今では少なくなりましたが、家の床の間に飾る掛け軸というのは人の祈りというものを表していました。自分の努力だけではなんともならぬものへ神、仏の力というものを頼っていたものです。今は掛け軸どころか神棚や仏壇さえも家から無くなり、そのような謙虚な気持ちすら失せてしまい、人の命すら身勝手に奪う輩が多い。祈りの気持ちが伝承されていないことにも一因があるのかもしれませんね。
床の間の飾り方も知らぬ人が多くなりました。まずは床の間は物置ではありません。日本家屋から床の間がなくなり、神棚がなくなり、仏壇がなくなり・・、共通しているには祈りや願い・・。
本日の作品の画題の楊柳観音(ようりゅうかんのん)は三十三観音のひとつで病苦からの救済を使命とする観音さまですが、この絵を描いた寺崎廣業は皮肉なことに咽頭癌で亡くなっています。
楊柳観音図 寺崎廣業筆
絹本水墨軸装 軸先象牙 合箱入
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横
楊柳観音:三十三観音の一。病苦からの救済を使命とする。右手に柳の枝を持つことにより楊柳観音と呼ばれる。この観音は画像に描かれる例が多く、絵画では座右の水瓶に柳の枝をさすこともある。
絵画として描かれたものでは、高麗仏画の遺品が著名です。日本国内では、国の重要文化財に指定されたものとして、滋賀・聖衆来迎寺本、京都・大徳寺本(3点)、京都・泉屋博古館本、鳥取・豊乗寺本、徳島・長楽寺本、佐賀・鏡神社本などがあります(いずれも高麗時代)。
泉屋博古館本は至治三年(=元朝の元号・1323年)、徐九方画の銘があり、作期と作者を明らかにする稀有な遺品として貴重です。年号が明らかな古い作品としては「鏡神社本」は1391年(明徳2年)に寄進されたと伝わっています。
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寺崎廣業:慶応2年生まれ、大正8年没、享年54歳。秋田藩の家老の家に生まれる。幼名は忠太郎、字は徳郷。初め秀齋、後に宗山、騰竜軒・天籟散人等と号した。初め郷土の小室秀俊に狩野派を学び、のちに上京して刻苦精励、諸派を摂取して晩年には、倪雲林、王蒙に私淑し、新南画の開拓に努めた。東京美術学校教授、文展開設以来審査員、帝室技芸員に任ぜられ東都画壇の重鎮となり、交友広くその生活は頗る華やかであった。
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落款には「明治癸卯(みずのとう、きぼう)七月下浣写干浪華榱舎 廣業 押印」とあり、明治36年(1903年)の作ですね。
病苦からの災いから救われることを祈念して描かれた作品でしょうが、さらなる将来を嘱望されながら、54歳で寺崎廣業は突然の咽頭癌で亡くなっています。やはり日頃からの節制が大切ということでしょうか。プライド高き秋田の士族は最盛期には豪放磊落なる生活をしていたという・・、奢れるもの久しからず。
床の間の飾り方も知らぬ人が多くなりました。まずは床の間は物置ではありません。日本家屋から床の間がなくなり、神棚がなくなり、仏壇がなくなり・・、共通しているには祈りや願い・・。
本日の作品の画題の楊柳観音(ようりゅうかんのん)は三十三観音のひとつで病苦からの救済を使命とする観音さまですが、この絵を描いた寺崎廣業は皮肉なことに咽頭癌で亡くなっています。
楊柳観音図 寺崎廣業筆
絹本水墨軸装 軸先象牙 合箱入
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横
楊柳観音:三十三観音の一。病苦からの救済を使命とする。右手に柳の枝を持つことにより楊柳観音と呼ばれる。この観音は画像に描かれる例が多く、絵画では座右の水瓶に柳の枝をさすこともある。
絵画として描かれたものでは、高麗仏画の遺品が著名です。日本国内では、国の重要文化財に指定されたものとして、滋賀・聖衆来迎寺本、京都・大徳寺本(3点)、京都・泉屋博古館本、鳥取・豊乗寺本、徳島・長楽寺本、佐賀・鏡神社本などがあります(いずれも高麗時代)。
泉屋博古館本は至治三年(=元朝の元号・1323年)、徐九方画の銘があり、作期と作者を明らかにする稀有な遺品として貴重です。年号が明らかな古い作品としては「鏡神社本」は1391年(明徳2年)に寄進されたと伝わっています。
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寺崎廣業:慶応2年生まれ、大正8年没、享年54歳。秋田藩の家老の家に生まれる。幼名は忠太郎、字は徳郷。初め秀齋、後に宗山、騰竜軒・天籟散人等と号した。初め郷土の小室秀俊に狩野派を学び、のちに上京して刻苦精励、諸派を摂取して晩年には、倪雲林、王蒙に私淑し、新南画の開拓に努めた。東京美術学校教授、文展開設以来審査員、帝室技芸員に任ぜられ東都画壇の重鎮となり、交友広くその生活は頗る華やかであった。
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落款には「明治癸卯(みずのとう、きぼう)七月下浣写干浪華榱舎 廣業 押印」とあり、明治36年(1903年)の作ですね。
病苦からの災いから救われることを祈念して描かれた作品でしょうが、さらなる将来を嘱望されながら、54歳で寺崎廣業は突然の咽頭癌で亡くなっています。やはり日頃からの節制が大切ということでしょうか。プライド高き秋田の士族は最盛期には豪放磊落なる生活をしていたという・・、奢れるもの久しからず。