倉庫改修が完了するといよいよ9回目の引越しですが、この引越しは結構たいへんそうです。お互いに「ものもち」なので、まずは物を捨てることから始めないと収拾がつかなくなりそうです。「捨てる美学」?が必要なようです。人間は死ぬときは体ひとつ、世のものへの執着を捨てるが道理と心得ていますが、いくつになってもなかなか難しいものです。
展示室にものが溢れてこないようにまずは物を捨てることから始めていく必要があります。今年一杯かかかるかも? やむを得ず骨董品もかなりを処分せざるえないかと思っています。
さて本日紹介する作品は、実に小粋な作品で作品を見るなりひと目で気に入り、わりと高かったのですが即購入した作品です。とはいえ本作品は当方にとっては氏素性の不明な作品です。売主は偕楽園焼と称していましたが、購入時から偕楽園焼ではないと当方では判断しております。
売主が「偕楽園焼」と判断した根拠は箱書に「紀州公御庭焼」と記されていることからでしょうが、陶土、釉薬から偕楽園焼とは断定し難く、わずか10年ほどの宝暦年間に存在した幻の焼き物と言われる紀州の「善妙寺焼」の可能性のほうが高いと判断し「伝紀州善妙寺焼」と題しました。
この窯の作品にはほとんど銘をいれていないといわれています。善妙寺の住職「玄了」という方が京都に修行に行った折に陶器の技術を身につけ帰郷した後、陶器作りを始めたそうです。お寺の裏山の土を使って作陶した焼き物が善妙寺焼で、現存する作品数が少なく希少な焼き物であり、「幻の陶磁器」となっています。紀州6代藩主宗直公に献上したことから、「御庭焼」と勘違いされて伝世した可能性があります。
小品ながら水鳥の彫塑が見事で備前焼の細工物と似ています。釉薬は緑・黄色・褐と三彩が掛けられていますが、灰釉によるものと推察されます。
蓮に水鳥置物 伝紀州善妙寺焼
合箱
幅120*奥行き102*高さ75
底に銘などはありません。お庭焼のように製作にある一定の拘束のある作品と違って自由奔放さを感じます。
水鳥の表現が実に巧みですね。飾っておいて愉しくなる作品です。
蓮の葉も釉薬ともども巧いです。仏に相通じる蓮の葉を題材にしたあたりは住職の作品らしく祈りの念を感じます。本ブログに投稿した金重陶陽の作と通じるものがあります。
金重陶陽の「蓮葉盆」。
収納箱は後世に製作したものでしょう。前述のように「紀州公御庭焼」と記されています。
ベースは備前焼のようにも見えることから、胎土は備前に近い成分かもしれません。
備前焼のひとつである絵備前とも違うようです。
もし「善妙寺焼」なら珍品中の珍品・・??? 骨董は感性ですので、たとえどこの焼き物であろうと好きなものは好き、ただその感性の度合いが高いかどうかで蒐集する者のレベルが決まるようです。
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善妙寺焼:宝暦年間(1751~1762年)。紀伊名所図会では「善明寺焼」。宝暦年間、和歌山県御坊市島の善妙寺住職だった玄了が、名田町楠井の土を採って10年間だけ製作したのが善妙寺焼です。
掲載の写真はネット上で「善妙寺焼」と称する作品です。(籠の作品は確証がありません)
玄了は若い頃京都に修行に出た折、陶芸の技術を身につけたといわれ、故郷に帰り暇を見つけては制作したといわれている。江戸時代に茶碗や花生などの陶器を作って紀州6代藩主宗直公に献上したと伝わっている。住職は現在も御坊市島にある「善妙寺」というお寺の6代目の住職で玄了と称している。
正確な年代は不明ですが、玄了は、247年前(宝暦9年)の1月19日に亡くなったいう記録から、今から260年から250年ほど前のこととなります。玄了の没後、あとを継いで陶器を作った人はいなかったためわずか10年間の製陶となり、幻の作品と言われています。
