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Channel: 夜噺骨董談義
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贋作考 角花紋花瓶 伝高橋道八作

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そもそも京都の焼き物は魑魅魍魎としてます。仁清風、頴川風、木米風などと称した作品、いわばコピー商品といっていいものまで氾濫しています。いかに多くの人がそれを本物と思い勘違いして所蔵していることか、宝くじの組違いよりもっとひどい勘違いとなります。

郷里のお寺の方から「頴川作」という火入?を見せられたのですが、当方の投稿作品よりも頴川らしくない。父子ともどもに「いいでしょう。」と仰られるのですが、こちらはお答えのしようがないという始末でした。そのお寺の他の所蔵品も見るべきものはない状態でしたが・・。真贋、評価額を気にせず、作品が良ければ面白いのですが・・。

本日は真贋、評価金額を気にせず愉しめる作品のひとつを紹介します。

角花紋花瓶 伝高橋道八作
共箱
口径角*胴幅60角*底径角*高さ220



この作品について売る側は「二代目道八」と主張・・・。「果たしてそうかな~、箱が新しい、印が・・」と独り言。ただ作品が非常に面白いので購入したものです。



底に「道八」の印、箱には「道八陶 ほら貝印の押印」がありますが、残念ながら何代目の高橋道八の作なのか、さらには高橋道八そのものの作なのかという判断は当方の知識ではつきかねます。



後世の何代目かの可能性はある?  宝くじの組違いかも?  どうも箱が嘘くさい・・。



四面に描かれた牡丹が見事、デザインの感性がいい、頴川などの写しの作品のような単なる写しではないように思えます。



本歌の作品があるのか? もともと道八の作品ではない・・・・・・・?? 



骨董というのは日々学ぶこと・・、正直なところ道八の作品はあまり好きではありません。というより京焼そのものが好みではない。魑魅魍魎たる点もしかりですが、近年京焼、高橋道八の作品も含めて女性の着物のよう・・、侘びさびはどこへやら・・。しかしながら本作品のこの大胆なデザインはいい。もともと道八の作品ではないからか?



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高橋道八:京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡。江戸時代後期より作陶に携わり、特に茶道具、煎茶器の名品を輩出し続けてきた。

初代 道八(元文5年(1740年)~文化元年4月26日(1804年6月4日))奥田頴川に師事して興し、現在の九代 道八(昭和48年(1973年)12月 - )まで続いている。

特に二代道八(天明3年(1783年)~ 安政2年5月26日(1855年7月9日)は、1812年に仁和寺宮より法橋に叙せられ、「仁」の一字を、また醍醐三宝院宮より「阿弥」「土師」の号を許され、石山御庭焼・紀州偕楽園御庭焼・讃窯御用窯など各地の御庭焼きや御用窯に尽力し、高橋法橋土師 「仁阿弥」道八と称し、名工として名高い。法螺貝の印があるが、これは薩摩の島津公が道八を訪ねたときに、法螺貝の置物を下賜したことにちなんで作られた印。高橋道八という名では活動をしていなかった事はよく知られていますが、恐らく高橋道八の中でも一番に名を挙げた大人物だったと言われています。



その後の三代は、青花や白磁の制作に成功し名を挙げます。青磁を始めとした雲鶴模様、三島手、刷毛目などの技法を用いて数々の名作を作陶磁しました。

四代は京都府勧業場の御用係で活躍をします。

その後の五代目は一時的に名を継ぐ結果となります。そして、六代目になってからは染付煎茶器で名声を獲得します。

七代目はこちらも活躍をします。

さらに、その七代目の長男であった八代。伝統を守り続けるために、京都府訓練校にて轆轤成形を学び、さらには京都市工業試験場でも釉薬を学んでいます。八代目に師事をしたのが、二女であり、現在では九代目となっています。

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現在はあくまでも「伝」高橋道八です。魑魅魍魎たる骨董の世界・・、作者よりも作品そのものを愉しむべき・・・




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