山元春挙の門下生には本ブログでもお馴染みの画家が多いようです。川村曼舟 小村大雲 庄田鶴友 植中直斎 勝田哲 山元春汀(桜月)・・。
本日は初夏の掛け軸・・。
鮎図 山元春挙筆
紙本着色軸装 軸先象牙 二重箱
全体サイズ:縦2220*横433 画サイズ:縦1373*横312
共箱ではありませんが、丁寧なあつらえ(表具・箱)です。
山元春挙の似た構図では「鯉」を描いており、売却した作品に「鯉}を所蔵していましたが、本作品同様に共箱でないこともあり、資金調達のために売却しました。それほど高くはありません。思文閣では色紙程度でも20万程度の値段をつけますが、下記の作品は売却したときは1万円程度のものでした。
鯉 山元春挙筆
絹本水墨緞子装軸合箱入
全体サイズ:縦2050*横498 画サイズ:縦1162*横360
墨一色で見事に跳ね上がる鯉が表現されている。軸先は象牙を模した樹脂であり、風帯と一文字が魚でデザインされており、軸先ともに趣を出しており涼しげな逸品です。b現在所蔵していると「鯉」と「鮎」でおもしろい趣向が出来たかもしれません。
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山元春挙:明治4年11月24日(1872年1月4日)~ 昭和8年(1933年)7月12日。明治から昭和初期にかけ活動した円山四条派の日本画家。本名は金右衛門。幼名は寛之助。別号に円融斎、一徹居士。竹内栖鳳と共に、近代京都画壇を代表する画家である。
滋賀県滋賀郡膳所町(現在の大津市中庄付近)で生まれる。祖父は、戦前の修身教科書で勤勉な商人の鏡として紹介された高田善右衛門。
打出小学校卒業後、12.3歳で遠縁にあたる京都の日本画家野村文挙に入門、その後文挙が上京したため、明治18年(1885年)文挙の師森寛斎に学ぶ。
翌年の京都青年絵画共進会に「呉孟」「菊に雀」を出品、一等褒状を受ける。明治24年(1991年)、竹内栖鳳、菊池芳文らと青年絵画懇親会を結成。同年、京都私立日本青年絵画共進会の審査員となり「黄初平叱石図」(西宮市大谷記念美術館蔵)を出品、二等賞銀印となる。
明治27年(1994年)に師寛斎が亡くなり、同年如雲社の委員となる。明治32年(1899年)京都市立美術工芸学校の教諭となる。翌年、画塾同攻会(1909年に早苗会と改称)を組織し、展覧会を開く。明治34年(1901年)第7回新古美術品展に出品した「法塵一掃」が1等2席となり、春挙の出世作となる。
明治40年(1907年)文展開設にあたり、竹内栖鳳らと共に審査委員を命ぜられる。大正6年(1917年)6月11日帝室技芸員に任命される。同年、故郷の近くに別荘・蘆花浅水荘(重要文化財)を営み、のち庭内に記恩寺を建立、寛斎と父の像を安置した。
大正8年(1919年)帝国美術院会員となる。この頃、地元膳所焼の復興を目指し、初代伊東陶山・岩崎建三らと新窯を開く。大正11年(1922年)パリ日仏交換展に「義士隠栖」(三の丸尚蔵館蔵)・「秋山図」を出品し、サロン準会員となる。
大正15年(1926年)フランス政府より、シュヴァリエ・ドラ・レジョン・ドヌール勲章を授与された。昭和3年(1928年)大嘗祭後の大饗の席に用いる「主基地方風俗歌屏風」を制作する。昭和8年7月12日死去。享年63。15日従四位に叙せられた。戒名は奇嶽院春挙一徹居士。墓は等持院。
画風は、四条派の伝統を受け継ぎつつも西洋の刺激を受け、墨彩や色彩表現を豊麗さへと徹底的に純化した表現に特色がある。こうした画風は、千總など絵を享受する京の大店に支持された。明治天皇も春挙のファンで、亡くなる際、床の間に掛かっていたのは春挙の作品だったという。
春挙門下四天王:川村曼舟 小村大雲 庄田鶴友 服部春陽
その他:植中直斎 勝田哲 山元春汀(桜月)
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ところで鯉は滝登りをするのか? ということですが、本来は鯉は滝登りはしませんが・・・。
鯉の滝登りは登竜門に関連し、出世の象徴のような意味合いです。中国の故事にちなんでいますが、黄河を遡上する鯉が龍になる故事から登竜門ということで勢いの良い様を表すようです。鯉は実はチョウザメらしく、また黄河には瀧のような急流があるために鯉の滝登りという表現は当てはまるかも・・。
いずれにしろ魚の遡上は産卵のため・・?? 鮎は遡上した河川を流下し河川の下流域に降り産卵を行います。つまり鮎は産卵のためには川を下しります。
5月は「鯉」をそしてその後は「鮎」を掛ける季節。
思文閣墨蹟資料目録「和の美」第489号
作品NO34 「端午図」
色紙程度の双幅でのこの作品の売価金額が38万は高すぎますね。
結局「鯉」だけなら25万程度のの売値でしょう。共箱ゆえの高価とも思われますが・・。
いずれにしても売値は10分の1・・・、この値段であなたなら購入しますか、所蔵作品を売却しますか? デフォルトしそうな国の株券のようなもの・・・