宗直公は、紀州藩の支藩(分家)であった伊予国西条藩(愛媛県)から紀州藩主となった人で、5代藩主頼方公のあとを継いだ方ですが(頼方公とは8代将軍となった吉宗公のことです)、宗直公にどのような陶器を献上したかは、記録が残っていません。
記録によると製陶された作品は備前焼に似た作品が多く、灰釉で渋い彩色がされてたようです。記録によると「素朴にして雅趣に富んだ作品」で「当地方の茶人或いは愛陶者の間で最も珍器とされている」とのこと。特に陶土を籠に編んで精巧に焼き上げたものは逸品として珍重されていた。
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小品ながら、たとえ善妙寺焼でなくても本作品は上記の参考作品らよりおもしろいと思います。
ところで偕楽園焼で本ブログで取り上げた作品には下記の作品があります。型で作られたと思われ、複数個の同型の作品がときおり見受けられますが、このように色彩がきちんと残っている作品は当方の知る限りにおいてこの作品だけのようです。
眠り猫香炉 偕楽園焼
印あり 合箱
幅120*奥行き80*高さ60
こちらは骨董蒐集開始直後頃、盛岡の骨董店で高価(20万)でしたが思い切って購入したものです。小作品ながら偕楽園焼の真骨頂・・・
骨董は真贋よりも品性というものが大切・・、真贋から骨董をみてはいけないと思います。作品そのものを収集する者が好きになれるかどうかで骨董の価値が決まりるのであって、その価値基準がレベルが日々向上してくいくことこそが必要のように思います。「印章が、落款が、鑑定書が・・」というのは二次的なものですね。
贋作といわれるものでも高麗とか仁清とか勝手に後世において贋作に仕立てるから問題があるのであって、作品だけをみて価値を決めるのがものへの正しい評価のようです。
さて読書の皆さんはこのような実用性のない焼き物・・・、いかが思われますか? ま~なけなしのお金を出してまで欲しいと思うのは小生だけかも・・???
資金不足を感じ取った息子は資金調達のために托鉢僧になったらしい・・
展示室にものが溢れてこないようにまずは物を捨てることから始めていく必要があります。今年一杯かかかるかも? やむを得ず骨董品もかなりを処分せざるえないかと思っています。
さて本日紹介する作品は、実に小粋な作品で作品を見るなりひと目で気に入り、わりと高かったのですが即購入した作品です。とはいえ本作品は当方にとっては氏素性の不明な作品です。売主は偕楽園焼と称していましたが、購入時から偕楽園焼ではないと当方では判断しております。
売主が「偕楽園焼」と判断した根拠は箱書に「紀州公御庭焼」と記されていることからでしょうが、陶土、釉薬から偕楽園焼とは断定し難く、わずか10年ほどの宝暦年間に存在した幻の焼き物と言われる紀州の「善妙寺焼」の可能性のほうが高いと判断し「伝紀州善妙寺焼」と題しました。
この窯の作品にはほとんど銘をいれていないといわれています。善妙寺の住職「玄了」という方が京都に修行に行った折に陶器の技術を身につけ帰郷した後、陶器作りを始めたそうです。お寺の裏山の土を使って作陶した焼き物が善妙寺焼で、現存する作品数が少なく希少な焼き物であり、「幻の陶磁器」となっています。紀州6代藩主宗直公に献上したことから、「御庭焼」と勘違いされて伝世した可能性があります。
小品ながら水鳥の彫塑が見事で備前焼の細工物と似ています。釉薬は緑・黄色・褐と三彩が掛けられていますが、灰釉によるものと推察されます。
蓮に水鳥置物 伝紀州善妙寺焼
合箱
幅120*奥行き102*高さ75
底に銘などはありません。お庭焼のように製作にある一定の拘束のある作品と違って自由奔放さを感じます。
水鳥の表現が実に巧みですね。飾っておいて愉しくなる作品です。
