平成3年台風第19号(国際名:ミレーレ〔Mireille〕)は、1991年(平成3年)9月に発生し、日本列島に甚大な被害を与えた台風で、東北地方では「りんご台風」の別名でも呼ばれていますが、当時小生は青森に勤務しており、建設現場が直撃されました。日頃よりきちんと管理されていたので現場の被害はほとんどなく、ほっとしたのもつかの間、秋田の郷里にいる義父から電話で「自宅の屋根が飛ばされた」とのこと。ほどなく災害対象の保険で屋根の修理をしたのですが、そのときに屋根裏から出てきた古い掛け軸の中に「文池」という落款の作品がありました。
ボロボロだったのですが良い出来の作品だったので捨てずにとっておきました。後日、平福穂庵の初号が「文池」ということが解り、印章をよく見ると「穂庵」らしい。平福穂庵と縁があった作品の第1号です。
最近になって同じ印章を押印されて作品を何気なくインターネットオークションを見ていたら出品されていたので、入札したら3000円で落札しました
花鳥図 平福穂庵筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦
本作品は「穂庵」の印章を用いていますが、上記の屋根裏から出てきた作品、「東下り之図」と同一と思われます。「東下り之図」の落款は初号の「文池」とされていることから初期の頃の作品であり「□庵丙寅仲秋 文池謹画」とあることから、慶応2年の秋の作品で穂庵が23歳の作です。
京都へ修業に行き、秋田へ帰郷して間もない頃の作品と思われますが、本作品も同じ印章を用いていることから同じ時期の作品と推察されます。
描かれた花は芙蓉かな・・。穂庵の作品には、水墨淡彩で筆に勢いのある作風と、晩年の四条派の影響を多大に受けた着色画に大別されますが、前者の作品群では「乞食図」や「乳虎図」のように淡彩で筆力のある作品が代表作でご存知の方も多いかと思います。
下記の写真は「秋田の絵描き そろいぶみ!-秋田蘭画から近代の日本画まで-秋田市立千秋美術館 2014年09月27日(土) ~2014年11月09日(日) 」より
説明文には「秋田は、平福穂庵・百穂父子、寺崎廣業らの中央画壇での活躍を支柱に、その後も福田豊四郎や高橋萬年など、日本画の革新を目指し画壇に一時代を画した画家たちを多く輩出してきました。」と記述されており、本ブログでおなじみに画家の作品が展示されていたようですね。
また桜で有名な角館にある平福美術館は平福百穂・穂庵父子の作品がメインの展示です。
この鳥は・・・?? ちなみに芙蓉鳥はカナリアの別名らしい。本作品は席画のようで、即興で描かれたような作品で出来はあまりいいとは言えないでしょうが、穂庵のタッチを知るには充分な作品です。
秋田出身の酒好きの画家です。彼の父も画家で京都に修行に出ていたのですが、京都まで迎えにいった穂庵は父と京都で飲み歩いて帰ってこなかったといいます。
かつて骨董店で襖絵を購入するなど穂庵の面白い作品を購入出来たものですが、最近はなかなか作品を見かけず、さらには知名度も低くなり今は知る人ぞ知る画家になってしまったように思います。
本ブログへの未投稿の所蔵作品(参考作品にて掲載 現在は入手済)には下記の作品があります。
雪中鴛鴦図 平福穂庵筆
紙本水墨着色軸装鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:縦2255*横662 画サイズ:縦1258*横507
落款より「慶応3年(1867年 明治元年前年)仲夏の作」ですので、最初の作品より一年後で落款そのものは本作品と近似しており同時期と推察できます。
このような綺麗な作品が好きな御仁が多いようで、評価は高く、本作品も信頼できるルートからの入手です。
掛け軸は贋作ばかりという先入観ばかり持っているとこのような秀作は入手できません。
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平福穂庵:弘化元年生まれ、明治23年没(1844年~1890年)。秋田県角館出身。名は芸、俗称順蔵。当初は文池と号し、後に穂庵と改めた。画を武村文海に学び、筆力敏捷にして、ついに一格の妙趣をなし、動物画に長ず。百穂はその子。「乳虎図」(河原家蔵)は代表作。17歳で京都に上り修業、元治元年に帰る。明治23年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等。明治19年に東京に出て、各種展覧会に出品、大活躍する。系統は四条派で、門下に寺崎廣業ほか10人以上に及ぶ。
