初釜と席のお披露目の茶室の準備も完了しました。
床の間には青磁の花入に梅と椿、軸は鶴・・・、初釜と席開きで「鶴と亀」、「松竹梅」の吉祥の一環です。
置物には「亀」、上の棚は「竹に蛙」。これで「鶴と亀」、「松竹梅」・・? 「松」は弓野焼の水指の文様しました。
庭の手入れもちょうどよいようです。
晴天とはなりませんでしたが、明るさも良し・・。
妙齢の美女達の参上。本ブログは作品同様に非公開が多い・・・・。
続きは後日また・・・。
本日は父や祖父、叔父、母らと交流のあった福田豊四郎氏の作品の紹介ですが、最近わりと縁が多く、漆器の丸盆(祖父が依頼して製作したもの)、色紙、わりと大きな作品などを購入しました。
父が亡くなった時、母が父と交流のあった福田豊四郎氏に依頼して、父がお世話になった方々に色紙を描いていただいて配ったそうです。その当時の色紙が今でも遺っていたことや母kaら父との福田豊四郎氏との交流、父が亡くなったあとの交流などを聞いていたこともあり、福田豊四郎氏の作品を目にするとついつい無理をしてでも購入してしまいます。
富岳図 福田豊四郎筆
紙本着色 色紙額装タトウ入 3号
母が依頼した色紙の作品と落款・印章と同一であり、昭和40年過ぎ頃、福田豊四郎氏が60歳を過ぎた頃、最晩年の作品と推察されます。
この作品はインターネットオークションから購入した作品です。ただしインターネットオークションでは福田豊四郎の真作は残念ながら滅多に出品されていないようです。現在、インターネットオークションに出品されている福田豊四郎の作品のほとんどが贋作ですので要注意です。とくに秋田県の地元に贋作が横行していますので注意が必要です。
母の実家にあった額に入れて飾りました。
当方では他の所蔵作品である「富士」、「薔薇」(二作品)、「鶴」(袱紗)、「鯰」、「蜜柑」、「竹」(売却済)の落款・印章と同一であり、落款・印章を確認をしてから入手していますが、手元に参考になる作品が揃っていないと贋作を入手することになりかねません。
また下記の作品は落款や印章がありませんが、福田豊四郎の画帳からの作品とのことで、郷里の骨董店から購入した作品です。家内が目をつけた作品ですが、作品が含まれていた画帳がかなり痛んでいたとのことで画帳外しの額装になったそうです。本人の作品かどうかは当方の判断ですが、福田豊四郎の作品に間違いないと思います。
初釜の当日は父と母の結婚記念に福田豊四郎氏に描いていただいた作品を二階の展示室に展示しました。
下記の写真がその作品で、父母の結婚記念に描いていただいた福田豊四郎の「鶴汀」(本ブログでは非公開)という作品ですが、父方と母方の両方に福田豊四郎氏に描いていただきました。つまり最低ふたつの作品が存在し、父方のほうの作品は行方が解っていません。父方の叔父が処分したようで調べましたが、近所の洋装店に譲渡したまでは解っていますが、そこで処分したかどうかなど残念ながら現在は所在が解っていません。
母方の作品は親戚の好意によりなんとか当方に戻ってきました。図柄を写真で確認すると若干違うようです。
福田豊四郎氏の作品の近くに父が福田豊四郎氏に指導していただいて描いた色紙の作品を展示しました。手前の志野の作品はどなたの作かは本ブログの愛読者にはよくお分かりかと思います。
郷里に飾っており、このたびは展示していませんが、昭和21年に福田豊四郎氏が私の両親の若かりし頃を描いた作品が遺っています。これは叔父からいただいた作品です。「鶴汀」と同時期の作品かと思われます。
今回の改装で作った展示室に数々の由来の品々がたくさんの方々のご好意とご協力で集まってきています。祖母から祖父から伝わった作品は他の人の所蔵となりながら、当方に戻ってきたものも多くあります。