蓮の葉も釉薬ともども巧いです。仏に相通じる蓮の葉を題材にしたあたりは住職の作品らしく祈りの念を感じます。本ブログに投稿した金重陶陽の作と通じるものがあります。
金重陶陽の「蓮葉盆」。
収納箱は後世に製作したものでしょう。前述のように「紀州公御庭焼」と記されています。
ベースは備前焼のようにも見えることから、胎土は備前に近い成分かもしれません。
備前焼のひとつである絵備前とも違うようです。
もし「善妙寺焼」なら珍品中の珍品・・??? 骨董は感性ですので、たとえどこの焼き物であろうと好きなものは好き、ただその感性の度合いが高いかどうかで蒐集する者のレベルが決まるようです。
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善妙寺焼:宝暦年間(1751~1762年)。紀伊名所図会では「善明寺焼」。宝暦年間、和歌山県御坊市島の善妙寺住職だった玄了が、名田町楠井の土を採って10年間だけ製作したのが善妙寺焼です。
掲載の写真はネット上で「善妙寺焼」と称する作品です。(籠の作品は確証がありません)
玄了は若い頃京都に修行に出た折、陶芸の技術を身につけたといわれ、故郷に帰り暇を見つけては制作したといわれている。江戸時代に茶碗や花生などの陶器を作って紀州6代藩主宗直公に献上したと伝わっている。住職は現在も御坊市島にある「善妙寺」というお寺の6代目の住職で玄了と称している。
正確な年代は不明ですが、玄了は、247年前(宝暦9年)の1月19日に亡くなったいう記録から、今から260年から250年ほど前のこととなります。玄了の没後、あとを継いで陶器を作った人はいなかったためわずか10年間の製陶となり、幻の作品と言われています。
宗直公は、紀州藩の支藩(分家)であった伊予国西条藩(愛媛県)から紀州藩主となった人で、5代藩主頼方公のあとを継いだ方ですが(頼方公とは8代将軍となった吉宗公のことです)、宗直公にどのような陶器を献上したかは、記録が残っていません。
記録によると製陶された作品は備前焼に似た作品が多く、灰釉で渋い彩色がされてたようです。記録によると「素朴にして雅趣に富んだ作品」で「当地方の茶人或いは愛陶者の間で最も珍器とされている」とのこと。特に陶土を籠に編んで精巧に焼き上げたものは逸品として珍重されていた。
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小品ながら、たとえ善妙寺焼でなくても本作品は上記の参考作品らよりおもしろいと思います。
ところで偕楽園焼で本ブログで取り上げた作品には下記の作品があります。型で作られたと思われ、複数個の同型の作品がときおり見受けられますが、このように色彩がきちんと残っている作品は当方の知る限りにおいてこの作品だけのようです。
眠り猫香炉 偕楽園焼
印あり 合箱
幅120*奥行き80*高さ60
こちらは骨董蒐集開始直後頃、盛岡の骨董店で高価(20万)でしたが思い切って購入したものです。小作品ながら偕楽園焼の真骨頂・・・
骨董は真贋よりも品性というものが大切・・、真贋から骨董をみてはいけないと思います。作品そのものを収集する者が好きになれるかどうかで骨董の価値が決まりるのであって、その価値基準がレベルが日々向上してくいくことこそが必要のように思います。「印章が、落款が、鑑定書が・・」というのは二次的なものですね。
贋作といわれるものでも高麗とか仁清とか勝手に後世において贋作に仕立てるから問題があるのであって、作品だけをみて価値を決めるのがものへの正しい評価のようです。
さて読書の皆さんはこのような実用性のない焼き物・・・、いかが思われますか? ま~なけなしのお金を出してまで欲しいと思うのは小生だけかも・・???
資金不足を感じ取った息子は資金調達のために托鉢僧になったらしい・・