高台内にある年号を示す銘は数多くありますが、ある程度の製作年代や製作地域の参考にはなりますが、模倣の模倣が多く、決定打にはなりにくいようです。本日の作品はペアの赤絵の作品です。もとは幾つもの揃いがあったのでしょうね。
伝南京赤絵龍禅語文角鉢二客
大明嘉靖年製銘入 箱入
幅217*奥行*高台径*高さ71
伊万里などの日本の陶磁器の底の銘に「大明嘉靖年製」「大明萬暦年製」とあるものが多くありますが、当時の陶器先進国中国製のイミテーションのためにデザインの一部として取り入れたものであると考えられていますので、時代や製作場所とその銘の時代とは直接は関係ありません。
中国においてもまた、とくに古染付には「大明天啓年製」「天啓年製」あるいは「天啓年造」といった款記が底裏に書かれていることがあり、この他にも「天啓佳器」といったものや「大明天啓元年」など年号銘の入ったものも見られます。また年号銘でも「成化年製」「宣徳年製」など偽銘を用いた作例もあります。これらは優品を生み出した過去の陶工に敬意を払いつつも、それまでの様式にとらわれることはなかったようです。款記は正楷書にて二行もしくは三行であらわされるのが慣例とされていましたが、比較的自由に書かれており、まるで文様の一つとして捉えいて、製作年代とはこちらも直接は関係が無いと思われます。
天啓赤絵もまた同様と考えられますが、天啓赤絵の銘は一般的には「天啓年製」などの銘を伴うものが多く、無銘であれば清朝初期の品であると言われていますが真偽のほどは解りません。
本作品は時代や製作場所はわかりませんが、天啓赤絵や南京赤絵に倣ったものと思われます。「大明嘉靖年製」という銘が天啓赤絵や南京赤絵にあるかどうかもまた不明ですが、伊万里などの日本製の可能性もあります。
この作品で特筆すべきは外側の漢詩です。茶席の禅語のひとつですね。龍の絵にも意味があります。
「江國春風吹不起、鷓鴣啼在深花裏 三級浪高魚化龍 癡人猶夜塘水」:江南に春風が吹いても波は起ち上がらず、コジュケイ (鷓鴣しゃこ) の鳴声がするそのさらに奥には花々が咲いていることでしょう。竜門山の三段の滝は波が高く、そこを登りきった魚は竜になると伝えられます、ところがそれを知らないおろかな人は今夜も堤の水を汲みにいくことになるのです。
魚が滝を登ると龍になるという「登龍門」の伝説から来た禅語で、三級とは三段になった見事に高い滝で、中国の龍門山にある滝のこと。科挙の試験場の正門を竜門と呼び、及第して進士となったもの、さらに転じて一般に出世の糸口を「登竜門」といいます。
「どう考えても無理じゃないか…そう思えるようなことにも挑戦する。目の前に大きく立ちはだかる壁があっても、魚は川を上ります。滝を登ります。三段にも連なった高い滝を登りきった鯉は、悟りを開いて龍になるのだという伝説(登竜門)のように、人も目の前に立ちはだかる壁や難問に挑戦し続ければ、それを越えれば素晴らしい境地が待っているのだよ。」という教えです。
それにしても実に愛嬌のある龍ですね。赤絵の出来はもはや南京絵そのもの・・、こちらも実に表現がのびのびしています。ま~とりあえず「伝南京赤絵龍禅語文角鉢二客」とでも本作品は題しておきましょう。いずれ普段使いの器・・。
古伊万里に同じ手の作品があります。
染錦龍禅語文角鉢
縦11.0㎝ 横11.0㎝ 高4.8㎝ 延宝~元禄頃
延宝~元禄頃の伊万里の錦手の鉢にも同じような漢詩と龍が描かれた作品があり、柴田コレⅥ-14と同手です。・・柴田コレクションについては本ブログの投稿作品を参考にしてください。
こちらは氏素性のしっかりとした作品のようですが、表現が面白くない・・。
本作品の氏素性はともかく、漢詩の意味が良い。こういうことがすぐに解るような教養が欲しい
骨董が趣味の方は骨董を通して趣味人、教養人になるべきところ、真贋だけ、金銭的な面だけにとらわれてかえって骨董を趣味とする人は品位の無い人間がやたらに多いのはなぜでしょうか?
