昨日の朝、トイレで用事をすませていると、なにやら目の前の巾木に小さな生き物らしきものが・・ 小さな「ヤモリ」だね。引越し準備に来ている頃から門の郵便ボックスのまわりやら、庭の洗濯物の重しの石の下でお目にかかっています。害虫を駆除することなどから、家を守るとされ、漢字では「守宮」(あるいは「家守」)と書かれます。
田舎育ちの小生ですので、別段びっくりすることはありませんので、そのまま・・、「よろしく」と挨拶。引っ越したので挨拶に来たのでしょう。子供にも紹介しましたが、「あれ、あれ」と言っていました。手を出すと噛みつくことがありますが、顎の骨が弱いので自分で骨を折ることがありますから、手を近づけてはいけません。
さて、本日の作品を描いた画家は「名誉や利益には一切興味がない」という画家です。栄達を望む人は多いでしょうが、決してそのこと自体は人間の幸福というものと直結はしていないということに気がついている人は少ないようです。しかもそこには歪んだ感情が生じやすいことも・・・。「妬み、顕示欲、自己中心、中傷・・・」、願わくはそれらとは関わりたくないもので、本日は「世の中の流れには乗らず一貫して風流人として自身の人生を楽しんだ」という時間を過ごした画家の作品です。
斎藤畸庵の作品は「斎藤畸庵の作品 その3」となり、三作品目の投稿となります。
雲巒烟樹図 斎藤畸庵筆
紙本水墨軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2090*横720 画サイズ:縦1440*横570
賛には「雲巒烟樹□□畏 趣立元暉子久間 一自晝宗□此□ 世人□□向荊関 乙亥(きのとい、いつがい)秋晩倣王麓□筆意 畸庵除人淳 押印」とあり、1875年(明治8年)斎藤畸庵が70頃の作品です。賛の意味? 当方には難解です。
斎藤畸庵の作品には山水図が多く、スケールの大きな作風を展開していますが、本作品は水墨で描かれた山水画の佳作だと思います。
雲巒烟樹:山々には雲が流れ、木々には霞や靄(もや)がたなびくさま
元暉:北宋後期の文人画家の米友仁(1086 - 1165年)のことで米芾の子。字は元暉
荊関:「けいかん」唐末の大画家である荊浩(華北山水画隆盛の基礎を作り上げた)・関同(山水を能くし、好んで秋山寒林の図を描く)のこと。荊浩と関同は水墨山水を描いた初 期の画家であり、後世への影響が大きかったが、彼らの作品の原本は現存しない
王麓:王原祁のこと。清代初期の文人画家。字は茂京、号は麓台、石師道人。江蘇省太倉の人。
畸庵自身は名誉や利益には一切興味がなく、世の中の流れには乗らず一貫して風流人として自身の人生を楽しんだとのことで、確かな技量があるにも関わらず、南画家としては地味な存在でした
近年その作品は高く評価されるべき隠れた大家の一人として挙げられています。
現在は知る人も少ない画家ですが、彼自身も著名になることを別に求めていなかったような気がします。殺伐とした現代になって高く評価されている理由が充分に理解できる作風です。
田舎育ちの小生ですので、別段びっくりすることはありませんので、そのまま・・、「よろしく」と挨拶。引っ越したので挨拶に来たのでしょう。子供にも紹介しましたが、「あれ、あれ」と言っていました。手を出すと噛みつくことがありますが、顎の骨が弱いので自分で骨を折ることがありますから、手を近づけてはいけません。
さて、本日の作品を描いた画家は「名誉や利益には一切興味がない」という画家です。栄達を望む人は多いでしょうが、決してそのこと自体は人間の幸福というものと直結はしていないということに気がついている人は少ないようです。しかもそこには歪んだ感情が生じやすいことも・・・。「妬み、顕示欲、自己中心、中傷・・・」、願わくはそれらとは関わりたくないもので、本日は「世の中の流れには乗らず一貫して風流人として自身の人生を楽しんだ」という時間を過ごした画家の作品です。
斎藤畸庵の作品は「斎藤畸庵の作品 その3」となり、三作品目の投稿となります。
雲巒烟樹図 斎藤畸庵筆
紙本水墨軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2090*横720 画サイズ:縦1440*横570
賛には「雲巒烟樹□□畏 趣立元暉子久間 一自晝宗□此□ 世人□□向荊関 乙亥(きのとい、いつがい)秋晩倣王麓□筆意 畸庵除人淳 押印」とあり、1875年(明治8年)斎藤畸庵が70頃の作品です。賛の意味? 当方には難解です。
斎藤畸庵の作品には山水図が多く、スケールの大きな作風を展開していますが、本作品は水墨で描かれた山水画の佳作だと思います。
雲巒烟樹:山々には雲が流れ、木々には霞や靄(もや)がたなびくさま
元暉:北宋後期の文人画家の米友仁(1086 - 1165年)のことで米芾の子。字は元暉
荊関:「けいかん」唐末の大画家である荊浩(華北山水画隆盛の基礎を作り上げた)・関同(山水を能くし、好んで秋山寒林の図を描く)のこと。荊浩と関同は水墨山水を描いた初 期の画家であり、後世への影響が大きかったが、彼らの作品の原本は現存しない
王麓:王原祁のこと。清代初期の文人画家。字は茂京、号は麓台、石師道人。江蘇省太倉の人。
畸庵自身は名誉や利益には一切興味がなく、世の中の流れには乗らず一貫して風流人として自身の人生を楽しんだとのことで、確かな技量があるにも関わらず、南画家としては地味な存在でした
近年その作品は高く評価されるべき隠れた大家の一人として挙げられています。
現在は知る人も少ない画家ですが、彼自身も著名になることを別に求めていなかったような気がします。殺伐とした現代になって高く評価されている理由が充分に理解できる作風です。