本日は4月1日、新たなスタートの日です。新入社員の入社式の日でもあります。別れの日々から新たの仲間を迎え入れる日です。なにを話そうかかな・・。
本日の作品、野沢如洋の作品は二作品目となりますので、詳細は省略しますが、青森県弘前市の出身で、その山水画は橋本雅邦や竹内栖鳳から高い評価を得ています。、「馬の如洋」と言われるほど馬の絵が得意ですが、本日は人物画の作品です。
韓信之股潜図 野沢如洋筆 その2
絹本水墨着色軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1810*横510 画サイズ:縦1130*横400
賛には「伏出市人胯恥比噲等肩滅楚還王□興 大正丁巳春三月上浣□□杳□□□楼中 如洋□人」とあり、大正6年(1917年)野沢如洋が52歳頃の作品です。
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「韓信の股潜り」:「韓信が、若いとき町でならず者に言いがかりをつけられ、耐えてその股をくぐったという故事から大望をもつ者は目先のつまらないことで人と争ったりしないことのたとえ」を意味し、本作品はその状況を図柄にした作品です。韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発され、韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。大いに笑われた韓信であったが、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ。」と冷静に判断していたという趣旨の逸話です。この出来事が「韓信の股くぐり」として知られることになっています。
韓信(かんしん)は中国,漢初の名将。韓信(~紀元前196年)は、中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別されています。
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韓信は波乱の人生であり、この「韓信の股潜り」の逸話以外にも興味をひく人物です。中国の歴史を語る上では欠かせない人物と思われます。
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野沢如洋( のざわ-じょよう): 1865年~1937年。 明治-昭和時代前期の日本画家。青森県弘前生。旧姓一戸、幼名は太郎、のち三千治、初号は仙蘭。父は弘前藩士。元治(げんじ)2年4月3日生まれ、郷士の画家三上仙年に師事する。
国が主催する日本画の展覧会をはじめとする多くの展覧会に出品し、上位の賞を得た画人であり、山水画の達人として知られる。その山水画は橋本雅邦や竹内栖鳳から高い評価を得、円山派を加味した独自の水墨画を展開した。
京都で今尾景年にまなび,日本美術協会展などに入賞。文展審査員に任命されたが辞退し、生涯反官展主義にたつ。山水、馬などの水墨画をえがき、「馬の如洋」とよばれた。昭和12年6月11日死去。
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ただし韓信の人生は好きにはなれませんね。智謀策略、出世主義、裏切りと背信、たとえ王となっても、もっと大切なものがあったはず・・。
地道にこつこつと歩むのが人生の王道。
本日の作品、野沢如洋の作品は二作品目となりますので、詳細は省略しますが、青森県弘前市の出身で、その山水画は橋本雅邦や竹内栖鳳から高い評価を得ています。、「馬の如洋」と言われるほど馬の絵が得意ですが、本日は人物画の作品です。
韓信之股潜図 野沢如洋筆 その2
絹本水墨着色軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1810*横510 画サイズ:縦1130*横400
賛には「伏出市人胯恥比噲等肩滅楚還王□興 大正丁巳春三月上浣□□杳□□□楼中 如洋□人」とあり、大正6年(1917年)野沢如洋が52歳頃の作品です。
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「韓信の股潜り」:「韓信が、若いとき町でならず者に言いがかりをつけられ、耐えてその股をくぐったという故事から大望をもつ者は目先のつまらないことで人と争ったりしないことのたとえ」を意味し、本作品はその状況を図柄にした作品です。韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発され、韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。大いに笑われた韓信であったが、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ。」と冷静に判断していたという趣旨の逸話です。この出来事が「韓信の股くぐり」として知られることになっています。
韓信(かんしん)は中国,漢初の名将。韓信(~紀元前196年)は、中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別されています。
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韓信は波乱の人生であり、この「韓信の股潜り」の逸話以外にも興味をひく人物です。中国の歴史を語る上では欠かせない人物と思われます。
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野沢如洋( のざわ-じょよう): 1865年~1937年。 明治-昭和時代前期の日本画家。青森県弘前生。旧姓一戸、幼名は太郎、のち三千治、初号は仙蘭。父は弘前藩士。元治(げんじ)2年4月3日生まれ、郷士の画家三上仙年に師事する。
国が主催する日本画の展覧会をはじめとする多くの展覧会に出品し、上位の賞を得た画人であり、山水画の達人として知られる。その山水画は橋本雅邦や竹内栖鳳から高い評価を得、円山派を加味した独自の水墨画を展開した。
京都で今尾景年にまなび,日本美術協会展などに入賞。文展審査員に任命されたが辞退し、生涯反官展主義にたつ。山水、馬などの水墨画をえがき、「馬の如洋」とよばれた。昭和12年6月11日死去。
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ただし韓信の人生は好きにはなれませんね。智謀策略、出世主義、裏切りと背信、たとえ王となっても、もっと大切なものがあったはず・・。
地道にこつこつと歩むのが人生の王道。