さて今年の9月の帰省は秋田県の角館で新幹線を降車し、角館から内陸縦断鉄道に乗車し鷹巣駅で降車しました、そこから男の隠れ家へ・・・。稲を刈り入れする頃の帰省は久し振りです。稲刈りの時期の勝利には一種独特の雰囲気があります。
縁側からの季節は一面のゴールドからあっという間に白くなっていきます。
愛車?を駆立てて、さらに別の「男の隠れ家」へ移動。適当に枝打ちした玄関の松も元気そうで安心しました。この松は前にも紹介したように、新築まもなく門の脇に自然に生えてきたものです。落雪の多い場所ですが、雪の重みに負けず大きくなってきました。
天気の良い日には八幡平へ登頂・・。息子も自力で登山。小生と同じく百名山の最初は八幡平。
男の隠れ家で楽しんだのはお揃いの器たち・・。まずは「平戸嘉祥」作の揃いの染付け。「平戸嘉祥」についての詳細は不明です。
昔は自宅で法事や婚礼を行なったので、自宅で揃いの膳や器を揃えていました。その器を売るため見本の揃いのセットが作られました。柿右衛門の揃いもありますが、ありきたりなので今回は平戸焼の紹介です。
見本ですのでかなりの力作ですね。
これらをもとに30人揃い以上の揃いものを窯元に依頼するようです。
地方で栄えていた家々をこのセットを持って営業に歩いていたのでしょう。そのセットを買い上げた?(貰い受けたのかもしれません)のが本作品です。
その揃いの紹介は後日として、いくつか別の揃いを紹介します。まずは酒器の揃い。
同じく平戸嘉祥の作品ですが、出所が別々の「男の隠れ家」なので作行が違います。これはこれで実に品が良い出来だと思います。
酒器揃いは徳利、盃、盃受皿や盃杯が多いですが、意外にこのような酒器の揃いが完品で残っているのは少ないものです。席で酔うと多くが破損するせいでしょう。また親戚や近所などに貸しますので戻ってこない?
酒器の次は酒のつまみの入れ物??
詳細は不明ですが、有田近郊の窯の作でしょう。「瀟洒れたたづまい」の器は実に気品が高く、確かな技術が窺い知れます。
さらに小皿・・。
こちらは柿右衛門です。
十二代の作、「のし形小皿」とあります。この頃の揃いの器は30人程度の揃いがメインですが、十二代、十三代の柿右衛門の作品を良く見かけます。
職人が製作した工房作品でしょうが、近代になって工房作品が横行する柿右衛門については、美術的には評価に値しない(賛否両論?)と思っていますが、この小皿は柿右衛門にしては実に品がいいものです。実際に揃いものの工房作品は廉価で売買されています。
さて次は蓋ものです。
作者の詳細は不明です。このような蓋ものはよく見かけますね。茶碗蒸に使ったのでしょう。
最近の陶器店でも見かけるものと見間違うくらいの新しさがあります。
このような蓋付の器は昭和の頃にはたくさん作られており、当方にも何種類か揃いでありますが、今では二束三文のものでしょう。
最後は柿右衛門の蓋ものです。工房作品の代表的な作例です。
いかにも柿右衛門・・。柿右衛門の揃いは当方にも残っていますが・・。
このような揃い物は家族が小家族化し、法事や結婚式が催事場で行なわれるようになってから、多くが分散してしまっています。
当方にも30人から50人揃いがあったのでしょうが、10人揃いしか残っていないものもあります。親戚や嫁入りする娘らに分けてやったのでしょう。処分するときもペアや五人揃いくらいにして、廉価に売買されたものと推察されます。
揃いの器はこれから整理していきますが、膳なども同じ運命をたどっています。日本の文化のひとつが着実に衰退しています。料亭などで品の良い器にお目にかかることは少なくなりました。現代の京焼や備前、信楽といったありきたりのも・・、目の肥えた人、財力のある経営者が少なくなってきたのでしょう。
揃いの膳や器を少しでも遺してゆきたいと願うのは私だけでしょうか? 少子高齢化、居住空間・収納スペースの狭少化などにより、大家族の遺品というべきもの、近隣・親戚との地域の集団のなごりなどの我々が代々引き継ぐべきものが消えてゆきます。
価値観の変化もありましょうが、とりもなおさず東京一極集中に象徴されるように地方の衰退も大きく関わっています。TPPなどでさらに加速化される可能性が高く、「国家の基本は農に在り」が過去のものとなり、貧困化・増税などの我々を取り巻く経済環境の変化が大きく影響しています。
