蹄斎北馬は北斎の弟子の中では筆頭にあげられ、最近本ブログで投稿された魚屋北渓と共に葛飾北斎の弟子の双璧とされる浮世絵画家です。
以前紹介した「賢木」でも説明したように北馬は、右手は師である北斎の用にのみ供すべきものであるからといって、文晁の作品の手伝いをする時には、師の北斎の許可を得た後、左筆のみでその用事を済ませたという逸話があります。
観月蛙之図 蹄斎北馬筆
紙本水墨軸装紙表装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1340*横350 画サイズ:縦640*横280
蹄斎北馬にこのような洒脱な作品があるとは意外ですが、本作品は小生の好きな作品のひとつです。「指月布袋図」の見立てのような味わいあり、蛙の見上げた先には「指月布袋図」と同様に描いてはいませんが中秋の月を想像させる愉しい作品です。
作品の右上が雲のように見えますが、まったくの偶然で表具改装をしたようで、作品の紙が破けていたためにできた跡です。
肉筆浮世絵は小生の好むところには非ず、贋作も多々あり北馬の本ブログに投稿している二作品も真贋問うところですが、この作品は肉筆浮世絵の真贋云々と別次元に興が存在します。
下記はインターネット上の北馬の説明記事です。
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蹄斎 北馬:(ていさい ほくば)明和7年(1770年)~弘化元年8月6日(1844年9月17日)。江戸時代後期の浮世絵師。葛飾北斎の門人。北斎の弟子の中では筆頭にあげられ、魚屋北渓と共に双璧とされる。姓は有坂、本姓星野、俗称五郎八。諱は光陰。蹄斎、駿々斎、駿々亭、秋園などと号す。
江戸の生まれで、下谷御徒町(現台東区台東)に住む貧しい御家人の家に生まれた。しかし武家務めを窮屈に思い、文政元年(1818年)までに家督を弟に譲って隠居・出家し、画で家計を助けるため北斎に入門したという。入門時期は不明だが、北馬最初の版本『狂歌花鳥集』は寛政12年(1800年)出版のため、入門はこの数年前だと推測される。文化・文政期の美人画を代表する絵師の一人。
初期の寛政から文化期にかけては制作した制作した狂歌本や読本、摺物には北斎の影響が顕著である。滝沢馬琴、高井蘭山、振鷺亭らの読本の挿絵を、文化9年(1812年)までに少なくとも60種類発表し、同門の北鵞と合作で、黄表紙の挿絵も描いた。一方で浅草庵市人に狂歌を習い、狂歌摺物などを多数制作している。しかし、一枚刷りの錦絵は殆ど手掛けていない。文化10年(1813年)頃の刊行と見られる戯作者と浮世絵師の見立相撲番付では歌川豊国、国貞についで第三位の小結の位置を占めており、名声を博していたことが窺える。
文政期からは肉筆画にほぼ専念し、天保期に入ると北斎風から離れ独自の画風を確立した。特に彩色に長じ、左筆を良くし、また肉筆美人画に秀作が多い。風俗描写に秀でた北馬の持ち味が随所に発揮されている作品が多い。ただし全体的に作品の筆致そのものがあまり芳しくなく、手元の描写や衣紋の線などに描写の拙さが目立ちます。喜多川歌麿の弟子である藤麿(ふじまろ)同様、その時々で作品の出来にはかなりムラがある。
肉筆画の数は多く、200点、或いは300点を超えるとも言われる。師風に追随せず、歌川派の作風をも取入れて独自の画風を創出しており、「春風美人図」(絹本着色 東京国立博物館所蔵)「北馬」落款などに見られる玉子形の顔に細い顎、両目の間がやや離れて下唇が突き出した容貌は、北馬の美人画の画風を良く示している。作品には「北馬」という落款がある作品もあるが、通常は「蹄斎」と款している場合が多いので、「浅妻船図」(大英博物館所蔵)など比較的少数の作品に「北馬」の落款が見られる。
北馬は資性孝順で、老親に仕えることに最も篤かった。当時、盛名の高かった谷文晁は、北馬の至孝に感じ入りその生計を援助し、安心して親に仕えさせている。そうして文晁は自ら描く密画の模様などを、北馬に手伝わせたりした。伝えるところによれば北馬は、この右手は師の用にのみ供すべきものであるからといって、文晁の作品の手伝いをする時には、師の北斎の許可を得た後、左筆のみでその用事を済ませたといわれる。
49歳で剃髪し、弘化元年(1844年)75才(74才とも)で没した。菩提寺は不明。北馬の子は二代目北馬を称している。門人には逸馬、叢斎遊馬らがいた。
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主な美術館所蔵作品
「見立桃園三傑図」 絹本着色 東京国立博物館所蔵
「三都三美人図」 絹本三幅対 浮世絵 太田記念美術館所蔵
「蛍狩美人図」双幅 絹本着色 出光美術館所蔵 菊池五山賛
「遊女図」 紙本着色 ニューオータニ美術館所蔵
「向島風景図屏風」 紙本着色 二曲一隻 ボストン美術館所蔵
「墨堤春遊図」 絹本着色 心遠館(プライス・コレクション)所蔵 滝沢馬琴賛
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「指月布袋図」と本作品を結びつける根拠はなにもありませんが、家内はこの作品を見て空を指さしました
