本ブログで何度か投稿されている蓑虫山人についての特集が「今週のNHKの日曜美術館の番組」で放映されました。
内容はあきらかに時間が不足しており不十分な内容でしたが、取りあげたことには大いに賛同します。いままで取り上げなかったことが不思議なくらいですが、個人蔵が多いため作品を集結しての展覧会は無理かもしれませんので、有意義な特集番組でしょう。一部の愛好家には根強い人気のある画家ですが、今では忘れ去られた画家のひとりなのでしょう。
そのほかに「釧雲泉、天龍道人、源内焼、倉田松涛、平福穂庵」など取り上げてほしい作品群が多々ありますね。これらの画家などはこれからご注目です。
さて本日の作品は、原稿を書いてから改めて気がついたのですが過去に二度投稿していました。郷里に収納していたのですが、手元に置いておきたくて、帰京に際して持ってきた作品です。春になると飾りたくなる作品であり、つい・・・。
武陵猟夫 岡本豊彦筆
絹本金泥着色絹装軸二重箱
画サイズ:横234*縦315
幕末以降、四条派は京都画壇をリードしていきますが、その基礎を築いたのは本作品を描いた岡本豊彦と言っても良いでしょう。彼以降、単なる華麗で単調な作品が多いなかで、彼の弟子である柴田是真が発展性をみせ、竹内栖鳳へと繋がっていきます。しかし、四条派の絵が退屈なものとなったのは否めないように思います。
日本画の生きる絵としての価値をどこに見出したらいいのかは、近代絵画の出現を待つしかなかったことは四条派に限ったことではありません。四条派の画家の一人とされる我が郷里出身の画家の平福穂庵もその例であり、京都四条派の作品は時代の経過とともにつまらなくなっていきます。
岡本豊彦以降の作品は南画、狩野派もそうであるように単調・装飾的であり、江戸時代末期から明治後半まで一部の画家を除き日本画の倦怠期のよう時期です。
四条派についての薀蓄は別としまして、ともかく本作品は良い作品です。うららかな春の陽射しのある日に転寝をしながら脇に飾るにはもってこいの作品でしょう。
画題は東晋末から南朝宋にかけて活躍した詩人陶淵明の著した散文「桃花源記」の冒頭部分を描いたものです。
「晋の太中元年間、武陵に漁師がいた。ある日、山奥へ谷川に沿って舟を漕いでいくとどこまで行ったかも分からなくなり、突如、桃の木が生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が広がった。」
まさに桃源郷発見の瞬間であろう、その光景を絵にしたものです。
岡本豊彦は安永2年生まれ、弘化2年没(1773年~1845年)、享年68歳。字は子彦、号は紅村、丹岳山人。備中の人で京都に出て、松村呉春に学んで、景文とともに四条派の双壁をなしました。
明治初期の代表的な画家である塩川文鱗や柴田是真はその門人。「松村景文の花鳥画と並んで豊彦の山水画」と賞せられ、呉春より文人画的な要素が強いと評せられています。亮彦はその養子。
表具もきちんとしています。
小生がまだ蒐集して間もない頃はこのように栞を作ったり、友人の書家に題を書いてもらったりして愉しかった、初心なころが懐かしい。
初心忘れるべからず・・・。
今は作品の数が多すぎて気持ちが落ち着かないのはかえってよくないかもしれませんね。源郷の世界に浸ってのんびりとお気に入りの作品だけにしたいと思っています。
内容はあきらかに時間が不足しており不十分な内容でしたが、取りあげたことには大いに賛同します。いままで取り上げなかったことが不思議なくらいですが、個人蔵が多いため作品を集結しての展覧会は無理かもしれませんので、有意義な特集番組でしょう。一部の愛好家には根強い人気のある画家ですが、今では忘れ去られた画家のひとりなのでしょう。
そのほかに「釧雲泉、天龍道人、源内焼、倉田松涛、平福穂庵」など取り上げてほしい作品群が多々ありますね。これらの画家などはこれからご注目です。
さて本日の作品は、原稿を書いてから改めて気がついたのですが過去に二度投稿していました。郷里に収納していたのですが、手元に置いておきたくて、帰京に際して持ってきた作品です。春になると飾りたくなる作品であり、つい・・・。
武陵猟夫 岡本豊彦筆
絹本金泥着色絹装軸二重箱
画サイズ:横234*縦315
幕末以降、四条派は京都画壇をリードしていきますが、その基礎を築いたのは本作品を描いた岡本豊彦と言っても良いでしょう。彼以降、単なる華麗で単調な作品が多いなかで、彼の弟子である柴田是真が発展性をみせ、竹内栖鳳へと繋がっていきます。しかし、四条派の絵が退屈なものとなったのは否めないように思います。
日本画の生きる絵としての価値をどこに見出したらいいのかは、近代絵画の出現を待つしかなかったことは四条派に限ったことではありません。四条派の画家の一人とされる我が郷里出身の画家の平福穂庵もその例であり、京都四条派の作品は時代の経過とともにつまらなくなっていきます。
岡本豊彦以降の作品は南画、狩野派もそうであるように単調・装飾的であり、江戸時代末期から明治後半まで一部の画家を除き日本画の倦怠期のよう時期です。
四条派についての薀蓄は別としまして、ともかく本作品は良い作品です。うららかな春の陽射しのある日に転寝をしながら脇に飾るにはもってこいの作品でしょう。
画題は東晋末から南朝宋にかけて活躍した詩人陶淵明の著した散文「桃花源記」の冒頭部分を描いたものです。
「晋の太中元年間、武陵に漁師がいた。ある日、山奥へ谷川に沿って舟を漕いでいくとどこまで行ったかも分からなくなり、突如、桃の木が生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が広がった。」
まさに桃源郷発見の瞬間であろう、その光景を絵にしたものです。
岡本豊彦は安永2年生まれ、弘化2年没(1773年~1845年)、享年68歳。字は子彦、号は紅村、丹岳山人。備中の人で京都に出て、松村呉春に学んで、景文とともに四条派の双壁をなしました。
明治初期の代表的な画家である塩川文鱗や柴田是真はその門人。「松村景文の花鳥画と並んで豊彦の山水画」と賞せられ、呉春より文人画的な要素が強いと評せられています。亮彦はその養子。
表具もきちんとしています。
小生がまだ蒐集して間もない頃はこのように栞を作ったり、友人の書家に題を書いてもらったりして愉しかった、初心なころが懐かしい。
初心忘れるべからず・・・。
今は作品の数が多すぎて気持ちが落ち着かないのはかえってよくないかもしれませんね。源郷の世界に浸ってのんびりとお気に入りの作品だけにしたいと思っています。