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繰り返すようですが、郷土の画家、さらにはその画家の作品が好きでしょうがないという理由から蒐集するのがいい作品を集めるこつのようです。
さて本作品の真贋や如何に・・・。
ボロボロだったのですが良い出来の作品だったので捨てずにとっておきました。後日、平福穂庵の初号が「文池」ということが解り、印章をよく見ると「穂庵」らしい。平福穂庵と縁があった作品の第1号です。
最近になって同じ印章を押印されて作品を何気なくインターネットオークションを見ていたら出品されていたので、入札したら3000円で落札しました
花鳥図 平福穂庵筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦
本作品は「穂庵」の印章を用いていますが、上記の屋根裏から出てきた作品、「東下り之図」と同一と思われます。「東下り之図」の落款は初号の「文池」とされていることから初期の頃の作品であり「□庵丙寅仲秋 文池謹画」とあることから、慶応2年の秋の作品で穂庵が23歳の作です。
京都へ修業に行き、秋田へ帰郷して間もない頃の作品と思われますが、本作品も同じ印章を用いていることから同じ時期の作品と推察されます。
描かれた花は芙蓉かな・・。穂庵の作品には、水墨淡彩で筆に勢いのある作風と、晩年の四条派の影響を多大に受けた着色画に大別されますが、前者の作品群では「乞食図」や「乳虎図」のように淡彩で筆力のある作品が代表作でご存知の方も多いかと思います。
下記の写真は「秋田の絵描き そろいぶみ!-秋田蘭画から近代の日本画まで-秋田市立千秋美術館 2014年09月27日(土) ~2014年11月09日(日) 」より
説明文には「秋田は、平福穂庵・百穂父子、寺崎廣業らの中央画壇での活躍を支柱に、その後も福田豊四郎や高橋萬年など、日本画の革新を目指し画壇に一時代を画した画家たちを多く輩出してきました。」と記述されており、本ブログでおなじみに画家の作品が展示されていたようですね。
また桜で有名な角館にある平福美術館は平福百穂・穂庵父子の作品がメインの展示です。
この鳥は・・・?? ちなみに芙蓉鳥はカナリアの別名らしい。本作品は席画のようで、即興で描かれたような作品で出来はあまりいいとは言えないでしょうが、穂庵のタッチを知るには充分な作品です。
秋田出身の酒好きの画家です。彼の父も画家で京都に修行に出ていたのですが、京都まで迎えにいった穂庵は父と京都で飲み歩いて帰ってこなかったといいます。
かつて骨董店で襖絵を購入するなど穂庵の面白い作品を購入出来たものですが、最近はなかなか作品を見かけず、さらには知名度も低くなり今は知る人ぞ知る画家になってしまったように思います。
本ブログへの未投稿の所蔵作品(参考作品にて掲載 現在は入手済)には下記の作品があります。
雪中鴛鴦図 平福穂庵筆
紙本水墨着色軸装鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:縦2255*横662 画サイズ:縦1258*横507
落款より「慶応3年(1867年 明治元年前年)仲夏の作」ですので、最初の作品より一年後で落款そのものは本作品と近似しており同時期と推察できます。
このような綺麗な作品が好きな御仁が多いようで、評価は高く、本作品も信頼できるルートからの入手です。
掛け軸は贋作ばかりという先入観ばかり持っているとこのような秀作は入手できません。
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平福穂庵:弘化元年生まれ、明治23年没(1844年~1890年)。秋田県角館出身。名は芸、俗称順蔵。当初は文池と号し、後に穂庵と改めた。画を武村文海に学び、筆力敏捷にして、ついに一格の妙趣をなし、動物画に長ず。百穂はその子。「乳虎図」(河原家蔵)は代表作。17歳で京都に上り修業、元治元年に帰る。明治23年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等。明治19年に東京に出て、各種展覧会に出品、大活躍する。系統は四条派で、門下に寺崎廣業ほか10人以上に及ぶ。
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繰り返すようですが、郷土の画家、さらにはその画家の作品が好きでしょうがないという理由から蒐集するのがいい作品を集めるこつのようです。
さて本作品の真贋や如何に・・・。