以前紹介した「賢木」でも説明したように北馬は、右手は師である北斎の用にのみ供すべきものであるからといって、文晁の作品の手伝いをする時には、師の北斎の許可を得た後、左筆のみでその用事を済ませたという逸話があります。
観月蛙之図 蹄斎北馬筆
紙本水墨軸装紙表装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1340*横350 画サイズ:縦640*横280
蹄斎北馬にこのような洒脱な作品があるとは意外ですが、本作品は小生の好きな作品のひとつです。「指月布袋図」の見立てのような味わいあり、蛙の見上げた先には「指月布袋図」と同様に描いてはいませんが中秋の月を想像させる愉しい作品です。
作品の右上が雲のように見えますが、まったくの偶然で表具改装をしたようで、作品の紙が破けていたためにできた跡です。
肉筆浮世絵は小生の好むところには非ず、贋作も多々あり北馬の本ブログに投稿している二作品も真贋問うところですが、この作品は肉筆浮世絵の真贋云々と別次元に興が存在します。
下記はインターネット上の北馬の説明記事です。
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蹄斎 北馬:(ていさい ほくば)明和7年(1770年)~弘化元年8月6日(1844年9月17日)。江戸時代後期の浮世絵師。葛飾北斎の門人。北斎の弟子の中では筆頭にあげられ、魚屋北渓と共に双璧とされる。姓は有坂、本姓星野、俗称五郎八。諱は光陰。蹄斎、駿々斎、駿々亭、秋園などと号す。
江戸の生まれで、下谷御徒町(現台東区台東)に住む貧しい御家人の家に生まれた。しかし武家務めを窮屈に思い、文政元年(1818年)までに家督を弟に譲って隠居・出家し、画で家計を助けるため北斎に入門したという。入門時期は不明だが、北馬最初の版本『狂歌花鳥集』は寛政12年(1800年)出版のため、入門はこの数年前だと推測される。文化・文政期の美人画を代表する絵師の一人。
初期の寛政から文化期にかけては制作した制作した狂歌本や読本、摺物には北斎の影響が顕著である。滝沢馬琴、高井蘭山、振鷺亭らの読本の挿絵を、文化9年(1812年)までに少なくとも60種類発表し、同門の北鵞と合作で、黄表紙の挿絵も描いた。一方で浅草庵市人に狂歌を習い、狂歌摺物などを多数制作している。しかし、一枚刷りの錦絵は殆ど手掛けていない。文化10年(1813年)頃の刊行と見られる戯作者と浮世絵師の見立相撲番付では歌川豊国、国貞についで第三位の小結の位置を占めており、名声を博していたことが窺える。
文政期からは肉筆画にほぼ専念し、天保期に入ると北斎風から離れ独自の画風を確立した。特に彩色に長じ、左筆を良くし、また肉筆美人画に秀作が多い。風俗描写に秀でた北馬の持ち味が随所に発揮されている作品が多い。ただし全体的に作品の筆致そのものがあまり芳しくなく、手元の描写や衣紋の線などに描写の拙さが目立ちます。喜多川歌麿の弟子である藤麿(ふじまろ)同様、その時々で作品の出来にはかなりムラがある。
肉筆画の数は多く、200点、或いは300点を超えるとも言われる。師風に追随せず、歌川派の作風をも取入れて独自の画風を創出しており、「春風美人図」(絹本着色 東京国立博物館所蔵)「北馬」落款などに見られる玉子形の顔に細い顎、両目の間がやや離れて下唇が突き出した容貌は、北馬の美人画の画風を良く示している。作品には「北馬」という落款がある作品もあるが、通常は「蹄斎」と款している場合が多いので、「浅妻船図」(大英博物館所蔵)など比較的少数の作品に「北馬」の落款が見られる。
北馬は資性孝順で、老親に仕えることに最も篤かった。当時、盛名の高かった谷文晁は、北馬の至孝に感じ入りその生計を援助し、安心して親に仕えさせている。そうして文晁は自ら描く密画の模様などを、北馬に手伝わせたりした。伝えるところによれば北馬は、この右手は師の用にのみ供すべきものであるからといって、文晁の作品の手伝いをする時には、師の北斎の許可を得た後、左筆のみでその用事を済ませたといわれる。
49歳で剃髪し、弘化元年(1844年)75才(74才とも)で没した。菩提寺は不明。北馬の子は二代目北馬を称している。門人には逸馬、叢斎遊馬らがいた。
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主な美術館所蔵作品
「見立桃園三傑図」 絹本着色 東京国立博物館所蔵
「三都三美人図」 絹本三幅対 浮世絵 太田記念美術館所蔵
「蛍狩美人図」双幅 絹本着色 出光美術館所蔵 菊池五山賛
「遊女図」 紙本着色 ニューオータニ美術館所蔵
「向島風景図屏風」 紙本着色 二曲一隻 ボストン美術館所蔵
「墨堤春遊図」 絹本着色 心遠館(プライス・コレクション)所蔵 滝沢馬琴賛
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「指月布袋図」と本作品を結びつける根拠はなにもありませんが、家内はこの作品を見て空を指さしました