東北地方を中心として発生した大震災。その復興にはかなりの時間がかかると震災直後に記述しましたが、思った以上に復興がすすまないようです。「復興にはかなりの時間がかかる」と記述した理由は原発の問題以外に、高齢化と産業基盤が脆弱な地域であることと記述しました。大切な家族を失った悲しみ、自宅なども含めてすべての財産を失った喪失感は経験した人でないと解らないものです。援助は惜しまないのですが、基本的には自分で立ち上がるしかない・・。来週はまた富岡まで・・。
さて本日は生き残った者と死に至った者・・・。
幕末の動乱期には広く知られていない史実があるものです。天誅組の藤本鉄石は壮絶な最後を遂げます。脱出して生き延びられたのに戻ってきて突撃をして亡くなったのですが、同じくして脱出して生き延びた天誅組主将の中山忠光は生き延びています。ただし後に長府藩士に暗殺され、長府藩(毛利氏)が後に子爵にしかなれなかった遠因をつくることとなります。中山忠光が暗殺された後、難を逃れた侍妾に子が生まれ、忠光の正室の富子は亡き夫の忘れ形見の子「仲子」を大事に育て上げ、結局、愛新覚羅溥儀の弟である溥傑に嫁いだ正親町三条家(嵯峨家)出身の「浩」は、忠光の曾孫にあたることとなります。
逃れて生き延びることを潔しとしなかった藤本鉄石、生き延びた中山忠光のどちらが良いのかは図りかねるところです。
藤本鉄石は人気があるようで、作品をよく見かけますがそれほど遺っているとは思えず、贋作が横行しているように思われますが・・。
浅絳観瀑山水図 藤本鉄石筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先塗 時代箱
全体サイズ:縦1900*横560 画サイズ:縦1180*横420
箱書の題名は「鉄寒士(藤本鉄石の字)浅絳山水観瀑之図」とあります。印章は「藤本真金」の白文朱方印と「鉄園?主」の朱文白方印が押印されています。賛は「遊印 □□□松一譲緑 陰多霞白帰□畏 □□□心□獨 生舩□晩山 □□中山人 押印」とあります。
右下には「源印真金」の印が押印されています。
藤本鉄石の二作品目の投稿となります。一作品目は下記の作品となります。
冬景山水図 藤本鉄石筆
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1720*横500 画サイズ:縦1080*横390
********************************
藤本鉄石:文化13年3月17日(1816年4月14日)~ 文久3年9月25日(1863年11月6日))は幕末の志士・書画家。諱は真金。通称を学治・津之助、字を鋳公。鉄石・鉄寒士・吉備男子・柳間契民・海月浪士・取菊老人・都門売菜翁など多数の号がある。
岡山藩を脱藩し、諸国を遊歴して書画や軍学を学ぶ。京都で絵師として名をなし、尊攘派浪人と交わり志士活動を行った。大和行幸の先駆けとなるべく大和国で挙兵して天誅組を結成し、吉村虎太郎、松本奎堂とともに天誅組三総裁の一人となる。その後、幕府軍の討伐を受けて天誅組は壊滅し、藤本も戦死した。
********************************
詳細は省きますが、藤本鉄石と清河八郎の関係もまた面白いものです。そしてそれを題材とした部分のある藤沢周平の小説「回天の門」・・・。骨董から波及する人間紋様は計り知れないものです。
生き延びた者と死に至った者・・・・、生き抜いた者はそれなりの荷を背負って歩くこととなるのは間違いない。いくら重い荷であっても背負って立ち上がらなくては前には進めない。その気力が少しでも出るように願わずにはいられない。
さて本日は生き残った者と死に至った者・・・。
幕末の動乱期には広く知られていない史実があるものです。天誅組の藤本鉄石は壮絶な最後を遂げます。脱出して生き延びられたのに戻ってきて突撃をして亡くなったのですが、同じくして脱出して生き延びた天誅組主将の中山忠光は生き延びています。ただし後に長府藩士に暗殺され、長府藩(毛利氏)が後に子爵にしかなれなかった遠因をつくることとなります。中山忠光が暗殺された後、難を逃れた侍妾に子が生まれ、忠光の正室の富子は亡き夫の忘れ形見の子「仲子」を大事に育て上げ、結局、愛新覚羅溥儀の弟である溥傑に嫁いだ正親町三条家(嵯峨家)出身の「浩」は、忠光の曾孫にあたることとなります。
逃れて生き延びることを潔しとしなかった藤本鉄石、生き延びた中山忠光のどちらが良いのかは図りかねるところです。
藤本鉄石は人気があるようで、作品をよく見かけますがそれほど遺っているとは思えず、贋作が横行しているように思われますが・・。
浅絳観瀑山水図 藤本鉄石筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先塗 時代箱
全体サイズ:縦1900*横560 画サイズ:縦1180*横420
箱書の題名は「鉄寒士(藤本鉄石の字)浅絳山水観瀑之図」とあります。印章は「藤本真金」の白文朱方印と「鉄園?主」の朱文白方印が押印されています。賛は「遊印 □□□松一譲緑 陰多霞白帰□畏 □□□心□獨 生舩□晩山 □□中山人 押印」とあります。
右下には「源印真金」の印が押印されています。
藤本鉄石の二作品目の投稿となります。一作品目は下記の作品となります。
冬景山水図 藤本鉄石筆
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1720*横500 画サイズ:縦1080*横390
********************************
藤本鉄石:文化13年3月17日(1816年4月14日)~ 文久3年9月25日(1863年11月6日))は幕末の志士・書画家。諱は真金。通称を学治・津之助、字を鋳公。鉄石・鉄寒士・吉備男子・柳間契民・海月浪士・取菊老人・都門売菜翁など多数の号がある。
岡山藩を脱藩し、諸国を遊歴して書画や軍学を学ぶ。京都で絵師として名をなし、尊攘派浪人と交わり志士活動を行った。大和行幸の先駆けとなるべく大和国で挙兵して天誅組を結成し、吉村虎太郎、松本奎堂とともに天誅組三総裁の一人となる。その後、幕府軍の討伐を受けて天誅組は壊滅し、藤本も戦死した。
********************************
詳細は省きますが、藤本鉄石と清河八郎の関係もまた面白いものです。そしてそれを題材とした部分のある藤沢周平の小説「回天の門」・・・。骨董から波及する人間紋様は計り知れないものです。
生き延びた者と死に至った者・・・・、生き抜いた者はそれなりの荷を背負って歩くこととなるのは間違いない。いくら重い荷であっても背負って立ち上がらなくては前には進めない。その気力が少しでも出るように願わずにはいられない。