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Channel: 夜噺骨董談義
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雪後山水図 平野五岳筆 その3

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都内でも雪が見られるような寒さですが、北国ではこのような程度の雪では積もったとはいいません。この時期にはJRで秋田のPRをしていますが、この寒い時期だからこそ秋田などの雪国に出向いてみたらいかがでしょうか。冬の十和田は絶景ですよ。ストーブ列車も趣が抜群のようです。内陸鉄道、花輪線・・充分に雪の景色を愉しめます。

今日は父の命日。

本日の作品は夏に描いた冬の景色の作品のようです。

雪後山水図 平野五岳筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 湯浅了雅極札・鑑定識箱
全体サイズ:縦2095*横620 画サイズ:縦1565*横480



賛に「壬申夏日」とあることから、1872年平野五岳が61歳の作品と推察されます。夏に冬の山水画を描くことは以前にも記したように、暑気払いとしてよくあることのように思います。

鑑定書には「了雅」と記されており、湯浅了雅という人の鑑定と推察されますが詳細は不明です。

印章は朱文方印「岳」と白文方印「竹邨方外史」が押印されています。遊印は「古竹園主」が押印されています。



この作品を稚拙と見るか、よき作品とみるか・・。



夏に描いたらさぞかし涼しくなったのでしょうね。



賛は良くわかりませんね。「百舌□寒□□風 □蕭帰袖度川原 茅花遠桜萱花白 一□人□□雪井戸 壬申夏日□濃上 □□邨□ 岳 押印」・・・・ん~~、なんて読むのかな?意味は???



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平野五岳:1809(文化6)年~1893(明治26)年 豊後国日田郡幕府領渡里村(現日田市)生まれ。江戸時代後期の画僧。名は岳、字は五岳。号に竹邨方外史、古竹園主、古竹老衲など。

正念寺に生まれ、のち、専念寺の養子となり同寺を継ぐ。11歳の頃から儒学者広瀬淡窓に学び、淡窓の私塾咸宜園の人々と交友する。本格的に画作に取り組み始めた30歳代の頃は、田能村竹田の画に学び描いていたが、50歳代に入った幕末頃より独自の画風を確立していく。実際の景色を描くのではなく省略化された画面は前衛的でもある。

明治初年、日田県知事となった松方正義は五岳の書画を高く評価し、それによって中央でも知られるようになった。文人のたしなみである三絶(詩、書、画)に通じ、高い評価を受けている人物である。

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湯浅了雅:詳細不明

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ところで松方正義をご存知の方は多いと思います。総理大臣を2度務め、日本銀行の創立者でもあります。昔の人は山水画をよく理解したのでしょう。賛も読め、雰囲気を味わい・・、それには大いに自然に慣れ親しむ機会が必要だったと思います。ところで日田は九州・・、雪が降ったことがあったのかな







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