茶杓は本ブログには初登場です。茶掛けや茶杓、茶釜といった茶装具の部類は茶碗、香合を除き本ブログにはなじみの少ない分野で小生もあまり詳しくありませんが、茶室が出来上がると必要になってくるようです。
鷹ヶ峰竹茶杓 五代金城一国斉作
藪柑子絵入 銘「故郷」 説明栞入共箱
全長:185
描かれているのは「藪柑子(やぶこうじ)」、俗に言う「十両」と称されているものですで、縁起のよい絵柄のようです。
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藪柑子:林内に生育し、冬に赤い果実をつけ美しいので、栽培もされる。別名、十両(ジュウリョウ)。正月の縁起物ともされ、センリョウ(千両、センリョウ科)や、マンリョウ(万両)、カラタチバナ(百両)と並べて「十両」とも呼ばれる。寄せ植えの素材などとして使われる。
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金城一国斉は「一国斎高盛絵」と称される技法の作家ですが、本作品は高蒔絵というより通常の漆絵のように思います。
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五代金城一国斉:本名は池田勝人、号「自勝」。明治39年生まれ~平成3年没意(1906年~1991年)。四代一国斎の長男。大正14年広島県立工業学校建塗工分科を卒業。帝国美術院会員の赤塚自得の門下に入り、金蒔絵を修得する。帰広後、父紫明に高蒔絵を学ぶ。東京商工展に出品、受賞する。四代一国斎と共に広島県無形文化財に指定される。広島文化賞等を受賞62年には勲五等瑞宝章を受賞する。平成3年、85歳で没。
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一国斎高盛絵:「堆彩漆」と呼ばれる極めて類例の少ない独特の漆芸技法である。鎌倉時代から行われている高蒔絵の錆上げの技法をベースにして,歴代の一国斎が漆絵や堆朱・堆黒などの様々な技法を付加していき,三代一国斎が完成した。歴代一国斎の作品には,茶器,文箱,硯箱,香箱,菓子器,飾盆などがある。これに,ボタン,ユリ,モミジ,カキツバタ,ウリ,アシナガバチ,トンボ,ハチなどの植物や昆虫を高く盛り上げて描き出す。中でもアシナガバチを草木花に配するのが一国斎の特色である。
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「三代金城一国斎」はなんでも鑑定団に出品されましたので、ご記憶の方もおられることでしょう。
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金城一国斎:初代を祖とし、二代より一子相伝で受け継がれる高盛絵の技法を現代に伝える漆芸家として有名。初代澤木正平が大坂で漆芸を学び、その後、尾張藩に召され御用絵師となり、金城一国斎と名乗ったのが初めとされる。また、伝統の高盛絵の技法は、二代一国斎が考案したものとされ、代々受け継がれている。また改良研究がなされており、三代の時代になり明治に入ると、各展覧会、博覧会などにも出品し明治九年の京都博覧会や明治十年の第一回内国勧業博覧会で受賞を重ねる。
また明治天皇御用品の製作等も手がけこの時代の作品には手間、暇、金などを惜しまずに製作されおり、煙草入れをひとつ製作するのに、一年余の製作日数をかけており、一般庶民の手の出せない品物となっていたため、主に外国人を取引相手としている。この時代の作品の美術性が高い事もさることながら、現存が極端に少なく現在、市場においても高く評価されている。四代~六代の一国斎にしても、やはり展覧会などを中心として活動し、しばしば慶事があると広島県からの献上品として皇族に納められた。
特に五代一国斎は、高盛絵のほかに当時の漆芸家の最高峰であった赤塚自得に師事し金蒔絵の技術を取得し、それまで赤、黒、褐色、緑といった濃色を中心とした高盛絵に金を用いて華やかさを演出し、その幅や可能性を構築した。
現在七代の昭人氏が日本伝統工芸展などに出品して活躍中だが、高盛絵作品のほかに彫蒔絵の作品を多く製作し、現代感覚溢れる作風で新たな境地を画策している。
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家内の頑丈日プレゼント・・、もとい誕生日プレゼント・・・、遠州流の茶道を習っている家内へ、実用的でないのが誕生日プレゼント。これからもよろしく。