伝南京赤絵龍禅語文角鉢二客
大明嘉靖年製銘入 箱入
幅217*奥行*高台径*高さ71
伊万里などの日本の陶磁器の底の銘に「大明嘉靖年製」「大明萬暦年製」とあるものが多くありますが、当時の陶器先進国中国製のイミテーションのためにデザインの一部として取り入れたものであると考えられていますので、時代や製作場所とその銘の時代とは直接は関係ありません。
中国においてもまた、とくに古染付には「大明天啓年製」「天啓年製」あるいは「天啓年造」といった款記が底裏に書かれていることがあり、この他にも「天啓佳器」といったものや「大明天啓元年」など年号銘の入ったものも見られます。また年号銘でも「成化年製」「宣徳年製」など偽銘を用いた作例もあります。これらは優品を生み出した過去の陶工に敬意を払いつつも、それまでの様式にとらわれることはなかったようです。款記は正楷書にて二行もしくは三行であらわされるのが慣例とされていましたが、比較的自由に書かれており、まるで文様の一つとして捉えいて、製作年代とはこちらも直接は関係が無いと思われます。
天啓赤絵もまた同様と考えられますが、天啓赤絵の銘は一般的には「天啓年製」などの銘を伴うものが多く、無銘であれば清朝初期の品であると言われていますが真偽のほどは解りません。
本作品は時代や製作場所はわかりませんが、天啓赤絵や南京赤絵に倣ったものと思われます。「大明嘉靖年製」という銘が天啓赤絵や南京赤絵にあるかどうかもまた不明ですが、伊万里などの日本製の可能性もあります。
この作品で特筆すべきは外側の漢詩です。茶席の禅語のひとつですね。龍の絵にも意味があります。
「江國春風吹不起、鷓鴣啼在深花裏 三級浪高魚化龍 癡人猶夜塘水」:江南に春風が吹いても波は起ち上がらず、コジュケイ (鷓鴣しゃこ) の鳴声がするそのさらに奥には花々が咲いていることでしょう。竜門山の三段の滝は波が高く、そこを登りきった魚は竜になると伝えられます、ところがそれを知らないおろかな人は今夜も堤の水を汲みにいくことになるのです。
魚が滝を登ると龍になるという「登龍門」の伝説から来た禅語で、三級とは三段になった見事に高い滝で、中国の龍門山にある滝のこと。科挙の試験場の正門を竜門と呼び、及第して進士となったもの、さらに転じて一般に出世の糸口を「登竜門」といいます。
「どう考えても無理じゃないか…そう思えるようなことにも挑戦する。目の前に大きく立ちはだかる壁があっても、魚は川を上ります。滝を登ります。三段にも連なった高い滝を登りきった鯉は、悟りを開いて龍になるのだという伝説(登竜門)のように、人も目の前に立ちはだかる壁や難問に挑戦し続ければ、それを越えれば素晴らしい境地が待っているのだよ。」という教えです。
それにしても実に愛嬌のある龍ですね。赤絵の出来はもはや南京絵そのもの・・、こちらも実に表現がのびのびしています。ま~とりあえず「伝南京赤絵龍禅語文角鉢二客」とでも本作品は題しておきましょう。いずれ普段使いの器・・。
古伊万里に同じ手の作品があります。
染錦龍禅語文角鉢
縦11.0㎝ 横11.0㎝ 高4.8㎝ 延宝~元禄頃
延宝~元禄頃の伊万里の錦手の鉢にも同じような漢詩と龍が描かれた作品があり、柴田コレⅥ-14と同手です。・・柴田コレクションについては本ブログの投稿作品を参考にしてください。
こちらは氏素性のしっかりとした作品のようですが、表現が面白くない・・。
本作品の氏素性はともかく、漢詩の意味が良い。こういうことがすぐに解るような教養が欲しい
骨董が趣味の方は骨董を通して趣味人、教養人になるべきところ、真贋だけ、金銭的な面だけにとらわれてかえって骨董を趣味とする人は品位の無い人間がやたらに多いのはなぜでしょうか?