本日は初夏の掛け軸・・。
鮎図 山元春挙筆
紙本着色軸装 軸先象牙 二重箱
全体サイズ:縦2220*横433 画サイズ:縦1373*横312
共箱ではありませんが、丁寧なあつらえ(表具・箱)です。
山元春挙の似た構図では「鯉」を描いており、売却した作品に「鯉}を所蔵していましたが、本作品同様に共箱でないこともあり、資金調達のために売却しました。それほど高くはありません。思文閣では色紙程度でも20万程度の値段をつけますが、下記の作品は売却したときは1万円程度のものでした。
鯉 山元春挙筆
絹本水墨緞子装軸合箱入
全体サイズ:縦2050*横498 画サイズ:縦1162*横360
墨一色で見事に跳ね上がる鯉が表現されている。軸先は象牙を模した樹脂であり、風帯と一文字が魚でデザインされており、軸先ともに趣を出しており涼しげな逸品です。b現在所蔵していると「鯉」と「鮎」でおもしろい趣向が出来たかもしれません。
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山元春挙:明治4年11月24日(1872年1月4日)~ 昭和8年(1933年)7月12日。明治から昭和初期にかけ活動した円山四条派の日本画家。本名は金右衛門。幼名は寛之助。別号に円融斎、一徹居士。竹内栖鳳と共に、近代京都画壇を代表する画家である。
滋賀県滋賀郡膳所町(現在の大津市中庄付近)で生まれる。祖父は、戦前の修身教科書で勤勉な商人の鏡として紹介された高田善右衛門。
打出小学校卒業後、12.3歳で遠縁にあたる京都の日本画家野村文挙に入門、その後文挙が上京したため、明治18年(1885年)文挙の師森寛斎に学ぶ。
翌年の京都青年絵画共進会に「呉孟」「菊に雀」を出品、一等褒状を受ける。明治24年(1991年)、竹内栖鳳、菊池芳文らと青年絵画懇親会を結成。同年、京都私立日本青年絵画共進会の審査員となり「黄初平叱石図」(西宮市大谷記念美術館蔵)を出品、二等賞銀印となる。
明治27年(1994年)に師寛斎が亡くなり、同年如雲社の委員となる。明治32年(1899年)京都市立美術工芸学校の教諭となる。翌年、画塾同攻会(1909年に早苗会と改称)を組織し、展覧会を開く。明治34年(1901年)第7回新古美術品展に出品した「法塵一掃」が1等2席となり、春挙の出世作となる。
明治40年(1907年)文展開設にあたり、竹内栖鳳らと共に審査委員を命ぜられる。大正6年(1917年)6月11日帝室技芸員に任命される。同年、故郷の近くに別荘・蘆花浅水荘(重要文化財)を営み、のち庭内に記恩寺を建立、寛斎と父の像を安置した。
大正8年(1919年)帝国美術院会員となる。この頃、地元膳所焼の復興を目指し、初代伊東陶山・岩崎建三らと新窯を開く。大正11年(1922年)パリ日仏交換展に「義士隠栖」(三の丸尚蔵館蔵)・「秋山図」を出品し、サロン準会員となる。
大正15年(1926年)フランス政府より、シュヴァリエ・ドラ・レジョン・ドヌール勲章を授与された。昭和3年(1928年)大嘗祭後の大饗の席に用いる「主基地方風俗歌屏風」を制作する。昭和8年7月12日死去。享年63。15日従四位に叙せられた。戒名は奇嶽院春挙一徹居士。墓は等持院。
画風は、四条派の伝統を受け継ぎつつも西洋の刺激を受け、墨彩や色彩表現を豊麗さへと徹底的に純化した表現に特色がある。こうした画風は、千總など絵を享受する京の大店に支持された。明治天皇も春挙のファンで、亡くなる際、床の間に掛かっていたのは春挙の作品だったという。
春挙門下四天王:川村曼舟 小村大雲 庄田鶴友 服部春陽
その他:植中直斎 勝田哲 山元春汀(桜月)
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ところで鯉は滝登りをするのか? ということですが、本来は鯉は滝登りはしませんが・・・。
鯉の滝登りは登竜門に関連し、出世の象徴のような意味合いです。中国の故事にちなんでいますが、黄河を遡上する鯉が龍になる故事から登竜門ということで勢いの良い様を表すようです。鯉は実はチョウザメらしく、また黄河には瀧のような急流があるために鯉の滝登りという表現は当てはまるかも・・。
いずれにしろ魚の遡上は産卵のため・・?? 鮎は遡上した河川を流下し河川の下流域に降り産卵を行います。つまり鮎は産卵のためには川を下しります。
5月は「鯉」をそしてその後は「鮎」を掛ける季節。
思文閣墨蹟資料目録「和の美」第489号
作品NO34 「端午図」
色紙程度の双幅でのこの作品の売価金額が38万は高すぎますね。
結局「鯉」だけなら25万程度のの売値でしょう。共箱ゆえの高価とも思われますが・・。
いずれにしても売値は10分の1・・・、この値段であなたなら購入しますか、所蔵作品を売却しますか? デフォルトしそうな国の株券のようなもの・・・