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浅絳山水図 浦上春琴筆 その3

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家内が緊急入院して以来、単身赴任のような生活が3ヶ月以上続いている。掃除、洗濯、炊事とたいしたことはしていないが、毎日がなんやかんやと忙しいものです。おまけに週末は長男の子守をしていますので、ブログの原稿を書く閑もなく、夜遅くなってからブログに原稿を書いて過ごしています。時間が少なく、調べものが中途半端になっていないかが気がかりです。

岡山県の画家として本ブログに取り上げた画家は浦上玉堂父子、古市金蛾、そして石井金稜ですが、その3人は指定関係でつながっています。

浦上玉堂は川端康成が借金してまで購入し、のちに国宝となった「凍雲篩雪図」の作者ですが、その浦上玉堂の子息である浦上春琴は精彩で巧みでありながら透き通るような気品のある作と評されています。本日はその評に違わぬ作行きの作品を紹介します。


浅絳山水図 浦上春琴筆 その3
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製塗 合箱
全体サイズ:縦1918*横533 画サイズ:縦1307*横412



款文は「保午春晩 春琴紀選」とあり款印は「紀選之印」の白文朱方印と「春琴居士」の朱文白方印が押印されています。天保の午年と推察され、天保5年(1835年)の作品で浦上春琴が56歳の作と思われます。



淡い色彩で独特な本のある作品を描いたが、その特徴がよく出ている作品です。




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浦上春琴:安永8年(1779年)〜 弘化3年5月23日(1846年6月16日))は、江戸時代後期の日本の文人画家。当時、鴨方藩士だった浦上玉堂の長子として備前国(現岡山県)に生まれる。浦上秋琴は実弟。諱は選、字を伯挙・十千、号は春琴のほかに睡菴・文鏡亭・二卿。通称は紀一郎もしくは喜一郎。戦国大名浦上氏の末裔という。



幼少の頃より父玉堂より書画の手ほどきを受ける。寛政4年(1792年)ころより如意道人によって父玉堂とともに春琴の作品が買い上げられている(如意道人蒐集書画帖)。14歳のころ母が死去。寛政6年(1794年)父玉堂が脱藩。父子で諸国を歴遊する。江戸、長崎では画塾に通い古書画を研鑽する。




遊歴を終え20代で京都に定住し、頼山陽や田能村竹田、岡田米山人、半江、篠崎小竹、貫名海屋、柏木如亭ら著名な文人との交わりを深める。文化8年(1811年)藤木氏瀧と結婚。文化10年(1813年)父玉堂と同居(柳馬場二条北)し夫婦で世話をする。



文政3年(1820年)玉堂歿。山水画、花鳥画に優れ精彩で巧みでありながら透き通るような気品のある作風であった。中林竹洞や山本梅逸らと名声を競った。当時は父玉堂の作品よりよく売れたという。また書道・詩文・平曲・七絃琴に優れ、器物、書画の鑑定にも秀でていた。紀春琴の名で画論『論画詩』を著している。弘化3年5月歿、享年68。


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表具もよく似合っています。



九州、広島・岡山、秋田は京都や江戸以外で日本画が花開いた地域です。

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