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Channel: 夜噺骨董談義
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和蘭デルフト藍画花瓶手皿

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西洋の陶磁器は精巧な作りが主流で日本で言う「わび さび」に乏しい気がします。一部例外がるとすれば、そのひとつに古いデルフト焼があるようです。

本日はそのデルフト焼と思われる作品です。

和蘭デルフト藍画花瓶手皿
古杉箱 
口径231*底径90*高さ40



箱に在中の「大」という商号の札には「第二号 和蘭デルフト藍画花瓶手皿 十八世紀 代金六拾円也」とあります。詳細は不明ですが、札は大丸のもののようで1913年(大正2年)に、縁起のよい七五三の髭文字を商標登録したそうです。六拾円は現在の5万程度? 



伏せて焼かれたものか口縁には虫喰のような釉薬の剥がれがあります。花瓶をあしらった西洋風と中国風が混合したような染付皿で、デルフト焼には伊万里風が多い中でなかなかの佳品です。



伊万里に比べて軽く、非常に脆そうな感じの器です。



明治期はありそうな杉の木箱に納められています。このような杉木箱に掘り出し物が多いといいますが、それを逆手に古い木箱に新しい贋作を入れる輩もいるとのこと。



デルフト焼も千差万別・・、コレクトするにはたいへんな労力のようです。



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デルフト焼:オランダのデルフトおよびその近辺で、16世紀から生産されている陶器で、白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて彩色、絵付けされる。陶都デルフトでは、高価な舶来品である東洋磁器の形や装飾を陶器で模倣することに着目した。

中国明時代の染付や柿右衛門などを模倣した陶器は、ヨーロッパ各地で絶大な人気を博し、近隣の他の窯でもこれを実践するようになると、以後オランダで焼かれる陶器はすべてデルフト焼と呼ばれるようになる。

デルフト焼は、1640年~1740年に生産がもっとも盛んだった。17世紀初頭の中国磁器がオランダ東インド会社によってオランダに大量に輸入されていたが、1620年に明の万暦帝が死去すると、中国磁器のヨーロッパへの輸入が途絶える。その後、オランダでは、中国磁器の優れた品質と精密な絵付けを模倣する。

1654年のデルフトで、弾薬庫に保管されていた火薬が大爆発を起こし、多数の醸造所が甚大な被害を被ったようです。これによりデルフトの醸造産業は衰退し、広い醸造所跡地を広い工房が必要だった陶芸職人が買い取った。

1750年以降のデルフト陶器は衰退するが、その原因は「巧妙だが繊弱な絵付けがなされていることや、風合いにも独創性にも欠けている」とされ、18世紀終わりからのデルフト陶器産業は、残念なことに衰退の一途をたどった。

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参考作品
デルフト染付皿 十八世紀
口径:約220*底径:約95*高さ20



縁全体に釉薬の剥離などが見られますが割れは無く、比較的状態の良い品です。



私の所感では材質、絵柄ともに伊万里のほうが上、西洋食器は残念ながら日本古陶磁器・中国古陶磁器の足元にも及ばない。現代では別次元ですが・・。

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