鷹ヶ峰竹茶杓 五代金城一国斉作
藪柑子絵入 銘「故郷」 説明栞入共箱
全長:185
描かれているのは「藪柑子(やぶこうじ)」、俗に言う「十両」と称されているものですで、縁起のよい絵柄のようです。
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藪柑子:林内に生育し、冬に赤い果実をつけ美しいので、栽培もされる。別名、十両(ジュウリョウ)。正月の縁起物ともされ、センリョウ(千両、センリョウ科)や、マンリョウ(万両)、カラタチバナ(百両)と並べて「十両」とも呼ばれる。寄せ植えの素材などとして使われる。
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金城一国斉は「一国斎高盛絵」と称される技法の作家ですが、本作品は高蒔絵というより通常の漆絵のように思います。
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五代金城一国斉:本名は池田勝人、号「自勝」。明治39年生まれ~平成3年没意(1906年~1991年)。四代一国斎の長男。大正14年広島県立工業学校建塗工分科を卒業。帝国美術院会員の赤塚自得の門下に入り、金蒔絵を修得する。帰広後、父紫明に高蒔絵を学ぶ。東京商工展に出品、受賞する。四代一国斎と共に広島県無形文化財に指定される。広島文化賞等を受賞62年には勲五等瑞宝章を受賞する。平成3年、85歳で没。
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一国斎高盛絵:「堆彩漆」と呼ばれる極めて類例の少ない独特の漆芸技法である。鎌倉時代から行われている高蒔絵の錆上げの技法をベースにして,歴代の一国斎が漆絵や堆朱・堆黒などの様々な技法を付加していき,三代一国斎が完成した。歴代一国斎の作品には,茶器,文箱,硯箱,香箱,菓子器,飾盆などがある。これに,ボタン,ユリ,モミジ,カキツバタ,ウリ,アシナガバチ,トンボ,ハチなどの植物や昆虫を高く盛り上げて描き出す。中でもアシナガバチを草木花に配するのが一国斎の特色である。
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「三代金城一国斎」はなんでも鑑定団に出品されましたので、ご記憶の方もおられることでしょう。
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金城一国斎:初代を祖とし、二代より一子相伝で受け継がれる高盛絵の技法を現代に伝える漆芸家として有名。初代澤木正平が大坂で漆芸を学び、その後、尾張藩に召され御用絵師となり、金城一国斎と名乗ったのが初めとされる。また、伝統の高盛絵の技法は、二代一国斎が考案したものとされ、代々受け継がれている。また改良研究がなされており、三代の時代になり明治に入ると、各展覧会、博覧会などにも出品し明治九年の京都博覧会や明治十年の第一回内国勧業博覧会で受賞を重ねる。
また明治天皇御用品の製作等も手がけこの時代の作品には手間、暇、金などを惜しまずに製作されおり、煙草入れをひとつ製作するのに、一年余の製作日数をかけており、一般庶民の手の出せない品物となっていたため、主に外国人を取引相手としている。この時代の作品の美術性が高い事もさることながら、現存が極端に少なく現在、市場においても高く評価されている。四代~六代の一国斎にしても、やはり展覧会などを中心として活動し、しばしば慶事があると広島県からの献上品として皇族に納められた。
特に五代一国斎は、高盛絵のほかに当時の漆芸家の最高峰であった赤塚自得に師事し金蒔絵の技術を取得し、それまで赤、黒、褐色、緑といった濃色を中心とした高盛絵に金を用いて華やかさを演出し、その幅や可能性を構築した。
現在七代の昭人氏が日本伝統工芸展などに出品して活躍中だが、高盛絵作品のほかに彫蒔絵の作品を多く製作し、現代感覚溢れる作風で新たな境地を画策している。
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家内の頑丈日プレゼント・・、もとい誕生日プレゼント・・・、遠州流の茶道を習っている家内へ、実用的でないのが誕生日プレゼント。これからもよろしく。