な方もいたのです
自作の作品はたくさんありますが、もっと今でも作りたいと思っています。仕事をリタイヤしたら思いっきり作りたいものです。リタイヤしたら打ち込めるなにかがないと退屈でしょうがない
さて、本日の作品は技量充分の作品・・。当方での問題はいつ、どこで作られた作品かということにようです。実に悩ましい・・。
「大明成化年製」と銘のある作品が中国陶磁器かと思ったら大間違いです。そのほとんどが日本の伊万里を中心とした作品です。出来のよい古伊万里の作品なら良いのですが、その多くが出来の悪い作品にまで著されています。
ただ中国陶磁器の書かれることも多く、その多くが中国の明中期の成化年間(1465~1487)に制作されたものではなく、清時代になって模倣された作品に書かれた作品がほとんどです。中国のものでも明らかな贋作と真面目に作られたものと大別できます。真面目に作られたものは最近の出来のごとくきれいなようです。
清初赤絵金襴手 雲龍紋茶碗
「大明成化年製」款 合箱入
口径135*高さ80*高台径60
本作品は伊万里などの日本製か中国で製作されたものか判断に迷うところですが、欲目にみると銘の書き方、出来から判断して清初めに中国で明の金襴手を模倣して製作されたものではないかという推察ができます。
明時代の作品の模倣のようですが、真面目な作と思われます。金襴手という作品群に分類されるのではないかと思います。
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金襴手:赤絵,色絵などに金彩を加えたもの。色釉と金との配色が織物の金襴の趣に似ているところから,この名が出た。中国宋代に始り,明・清代に極度に発達,碗がもっと多い。この刺激により日本では江戸時代中期から作られ、江戸後期以降 京焼や 九谷焼で模作が試みられた。とくに 永楽保全・和全父子が名手として名高い。また赤絵の上に金彩が施されたものを赤絵金襴手といいます。
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最近の模倣作・・・・??? このようなくずした銘は書かないように思いますが・・・???
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大明成化年製の銘のある焼き物:本来は中国の明中期の成化年間(1465~1487)に景徳鎮の成化という釜で焼かれた製品に書かれているもの。後日に製作された模倣にも書かれる。日本の古伊万里と呼ばれる時代に焼かれた焼物にも「○○年製」と書かれたものが多数あるが、これは中国で焼かれた焼き物を手本として写しを行っていたため、銘も一つの模様と捉えた結果、日本の古伊万里にも「○○年製」と書かれた焼物が作られていた。 また、「○○年製」と書かれた煎茶碗は本場中国でも多数の偽物が出回っており、偽物はわざと汚して売られていたり、高台に砂をつけて焼かれたり、それらしく見せかけているのが特徴で、分かりやすい物は素人が見ても判断する事ができます。
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とにもかくにも出来が良いので、最終的には伊万里でも中国陶磁器でも当方としてはかまわないのです。当方の自作の作品とは大違い・・・。
仕事で秋田市に在住していた頃に保戸野窯で作った作品です。以前にも本ブログに投稿したことがあります。
菓子器を作ろうとその日に思い立ち、削りは心の赴くまま・・。
当時、仕事でかなり難しい局面になっていたので、休みだけは必ずとり大いに気分転換したものです。それが陶芸でした。
取手の周りには切手を貼って呉須をスプレー・・・ その場でのアイデア・・・。
稚拙であれ、手の赴くままに土を捏ねているともう無我夢中です。陶芸教室といいながらかなり自由に土や釉薬を使えたので自分のその場の構想で思い切ったことがやれました。
稚拙な技術ですので、土はすぐに固くなるので待ってくれません。設計図などありませんし、こちらも時間がないのでその場のアイデア勝負・・
釉薬もあっというまに掛けなくてはなりません。釉薬の掛け方・・、これが意外に難しい。ものづくりをする人はなにか別のものづくりに挑戦することは必要不可欠のように思います。必ず役に立つことを学ぶことができるように感じました。
出来上がりはとても稚拙なので、自分で使うか母が使うくらいですが、でも欲しいという方という奇特な方もいたのです
自作の作品はたくさんありますが、もっと今でも作りたいと思っています。仕事をリタイヤしたら思いっきり作りたいものです。リタイヤしたら打ち込めるなにかがないと退屈でしょうがない
さて、本日の作品は技量充分の作品・・。当方での問題はいつ、どこで作られた作品かということにようです。実に悩ましい・・。
「大明成化年製」と銘のある作品が中国陶磁器かと思ったら大間違いです。そのほとんどが日本の伊万里を中心とした作品です。出来のよい古伊万里の作品なら良いのですが、その多くが出来の悪い作品にまで著されています。
ただ中国陶磁器の書かれることも多く、その多くが中国の明中期の成化年間(1465~1487)に制作されたものではなく、清時代になって模倣された作品に書かれた作品がほとんどです。中国のものでも明らかな贋作と真面目に作られたものと大別できます。真面目に作られたものは最近の出来のごとくきれいなようです。
清初赤絵金襴手 雲龍紋茶碗
「大明成化年製」款 合箱入
口径135*高さ80*高台径60
本作品は伊万里などの日本製か中国で製作されたものか判断に迷うところですが、欲目にみると銘の書き方、出来から判断して清初めに中国で明の金襴手を模倣して製作されたものではないかという推察ができます。
明時代の作品の模倣のようですが、真面目な作と思われます。金襴手という作品群に分類されるのではないかと思います。
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金襴手:赤絵,色絵などに金彩を加えたもの。色釉と金との配色が織物の金襴の趣に似ているところから,この名が出た。中国宋代に始り,明・清代に極度に発達,碗がもっと多い。この刺激により日本では江戸時代中期から作られ、江戸後期以降 京焼や 九谷焼で模作が試みられた。とくに 永楽保全・和全父子が名手として名高い。また赤絵の上に金彩が施されたものを赤絵金襴手といいます。
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最近の模倣作・・・・??? このようなくずした銘は書かないように思いますが・・・???
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大明成化年製の銘のある焼き物:本来は中国の明中期の成化年間(1465~1487)に景徳鎮の成化という釜で焼かれた製品に書かれているもの。後日に製作された模倣にも書かれる。日本の古伊万里と呼ばれる時代に焼かれた焼物にも「○○年製」と書かれたものが多数あるが、これは中国で焼かれた焼き物を手本として写しを行っていたため、銘も一つの模様と捉えた結果、日本の古伊万里にも「○○年製」と書かれた焼物が作られていた。 また、「○○年製」と書かれた煎茶碗は本場中国でも多数の偽物が出回っており、偽物はわざと汚して売られていたり、高台に砂をつけて焼かれたり、それらしく見せかけているのが特徴で、分かりやすい物は素人が見ても判断する事ができます。
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とにもかくにも出来が良いので、最終的には伊万里でも中国陶磁器でも当方としてはかまわないのです。当方の自作の作品とは大違い・・・。