床の間には青磁の花入に梅と椿、軸は鶴・・・、初釜と席開きで「鶴と亀」、「松竹梅」の吉祥の一環です。
置物には「亀」、上の棚は「竹に蛙」。これで「鶴と亀」、「松竹梅」・・? 「松」は弓野焼の水指の文様しました。
庭の手入れもちょうどよいようです。
晴天とはなりませんでしたが、明るさも良し・・。
妙齢の美女達の参上。本ブログは作品同様に非公開が多い・・・・。
続きは後日また・・・。
本日は父や祖父、叔父、母らと交流のあった福田豊四郎氏の作品の紹介ですが、最近わりと縁が多く、漆器の丸盆(祖父が依頼して製作したもの)、色紙、わりと大きな作品などを購入しました。
父が亡くなった時、母が父と交流のあった福田豊四郎氏に依頼して、父がお世話になった方々に色紙を描いていただいて配ったそうです。その当時の色紙が今でも遺っていたことや母kaら父との福田豊四郎氏との交流、父が亡くなったあとの交流などを聞いていたこともあり、福田豊四郎氏の作品を目にするとついつい無理をしてでも購入してしまいます。
富岳図 福田豊四郎筆
紙本着色 色紙額装タトウ入 3号
母が依頼した色紙の作品と落款・印章と同一であり、昭和40年過ぎ頃、福田豊四郎氏が60歳を過ぎた頃、最晩年の作品と推察されます。
この作品はインターネットオークションから購入した作品です。ただしインターネットオークションでは福田豊四郎の真作は残念ながら滅多に出品されていないようです。現在、インターネットオークションに出品されている福田豊四郎の作品のほとんどが贋作ですので要注意です。とくに秋田県の地元に贋作が横行していますので注意が必要です。
母の実家にあった額に入れて飾りました。
当方では他の所蔵作品である「富士」、「薔薇」(二作品)、「鶴」(袱紗)、「鯰」、「蜜柑」、「竹」(売却済)の落款・印章と同一であり、落款・印章を確認をしてから入手していますが、手元に参考になる作品が揃っていないと贋作を入手することになりかねません。
また下記の作品は落款や印章がありませんが、福田豊四郎の画帳からの作品とのことで、郷里の骨董店から購入した作品です。家内が目をつけた作品ですが、作品が含まれていた画帳がかなり痛んでいたとのことで画帳外しの額装になったそうです。本人の作品かどうかは当方の判断ですが、福田豊四郎の作品に間違いないと思います。
初釜の当日は父と母の結婚記念に福田豊四郎氏に描いていただいた作品を二階の展示室に展示しました。
下記の写真がその作品で、父母の結婚記念に描いていただいた福田豊四郎の「鶴汀」(本ブログでは非公開)という作品ですが、父方と母方の両方に福田豊四郎氏に描いていただきました。つまり最低ふたつの作品が存在し、父方のほうの作品は行方が解っていません。父方の叔父が処分したようで調べましたが、近所の洋装店に譲渡したまでは解っていますが、そこで処分したかどうかなど残念ながら現在は所在が解っていません。
母方の作品は親戚の好意によりなんとか当方に戻ってきました。図柄を写真で確認すると若干違うようです。
福田豊四郎氏の作品の近くに父が福田豊四郎氏に指導していただいて描いた色紙の作品を展示しました。手前の志野の作品はどなたの作かは本ブログの愛読者にはよくお分かりかと思います。
郷里に飾っており、このたびは展示していませんが、昭和21年に福田豊四郎氏が私の両親の若かりし頃を描いた作品が遺っています。これは叔父からいただいた作品です。「鶴汀」と同時期の作品かと思われます。
今回の改装で作った展示室に数々の由来の品々がたくさんの方々のご好意とご協力で集まってきています。祖母から祖父から伝わった作品は他の人の所蔵となりながら、当方に戻ってきたものも多くあります。