「守れ、守れ、古きよきものを。伝えよ、伝えよ、我が子らに自然のありがたさを。」、門脇の松に負けないように・・。自然の中で多くの人が寄り添って生きてきた人間の弱さと強さを・・・。
縁側からの季節は一面のゴールドからあっという間に白くなっていきます。
愛車?を駆立てて、さらに別の「男の隠れ家」へ移動。適当に枝打ちした玄関の松も元気そうで安心しました。この松は前にも紹介したように、新築まもなく門の脇に自然に生えてきたものです。落雪の多い場所ですが、雪の重みに負けず大きくなってきました。
天気の良い日には八幡平へ登頂・・。息子も自力で登山。小生と同じく百名山の最初は八幡平。
男の隠れ家で楽しんだのはお揃いの器たち・・。まずは「平戸嘉祥」作の揃いの染付け。「平戸嘉祥」についての詳細は不明です。
昔は自宅で法事や婚礼を行なったので、自宅で揃いの膳や器を揃えていました。その器を売るため見本の揃いのセットが作られました。柿右衛門の揃いもありますが、ありきたりなので今回は平戸焼の紹介です。
見本ですのでかなりの力作ですね。
これらをもとに30人揃い以上の揃いものを窯元に依頼するようです。
地方で栄えていた家々をこのセットを持って営業に歩いていたのでしょう。そのセットを買い上げた?(貰い受けたのかもしれません)のが本作品です。
その揃いの紹介は後日として、いくつか別の揃いを紹介します。まずは酒器の揃い。
同じく平戸嘉祥の作品ですが、出所が別々の「男の隠れ家」なので作行が違います。これはこれで実に品が良い出来だと思います。
酒器揃いは徳利、盃、盃受皿や盃杯が多いですが、意外にこのような酒器の揃いが完品で残っているのは少ないものです。席で酔うと多くが破損するせいでしょう。また親戚や近所などに貸しますので戻ってこない?
酒器の次は酒のつまみの入れ物??
詳細は不明ですが、有田近郊の窯の作でしょう。「瀟洒れたたづまい」の器は実に気品が高く、確かな技術が窺い知れます。
さらに小皿・・。
こちらは柿右衛門です。
十二代の作、「のし形小皿」とあります。この頃の揃いの器は30人程度の揃いがメインですが、十二代、十三代の柿右衛門の作品を良く見かけます。
職人が製作した工房作品でしょうが、近代になって工房作品が横行する柿右衛門については、美術的には評価に値しない(賛否両論?)と思っていますが、この小皿は柿右衛門にしては実に品がいいものです。実際に揃いものの工房作品は廉価で売買されています。
さて次は蓋ものです。
作者の詳細は不明です。このような蓋ものはよく見かけますね。茶碗蒸に使ったのでしょう。
最近の陶器店でも見かけるものと見間違うくらいの新しさがあります。
このような蓋付の器は昭和の頃にはたくさん作られており、当方にも何種類か揃いでありますが、今では二束三文のものでしょう。
最後は柿右衛門の蓋ものです。工房作品の代表的な作例です。
いかにも柿右衛門・・。柿右衛門の揃いは当方にも残っていますが・・。
このような揃い物は家族が小家族化し、法事や結婚式が催事場で行なわれるようになってから、多くが分散してしまっています。
当方にも30人から50人揃いがあったのでしょうが、10人揃いしか残っていないものもあります。親戚や嫁入りする娘らに分けてやったのでしょう。処分するときもペアや五人揃いくらいにして、廉価に売買されたものと推察されます。
揃いの器はこれから整理していきますが、膳なども同じ運命をたどっています。日本の文化のひとつが着実に衰退しています。料亭などで品の良い器にお目にかかることは少なくなりました。現代の京焼や備前、信楽といったありきたりのも・・、目の肥えた人、財力のある経営者が少なくなってきたのでしょう。
揃いの膳や器を少しでも遺してゆきたいと願うのは私だけでしょうか? 少子高齢化、居住空間・収納スペースの狭少化などにより、大家族の遺品というべきもの、近隣・親戚との地域の集団のなごりなどの我々が代々引き継ぐべきものが消えてゆきます。
価値観の変化もありましょうが、とりもなおさず東京一極集中に象徴されるように地方の衰退も大きく関わっています。TPPなどでさらに加速化される可能性が高く、「国家の基本は農に在り」が過去のものとなり、貧困化・増税などの我々を取り巻く経済環境の変化が大きく影響しています。
「守れ、守れ、古きよきものを。伝えよ、伝えよ、我が子らに自然のありがたさを。」、門脇の松に負けないように・・。自然の中で多くの人が寄り添って生きてきた人間の弱さと強さを・・・。