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蜀道寒行之図 日根対山筆 その5

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小生が生まれ育ったのが雪国からなのか、登山にて山の冬景色に魅せられてなのか、小生は水墨画の雪景には魅力をおおいに感じます。出来のよい雪景図には資金がありば食指が動きます。水墨画の雪景色は地の白を生かした技法で雪の景色を見事に表現した作品が多いですね。このような作品は冬より真夏の暑いときに鑑賞するのが良いかと思います。

本ブログにおいて意外にアクセスが多いのが南画の作品ですが、残念ながら著名な画家の作品は本ブログに投稿されている作品の中には当然ながら少ないのです。明治に入ると南画は所謂「つくね芋山水」と蔑称され、明治日本画界の理論的指導者であるフェノロサ、岡倉天心の南画排撃運動によって、明治10年代の末には衰微します。しかしながらその作品の中には多くの優品もあります。本ブログに投稿されている作品はそのような作品を対象になっています。

本日は南画の衰退する時期に入る直前の頃に描かれた日根対山の作です。

蜀道寒行之図 日根対山筆 その5
絹本水墨淡彩 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1870*横640 画サイズ:縦1230*横510



賛には「学伍十洲蜀道寒行 壬戌(みずのえいぬ、じんじゅつ)春日写干 対山楼上 日小年 押印」とあり、文久2年(1862年)日根対山が49歳頃の作品と推察されます。



印章は「山静似太古」「日長如小年」の白文朱方印の累印が押印されています。

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日根対山:文化10年(1813年)~明治2年3月13日(1869年4月24日))。享年57歳。幕末の文人画家。名は盛長、字は成信・小年、号に対山、茅海、錦林子、同楽園、雲煙楼・酔墨庵などがある。

和泉国日根郡(現在の大阪府泉佐野市)に日根又衛門の3男として生まれる。幼い頃より絵を好み、幼いころから画才があり、岸和田にいた桃田栄雲について画を学びました。はじめ土佐派を学んだと言われていますが、桃田栄雲は狩野派の絵師です。

同じ村に住んでおり、幼い頃から対山の画才を見いだしていた廻船問屋であり、湊の役人であった里井浮丘が、対山に自分の所蔵する書画を見せ、自分の友人である岡田半江などの画家の人たちを対山に引き合わせ、絵を学ばせたといわれています。この泉佐野の豪商里井浮丘の庇護を受け中国絵画の臨模などで画業を磨きまいした。

「対山」はじめは「台山」と号していましたが、28歳で京都に遊び、この時に「対山」に改名しました。当時の対山の描いた絵は写生的な絵が多く、30歳から文人画派に転向したようです。



経学と書を貫名菘翁に師事し、また鉄翁祖門に私淑しました。京都移住後は勤王家の梁川星巌・頼三樹三郎・藤本鉄石・中西耕石らと親交を結んでいます。

画風は、対山が57歳で亡くなるまで大きな変化はみられませんが、41歳までは比較的精細な文人画の作品が多く、描いた作品に押印していた印章には、「中原誠(盛)」印を使用しているものが多い。その後は作品数が増えるものの精細な作品が少なくなります。印章も「山静似太古」「日長如小年」というものがよく使われるようになります。



酒を好み、豪放な性格を反映してか、極めて洒脱で大らかな気分に満ちた作品が多く、円山派の影響を強く受け、主に山水画を得意とし、筆墨雄大にして自ら秀爽の趣致を帯び、近世南画壇の巨擘と称されました。当時中西耕石と並び称されていました。

亡くなるまで京都に住んでおり、明治2(1869)年3月13日57才で亡くなりました。墓は京都市内の黒谷の金戒光明寺の山内の墓地にあります。日根野対山ともいい、門弟に野口小蘋・猪瀬東寧・奥蘭田・跡見花蹊・中丸金峯らがいます。

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蜀道の険(しょくどうのけん):戦国時代、秦の恵王が蜀王を騙して敷かせた道。蜀道とは漢中から成都への桟道の事を指す。



李白が「蜀道の難は、青天に上るよりも難し」と歌ったほどの難所であった。 中でも、垂直に切り立った岩肌に取り付く蜀の桟道は、現在は観光名所として知られる。



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参考作品
桃華源図

対山34歳の時の作品



後に孝明天皇に所望された時に天覧に供した作品で日根対山が描いた生涯の会心作のひとつです。その後明治・大正天皇にも供せられ対山の代表作となっています。

南画は幕末から大いに隆盛し、数多くの作品が製作されましたが、同時に数多くの贋作も誕生しました。最近の「なんでも鑑定団」に高久靄崖の作品が出品されいましたが、このような贋作が横行していたのでしょうし、今なお多くの贋作が存在するようです。

むろん当方の投稿作品にも紛れている可能性は当然あります。それらをひとつずつクリアしていないと真作にはたどり着けないのも事実のようです。さ~て、本作品や如何・・。







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